1.5 身動きが取れない
春の訪れを待ちわびていた草花が一斉に咲き始め、王都を華やかに彩る。
王家主催の園遊会に、ウィルフレッドはセオドリックから招かれ、参加していた。
セオドリックのすぐ側で、アシェリーが花のようにほほえんで、挨拶にきた人々と会話をしていた。爽やかな若草色のドレスをまとったアシェリーは、このところ一段と美しさを増した気がする。
その二人の前に、一緒に招待されたのであろう、揃いの白い衣装を身にまとった聖女達がやってくる。その中には、シンシアもいた。セオドリックがシンシアに優しい目をしてほほえむ。
それを確認してウィルフレッドは、アシェリーにまなざしを向けた。
と、アシェリーと視線が交わった。
わずかに動揺したウィルフレッドとは対照的に、アシェリーは動じた様子もなく静かにこちらを見つめていた。
それから、すっと彼女はウィルフレッドから視線を外し、セオドリックに何かを言うと、そのままひきとめられることもなくセオドリックの側を離れる。彼女はするすると人々の間を泳ぐように姿を消した。
何故か胸騒ぎがして、ウィルフレッドは我知らず動き出していた。
「テレンス、少し離れる」
「え? おい、ウィル――」
王宮内には、セオドリックの専属の護衛達がいる。今日はウィルフレッドもテレンスも、護衛のために参加をしていたのではなかったが、念のためテレンスに短く言って、アシェリーを追った。
庭園の中央から少し外れた場所で、アシェリーの小さくも美しい背中を見つけた。
「アシェリー嬢」
ウィルフレッドの声にアシェリーは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「ウィルフレッド様……」
「どこへ?」
「……今日はもう、帰ろうかと。セオドリック様のお許しは得ているわ」
「体調が悪いのなら、送る」
「そういうわけではないの。ただ――」
言いかけてアシェリーは、静かなまなざしをウィルフレッドに向ける。
少し沈黙していたアシェリーは、何かを決意したような表情になって、言葉を続けた。
「あなたは気がついているわよね。セオドリック様は、シンシア様がお好きなのだと思うわ」
「……それは」
「シンシア様がどう思っているかは分からないわ。でも、もしも本気でセオドリック様が望めば――」
「それは、無理だ」
ウィルフレッドは厳しい顔をして、きっぱりと言った。そんなことは分かっているのだろう、アシェリーは沈黙し、反論はしなかった。
「シンシア嬢とあなたは違う。あなたは特別な人だ。セオドリック殿下は、あなた以外を望みはしない」
「……特別な人? 私が? セオドリック様にとって?」
「そうだ」
「……あなたは以前も、私がセオドリック様の大切な人だと言ってくれたわ。だから私を気にかけてくれるのね」
「ああ、だから戻ろう。こんな風に帰ってしまうのは――」
「ウィルフレッド様」
いつもより強い口調でウィルフレッドの言葉を遮って、アシェリーは唐突に言った。
「セオドリック様も、私も、身動きが取れないの」
意味が分からなくてウィルフレッドは、言葉に詰まる。
「がんじがらめに心が縛りつけられているの。それがあるべき姿だと教えられ、自分自身もそう信じて生きてきたから」
「…………」
「……助けてと言ったら、助けてくれる?」
ウィルフレッドは何も答えられなかった。アシェリーの言っていることがにわかには理解できなくて、何と答えれば良いのか分からなかった。アシェリーの助けになりたいと常に思っているのに、それが本当に彼女にとって良いことなのかどうかが分からない。
結局答えを迷ったまま無言のウィルフレッドに、少ししてアシェリーは、ふわりと花がほころぶようなほほえみを見せた。それは美しくも、悲しい表情だった。
「ごめんなさい、変なことを言って。忘れて」
と、丁度アシェリーを迎えにきたのだろうか、ブライトウェル家所属の騎士が、こちらに近づいてきた。
「……迎えが来てくれたわ。ウィルフレッド様、さようなら」
ウィルフレッドははっとして、自身の元から去りゆくアシェリーに声を掛けた。
「アシェリー嬢。明日、また学院で」
「……ええ。ウィルフレッド様、また」
アシェリーは静かに笑みを見せて、王宮を後にした。
その姿はウィルフレッドの心にいつまでも残り、ウィルフレッドはアシェリーの問いに何も言えなかった自分を心の中で責めた。
だがそれから三日が経っても、アシェリーが学院に姿を現すことはなかった。
ウィルフレッドは本気でアシェリーを心配しはじめていた。今日こそはセオドリックにアシェリーの様子を尋ねようと、そう思っていたウィルフレッドだが、朝一番に顔をあわせたセオドリックの表情がかつてなく暗く、嫌な予感に支配されてウィルフレッドは挨拶の言葉すら口にすることができずに息を呑んだ。
セオドリックは沈痛な面持ちで言った。
「アシェリーが階段から転落し、記憶を失った」
「……は?」
「僕との婚約は破棄になった」
ウィルフレッドは、息ができないくらいの衝撃を感じ、体を貫かれたように動けなくなった。