1.1 分からない、はずがない
「……セオドリック様は最近、シンシア様とよく一緒にいるのね」
王立学院にある図書館の一画で、セオドリック・レイノルズと、シンシア・グリーンフィールドが、互いに柔らかな笑みを浮かべて会話を楽しんでいる。セオドリックの婚約者である、アシェリー・ブライトウェルが図書館に姿を現しても、彼等はまったく気がつかない。
ウィルフレッド・フェアファクスは、この聖ローエンベルク王国の第二王子であるセオドリックの護衛兼友人として、少し離れたところで二人を見守っていた。
自分の横に立ってつぶやいたアシェリーに、ウィルフレッドは小さな声で答えた。
「声を掛けてくる」
「……いいえ。いいの」
ウィルフレッドを制してアシェリーは、澄んだ水のように淡い青色の瞳で、まっすぐに二人を見つめていた。ふわりと緩やかに波打つ明度の高い金色の髪は、後ろ髪の上半分だけが丁寧に編み込まれてある。
彼女の髪の色も、瞳の色も、セオドリックと良く似ていた。セオドリックの方が、幾分色味が強い。公爵家の令嬢であるアシェリーはセオドリックの親族であり、また六歳という幼き頃からの婚約者でもある。現在、互いに十八歳の二人は、半年後に学院を卒業してから、結婚する予定だと聞いている。
アシェリーは、二人から視線をそらさなかった。そらすことができなかった、という方が正しいのかもしれない。
だからウィルフレッドも、彼女が自分に気がつかないことを分かっていたからこそ、その群青色の瞳で、じっと彼女を見つめた。瞳が夜空に似た色のためなのか、戦闘の邪魔にならないよう短めにしている銀色の髪は、星の光のようだと言われることがあった。
アシェリーは美しい人だった。ウィルフレッドからすれば、少し心配になるくらいにほっそりと華奢で、こころもち目じりのあがった瞳は凛々しく、容易には近寄れない雰囲気があった。そういえば親族であるセオドリックも、目もと涼しく、鼻筋の通った美男だ。
「シンシア様は、聖女だもの。人柄も良くて、将来を嘱望されていると聞いたわ。聖女は聖騎士と共にこの国を守る存在。セオドリック様と親しくなっても不思議ではないわ」
さらりとした明るい茶色い髪と、この国では珍しい翡翠色の大きな瞳をしたシンシアは、貴族階級としてはさほど高位ではないが、アシェリーの言うように若手の聖女の中でも特に能力が高いと評判の存在だ。
「……私には、聖女のような力はないから」
寂しそうにつぶやいたアシェリーを、ウィルフレッドは痛ましく思った。
この聖ローエンベルク王国では、多くの王侯貴族が魔法を使う。その魔法で国を守り、国に利益をもたらすゆえの、貴族という階級なのだ。
魔法には属性があり、例えばセオドリックは光魔法を、ウィルフレッドは氷魔法を使う。回復魔法である聖魔法を使える人間には圧倒的に女性が多く、彼女達は『聖女』と呼ばれる。
この国の子供達は、八歳の時に自分の属性を知る『聖ローエンベルクの加護』という神事儀礼を行う。その際にアシェリーは、魔力は高いが属性がないと宣告された。
もしもアシェリーに、屈強な肉体と高い近接格闘能力があれば、その魔力を戦闘力に変換して、素晴らしい活躍をしたのかもしれない。だが公爵家も、王家もそれを望まなかった。未来の第二王子妃として、魔力の高さには問題がないと判断され、彼女は今もセオドリックの婚約者だ。
彼女をなぐさめる言葉一つ浮かばない自分に、ウィルフレッドが内心で歯がゆく思っていると、アシェリーがこちらを振り仰いだ。
突然視線がぶつかって、ウィルフレッドは焦る。だがウィルフレッドは感情が表に出にくいせいか、アシェリーはそうとは気づかなかったようだ。
「今日はもう、帰るわ」
「……セオドリック殿下に、用があったのでは?」
「いいの。急ぎではないから。さようなら、ウィルフレッド様」
くるりと踵を返し、背筋をまっすぐに伸ばして歩き出したアシェリー。セオドリックの側を離れることはできないため、送ることもできない。
凛とした小さな背中を見送って、ウィルフレッドは再びセオドリックとシンシアに視線をやった。
アシェリーを思えば、とてもあたたかく二人を見守る気持ちにはなれなかった。アシェリーの横顔が心から離れない。ウィルフレッドは拳をぎゅっと握りしめた。
その時、学院の鐘が鳴った。学院が閉門する時刻を告げる音だ。
待ちかねていたようにウィルフレッドは、つかつかとセオドリックとシンシアに近づいた。
「セオドリック殿下、お帰りの時間です」
「……ああ、もうそんな時間か。シンシア、続きはまたにしよう」
「はい、セオドリック殿下。ありがとうございます」
セオドリックは、生まれ持った才能と、幼少期からの英才教育の賜物なのか、学院の中でも指折りの優秀な成績であり、時折こうして友人の勉強をみてやることがあった。
なにもシンシアだけにというわけではない。それでもウィルフレッドは、セオドリックと二人になってから、我慢ができずに口を開いた。
「アシェリー嬢が、傷ついています」
声に非難めいた響きが混じっていたのは明白だった。セオドリックは言葉を失った様子で、ウィルフレッドを見つめ返してくる。
セオドリックの側にいるようになって一年。互いに同じ年で、セオドリックが「護衛も頼むが、君とは友人でありたい」と言ってくれたので、ウィルフレッドも少しずつ心を開いた。
セオドリックは良い人間なのだ。それが分かっているからウィルフレッドは、はっきりと告げる。
「先程こちらにきて、セオドリック殿下に声を掛けずに帰りました」
「……そうか」
「学友に親切であることは良いことだと思います。ですが――」
「分かっている」
ウィルフレッドの言葉を、セオドリックは強い口調で遮った。
「僕の婚約者はアシェリーで、半年後には結婚する」
セオドリックは思いつめた目で、ウィルフレッドを見据えた。諦めなければならないという苦悩が、その眼差しから伝わる。
「……いけないと分かっていても、惹かれてしまう。君のように真面目な男には、分からないかもしれないが」
ウィルフレッドは何も答えなかった。
無言のウィルフレッドに、セオドリックは諦めたように一つため息をつき、図書館を後にする。
セオドリックの数歩後ろを歩きながら、ウィルフレッドは知らぬうちに小さく唇を噛んでいた。
分からない、はずがない。
ウィルフレッドは、セオドリックの婚約者であるアシェリーに、たまらなく惹かれているのだから。