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Julius der Göttliche ー神宿りの紫晶ー  作者: 芦葉紺
第一章 第一節『空の両手』
3/7

 宮廷に上がって一週間。進捗はなし。


 自身の記憶の件については長丁場も覚悟していたが、まさか『皇妃が悪しき魔術に手を染めて皇后と腹の皇子を殺害未遂』などという重大事件の概要を知るのにすらこんなに時間がかかるとは。


(――やはり人脈か)


 何をおいても人脈がまずは必要だということをユリウスはここ一週間で痛感していた。


 裁判記録を当たろうと教会本部に行ったら運悪くユリウス解放反対派に当たってしまい門前払い。他に情報を持っていそうな大貴族はそれぞれに支持する皇子がいて、権力闘争の中心地に来てしまったのだと改めて理解させられる。


 目下のところは皇后が産んだ第二皇子、フェリクスが次代の皇帝と目されているようだ。ユリウスの二ヶ月年下の異母弟になる。十歳の幼さで全国の天才たちが集まる帝都大に合格した神童と名高く、宮廷に居れば彼を讃える声がそこかしこで聞こえてきた。


 ユリウスは帝位に興味はない。フェリクスの敵になる気もないしどうぞお好きに皇帝にでも何でもなればいいと思う。本当に、どうでもいい。


 しかし、フェリクスの方はそうではないようだった。


 ユリウスは格好の噂話のネタにされている。それは予測済みなので構わないが、『大罪人の息子であんな色、母親が悪魔と通じた不義の子に違いない』などという噂すら流れる始末だ。その話の出所を少し辿ってみたらフェリクス皇子殿下に行き着いたのだ。優秀な少年という評判だが、それを知ってからユリウスは少し彼の資質を疑っていた。


 この噂を完全に否定することは不可能だ。帝国歴二年、主神は大悪魔と共に滅んだ。秩序の半分は崩壊し、その亡き後の夜は悪しきものどもの支配する時間である。今この時代に夜の色を持って生まれてきたユリウスが主神と悪魔どちらの寵を受けているのか、誰にも判別する方法はない。


 だから悪魔の子と疑うところまでは理解できなくもない。何しろ母親が罪人だ。逆の立場ならユリウスも疑念の目を向けただろう。


 ――しかし、疑いを表に出してはいけないことすら心得ていないとは。


 聖教会は沈黙を貫き、ユリウスを実質的に神宿りと認めている。そして神聖エイスフィア帝国は聖教の国だ。主神の子であるが故に帝冠を戴き、神の威光を以て民を統べてきたのが帝族だ。聖教会を疑うことが己の権威の拠るところの不安定さを示すのと同義であると、何故わからないのだろうか。次期皇帝と仰がれてはいてもまだまだ子供のようだった。


 そのフェリクス皇子とは、今日のユリウスの紹介の場として設けられた晩餐会が初対面となる。


 こちらからは話しかけない、話しかけられても決して反論しない、丁寧すぎるぐらい丁寧に接する。

 何度も何度も胸の中でそう繰り返した。今夜は后妃皇子女が揃い踏みの晩餐会、ユリウスにとっては人脈を作るための重要な機会だ。ここで問題を起こして折角の機会を無駄にするわけにはいかない。


 礼儀正しく誠実に、時間をかけて接していけば良好とまではいかずとも普通の関係を築けるとユリウスは思っていた。皇后とフェリクス皇子を殺しかけたのはあくまでもユリウスの母、親が憎いからといって子に何の責もないことはわかっているだろうと。


 自分が割り切れるからといって他人もそうとは限らない。ユリウスはそんな単純なことに気付けなかった。


 数時間後、彼は自分の誤りを知ることになる。




***




 パシャ、と液体の飛び散る音がした。頭にかかった葡萄酒が髪を伝って流れ落ちて今日初めて袖を通したジャケットを濡らし、馥郁とした香りが立ち上る。


 突然のことにユリウスは驚いたが張り付けた微笑は崩れない。どんな感情を抱こうと意識しなければ表情は変わらない、そんな自分の特性に感謝する。――何となく、こいつに隙は見せたくない。


 殆ど空になったグラスを持った皇后ローザが元は美しいのであろう顔を歪めてユリウスを睨む。エカルトの哀しい憎悪とは違う、どこまでも高圧的でユリウスを見下しきった表情だ。跪け、という声さえ聞こえてくるような。


 先刻までローザは清々しいほどにユリウスの存在を無視していたが、皇帝が急用で出て行った途端にこれだ。ユリウスは内心辟易と溜息を吐いた。十二年生きてきて二度目の、直接浴びせられる悪感情。慣れた、というのは少し違うが特段衝撃はない。


「殿、とは何かしら。訂正しなさい」


 その言葉でようやくローザの行動の理由を理解する。確かに、右隣に座っていた皇妃との会話の中でローザへの敬称として『殿』を使った覚えがある。それに何の問題があったのかわからないが。


 怒るローザの横にはフェリクス皇子が立ち、それぞれの背後から小さな子供二人が顔を出す。三人とも母親の怒気に怯えるでもなくユリウスに敵意を向けていた。他の皇妃たちは状況を窺いつつも歓談に興じる。皆ローザの怒りには慣れた様子だ。


 ユリウスが無言でいると、ローザは更に髪の毛を逆立てて語気を強めた。


「謝れと言っているでしょう!」


 投げられたグラスはユリウスには当たらず、床に激突して砕け散った。ローザは小さく舌打ちを漏らす。そしてその苛立ちをユリウスにぶつけるように怒鳴る。


「罪人の子風情が私に『殿』? ふざけないで! 私は皇后よ、お前とは身分が違うの!」


 ――多分、自分は怒っているのだとユリウスは思う。軽んじられたままではいられない。突き動かされるように口を開く一方で、一番相応しい言葉を、口調を、表情を探して思考が加速する。ユリウスは()()だった。


 口角を緩く持ち上げ、余裕の笑みを浮かべる。そして言った。


「ああ、知っている」


 その瞬間、完璧に操っていたはずの表情がユリウスの管理下から離れた。


 帝王紫。深い深い、紫水晶の色。神代には主神の加護を示すとして尊ばれた色彩。その奥には背筋の凍るような苛烈が棲んでいる。押さえつけるだけではない、その生身の人間とは思えぬ美貌と相まって人を惹き付けてやまない凄艶さだ。笑みの形に歪んだままの唇がユリウスの表情を酷薄な冷笑にしていた。


 ある者は直前まで会話していた少年の豹変に驚愕しながらも彼を見つめ、ある者は何かに導かれるようにして膝をつく。ローザやフェリクス皇子も影響から逃れられない。


 十二歳の少年から発せられたものとは思えない威圧感が、その場を完全に支配していた。


「帝族とは、血である」


 静謐な、ひどく冷たい声が観衆の耳を打つ。


「神の子故に尊ばれ、また民のために身命を捧げる責務を負う。血統と志のみが帝族を尊貴たらしめるのだ」


 言葉を発する者は一人もいなかった。誰一人として声を出せなかった。生まれながらの支配者がそこにいた。ユリウスがどんな馬鹿げたことを言おうが、今この場ではそれが真に迫った言葉のように響くだろう。


 支配者と、愚かにもそれに歯向かった反逆者。もはや構図は完全に逆転している。よく考えさえすれば反駁の台詞などいくらでも思いつくだろうに、ローザは瞳孔の開いた瞳でユリウスを見つめることしかできない。


 異様な空気の中、発言しているユリウスだけが当惑していた。


 確かにユリウスはこれとほぼ同じ内容のことを言おうとしていた。だが、違うのだ。口が勝手に動いている。


 余裕の微笑みで、飄々とした態度と敬語で彼女の誤りを指摘する。一矢報いるにしても苛立ちを煽る程度にとどめておくつもりだった。威圧という選択肢は頭の中に浮かんではいたが切り捨てた。線を踏み越えてしまうと自分の身に危険が及びかねないからだ。


 これ以上続けてはいけない。


 ユリウスは更に尊大な言葉を続けようとする口をどうにか止め、代わりに「分かるだろう?」という意図を込めて全員を見回した。台詞が尻切れ蜻蛉に終わったというのに誰も何も疑わないのが気味が悪い。


 踵を返し、背中に視線を感じながら若干急ぎ足で入ってきた扉に向かう。その距離は永遠にも思えるほど長く、誰もいないところに着くとユリウスはほっと胸を撫で下ろした。


(……やってしまった)


 今日この場にいた人々が一刻も早くこの出来事を忘れてくれるように、祈るしかなかった。

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