6
バス通りを走ることはすぐに難しくなった。悲鳴をあげながら駅の方へ走っていく男女が邪魔なのはもちろん、それによってバスが立ち往生してしまっては進むどころではない。闇雲に走ってくる人々をかき分けようと志朗はもがいたが、逆に弾き飛ばされて背後の電柱で頭を強打した。思わずうめいて頭を抱える。その手に細い指先が触れてきた。
「大丈夫、八千原君?」
心配そうに覗きこんできたりりだったが、誰かに突き飛ばされたらしくすぐに小さな悲鳴をあげて志朗の胸元に飛び込んできた。といっても身長差がありすぎる二人だ。なにか触れてはいけない柔らかい感触が頭の上に乗っただけだったが。
「こ、こっちは大丈夫。りりこそ」
慌ててりりの腰に腕をまわして店舗と電柱の隙間に誘導する。りりはなにが起こったか気づいたふうもなく「ありがとう」と礼を言った。志朗はひとり顔を赤らめて、それからそんな場合じゃなかったとバス通りの向こうを睨んだ。通りは駅前通りに食い込む形でT字路を作っている。音が聞こえてくるのはバス通りの突き当たりよりもっと遠く、緑化公園のある通りに通じる方角であるように思えた。その緑化公園にはあの川――怪異たちが潜んでいた領域がある。これで無関係とはどんな楽天家も思わないに違いなかった。
「ねえ、どうするの?」
焦ったようなりりの声を聞いてようやく志朗は己にその問いを投げかけた。様子を見に行くのはいい、けれどもその先をどうするべきか。もしこの騒ぎに怪異たちが関係しているとして、では己はどうすべきなのだろう。
「行ってみないことにはわからない。お前はここにいてくれ。俺が確かめてくるから」
「いやよ。一緒に行くわ」
「お前の目的は相葉瑠々を探すことだろ。ここで余計な怪我でもしたらつまらないぞ」
「八千原君が怪我をしても同じよ。あなたがいなければ瑠々と絵馬が繋がることもなかったわ」
「だから、それはまだ未確定だって――」
どん、と腹の底に響く音が地面さえ揺らして轟いた。周囲の人々が口々に叫びながら蹲るのとは逆に志朗は電柱に手をつきながら立ち上がった。
「じゃあ、好きにするといい。結果どうなっても、責任は負えないからな」
「もちろんよ」
自ら電柱と店舗の隙間から進み出てりりが頷いた。バス通りへ逃げてくる人々は徐々にその数を減らしつつあった。それでも時折連れ合いと見える二人組や遊びに来たとおぼしきグループが逃げてくる。彼らの間を縫うようにして志朗は進んだが、小兵が災いしてなかなか前へ進めない。気づけばりりが先に立って道を切り開いていた。クラクションを無闇に鳴らすバスの横をそうして進み、熱っぽくわだかまる排気ガスにまかれてしばらくしたところでようやくバスの横腹から抜け出すことができた。一気に広がった視界には、しかし駅前通りから徐々にバス通りへ流入しつつある薄灰色の煙しかまだ見えない。無言で先を駆けていくりりの背中を追って駅前通りへ抜ける。
「これって――」
広い通りへ出た途端、りりが棒立ちになった。少し息を乱しながら志朗はその隣に並んで左右を見渡した。
駅前通りは惨憺たる有様だった。玉突き事故を起こしたのか、トラックにのしかかられるようにして幾台かの乗用車が潰されている。緑化公園へ続く十字路では油が漏れたかなにかしたのだろう、日の光の中にも明らかな火の手があがっていて、煙の出所はそこだった。誰か、男か女かも判別できない人影が道路に横たわっている。それをなんとか引きずろうとする人影もあって、けれどもその視線は燃える車の上に釘付けになっているようだった。
燃える車の上にそれは立っている。炎の照り返しを受ける胴鎧。手に持っているのは日本刀の類いだろうか、しかし時代劇などで見るそれよりずっと柄も刃も長いように見える。恐れる人々を睥睨する眼窩には文字通りなにも填まっておらず、そのぽっかりとあいた穴を潜った光が頭蓋の内側をてらてらと輝かせていた。骸骨の鎧武者、正式な名前は全か弓月に尋ねないとわからないが、そう言うのが今は正しいのだろう。見慣れているとは言わないが、似たようなものは数多く見てきた志朗である。今さらそれ自体に恐れ戦いたりはしないが、けれども驚かないわけにもいかなかった。その怪異は明らかに人間たちの目に映っていたのだ。
しゃりんと音を立てて骸骨武者の隣に新たな影が立った。こちらも胸当てらしき防具を着けていたが、武者とは反対に肉付きのいい二の腕をさらしていた。和装の裾をからげて惜しげもなく太ももを見せているその立ち姿は明らかに女のものと思われたが、異様なのはその首から上である。鎖骨当たりまでは人間の女と変わらないのだが、それを過ぎたところから首は徐々に緑色を呈し、首の中途から幾本かに枝分かれしたかと思うと、その先々に大輪の赤い花を咲かせていた。
骸骨武者はそのまま動かなかったが、花女――と呼ぶべきか、こちらは音を立てて車の上から降りるなり両手で握った薙刀を振りかざした。その目のない目線の先には倒れ伏した人間を救おうとしている人影が捕らえられている。駅前通りは一瞬、水を打ったように静まりかえった。転瞬、刃が風切って人影を撫でたと同時に、未だその場に留まってカメラやら端末やらを掲げていた人々が我先に逃げ始めた。再び突き飛ばされたが今度はなんとか踏みとどまり、志朗は吹き上がった血しぶきを眺めていた。
「八千原君!」
隣でりりが叫んだ。ゆるゆると目を向けてみると、彼女は逃げたいのか留まりたいのか自分でもわからなくなったのだろう、完全に腰の引けた体勢のまま体を震わせていた。
「逃げた方がいい」
志朗はりりにそれだけ言うと、飛び散ったガラス片を踏みつけながら車道へ歩み込んだ。炎の勢いが強くなったのか、煙にまとわりつかれるだけで肌があぶられているような感じがした。十字路では花女が薙刀をさらに振るおうとしている。骸骨武者の背後にはまだ控えているものがいるのだろう、そちらへ近づくにつれて鎧のものと思われる音ががちゃがちゃと聞こえ始めた。それを証明するように、また新たな怪異が今度は二人揃って姿を現す。彼らが車から飛び降りるとまた一人、二人と車へ登ってきては車道へ降りてくる。目的がなにかはわからないが、辺りを警戒するように見まわす仕草からして、そこの守りでも仰せつかっているのかもしれない。わらわらと増えていく怪異の一人が――これは懐中時計に手足が生えたような姿をしていた――近づく志朗を見て長槍を構えた。車道に降りていた幾人かがそれに続いて獲物を突き出してくる。向けられた切っ先や穂先から少し距離を取ったところで志朗は足を止めた。
「お前たち、何のつもりだ」
自分でも間の抜けた問いかけだなと思ったが、それ以外に考えつく質問はなかった。即座に女の声が返った。
「カラスの雛には関係のないこと。放っておいてもらおうか」
「ここは人間の町だ。お前たちの居場所じゃない。悪いことは言わない。すぐさま立ち去ったほうがいい」
これには嘲笑が返ってきた。
「雛がなにかほざきだしたぞ」
「俺たちの居場所じゃないだと?」
「ではどこに居場所があるというんだ」
「領域があるだろう?」と志朗は答えた。「居場所が欲しいからみんなで作ったんじゃないのか。あそこなら好きに暮らしていけるだろう? そこへ戻って、もうここへは来るな」
「あれは我らの城よ」女の声が答えた。「我らはあれより国盗りをするのよ」
「国盗り? お前たち、一体いつの時代の話をしてるんだ。今は戦国時代じゃないんだぞ」
あくまで落ち着いた声を心がけて語りかけたつもりだったが、怪異たちの心には響かなかったらしい。なにかの含みをにじませて怪異たちは低く笑った。
「なんにせよ、雛には関係のないこと」
「黙って立ち去るというなら手出しはせぬ。もとより事を構えるつもりはないからの」
「俺もその気はないよ」敵意のなさを示そうと、半歩後退りながら志朗は言った。それでも刃は突きつけられたまま、彼らに動くつもりはなさそうだった。
「ならば立ち去れ!」
「でも、ひとつ確認したいんだ。お前たち、人間と争うつもりなのか? これまでお前たちが無事にやってこれたのは、お前たちと人間が接点を持たなかったからだ。お前たちが人間の目に映らなかったからだ。どうやったか知らないけどそれを見えるようにして、人間を傷つけまでして、本気で国盗りだかなんだかしようっていうのか? それで無事に済むと本気で思ってるのか?」
「答える必要がありますかな?」
聞き覚えのある声がしたと思うと、車の上にはいつの間にかあの岩石男が立っていた。巨大戦艦による砲撃をどう躱したのやら、その肌にはひとつの傷もない。どころか、あの夜に弓月がつけた傷さえ見えなかった。志朗の驚きが見えたのかどうか、岩石男は車から飛び降りると朗らかな笑い声をあげた。
「そのご様子ではずいぶんとご心配をおかけしたようですな。この通り、なんの支障もございませぬ。雛殿におかれましてもご機嫌麗しいようでなにより」
「……そういえば、お前の名前を聞いていなかったな」
「蛾王と申します。こうして再びお目にかかれたこと、大変光栄には思っておりまするが見ての通り、こちらは戦の最中にございまして」岩石男――蛾王は両手を広げて潰れた車の積み重なる十字路を示した。「雛殿が常に我らのことを考えておられることは手のものから聞いております。我らが頭も御身と争うとなれば悲しまれましょう。ゆえにこそ、お願い致しまする。ここは我らの思うままとさせてはくださらぬか」
「だから、そうする理由を俺にくれないかと言っているんだ。俺はお前たちを否定しない。必要があることをするんなら、たとえそれが人の道に反していようと構わないと思ってる。人を怯えさせなきゃ存在する意味がないなら怯えさせればいい。人を食わないと生きていけないなら食えばいい。これまで、少なくとも俺自身は、そのつもりでお前たちと接してきたつもりだ。だけど、これはなんなんだ。人間を、人間の町を襲ってお前たちに何の得がある。破ってはいけない一線っていうのが怪異と人間の間にもあるんだとしたら、これこそがそうなんじゃないのか」
「わかり合えぬものですなあ」
やれやれと言わんばかりに蛾王は首裏を撫でた。
「俺は理解しようとしているだろう。教えてくれ、なぜこんなことを――」
「雛殿、やはりお手前は人間だ」
その言葉にハッと胸をつかれて志朗は言葉を呑んだ。言えなかった言葉とそんなことはないという反論とが喉元でぶつかり合って悲しく弾けた。脳裏をよぎったのは一面の雪景色、そしてそこに立つ金色の裾飾りが鮮やかな着物を着た人影だ。
――とどのつまり、彼奴は世界を埋葬したかったのだ。己に許された領分が絶える前に、此度こそ、その全てを悼んでみたかったのだ。それこそが彼奴の見定めた悲願、終の仕事であった。
「違う」と微かな声で志朗は言った。しかし、蛾王も怪異たちも、もはや志朗のことなど一顧だにせず背を向けようとしていた。ちがうともう一度言ったが、それが音を為したのかどうかもう彼にはわからなかった。
遠いところで誰かが叫んでいるような気がした。プールの底から地上の笛の音を聞くように、それはひどく歪んでひび割れていて、なんと言っているのかなにを意味しているのか理解することはできない。それでもひとつだけ、とても切実な音をしていることはわかった。なにか重大なこと、それを失えば自身が自身でなくなってしまうような、そんな大事なことを言っているのだとぼんやりと志朗は思い――鼓膜を叩くその声のするほうへ顔を上げた。
「やめなさいよ!」
声はそう叫んだ最後に金切り声のような悲鳴をあげた。荒く肩を上下させて、志朗をかばうようにその前に立っている。カットソーの裾がビル風に膨らみ、汗をまとってわななく肌色がその奥にちらちらと覗いていた。
「瑠々がいるのよ! その人にも! みんなに! きっと瑠々がいるんだから!」
「――りり」
志朗がその名を呟くと、彼女はぱっと振り返った。汗に濡れた頬がそれだけではない水滴で汚れている。
「八千原君、なんとかできないの!? やめさせてよ! あんなのやめさせてよ!」
潰れた声で悲痛に言い、りりはしゃくり上げた。今自分は何をしていたんだろう――不思議に思って周囲を見渡すと、そこは駅前通りのど真ん中だった。周辺に人間の姿はない。無事に逃げられたのかどうかは知れないが、少なくとも血の跡があるのはあの花女が薙刀を振るった一カ所だけだった。常に人でごった返す通りを満たしているのは怪異たちだ。彼らは志朗たちに手出しをするつもりはないらしく、その姿は遠目に見えるばかりである。飲食店の看板を蹴倒すもの、放棄されたと思われるバスの屋根に上っているもの、ところ構わず硝子を割ってまわるもの、そしてやはり十字路を守っているらしきものたち、その有様は三流映画の描く世紀末のようだった。八千原君、と繰り返されて志朗は首を振った。
「駄目だ、りり。俺にはできない」
「どうして!」
「俺はさ、人間に――父親に捨てられたんだ。風邪をひいて死にかけてたのを、まだ生きてたのに雪山に埋められてさ。助けてくれたのは怪異だった。俺を掘り起こして、命をつないで、ここまで育ててくれて、見守ってくれて。人間はなにもしてくれなかった。父親からひどいことをされてても、先生も友達もその親も見て見ぬふりするんだ。腹を空かせてた俺に食べ物をわけてくれたのは、本の中だけが綺麗な世界じゃないって教えてくれたのは、家に帰りたくない俺を慰めてくれたのも、全部怪異だった。俺、人間は嫌いだよ。大っ嫌いだ。人間は優しい顔で冷たいことをする。だけど、怪異は違ったんだ。だから俺、みんなの力になりたいって、みんなのためならなんでもできるって」
でも、と続ける声が引き攣れた。
「こんなのどうしていいのかわかんないよ。俺、駄目だ。できないよ。だって、わかるだろ? こいつら止まんないよ。ちょっと脅したぐらいで引くならこんなこと最初っからしない。本気なんだ。それをどうにかしようと思ったらさ、方法はひとつしかないじゃないか。でも俺、そんなことしたくない。できないんだよ」
「じゃあ、見ているの!?」
胸ぐらを掴んで揺さぶられたが、それでも答えは見つからなかった。
「人間が殺されているのよ! 怪我人だってきっと出ているわ! そしてそういう人たちにはきっと瑠々がいるはずなのよ! あの壊されてるお店だって車だって誰かにとっての瑠々かもしれない! 私、そんなの見ていられない!!」
「どうだっていい!」
ついに志朗は心の裡をそのまま叫んだ。目を丸くしたりりが掴む力を弱める。乱暴に服地を取り戻して志朗はもう一度叫んだ。
「人間なんかどうでもいいんだ、俺は!」
「八千原君、あなた人間でしょう!?」
「そうだよ、お前みたいな怪異から見れば俺は人間だよ。でも、そうじゃない。人間から見た俺は人間じゃない。俺はきっとあの日、雪山に捨てられたあの日に人間でも怪異でもなくなったんだ。どっちでもない、だからどっちからもお前は違うって言われる。だったら俺は好きにするよ! 助けたい方を助けるよ! そして、それは人間じゃないんだ!!」
きゅっと唇を結んでりりは志朗を見つめた。その眼差しは悲しむようであり、同時に哀れな小さな生き物を見るようでもあった。逃れるように志朗は彼女に背を向けた。そういう目は嫌いだった。人間にもなれず怪異にもなれない、そんな自覚を促すような眼差しは大嫌いだった。
「じゃあ」と、震える声でりりが言ったが、志朗は振り返らなかった。そうだ、と思った。全と弓月はどうしているだろう。二人もこの事態を目の当たりにしているだろうか。彼らのもとへ行けば少なくともこれ以上惨めな思いはしなくて済む。弓月からのメールに住所が書いてあったことを思い出し、尻ポケットを探る。その手を掴まれた。
「それじゃあ、私のためにどうにかして」
そのまま引っ張られて振り返る羽目になる。そこにある目の色を想像して嫌な気持ちが湧いたが、しかし、実際に目に飛び込んできたのは決意に満ちてきらめく眼差しだった。
「怪異のためならなんだってできるんでしょう? だったら、私という怪異のために働きなさい。あいつらを止めて、みんなを助けて」
「それで……お前に何の得があるんだ」
「瑠々よ」決然とりりは答えた。「さっきの言葉を聞くかぎり、あの怪異たちは人間と戦うつもりなのよね? それって、他の怪異たちが巻き添えになるってことじゃないかしら。人間からしたら怪異は怪異でひとくくり、敵になったらそれまでなんじゃない? もしそんなふうに怪異と人間が争って憎み合うようになったら、瑠々もきっと同じになる。せっかく見つけ出しても私を恐れて逃げだすかもしれないわ。それって私にとってはちっとも嬉しいことじゃないの。だから、私のためにどうにかして。あいつらを殺してとまでは言わない。ここから追い払って。二度とこんなことが起こらないようにして」
「お前と、相葉瑠々のために?」
「いいえ、私のためよ」
りりの目を見返して志朗はしばし呆然とした。たしかに言われてみればそうだった。あの怪異たちを野放しにすれば、それ以外の怪異たちが迷惑することになる。
「お願いできるわよね、八千原君」
そっと拳を握りしめてみた。いつ頃からあったかも覚えていない自分の力、それを活かすのは怪異のためだけと決めていた。それだって怪異同士の正論がぶつかり合えば振るうことに躊躇いを覚える。先だって、怪異たちの領域の中で振るった時だって彼らをなるべく傷つけないように調節した。あの時は大戦艦を海原ごと呼び出して砲撃させたのだったか、けれども、やろうと思えば大量の艦載機を生みだして領域ごと焼き払うことだってできたのだ。
「手を出して」自分も手のひらを出してりりの鼻先にかざしながら志朗は言った。「残念ながら俺はお前の言う意味では戦えない。だけど、お前を守ってやることなら、戦うための道具を用意してやることならできる」
応えて手のひらを指しだしたりりがきゅっと眉を寄せたが、首を振って志朗はなだめた。
「実は運動音痴なんだ、俺。百メートル走は十八秒切れないし、棒高跳びも走り幅跳びも苦手だし。サッカーでも野球でも応援席が指定席」
「それって、かなりできないと思っていいのかしら」
苦笑いを浮かべてから志朗は目を閉じた。
「イメージしろ……それは天下五振りのひとつ、最も美しいと呼ばれる名物。あまたの歴史の証明者にしてあまたの権力を証明したもの」
想像するのはいつか図鑑で見た姿だ。橙地に金の桐が美しく蒔いてある拵え、広い鍔元からすうっと刀身の伸びる優美な姿、思わず見とれる壮麗な打除け――大きくひとつ息を吸い、瞼の裏の似姿に名前を与える。
「来い、三日月宗近!」
重さを受け止めかねたのか、りりが焦ったように両手を差し出した。先ほどまでなにも載っていなかった手のひらには一振りの太刀が夕日を映して輝いている。
「これ、ええと、剣というのだったかしら?」
目を開けて出来映えを確かめながら志朗は頷いた。
「ああ、俺が作った偽物だけど。切れ味は多分、本物以上だと思う。あいつらにも通用するはずだ。どうやって作ったか、なんて聞かないでくれ」
きょとんとしたりりに志朗は笑って見せた。
「俺にもよくわからないんだ。想像した物を一時的に現実の物体として呼べる――能力っていうのかな。なんか恥ずかしいけど」
「私がこれを使うの?」
ためつすがめつ、太刀をくるくると動かしながらりりが言った。
「言っただろ。俺、運動音痴だし。タッパもそんなないしさ。武器なんて振り回しても振り回されるだけなんだ」
りりは少し考えていたようだった。が、なにか自分に確認したのか顎を引くなりデニムのベルトを掴み、太刀をそこへ差し込んだ。
「わかったわ。守りは任せていいのよね?」
「ああ、そこは信用してくれていい」
二人は頷きあうと怪異たちに向き直った。破壊の音は徐々に遠ざかっていく。もしかすると、すでに駅まで襲われているかもしれない。奮い立つように身震いしたりりの背を叩いて志朗は駆けだした。怪異のため、それならなんだってできるはずだと自分に再確認しながらだった。