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売り出した豚汁

 絶望したので、ミレーヌさんに訊いてみた。


「この近くに手ごろな断崖絶壁がありませんか?できれば海の側がいいですね。後始末は魚たちが勝手にやってくれると思うんで」


「ありません!!ありませんから、まずは崖のことなんかよりも、この大鍋の豚汁のことを考えましょう!ちゃんと全部食べないと食材に失礼ですからね、ね!」


「ま、まあ、はい」


 ただ訊いただけなのに、なぜか焦ったようにまくしたててくるミレーヌさんに違和感が拭えない。

 何をそんなに切羽詰まった表情をしているんだろうか?

 ――ああ、もしかしたら、俺と同じタイミングで喉に流し込んだ、この激マズ豚汁のせいで気分が悪くなっているせいなのかもな。

 そう考えると、調理した身として責任を感じないわけにはいかないし、残りの豚汁の始末も真剣に考えないといけない。


 とはいえ、だ。


「こんな失敗作を、王都の市場なんかで売っていいんですかね」


 これは俺の偽らざる本音なんだが、別に料理そのものに失敗したとは思っていない。

 素人ながらにも、前世では豚汁の作り方を一通りネットで覚えたし、転生のゴタゴタでその記憶があやふやになったなんて自覚も全くない。

 当然、昨日の調理も、基本に忠実に奇を衒うことなくやったつもりだ。

 肉は塩を振り、野菜は水洗いして銀杏切りにして、里芋の面取りも丁寧に行い、出汁の量も過不足なく、味噌もちゃんとお湯で解いてから入れた。

 まあ、多少の間違いはあるかもしれないが、ここまで激マズ豚汁になるような失敗はしていない。


 それでも、失敗は失敗。

 結果を甘んじて受け入れるなら、とても人前に出せる代物じゃなく、ましてや売り物にしていいはずがないのは俺が一番よく知っている。


 だが、ミレーヌさんの意見は違った。


「そうですか?確かに決して美味しいものとは言えませんけど、食べられるんですから特に問題はないと思いますよ」


「え……?こんなにしょっぱくて苦くて固くてザラザラで臭みが強いのに?」


 我ながらなんて感想だという悲しさはともかく、ミレーヌさんは当然のように首を振った。


「いいんですよ、食べられるんですから。さすがに食中毒は困りますけど、平民の食事なんてお腹がいっぱいになればそれでいいんですから」


「そんな……!!」


 そんなわけないじゃないか!!アンタは豚汁の美味さを知らないから!!


 ――と怒鳴りかけて、止めた。

 今の俺には、俺が作った豚汁には、ミレーヌさんが平然と言ってのけた暴言を否定するだけの力なんてない。

 それどころか、失敗作の豚汁の残りを何とかするために力を貸してもらっている有様。

 この状況で、どの口がミレーヌさんに説教できるっていうのか。


 そんな俺が哀れに見えたんだろう、気遣うような優しい声色のミレーヌさんが語りかけてきた。


「とりあえず、市場で売ってみましょう。案外美味しいと思う人が出て来て、評判を呼ぶかもしれませんよ。これを飲んだらさっそく行ってみましょう」


 そう言いながら、テーブルの上のお茶の入ったマグカップを差し出してきたミレーヌさん。

 その時初めて、ミレーヌさんが豚汁の出来の悪さを予想して、口直しのためにわざわざお茶を用意していたんだと気づいた。






 朝市、と呼ぶには、板屋根が付けられた屋台越しに見える日差しは、真上近くから降り注いでいる。

 どうやら、思った以上に寝過ごした上での、ミレーヌさんとの話し合いだったらしい。


「それにしてもシュンイチさん、本当にこれで良かったんですか?変えるなら今ですよ」


 豚汁販売から市場に備え付けの屋台の準備、その他諸々の手配をてきぱきとしてくれたミレーヌさん。

 役人の身分を隠すためだろう、街娘の衣装に着替えてガラリと雰囲気を変えたミレーヌさんは、その瑞々しいリップが塗られた唇からただ一つの不安要素――つまり豚汁一杯の値段設定について何度目になるか分からない説得の言葉が出る。


 それも当然だ。悩んだ末に俺が決めた豚汁の値段は、銅貨五枚。


「銅貨五枚といえば、シュンイチさんの世界の価値で五百円ということですよ?本当にいいんですか?」


 これも、何度も聞いたセリフだ。


 豚汁一杯が五百円。

 用意した器は大きめのものだし具もたっぷり入れるから、元の世界でも適正価格と言えなくもない。

 だけど、それは仕入れ価格が相場通りの場合だ。


「支度金の金貨十枚のほとんどを使ったんですよ?この大鍋一つで百杯くらいと仮定して銅貨五百枚。赤字どころか下での半分くらいしか回収できませんよ。しかも、あれだけ頑張った調理の手間を考慮しないでこの損失です。シュンイチさんはそれでいいんですか?」


 女優並みの美人でも、役人は役人。

 ミレーヌさんの説得は俺を心配しているっていうよりも、あくまでお世話係の仕事の一環として言うべきことを言っているだけに聞こえる。

 それだけに、愚か者の所業だと言われている気にさえなった。


 だけど、好きなもののためなら愚かだろうが何だろうが突き進む。

 じゃなきゃ、異世界に転生してまで豚汁を作ろうと思わない……!!


「売ります、銅貨五枚で!!」






 商売は甘くない。


 もちろんそういう格言めいた言葉があるのは知っているし、一応前世では新成人まで行ったクチだ。世間の厳しさってものを知らないわけじゃない。

 だが、真の絶望を与えてくれるのは、何も強烈な批判や低評価だけじゃない。

 そのことを俺は今日まで、本当にはわかってなかった。


「うん、見かけない店だな。もうやってるのか?」


 意外にも、最初の客は店開きしてからすぐに来た。

 商人っぽいその男の身なりはそれなりに良さそうで、慣れた足取りで近づいてきて、何のためらいもなく声をかけてきた様子から、市場で商売をしているように見える。


「なになに、豚汁?銅貨、五枚?パンもついてないんだろ?ちょっと高すぎやしないか?」


「いえいえ、その分、具がたくさん入ってますから。結構いい食材も使っているんですよ」


 日本人とは違ってずけずけと言ってくる男に圧倒された俺に代わって、ミレーヌさんが助け舟を出してくれる。

 そのおかげか、


「ふうん、まあいいや。珍しいものは一度試してみるのが俺の信条だ。一杯くれ」


「ありがとうございます!」


 注文してくれた男に愛想よく笑顔を振りまいたミレーヌさんが、俺の腕を肘でつついて豚汁の用意を急かした。

 慌ててオタマを右手に、木の器を左手に持って、震えそうになる手を何とか抑えながら素早くかつ慎重を心掛けて大鍋の豚汁をよそう。

 そして、予め決めていた器の八割まで入った豚汁に木製のスプーンを添えて、屋台に備え付けの、男が待つカウンターの向こうのテーブルに置いた。


「ど、どうぞ」


「おう、頂くぞ」


 そう言った男は胸の辺りで両の指を組みながら、俺にも聞こえないくらいの小声で短く言葉を発した後、器とスプーンを持ってを持って掻きこむように豚汁を啜った。


 ――緊張する……!!


 あれだけ不味い豚汁を作ったんだ、覚悟はしている。

 途中で食べるのをやめて残されることも。銅貨五枚の値段に見合わないと罵声を浴びせられるのも。最悪、一発殴られた上に返金プラス慰謝料を巻き上げられることも。

 甘んじて受けるつもりだった。


 だが、男の反応はそのどれでもなかった。


「……まあ、普通だな」

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