3.6 始まりと終わり
それからさらにひと月が経った頃、ギデオンからの呼び出しを受け、ウィルフレッドはシンシアと一緒に早朝から王立魔法研究所へ向かった。休日であったので、建物内に人影はほとんどない。しかし寂しいといった様子はなく、回廊の大きな窓から流れ込む初夏の明るい光で、すがすがしい空気が漂っていた。
ノックをして所長室に入ると、机の上に何層も積み重ねられた書物の向こうから、ギデオンが顔を出した。
「やあ、早かったね。多分、分かったよ」
ギデオンがさらりと言って、ウィルフレッドとシンシアは驚く。ギデオンに促されて、二人並んでソファに腰を下ろした。ギデオンもその前に座る。
「ギデオン殿下。分かったと言うのは――」
一刻も早く知りたいという気持ちが、ウィルフレッドを焦らせる。
「うん。時魔法だね。とっくに絶えたと思われていたけど」
時魔法? 聞いたことがない魔法に、ウィルフレッドは怪訝に眉を潜める。隣でシンシアが、あっと声を出した。
「時魔法……。もしかして、ゲートに記憶された転移魔法ですか?」
「シンシア、偉いね。そう、あれは時魔法から派生した時空魔法。ヴェリタールにもゲートはあったね。聖騎士の君が、一番使うだろう?」
「はい……」
古代の転移魔法を記憶した『ゲート』を通って、聖騎士団は異大陸にも遠征に行く。転移魔法が絶えてしまったといわれているからこそ、ゲートとその周辺施設は、聖騎士団により厳格に管理されている。
「つまり、かつて存在していた時を戻す魔法が、ウィルフレッド様にかかっているんですね」
シンシアの言葉にギデオンはうなずきながら、ウィルフレッドを見つめた。
「そう。君だけが記憶を持ち、時が巻き戻っている。君にとっては経験した過去となり、僕達にとっては経験しない未来となっている。でも、君に魔法をかけたのは誰だろうね。今は途絶えた時魔法は、かつて王家の人間だけが使っていたと伝わっている。その血筋の人間で、君の周りにいるのは?」
「王家の方で、会うことがあるのはセオドリック殿下だけです」
「いやセオドリックは、光魔法を使うだろう。他は?」
「…………」
ややして、ウィルフレッドは途方もない答えにたどり着いた。
「……アシェリー嬢」
「ああ、ブライトウェル家の。成程、王家の血を引いている」
ギデオンは立ちあがり、つかつかと扉の方へ向かっていく。
「すぐに向かおうか。先に知らせを出すから、少し待っておいで。ハイラント公も在宅だといいが」
幸いにも、戻ってきた使者によれば、ハイラント公爵とアシェリーは揃って、ギデオンの来訪を待っているという。すぐに用意されたギデオンの馬車で、ブライトウェル家の邸宅へと向かった。
洗練された趣味を物語る調度品で整えられた応接室に通されて、まずハイラント公爵がギデオンに丁寧に挨拶をした。そしてこちらから挨拶をしたウィルフレッドを、ハイラント公爵はじっと見つめた。
「君は父親に良く似ているな」
父も若い頃に王都で過ごし、ハイラント公爵と共に過ごしたと、ウィルフレッドは一度目の人生でも聞いていた。記憶を失くしたアシェリーを心配していたその時よりも、ハイラント公爵は顔色がよく、眼差しに力があった。
「それでギデオン殿下、話とは」
「君の娘のアシェリーに確認したいことがあってね」
「……私、ですか?」
ハイラント公爵の隣にいたアシェリーが、驚いて小さく息を呑んだ。背の高いギデオンは少し腰を折って、アシェリーと目線を合わせ、しげしげと彼女を見つめる。
「記録を見たよ。君は聖ローエンベルクの加護で、属性がないと宣告されたって?」
「はい……」
「でも君には、高い魔力があるね。セオドリックの婚約者として認められるくらい、高い魔力だ」
「ギデオン殿下、何がおっしゃりたい?」
娘を観察されて、気分は良いものではないだろう。ハイラント公爵が、声を厳しくする。ギデオンは背を正し、アシェリーからハイラント公爵に視線をうつして、言った。
「属性がない。つまり無だ。無は全ての始まりと終わり。時と空間を司るもの。アシェリーは王国から失われた時魔法を使っている。無自覚にね」
「時魔法?」
「……私が?」
「そう。君が発している複雑な魔法式が、目を凝らせば、見えるよ。シンシア、君なら見えるかい?」
「……はい。そうと教えられて、本当に集中すれば、少しだけ。でもこんな魔法式は、見たことがありません」
ハイラント公爵は動揺し、絶句していた。
「でも私には、そんな大それた魔法なんて……」
困惑するアシェリーに、ギデオンはあごをさすりながら小首をかしげた。
「んー……。なにか大きなショックがあって、無自覚に発動するなんてのは良くある話だよ。君にとって、引き金となったのは何だろう」
そう言いながらギデオンは、ウィルフレッドを視界の中央に入れた。
「ああ、成程。君が死んだのか」
その言葉に、今度はアシェリーが動揺する。
「ウィルフレッド様が、死んだ……?」
「……ギデオン殿下、どうか我々にも分かるように説明を」
ハイラント公爵に言われて、それで一旦は皆ソファに落ち着いた。
ギデオンはウィルフレッドの代わりに、これまで起こったことをかいつまんで説明してくれた。だが本人とその父親の前だ。アシェリーへの思いだけは上手くぼかされ、直接的に話されることはなかった。
ギデオンの話が終わった時、アシェリーは真っ青になって、まるで陶器人形のように動かなくなった。
「せっかくだから研究させて貰うよ。アシェリーは僕の管理下に置きたい」
「管理下ですと? いや、しかし――」
「ゲートの時空魔法の解明にも役立つ。このままじゃゲートに何かあっても、修復ができないからね。それがこの国にとって、どれくらい重要か。ハイラント公、君なら分かるだろう?」
ギデオンは穏やかな表情ではあったが、その言葉には否と言わせない圧力があった。
ギデオンとやり取りをするハイラント公爵の隣で、アシェリーはゆっくりとウィルフレッドに視線を向けた。
「……ウィルフレッド様。私のせいで、死んでしまったの?」
震える声。ウィルフレッドはそうじゃないと首を横に振った。
「あなたのせいじゃない」
瞬間、アシェリーの瞳から、大粒の涙が宝石のように零れ落ちた。
「私……」
隣にいたハイラント公爵が慌てて、その肩を抱きよせる。
「大丈夫か? アシェリー」
ハイラント公爵も青い顔をして、ギデオンに請うような視線を送った。
「……ギデオン殿下。せめて、気持ちを整理する時間をいただきたい」
「分かった。落ち着いてからでいいよ。僕のところへ来てくれ。今日は帰ろう」