2.2 あの時、伝えられなかった言葉
アシェリーとヴェリタールで過ごした期間は、たったひと月ほどのことだ。それでも、ウィルフレッドにとっては忘れえぬ、色褪せぬ記憶であり、彼女と過ごした時間を、ウィルフレッドは昨日のことのように思い出す。次第に元気になり、たくさんの笑顔を見せてくれたアシェリーが今も胸の中にいる。
でも今は、アシェリーはセオドリックの婚約者だ。アシェリーと共に過ごした記憶が、かつてよりも、ウィルフレッドに千切れるような胸の痛みを与えた。
そしてあの、舞踏会の日を迎える。
ウィルフレッドは視線を動かして、アシェリーの姿を探していた。セオドリックは楽しそうに学友達と談笑している。セオドリックと一旦別れたアシェリーを見つけ、壁の前に立っていたウィルフレッドはそこを離れた。
声を掛ける前に、彼女の方がこちらに気がついた。
「ウィルフレッド様」
優しく柔らかい声で呼び、アシェリーはほほえんでいた。
「アシェリー嬢、踊ってくれないか。……ダンスは、上手くはないが」
ウィルフレッドは彼女に手を差し出した。一瞬驚いた表情をしたアシェリーは、すぐに花が咲きこぼれるような笑顔に戻ってうなずいてくれた。
「私の方から、お願いしようと思っていたの」
そう言ってアシェリーは、ウィルフレッドの差し出していた手に、その手を重ねた。生徒達の中へと進み、彼女と一緒に踊る。
「上手くないなんて、そんなことないわ」
「……ここに来る前に、少し練習を」
ヴェリタールで、時々彼女に誘われて一緒にダンスをした。アシェリーはダンスが好きで、王都のように舞踏会はないから、二人きりで、音楽もないのに踊った。アシェリーはそれをとても楽しんでくれた。
「あなたのお父様は、銀色の守護者と言われているけれど、その美しい銀色の髪が由来なのね。そうでしょう?」
「……確かに父も兄も、同じ色をしている」
「やっぱり! あなたの髪型は短くて素敵だけど、伸ばしてもきっと綺麗ね」
「……伸ばせば、戦闘の邪魔になる」
「そうね。ウィルフレッド様には聖騎士として、この国を守る大切な使命があるもの」
「国も、そうだが。……俺には、守りたい人がいる」
じっとアシェリーを見つめると、アシェリーは動きを止めた。
そこで丁度曲が終わった。アシェリーはすぐに優雅にほほえむ。
「私の後にも、あなたと踊りたいと思っている御令嬢が沢山いるの。ぜひ、踊って差し上げて」
そうしてアシェリーは離れていこうとした。だが、ウィルフレッドがそうはさせなかった。ウィルフレッドは、彼女の細い手を握る手に少し力を込める。
「……ウィルフレッド様?」
驚いた様子のアシェリーに、ウィルフレッドは思いつめたまなざしを向ける。
「もう一曲、踊って欲しい」
「え……?」
アシェリーは戸惑っていた。彼女は、セオドリックの護衛兼友人のウィルフレッドが、周囲に馴染むことができるように、踊ってくれたに過ぎないのだろう。だからこんな風に、引きとめられるとは思っていなかったのだろう。かつてもこの会場で彼女は、セオドリックの婚約者として、正しく美しく振る舞っていた。
「……あの、でも」
「もう一曲だけ」
もう一度請うと、結局アシェリーは断ることができないようだった。逡巡しながらも小さくうなずいた彼女と、再び踊り出す。もう少し、あと少しだけ。曲が終わらないようにとウィルフレッドは願った。
それでも、やはり終わってしまった曲の後に、アシェリーは再びにこりと笑ってくれた。
「ウィルフレッド様、どうか他の方とも、踊って差し上げて」
「アシェリー嬢」
ウィルフレッドはまだ、その手を離していなかった。驚く彼女に少し体を近づけて、彼女の耳元でそっと囁く。
ウィルフレッドには、どうしても、抑えることができなかった。
死の間際。あの時、伝えられなかった言葉が、あふれる思いと一緒に、震える唇から零れ落ちた。
「あなたが、好きだ」




