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ひとでなし証明

作者: 浜能来

 くたびれたスーツの形をした、朝の気だるい気分が吹き飛んだ。ついにアレが届いたのだ。

 僕は集合住宅の給餌箱のように並んだポストの前で、自分の手の中にある封筒を、それはもう丁寧に開封していった。サクラ模様の封筒が、ゆっくりとその口を開いていく。

 政府に申請を出して、それは受理されたみたいだったから。僕はずっとその証明が届くのを待っていた。封筒には、ちょこんと()()()みたいに膨らんでるところがあって、僕は封筒が開くなり、それをつまみ出した。


 玄関からの日差しに輝きすら返さない、緑青色のバッジ。ひとでなし証明。そのヒトデ型をしたバッジを、ひっくり返したりしながら眺めていると、後ろを通り過ぎる隣人がぎょっと目を見開いていた。

 それはそうだろう。このバッジは、僕が政府公認の無能であると証明するものなのだから。これをつけている人間は、たといどんな扱いを受けたって文句が言えない。それが資本主義だ。


 隣人は、普段なら挨拶の一つもしようものを、そそくさと通り過ぎていった。僕はいよいよ嬉しくなった。僕のひとでなし証明は本物なのだ。

 喜び勇んで、スーツの襟にバッジをつける。


 ◇◆◇


 今まで外を歩いていても、他人なんてものは風景の一部でしかなかったのに。今日は違っている。誰もが僕から距離を置いていた。

 まさに、村八分の気分だ。給食費を盗んだことがバレた小学生の気分だ。退屈そうなカップルがいて、しかし女性の方が僕に気づき、男に身を寄せコソコソ言っている。男はすっかり鼻の下を伸ばしていて、僕のおかげだから本当に感謝してほしかった。


 それからも、コンビニに入れば雑に袋詰めをされ、電車に乗れば後ろに立ったいただけという理由で痴漢扱いをされ、ごった返す改札でうっかり定期を落としてしまえば、そのままどこかへ蹴っ飛ばされてしまった。

 僕のひとでなし証明は本物だったのだ。晴れて、僕はいるだけで迷惑な無能になれたのだ。


 早めに家を出たのに、結局は出勤時刻ピタリに出社をすると、奥のデスクに座った課長がジロリと僕を見た。彼はハッとした様子で眉間をさそり、すぐに表情を取り繕う。


「すみません、課長。もろもろトラブルがありまして……」

「そうかぁ。まぁ、起こっちゃうトラブルは仕方ないからなぁ」


 課長は間延びさせた声で喋る。


「その分取り返せばいいから。とりあえず、早出して片付けるはずだった昨日の業務、早くかたしちゃって……」


 だがそれも、課長が僕の襟元にあるヒトデのバッジを見つけるまでだった。彼は持っていたペンを取り落とし、しばらく言葉を失って。パソコンが再起動するときの排気音みたいに、長々とため息を吐いた。


「やっぱりなぁ! そうだと思ってたんだよ!」

「はぁ……」

「ほら、返事もすっとろいしさ。どんだけ指導しても中の下! 同期の坂上くんは何も教えなくても優秀なのに、おかしいと思ってたんだよ俺は!」


 課長はデスクに積んだ書類の山をバンバンと叩いた。彼にとって重要なものもどうでもいいものも一緒にまとめたタスクの山で、僕のキャパシティが追いつかなかった仕事も、その中にはある。


「いやぁ、これでスパッと切れるよ。明日から君、来なくていいから」

「でも今、繁忙期じゃ……」

「だいじょぶだいじょぶ! いてもいなくても変わんないから!」


 そう言って、上司は大口を開けて笑った。同僚も堪えきれないと言った様子で笑い出す。なので、僕もそれに倣って、あははと笑った。

 それから僕は、午前中の時間を使ってデスクの整理をした。僕が担当していた業務の引き継ぎを作って、デスクの私物をどんどんカバンにしまい、用済みの書類をシュレッダーにかける。

 時折誰それがやってきて、晴れやかに僕は別れを告げる。その度に、僕の心は軽くなる。


 ずっと、誰かに裁かれたかった。

 学生の頃から必死に努力してきた僕だけれど、秀才とかエリートとか、そういう言葉には一切縁がなかった。それが悔しくて、寝食を忘れて勉強に励んだ浪人一年生。母親に、もう可哀想で見ていられないからと、大学のランクを下げる提案をされたのが、僕のピークだ。


 ほどほどに努力するようになった僕は、それこそ優秀になんてなれなかった。平均かその少し下を惰性のままに流れて。だのに、どうも実直に見えるらしい僕は、失敗をするたびに励まされて、今この時まで生きてきている。


 失敗は誰にでもある。少しずつ成長していこう。君には期待しているからね。

 そんな言葉をかけられるたび、僕は返済のあてのない借金を背負う気分になる。押し付けられる出世払い。いつかその全員が、僕の家の戸をどんどんと叩くに違いない。

 だったら、自己破産するしかないだろう。


 だから僕の気持ちは今、とてつもなく軽いのだ。屋上までの階段を自分の足で登ったって、苦にも思わない。扉を開けて、青空の下に出ると、タバコ休憩の社員が二人いた。僕の襟元にある証明を見て、ついと視線を逸らしてくれる。

 もう、誰にも文句を言われない。僕は屋上のぐるりを囲うフェンスに手をかける。がしゃがしゃと音を立てて登る。タバコの二人はそれでも僕を気に留めない。


 そりゃあ、ひとでなしが死んだって、どうでもいいもんな。


 フェンスを乗り越えた僕は、迷うことなく宙に身を投げた。


 ◇◆◇


「夢か……」


 夢の中で死にきる前に、僕は目を覚ました。スマホの画面を確認すると、アラームが鳴る一分前だ。すっかり生活サイクルは身に染みている。

 僕はそのまま、スマホのメールアプリを起動する。どれだけ探しても、『ひとでなし証明』なんて言葉はない。


「まぁ、そんなもんだよな」


 遅れて鳴るスマホのアラーム。別にそんな、うるさく言われなくたってわかってる。

 今日も、やれることをやらなけりゃ。

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