3.1 どうせ諦められない
重厚な鐘の音。清涼な空気。金木犀の香り。
ウィルフレッドは目を見開いて、大きく息を呑んでいた。
ゆっくりと呼吸をする。……生きている、また。
「ウィルフレッド・フェアファクス。聖騎士に叙す」
騎士の証であるサーベルを受取り、儀式の終了と同時にウィルフレッドは歩き出す。まっすぐに向かって、視線の先に確かめたのは、セオドリックとアシェリーだった。
二度目の時のように、涙は出なかった。再び始まった人生に、ウィルフレッドの心は麻痺したかのようだった。
一度目は、思いを告げずに、彼女を見守った。
二度目は、抑えることができず、彼女に気持ちを告白した。
ウィルフレッドはもはやこの運命に、どう立ち向かえば良いのか分からなかった。
『……あなたの記憶の中の人と、私が、同じ人だと言えるの?』
アシェリーの困惑したような顔が目に浮かんだ。ウィルフレッドは、その問いに明確な答えを出せなかった。今だって、まだ。
「ウィルフレッド、置いていくなよ」
後ろから肩を抱かれた。人懐っこい笑みを浮かべたテレンスと目が合う。
「……ああ、すまない」
「いいよ。じゃあ、セオドリック殿下に挨拶に行こう」
促されて、二人の前に立ったウィルフレッドに、セオドリックは鷹揚にほほえんだ。
「君がヴェリタール辺境伯の息子か。テレンスから聞いているよ。ヴェリタール辺境伯と同じく、とても腕が立つと。これから君が王立学院に通う間、僕の護衛を頼めるか?」
「……セオドリック殿下のお役に立てる機会に恵まれ、光栄です」
「そう言って貰えて嬉しいよ。よろしく頼む」
「誠心誠意、お仕えします」
ウィルフレッドはいつかと同じように、敬意を表して片膝をつき、胸に手を当てて頭を下げた。
「顔を上げてくれ。そう固くなくていい。僕達は共に学ぶ友でもあるんだ。護衛も頼むが、君とは友人でありたい」
「……ありがとうございます」
立ち上がってウィルフレッドは、ゆっくりとセオドリックの隣に立つアシェリーを見つめた。
ウィルフレッドの視線に気がついてセオドリックが、紹介してくれた。
「彼女は僕の婚約者だ」
「アシェリー・ブライトウェルと申します。どうかアシェリーと呼んでください」
スカートを軽く持ち上げて優雅に挨拶をしてからアシェリーは、ふわりと花のようにほほえむ。
ウィルフレッドは一瞬、眩暈がした。何もかもを忘れて彼女に思いを告げたくなった。
だがセオドリックとテレンスの存在があったおかげで、ウィルフレッドは理性を失わずにすんだ。
「では、どうかウィルフレッドとお呼びください」
「はい。ウィルフレッド様。私も王立学院に通っています。どうかよろしくお願いします」
ウィルフレッドは今一度、二人に頭を下げた。
それから適当な理由をつけて彼等から離れ、ウィルフレッドは建物の外へ出た。
ウィルフレッドは顔を上げる。空は高く雲が軽やかで、時折吹く風は爽やかだ。かつてと少しも変わらない、晴れた秋の日だった。
どこまでも青い空。澄んだ水のような、アシェリーの瞳の色。
ウィルフレッドは麻痺した心を、もう一度奮い立たせる。
報われることがないと分かっていても、どうせ諦められない。
説明はできなくても、ウィルフレッドにとってアシェリーは、たった一人のアシェリーだった。




