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Julius der Göttliche ー神宿りの紫晶ー  作者: 芦葉紺
第一章 第一節『空の両手』
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 第二十七代皇帝、クラウス二世。

 第一皇子ユリウス。

 その後見人エカルト・ヨハン・ハイリゲンナハト。

 立会人のハイリゲンナハト家当主テオドール。

 同じく立会人、また記録係として宰相ヘルムート・キッシェ。


 五者が揃い、異例尽くめの叙爵式が始まった。


 名を呼ばれ、ユリウスは御前に進み出る。

 四人の視線を一身に受けて、けれど気にした様子もなく堂々と。革靴の音も高らかに。降り注ぐ太陽の光に寧ろ、その()()を際立たせて。一歩進めるたびに空気が冴え渡っていくようだ。


 ――全部、騙し通してみせる。


 覚悟が紫水晶の瞳を決然と煌めかせる。

 それは作り物のようで決して人の手では生み出せない、正に神の作り給うた美貌だ。どんな表情をしていても人目を引かずにはいられない。それはユリウスがユリウスである以上、自然の摂理と言っていい。


 ユリウスは跪いて皇帝の言葉を待った。


「――神聖エイスフィア帝国皇帝クラウスの名に於いて、ここに汝ユリウス・アウグスト・クラウス・エーレンフリートをリンデン公爵に叙す」


 皇帝が厳かに告げると立会人二人とエカルトは異議のないことを示す敬礼を取った。


 皇帝による叙爵の宣言。宗教的な権力者、ハイリゲンナハトの承認。政治的な代表者である宰相の承認。未成年のユリウスの、書類上は保護者であるエカルトへの通知。極限まで無駄が省かれ、本当に必要最小限の人数が集められていた。ユリウスが国家への忠誠を誓えばそれで式典は終わる。


 しかし教えられた通りに宣誓をしようとしたユリウスを、何故か皇帝が手で制した。


「よい。そなたに忠誠など誓わせる気はない」


 叙爵というものを根本から否定するような発言だった。

 しかし宰相とハイリゲンナハトの当主は沈黙を以て肯定とし、エカルトは若干の不服を滲ませて頷く。三者ともに初めから知らされていたかのような反応だ。


 何故、と質問しても良いのだろうか。ユリウスが迷っている間にも皇帝は話を続ける。


「その代わりに命じる。――何をこそこそと嗅ぎ回っているかは知らないが、余計なことをするな。領地ならやる。地位も何重にだって保証してやる。年金を増やしてやっても良い。だから大人しくしていろ」


 その言葉を聞いた途端、また体が言うことを聞かなくなった。晩餐会の時と同じだ、唇が勝手に不敬な言葉を紡ぎ出そうとする。


(やめろ)


 ユリウスは必死に自分に言い聞かせた。言ってしまえば待つのは破滅だけだ。真実は二度と手に入らない。


 ――『ユリウス』を取り戻すことは、永遠に叶わない。


 胸の奥に渦巻く、茫洋とした空虚。それこそが今のユリウスの本質だ。吐き出すことすら許されず抱え続けた原初の罪――ユリウスにとってのそれは、生まれてしまったことだった。


 本物(ユリウス)を殺して、この体を乗っ取った。そんな意識が常に彼を苛んでいる。


 私は偽者だ。

 だから表情が動かないのだ。だから感情がわからないのだ。だから、だから、だから。


(私は、消えなければならない)


 真実を突き止めて、本物の『ユリウス』を取り戻して、そして消える。それがユリウスの目的だ。


 本物を取り戻せない私に価値はない。それに比べれば(偽者)の名誉など、守る価値があるものか。そう強く意識すればようやく衝動が収まった。

 深呼吸する。市松模様のタイルに映った自分の顔を見て、完璧な表情を作り直す。


「……承知しました」


 覚悟の輝きは消えない。何故ならそれはユリウスの存在という罪に根差したものなのだから。




***




 八月の折り返しを過ぎるとようやく暑さが落ち着く気配が見え始めた。その日は週の中でも特に涼しい日で、当初は屋敷の中で予定されていたカロリーヌ皇妃との午餐会は場所を庭園に移して行われた。


「お食事はリオンヌ風で用意させてもらったわ。構わないかしら」


 カロリーヌの問いにユリウスは微笑んで「ええ」と答えた。カロリーヌも勝気な美貌に微笑みを浮かべる。


 ユリウスにとって彼女は格好の取引の相手だが、同時に一人の人間として好感の持てる人物でもある。

 初対面のときから彼女の態度はあくまでも自然体で、ある種の実直さがあった。深い知性と教養に裏打ちされた自信たっぷりな言葉は誰にとっても魅力的に響くこと間違いない。こうすれば誠実に見えるのかとユリウスは学習した。


 ――そんな彼女が、今は何かを言い淀んでいる。

 彷徨う視線を感じながらユリウスはただ庭を眺めた。東部風の整然と整えられた庭園は見事なものだ。丁度薔薇の季節から外れているのが惜しまれた。


 彼女の逡巡は長くは続かなかった。一度大きく深呼吸すると、カロリーヌは切り込んできた。


「色々話したいことはあるけれど、まずは本題から済ませましょ。――できる範囲であなたの望みを叶えるわ。その代わり、息子の病を治して頂戴」


 机の上で組んだカロリーヌの両手には白くなるほど力が入っている。それだけで彼女の真剣さは明らかだった。

 ユリウスは怪訝な表情をした。

 病というが、つい数日前健康そうなマリウス皇子を見ているのだ。怪しむのも無理はない。


「何故私に治療を頼むのか、お聞きしても?」

「あらごめんなさい、急ぎすぎたわね。息子は――マリウスは呪われているの」


 あまりに場違いな単語にユリウスは眉を顰める。

 呪い。確かにそれはユリウスの畑と言って差し支えないが。


 カロリーヌは落ち着いた様子で説明を続ける。


「勿論、一番最初は医者に見せたわ。呪いだなんて思わなかったもの。念のため三人に診察してもらった。でも、三人とも口を揃えて言うのよ――この子は呪われていて、医学ではどうすることもできないって。だから教会に行ったわ。でも駄目ね、すっかりフレンツェルに取り込まれていて助けてなんてくれやしない」


 沈黙が降りる。こういうときどう答えていいのか、ユリウスにはわからなかった。

 カロリーヌはぎこちなく唇を引いて、どこか縋るようにユリウスを見つめている。しばらく逡巡した後、ユリウスは訊ねた。


「私が悪魔の子と呼ばれていることはご存知でしょう。その私にご子息を託すことに、忌避感はないのですか?」


 カロリーヌは即答した。


「神の子だろうと悪魔の子だろうと構わないわ。息子が助かるなら」


 その青玉の瞳が――込められた純粋に息子を想う感情が――あまりにも眩しくて、ユリウスは目を背けそうになった。生きている世界が違うと否が応でも実感させられるようだ。


 ――改めて己に問い直す。全て利用し尽くす覚悟はあるか。この女性の善性に付け込むことがお前にできるのか、と。


 少し考えて、できるさ、と自答した。

 私は『ユリウス』ではない。あんな善人ではない。存在してしまったことそのものが間違いで、ならば更なる罪過を重ねようと恐れることは何もない。


(大丈夫)


 ユリウスは『彼』に語り掛ける。

 ――罪は魂に宿る。君の犯した殺人が私のものでないように、私の犯す罪もまた、私と共に消え去り君のものにはならない。


(悪いのは、全て私だ)


「……わかりました。お受けします」


 最初は何か迷っているように俯きがちに目を伏せて、けれど決心したように顔を上げる。ほんの少し唇を噛む仕草から掴むように力の入った指先まで、全て、演技だ。


「ご子息の病状について、詳しくお聞かせください。対価の話は治ってからいたしましょう」


 この発言もわざとである。

 善意から治療を承諾したように見せかけるため。隙を見せることで警戒心を削ぐため。対価を踏み倒そうとする人間かどうかという点で、カロリーヌという人間を量るため。


 とにかく今は一言一句聞き漏らさぬよう、ユリウスは症状の説明に耳を傾けた。

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