3.7 もう、離さない
その後、ウィルフレッドはギデオンに言われ、一週間程ほぼ毎日王立魔法研究所へ通うことになった。ギデオンとその補佐をする人間に、毎日観測される。ウィルフレッドには全く見えなかったが、ウィルフレッドにかけられた魔法式を、特殊な記録装置へ写し取る作業をしているということだった。
その間も、ギデオンとハイラント公爵、そして王家との間で話は進められていたらしい。ウィルフレッドの作業が終了した頃に話がまとまって、アシェリーへの観測も開始されたと、ウィルフレッドはシンシアを通じて聞くことになった。
それから十日程たって、ウィルフレッドは再び王立魔法研究所に呼び出される。
一人で向かえば、既にそこにはアシェリー、シンシア、そしてセオドリックがいた。その表情を見れば、既にセオドリックも事情を理解しているということが分かった。
「やあ、揃ったね」
ギデオンはにこやかに言った。
「本人達が不在のところで悪いとは思ったけど、まあ色々話して方針が決定した。とりあえず魔法式の記録は終わったし、あとは、アシェリーの魔力をこれに封じようと思ってる」
と、ギデオンが手に持っていた立派な入れ物から、大きな赤い鉱物を取り出し、皆に見せた。それは金色の台座にはめられ、非対称な涙型をしていた。宝石のように研磨はされていないが、鮮やかで透明度が高い。
ウィルフレッドはその赤い鉱物に見覚えがあった。ヴェリタールからゲートを抜けて向かった隣国で採れる希少鉱物だ。鉱物は隣国の名を取って『オレニア』と呼ばれていた。その遠征の帰りに、ウィルフレッドは一度目の人生を終えたのだ。
「これはオレニア。上質なものは魔力を封じ込めることができる。魔法具の開発のために使ってる」
「こんな大きなものは、初めて見ました……」
感動した様子で、食い入るように見つめながらシンシアが呟いた。
「うん。特別品だからね。これなら、アシェリーの魔力を封じることができる。でもその前に、一応君達の意見を聞いておきたくてね。まあ決定事項なんだけど。その気になれば、ひっくり返すこともできるから」
にこにこと笑いながらギデオンは、まずはウィルフレッドに視線を送った。
「まずウィルフレッド、君にかけられた魔法が解けたとする。でもある意味で君は今、不死だ。その恩恵が受けられなくなるけど。それでいいの?」
ウィルフレッドはセオドリックとシンシアを見てから、ギデオンをしっかりと見つめてうなずいた。
「……自分が戻ることで、運命が変わってしまった人もいます。救えた命もありましたが、もしかしたら、代わりにどこかで不幸が生まれた可能性もある。本来人生は一度きりで、死は誰にでも等しく訪れるもの。自分一人だけ、逃げるわけにはいきません」
「うん。じゃあ次はアシェリー。君がどうなるか、分かる?」
アシェリーもゆっくりとうなずいた。
「私の魔力はなくなります。私は一切の魔法が使えなくなります」
「そう、魔力がなくなった君が、王家に嫁ぐのはまず無理だ。そうだね、セオドリック」
「はい」
「アシェリーはそれでいいの?」
「……はい」
「セオドリックは?」
セオドリックはアシェリーを見つめ、それからギデオンにまっすぐな視線を向けた。
「国王陛下は了承してくださっています。ハイラント公も。貴重な研究の協力者となり、アシェリーの立場も守られる。婚約の解消は、まもなく公式に発表されるでしょう」
「セオドリック。僕はね、君の気持ちを聞いているんだよ? 言っただろう? その気になれば、ひっくり返すこともできるって」
セオドリックは少し考えて、その問いに答えた。
「……アシェリーのことは、大切に思っています。でも彼女が僕とは違う道を行くというのなら、送り出してあげたい。彼女のために命を投げ出す覚悟のある人間には、かなわないと思う」
言いながらセオドリックは、ウィルフレッドを見ていた。何も言えないでいるウィルフレッドに、セオドリックは小さくほほえむ。
「うん、分かった。ありがとう」
ギデオンは満足そうにうなずいて、オレニアをシンシアに渡す。
「それじゃあ、やろうか。頼むよ、シンシア」
「はい。……では聖魔法で、アシェリー様の魔力を封じます」
聖女の使う聖魔法には、相手の魔力を封じる魔法があった。決して全ての聖女が使えるわけではない。能力の高い聖女しか使うことのできない、貴重な魔法だ。
シンシアが目を閉じて祈るように力を込めると、周囲に淡い光がともり、それがシンシアの目の前に立ったアシェリーを包む。
アシェリーは光に包まれて、いつの間にか目を閉じ、胸の前で両手を組んでいた。
やがてアシェリーを包んでいた光が、オレニアに吸い込まれるように次々と集まっていく。淡い軌跡を残しながら、光がすべてオレニアの中に封じられた時、アシェリーはゆっくりと目を開けた。
「……終わりました」
シンシアが息をついてそう言うと、セオドリックが心配そうにアシェリーを覗き込む。
「アシェリー、大丈夫か?」
「……セオドリック様。はい、私なら大丈夫です」
そう言ったアシェリーはしかし、はっきりと分かるくらい、震えていた。胸の前で組んだ両手を固く握り合わせて、真っ青な顔で周囲を見る。泣き出しそうな彼女は、しかし涙を零さなかった。彼女は見た目よりもずっとしっかりした口調で、言った。
「お願いします。少しの間で構いません。ウィルフレッド様と二人にして貰えませんか」
皆、何も言わずにそれを聞きいれてくれた。ウィルフレッドとアシェリーは部屋に二人きりになって、向き合った。
ずっと、ただ、言葉を失ってアシェリーを見守ることしかできなかったウィルフレッドは、ようやく声を出すことができた。
「アシェリー嬢、体は? 大丈夫なのか?」
「……ええ、大丈夫」
言いながらアシェリーは、見る間に大粒の涙を流した。やはりどこか体に影響があるのではと、ウィルフレッドは慌てる。
「本当に大丈夫か?」
アシェリーはうなずいて、ゆっくりと言った。
「ウィルフレッド様、私、思い出したわ」
ウィルフレッドは動きを止めた。
「……何、を?」
「何もかもを」
「…………」
ウィルフレッドは息を呑んだ。アシェリーは涙を流しながら、切々と語り始めた。
「一度目の時。私はお父様に、セオドリック様との結婚はできないと言ったの。どうしても好きな人がいて、その人のことが諦められないって。それでお父様は怒って、私は部屋を飛び出して記憶を失ったの。でもヴェリタールで過ごして、それであの星空を見て思い出したの。八歳の時に会った、あなたと重なったから。目が覚めてそれが分かって、一秒でも早くあなたに会いたくて、あなたのお兄様に頼んで、あなたを迎えに行ったの。でもそれであなたは、私を守って……」
「違う。あれは潜んでいた魔獣に、俺たちが気がつかなかったことが原因だ。あなたのせいじゃない」
否定するウィルフレッドに、アシェリーは首を振った。
それから彼女は、胸の前で握り合わせた両手を口元に持っていくと、目を閉じて祈るように言った。
「願ったの。死なないでって。あなたを失うなんて、耐えられなかった」
「アシェリー嬢……」
アシェリーは再び、ゆっくりと目を開けた。
「二度目の時には、会ったばかりのあなたに惹かれる自分が怖くて、逃げていたわ。あなたが大切に思ってくれていた過去の自分にも、私とは別の人ではないの、なんて言って。本当はただ嫉妬していたの。自分に嫉妬だなんて、馬鹿よね。これ以上惹かれてはいけないと、あなたとは距離を置いていたわ。でも、ずっと苦しかった。あなたが危険な遠征に行くと聞いて、どうしようもなく怖かった。それであなたが、子供を庇って犠牲になったと聞いて……。そこで意識は途絶えているの」
アシェリーの濡れた瞳には、ウィルフレッドが映り込んでいた。
「今回だって、不思議なくらいあなたに惹かれていたわ。あなたと一緒にいるシンシア様が羨ましくて、苦しかった」
アシェリーはウィルフレッドに向かって一歩、踏み出していた。涙声のまま、ウィルフレッドに切なく訴えた。
「一度目も、二度目も、そして今も。私はずっと、ずっと。ウィルフレッド様が好きです」
「…………」
ウィルフレッドの瞳から、一滴、光るものが零れ落ちていた。アシェリーが指を伸ばし、それに触れる。
ウィルフレッドは震える声で、心を捧げた。
「あなたが好きだ。報われることがないと分かっていても、心が奪われて、抗えなかった。何度繰り返しても、この気持ちは変わらない」
「……ウィルフレッド様」
頬に触れていたアシェリーの手を取り、唇でそこに触れる。それから彼女と見つめ合い、どちらともなく、二人は抱き合っていた。
「もう、離さない。どんなことがあっても」
二人は互いの存在を、きつく抱きしめた。
確かめ合うように。二度と離れることのないように。




