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Julius der Göttliche ー神宿りの紫晶ー  作者: 芦葉紺
第一章 第一節『空の両手』
2/7

 美術品に絨毯を敷くなどそれこそ無粋とばかりにその全貌を晒す、緑がかった大理石と黒瑪瑙の幾何学模様に螺鈿細工を施した床。固い床に天窓からの光を散らす聖典の一場面を象ったシャンデリアは、なんと一塊の水晶から削り出されたものだという。帝国で最も豪奢な部屋、他ならぬ皇帝陛下が在す玉座の間には二人の人間が無言のまま向かい合っていた。


 床が一段高くなった場所には真紅の天鵞絨を張った玉座が置かれ、金髪に白いものが混じり始めた壮年の男性が座る。頭には大小の宝石で飾られ燦然と輝く帝冠。第二十七代皇帝、クラウス二世である。血のように紅い瞳は不気味な感情の窺えなさで相手を見据えていた。


 彼の視線の先には一人の少年が恭しく跪く。長く艶やかな黒髪を低い位置で一つ結びにした、佇まいからして高貴な生まれを窺わせる少年だ。伏せられた顔の造形はどこまでも繊細で美しく、その無表情と相まって非人間的ですらある。あまりの顔貌の秀麗さから年齢不詳な雰囲気が漂っているが、唯一そのしなやかな体躯だけが彼が年端もゆかぬ少年であることを教えていた。


 ユリウス・アウグスト・クラウス・エーレンフリート。十二歳。彼はこの神聖エイスフィア帝国の皇子である。


「――面を上げよ」


 二人の間に流れる重々しい沈黙を破ったのは皇帝の方だった。


 声に従いユリウスが顔を上げるとこちらを見下ろす皇帝と真正面から目が合う。臆することなくただ真っ直ぐに見返してくる少年の眼光に、何故か皇帝の方が怯んだような表情を見せるのをユリウスははっきりと感じ取った。


 しかしそれも一瞬のこと。すぐに平静を取り戻した皇帝は重々しく口を開く。


「よくぞ参った、我が息子よ。そなたの母のことは残念であった」


 仮にも自分の息子を産んだ女のことを、皇帝は表情一つ変えず他人事のようにそう言う。ユリウスは「お気遣いありがとうございます」とだけ言って頭を下げた。


 皇帝の態度は予想通りではあった。


 何しろユリウスの母親は皇帝にとって、唯一の正妃たる皇后とその腹の子供を殺しかけた女なのだから。


 神の子孫たる帝族に対する殺人はたとえ未遂であろうと大逆罪になる。彼女が生涯を終えるまでの十二年間ずっと帝都のはずれの屋敷に幽閉されていたのは、犯した罪の大きさを考えると温情と言っていい措置だった。帝家と並んで神の血を引くハイリゲンナハト家出身だったこと、心身ともに病んでいたことで大幅に減刑されたのだろう。大逆罪とは犯した本人は死刑、一族郎党は財産と身分を全て剥奪されて破門の上国外追放になるような罪だ。


 そんな大罪を犯した女の息子であるユリウスは当然お咎めなしでは済まされなかった。罪人の血を尊き帝家の系譜に残すわけにはいかない。生涯結婚禁止、帝位継承権の剥奪、そして生涯屋敷に幽閉。――そのはずだったのだが。


 母親が死んだ三日後、一通の手紙が届いた。神宿りの神聖性を理由とした幽閉の解除と継承権の復権を告げる皇帝からの手紙だ。その手紙で登城を命じられたためにユリウスは今ここにいる。


 大罪人の子を態々宮廷に連れ出してくる皇帝の意図はわからない。神宿りだから、というのはどう考えてもこじ付けで別に目的があるとしか思えなかった。政争に巻き込まれるのかもしれない。


 だが、そんなことはどうでも良かった。諦めていた望みを遂げられる可能性が生まれたのだから。


 叶えたい夢も果たしたい野望も何もない。彼の望みはただ一つ、知ることだ。


 ――ユリウスには九歳の冬より前の記憶がない。


 自分の名前を始めとして知識は全て残っているのに、起こった出来事や会った人の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。そのことは誰にも告げていない。


 断片的な記憶だけを頼りに答えを探すつもりでユリウスは宮廷にやって来た。


 皇帝は気難しそうな表情のまま、あらかじめ用意していたように言葉を継ぐ。


「そなたには、住居として北の森の側にある屋敷を与える。準備が整うまでは本城の部屋に滞在するといい。後見人を付けるゆえ勝手がわからなければ彼に訊け。余の方からそなたに干渉する心算はない」


 不干渉宣言は皇帝のユリウスに対する無関心を示しているようだった。


 仮にも息子に。それ以上に家族を殺しかけた女の子供に。不自然極まりない態度だ。しかしユリウスからすれば好都合でもある。


「重ね重ね感謝いたします。……後見人とはどなたなのでしょうか」

「そなたの叔父、エカルト・ヨハン・ハイリゲンナハト伯爵だ。伯爵がエリーランドに行く前は親交があったと聞いている。気安い仲なのだろう」

「はい。ご配慮いただきありがとうございます」


 初めて聞く名前だが、ユリウスは一旦話を合わせておくことにした。エカルトなる叔父と過去のユリウスに交流があったのは恐らく本当のことだ。ならばその男を通して失った過去の一端だけでも取り戻せるかもしれない。


 希望が見えてきた。ユリウスの心は俄に沸き立つ。


「宮中伯をここへ」


 皇帝は傍に立つ侍従にそう命じた。無言のまま待っていると、数分もしないうちに侍従に連れられて一人の青年が現れる。


 体格は至って普通の中肉中背、若しくは細い方。亜麻色の睫毛の奥にけぶる浅縹の瞳はどこか退廃を纏って見えた。一見すると三十路のようだが、肌の質感は若者のそれだ。――見覚えのある容貌だった。


 間違いない。四年前のあの日、惨劇を側で見ていた青年だ。


 突然のことに衝撃を受けたユリウスだが、表情には出さない。ただ黙って青年に視線を向けるのみだ。


「後見の件、しかと承りました。不肖の身ではございますが誠心誠意お仕えしてまいります」


 エカルトは恭しく頭を下げる。満足そうに頷いた皇帝の前で諸々の書類に署名し、それで手続きは終わりのようだった。ユリウスが礼をして玉座の間を退出するとエカルトも続く。


 玉座の間に続く廊下は滅多に人通りのない場所で、今もユリウスを部屋に案内する侍従を除けばユリウスとエカルトの二人しかいない。ユリウスはどう行動を起こすべきか迷っていた。


 下手に会話して化けの皮が剥がれる危険は犯したくないが、久々に会った叔父を無視するのも不自然だろう。というかユリウスが無反応でも向こうから話しかけられる可能性がある。短い挨拶程度なら騙し通せると踏んでユリウスはエカルトの前に立った。


「お久しぶりです、叔父上。お会いするのは四年ぶりですね。お変わりありませんか?」


 先刻までの無表情から一転、ユリウスの薄い唇は緩い弧を描き、笑みの形に歪んだ瞳には生気が宿っていた。年相応の少年らしさを残した完璧な作り笑顔だ。当然だ、演技は何年も練習してきたのだから。


 しかし対するエカルトは鋭い敵意を込めて睨み付けてくる。肌に痛いほどの殺意だった。


「……どの口が」


 エカルトは神経質そうな目元を歪ませ聞こえよがしに吐き捨てる。よほど憎まれているらしい。


(想定外だ)


 対応を間違えたことは火を見るより明らかだ。友好的なつもりの態度は確執があったとすると面の皮が厚い、腹黒いという印象に変わってしまう。それはユリウスにとって損でしかない。


 かといって今更仮面を崩すわけにもいかない。どうすべきか。ユリウスの頭脳が高速で回転し始める。


 この男が自分を憎む理由は何だろうか。


 軽蔑? それとも怨嗟? どちらかというと後者のような気がする。何故か脳裏に母に心酔していた使用人が皇帝を悪し様に語る姿が思い浮かんだ。


 エカルトの浅縹色の瞳を視線が逸らされているのを良いことに注意深く見る。傷付けられた、奪われた。憎悪の奥にそんな哀しみが透けている気がした。自身の感情は希薄にもかかわらず、ユリウスの瞳は感情(わからないもの)を見抜く。


 思い当る節は一つだけある。――あの冬の夜、『ユリウス』は人を殺した。


 そもそも人殺しなど軽蔑され憎悪されて当たり前。そして恐らくユリウスが殺したのは知り合いだ。それなのに、事件が隠蔽されたのを良いことにユリウスはのうのうと生きて宮廷に現れた。恨まれて然るべきだと思う。


 そこまで考えてユリウスは現実に意識を戻した。考えるのはいつでもできる。今はこの会話を終わらせなくてはならない。


 エカルトから情報を引き出すのは一旦諦めるべきだろう。ユリウスは慇懃な態度のまま一歩下がった。


「お気に障ったのでしたら申し訳ございません。それでは、私はこれで失礼いたします」

「……」


 エカルトは何か言いたげだったが結局何も言わず、ユリウスを黙って見送った。

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