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アンゴルモア  作者: 保坂星耀
鏡は胸に花を抱く
4/11

「手下なあ。どのくらいいるんだろうな」

 チェーン店のハンバーガーにかぶりつき、あふれたソースが指を伝っていくのを志朗は行儀悪く舐め取った。隣でポテトをつまんでいた弓月が顔をしかめる。性急な手つきで茶色の紙袋をあさって紙ナプキンを掴み出すと志朗に差し出した。

「その手で車に触らないでください」

 ふん、と鼻を鳴らした志朗は人差し指でシフトレバーをなぞった。

「ああもう、それを触るのも禁止です」

「こんなの拭けばいいだけじゃん」

「そういうことはご自分で掃除をなさってから仰ってください」

「弓ちゃんが掃除するのは車だけじゃんか。どの口が言うんだか」

「この口で言わせて頂きますが、自分の部屋さえ散らかしっぱなしのあなたに言われたくありません。それで、ほかにはなにか?」

 志朗はもしゃもしゃと咀嚼しながら首を振った。

 人喰いについて教えてくれたのは、学校横の病院に居座っている怪異である。正確にはかつて執刀ミスがあったという事実無根の噂にそれで首をくくった先生がいるという尾ひれがついてしまい、その幽霊が泣きながら院内を歩きまわっているという話にまで発展してしまったことで、本人大いに不服ながらも夜ごと病棟をさすらうことになってしまった幽霊まがいだ。首をくくった人物が存在しない上、噂を広めた当人たちが特に性別や顔立ちにこだわらなかったようで、ホームベース型の輪郭内に目も鼻も口も持たないその幽霊もどきはどこから出しているのかわからない声を潜めてこう言った。


 あたしもここから出られないもんだから詳しくは知りませんがね、なんでもえらく大喰らいらしいんですよ。立派な()()まで持ってて、この数ヶ月でずいぶん手下を増やしたとか。名前? いやそこまで聞いちゃいませんねえ。親分を気取ってお山の大将とはうらやましい話だなって話したくらいでして。場所ですか。はあ、まあ、そう仰るならお教えしますが。あ! でもあれですよ、あたしが言ったとは誰にも言わないでくださいよ。特にあのカラスには! あたしは、そのほら、近づかないほうがいいと思いますと、こうして言いましたからね。何かあってもあたしのせいじゃありませんからね!


「図書館行って新聞調べたほうが早いかも。原因不明の失踪人多発みたいなの、ニュースになっててもおかしくなさそうじゃん?」

「最近は携帯が便利ですから……」と、これは決まり悪そうに弓月が言った。携帯端末専用の全国区ニュースサイトといくつか契約したことで、ご当地情報に長けた新聞とはさっぱり縁がなくなってしまった二人である。

「ともかく、お供は致しますが。最低限で構いませんから、身は守って頂けたらと」

「ん、気をつける」

 ガサガサと包み紙を丸めて紙袋に放り込みつつ志朗は言った。弓月が疑わしげに「お願いしますよ」と念を押したが、聞いているのだかいないのだか、ポテトの箱を逆さにして残りを呑むように食べている。はあ、とため息をついて弓月はシートにもたれた。

 車の外はのっぺりとした闇の中である。遠くに街灯の光が点々と見えるがそれだけだ。広い駐車場にはほかにも数台の車が停まってはいたが、日中は忙しく働いていた管理人の姿も既にない場内に歩み込んでくる人間はいなかった。駐車場のすぐ裏手にはトラック競技場が、うっそうと生い茂る立木を挟んだ北側にはテニスコートがあったが、それも営業が終了して久しい。昼間には見えた、熱心に走り込みをする人の姿も飼い犬を散歩させる人の姿もなかった。

 もう一度、今度はより深いため息をつきながら弓月は紙ナプキンを使った。

「我が盟友の笑う顔が浮かびます」

(ぜん)? 笑わしとけよ。俺より付き合い長いくせに、そこんとこ慣れないよな」

 協力して夜食の始末をつけてから二人は同時に車から出た。遠く、バイクのものと思われる音が聞こえる。バスの運行もとっくに終わった時間には、それ以外の人工音はなにも聞こえなかった。弓月が先に立って闇のより深い方へ歩いていく。進むに従って川のせせらぎが聞こえてきた。

「足下、お気をつけを。太い根があります」

 薄い灰色に見える遊歩道には踏みしだかれた葉が堆積している。目をこらしながら志朗は進み、その腕のすぐ側に手を延べながら弓月が先導した。数歩も行けば膝丈の柵がある。水の音は柵の下の方、生い茂った木々がまとう暗闇の奥から聞こえてきていた。

「ある?」と志朗が尋ねた。

「ここより上流に。しかし、下へ降りなければなりません。こちらへ」

 差し伸べられた手に志朗は近寄った。すぐさまその腰に腕がまわってきて、軽々と持ち上げられる。ちぇっと志朗は舌打ちした。こうも簡単に持ち上げられては男子の端くれとして面白くない。「行きます」と声が聞こえたなり胃の浮く感じがして、次いで水の弾ける音がした。早く下ろせと言う前に、そこは阿吽という奴か、足が水底を捉えて息をつく。水深はそう深くないようだった。身丈の小さな志朗でもふくらはぎが余裕で水面から出ている。川幅は両手を広げたより少し広いくらいか、しかしそこに落ちかかっていている手入れのされてない木々や葉叢が歩くには邪魔くさそうだった。

 弓月が顔を向けているほう――といっても、夜目の利かない志朗ではそうではないかと薄ぼんやり推測できる程度の把握しかできなかったが――に目を向けると、暗闇にも明らかな揺らぎが見えた。例えて言うなら、そこにレースのカーテンが掛かって揺れているような感じだ。揺らぎの上方には、暗くてわかりにくかったが、どうやら橋が架かっているようだった。

「定番」と志朗は呟いた。

「昔から居を構えるなら境がいいと我々のうちでは言いますから」

 こちらとあちらの境目には魔が寄ってくるという。橋や村境、家の間口などには古来から人間と魔を区切る役目と、魔をとどめおいて人間の領域への侵入を防ぐ役目とがあった。こちらでもないあちらでもないその灰色の線上は、人の世への接触を試みる魔にとっては逆に格好の住処となる。

 二人は川を遡っていき、揺らぎの前に立った。暗がりの中で橋脚が作るアーチと草木がゆらゆらと蠢いている。揺らめきの向こう側は真の闇だ。まるでそこを見ると目が塞がれてしまうようになにも見えない。弓月がふと顔を上げて腕で鼻先を覆った。

「なんです、この匂い」

 言われて鼻をきかせてみた志朗だったが、なにも嗅ぎ取れない。

「こっちはなんにも。そんな匂う?」

「気づけば無視できない程度には。とにかく()()に穴を開けます」

 揺らぎに向かって弓月は片手を伸ばした。その指先がとろりと輪郭をなくして黒く染まっていく。深い霧のように黒は広がって揺らぎに接触した。キラリと白い小さな輝きが生じて揺らぎに食い込む。しゃく、しゃく、となにかを食むような音とともに弓月は再び前進を始めた。あとをついていく志朗はふと、揺らぎと闇の狭間に白ちゃけたなにかを見たような気がして目を細めた。が、それは橋を潜った瞬間に消えた。同時に視界が白く灼ける。川底で淀んでいた空気が解き放たれ、呼吸が楽になったように感ぜられた。思わず目をかばった志朗だったが、弓月の背が作った暗がりだろうか、わずかに光が弱まったのを感じて目を開けた。

 そこには時代錯誤な陣が広がっていた。玉砂利が敷かれた広場の中央を貫いて奥へと延びる石畳の左右にはかがり火がいくつも焚かれ、色とりどりの布がそこここで壁を作っている。石畳の奥には一層大きな陣幕があり、いかにも首魁の居場所といった塩梅でこちらを睥睨していた。

「誰かある!」と弓月が声を張った。いやそんな古風じゃなくてもと志朗は思わず笑ってしまったが、無数の陣幕の向こうで影が躍り始めたのを見て顔を引き締めた。ざわざわと囁き交わす音の合間にキンと澄んだ音がするのは、これは武器の類いだろうか。

 ややあって陣幕のひとつから飛び出してきたのはウサギが立ち上がって武者鎧を着込んだようななりの怪異だった。手にはしっかと槍を握りしめている。続いてあちらこちらから怪異が集まり始めた。人間様の体に蛙の如く潰れた頭を持つもの、体の半分以上を頭とそこに収まった目玉が占めていようかというもの、薙刀を持っているもの、なぜか兜しかかぶっていないものなど様々いたが、総じて種類はバラバラの寄せ集めが武装していると言って良さそうだった。

「誰だ!」と集団の誰かしらかが言った。「我は開けていないぞ」「俺もだ」「どこから入った」「侵入者だ!」「そいつは人間か!」「人間がどうして入れた!」

 わらわらと好き勝手にものを言うので答える暇もない。弓月がひとつ息を吸って声を張り上げようとした時、集団の後ろが二つに割れた。武装した怪異たちをゆっくりと左右に分けながら現れたのは二メートルはあろうかという大男だ。一応は人間に近い形をしているが、しかし肌は岩石のようにゴツゴツと割れており、割れ目からは真っ赤な炎が絶え間なくその舌先をのぞかせている。身につけている武具はたしか腹巻とかいう種類だったか、岩石男が身揺るぐたびにかがり火を受けて草摺がじらじらと光った。

「客人には見えぬが。名乗られよ」と、岩石男が言った。見た目に違わぬ低い声はかがり火の照らし出す広場に殷々と響いた。縦に裂けた瞳孔がぎょろりと蠢いて弓月と後ろに立つ志朗を観察している。

「俺は八千原(やちはら)志朗」一歩進み出て志朗が言った。「こっちは弓月だ。勝手に入ったのは謝る。ある人間を探しているうちにこういう集まりがあると教えてもらったんだ。ここには情報を求めてきただけだ。敵対する意思はない」

「人間?」「人間を探しているだと?」と岩石男の後ろがざわめいた。男はそれを腕の一振りで鎮めると「ほう、人間をな」と答えた。それはいかにも意味ありげな、そして面白がるような響きをしている。

「探しているのは十七歳の女の子だ。名前を相葉瑠々という。お前たちの中に知っているものはいないか」

「さてな」やはり面白がる素振りで岩石男が顎を撫でた。「人間捜しなら人の世でやるがよろしかろう。ここは見ての通り、怪異しかおらぬでな。それにしても八千原、八千原とな。どこかで聞いた覚えのある名だが」

「カラスだ!」と集団が口々に言った。「カラスとその雛がたしかそういったぞ!」

「おお、そうであった。かつて天意を司るかの御方を(しい)さんとした賊どもを()(ない)した挙げ句その賊どもすら裏切ったカラスと、天の災いと手を結びその胤を国土にばらまいた雛がそのように名乗っておったな」

「俺がその雛だと言ったら?」

 低く言った志朗の前で弓月が足を踏み換えた。満身に警戒を満たすその姿を、岩石男は悠然と見やりながら腕を組んだ。

「ほう、お手前が。これはこれは、失礼を致しました。まさかあの雛殿にお目にかかれるとは思っておりませなんだゆえ。実はですな、個人的に雛殿には感謝の念を抱いておったのです。くだんの胤、あれで利を得ましたもので。もっとも、これらは」と後ろの集団を示す。「また別の話でありましょうが。して、用向きはそれだけですかな。ならばお帰り頂きましょう。そして二度とこの領域を破らぬと誓っては頂けませぬか」

「答えをまだもらっていない」

 敵意がないことを両手を広げて表しながら、志朗はひとつ歩を進めた。向かい合う集団の熱気がぐっと高まったように思ったが、それでももう一歩踏み出す。彼らはなにかを知っている、勘がそう囁いていた。相葉瑠々本人のことではないかもしれない。けれどもそれに関係する企みを練っている、そんな口ぶりであるような気がしていた。

「俺は真実を知りたいだけだ。約束する。そちらがどんな話をしようと手出しはしない」

「雛君」と非難する声色で弓月が言ったが志朗は構わなかった。

「信じて欲しい。ここには首領がいると聞いた。できれば、そいつに会いたい。話をさせてもらえないか?」

「我らの頭は忙しいお方でしてな。ご遠慮願いたく」

「じゃあ、ほかの奴でもいい。どんな些細なことでもいいんだ、教えてもらえないか。どうしてもその子の行方を知らなきゃいけないんだ」

「くどい!」岩石男が声を張った。炎さえぱっと火の粉を吹き上げて震えるような大音声だった。「――と叱られたことはありませぬか? 帰りは手のものに送らせましょう」

「人喰いをしているだろう!」

 負けずに吐き捨てるように言ったのは弓月だった。その札を切るつもりがなかった志朗は内心で慌てたが言ってしまったものは取り返せない。

「さて、なんのことやらわかりませぬな。仮令(たとい)そうだったとして、それがなにか」

(ことわり)に反することとは思わないのか。外道どもめ」

「理とは、はて何の理でありましょう。我ら怪異の理に人を食ってはならぬとありましたかな。それともなにか、そちらは怪異に向かって人の世の理に従えと仰るのか」

 はっきりと嘲笑を浮かべて岩石男が言った途端、さざ波のように集団が笑いに揺れた。面倒くさいことになったぞ、と志朗は頭痛を覚えたが、弓月が人間に情を寄せる性質(たち)なのを知っていて連れてきたのは己である。喧嘩してでも置いてきた方が良かったかなあ、と後悔が浮かんだが今更なことだった。

「そもそも雛はカラスの子であろう!」

 集団の誰かが言い、また誰かが「そうだそうだ」と同調した。続いて集団の端のほうが揺れたと思うと、爪を尖らせた犬頭が歩み出てきて憎々しげに叫んだ。

「人の世の庇護を捨てカラスの翼に収まっておきながら、今また人の世の理をもって我らを裁こうというのか! さすがはカラスの子、ずいぶんと自由であらせられますな!」

「待て待て」とそこへ声をかけたのは火の玉に目鼻がついたような小さな怪異だった。「親と子は別と言うだろう。庇護者の行いをもって自らの行いをはかられては雛もたまったものではあるまい。もっとも、子は親に似ると言うように雛はまったくカラスに似ていらっしゃる。なあ、そう思わないか?」

 甲高いキーキー声が背後に問うと、どっと周囲が湧いた。もうこうなっては理性的な話し合いなどできそうもない。怪異たちをまとめている奴と会うなんて夢のまた夢だろう。おとなしく帰ったほうがお互いの為かとため息をついた時、すぐ横でぐるると獣のうなり声があがったかと思うと弓月の左半身が爆発したように黒い煙を噴き上げた。反射的に「弓ちゃん!」と叫んだのが早いか、黒いもやの中で無数の牙がきらめいたのが早いか、志朗が制止しようとした時には吶喊の叫びとそこへ殺到したもやと牙とがぶつかり合っていた。ほとんど同時に周囲の石畳が爆ぜる。人間で言う念だとか気だとか、そういった不可視の弾丸が飛んできていた。ひょうと上空で鳴くものがあり、見上げた黒い空には(やじり)のひらめきがもうそこまで迫っている。

「嘘だろ、沸点低――うぅっ!」

 叫びかけた胸元を無遠慮に抱えられて志朗はうめいた。飛びすさった弓月がおおっと力強いうなり声をあげる。牙の一部が鋭角に角度を変えて鏃を文字通り食い破った。弾丸がそこに風穴を開ける。仕方なく志朗は集団に向けて手を突き出した。

「其は堅き盾、(とお)す者なき守りを!」

 叫ぶと同時に鋼の壁が志朗と弓月の前に突き立った。己の攻撃を潰される形となった弓月が唸り、もやを操作して壁を迂回させる。念弾(ねんだん)が次々着弾したと見えて鋼が鈍い悲鳴をあげながら凹んだ。

「利なる矛は持っていないようだな!」

 突進してきた岩石男が振り下ろした手をひときわ大きな獣の牙で抑えて弓月が吼えた。

「忘れ犬か! また年代物の供を!」

 唸った岩石男が牙を弾き、返す手で炎を放つ。弓月のもやが弧を描いてそれを弾いた。しかし、敵は目の前だけではない。あちこちで牙やら爪やら刀やら槍やらがぶつかりあい、玉砂利がせわしなく飛び散った。

「そちらは仏道から堕ちたようだな!」

「だとしたらなんだ!」

 岩石男が宙空に手を差し伸べたかと思うと、先端がいびつにねじれた独鈷杵がそこに収まった。舌を打った弓月が後退し、かわりにもやを差し向ける。黒の中から現れた牙が独鈷杵を避けてそれを持つ腕を食い破ろうとしたが、果たせず横っ面をはたかれるようにたたき伏せられて砕けた。だが、牙はひとつだけではない。犬のようなもの、鰐のようなもの、蛇のようなもの、形も長さも違うきらめきが次々に岩石男の肌に食いつく。ひび割れた肌のいくらかを持って行かれた岩石男は、しかし好戦的な笑みを浮かべて弓月めがけて踏み込んだ。とっさに弓月は志朗をかばう。ぶんっと振り回されて志朗は悲鳴をあげた。そもそも重力のかかる乗り物は嫌いなのだ。黒いもやと化して輪郭をなくした腕と独鈷杵がぶつかり合い、光ともやが飛沫となって飛び散った。

「撤退!」と志朗は叫んだ。「弓ちゃん、撤退して!」

「なぜです!」

 戦いながら弓月が抗った。

「人を食わなきゃ生きられない奴もいるだろ。それが悪いのかよ!」

「あなたがそれを言うんですか!」

「言うよ! いいから、撤退! 時間稼いで!」

 ぐううと弓月が喉の奥で唸った。振るわれる独鈷杵を弾き、反動を利用してとんとんと後ろに跳ねる。志朗を地面に下ろし、なおも追撃を試みる岩石男に向き直ると正面からぶつかり合った。それを確認する間もなく志朗は目を閉じた。

「イメージしろ――」

 自らに言い聞かせる。波濤を割る鋭い波、くろがねの巨体の正面には四十六センチの主砲が二基、ぽっかりと顎を研いでいる。

「それは皇国を守る戴天の船、帆を黒煙に、風を決意に変えて身にまとい、南を目指した日輪の使者……蘇れ!」

 右手で天を示す。地響きが広場全体を揺らした。玉砂利が細かく跳ね、潮の匂いがあたりに満ちる。動揺する怪異たちを見回した岩石男を尻目に弓月が後方に大きく跳ぶ。

「大和っ!!」

 直後、巨大な波が広場を襲った。轟音と共に黒々とした鉄塊――否、菊の紋章を掲げた戦艦がそこへ着水する。放たれたのはただ一度きりであった砲弾が、今また火を吹いた。言葉にならない悲鳴をあげた岩石男がその爆風にまかれる。牙と格闘していたものたちにあっという間が与えられたかどうか。鉄火と噴煙に彼らは一瞬のうちに飲み込まれ、あとには静寂しか残らなかった。




「弓ちゃん!」と、怒声をあげたのは許されてしかるべきだと志朗は思っていた。弓月に抱えられて怪異たちの領域から脱したあと、物も言わずに車に放り込まれた志朗である。弓月の輪郭は常の通り、既に人間と寸分違いなかったが、その代わりかなんなのか一心にアクセルを吹かせてとんでもないスピードで車を急がせている。

「なんであそこで怒っちゃうんだよ!」

「なぜ、あの場面で怒らないのですか!」

「だから、人喰いは仕方ないだろって!」

「そうではありません!」

 飛び去る風景を睨みながら弓月は唸るように言った。

「そうですが、そうではないのです、雛君」

 こうなった弓月になにを言っても無駄だということを経験で知っている志朗は大げさに肩をすくめてみせてからドアガラスに額を預けた。すごい勢いで後方へ流れていく風景を眺めるともなく眺める。りりをどう納得させるべきか、そう考えると大変に気が重かった。

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