奇跡の豚汁
翌朝。
異世界でも豚汁を作ったったぞーーー!!という達成感のまま、倒れ込むように就寝(辛うじて椅子にもたれかかった)、目覚めた時には豚汁の鍋ごと厨房の端に避けられていて、側では本職の料理人達による朝の戦場が繰り広げられていた。
「あ、シュンイチさん、起きましたか。おはようございます」
寝ぼけ眼のまま、声がした方へと目の焦点を合わせてみると、昨日遅くまで付き合ってくれていたミレーヌさんが、マグカップ二つを手にこっちに歩いてきていた。
「おはようございます。俺、いつの間に移動したんですか?昨日は別の場所で寝ていたような……」
「あちらの方達に運んでもらったんです。本当は、後片付けも含めてちゃんと手配しないといけないことだったんですけど、私もあのまま寝ちゃって……」
あはは、と苦笑するミレーヌさん。
その目の下にうっすらとクマが浮かんでいるような気がするから、そんな余裕が無かったんだろう。
「とりあえず、ここだと料理人の方達に迷惑ですから、移動しましょうか。食材の残りや道具も別室に運んでありますから」
そう言って、マグカップを持ったままのミレーヌさんは、俺に立つように促した。
確かに、ここで話の続きをするのは、王宮中の朝食を用意しているらしい料理人達の邪魔でしかない。
そう思って立ち上がり、豚汁が入った大鍋の取っ手を掴もうとした時、違和感に気づいた。
大鍋のフタが、油紙のようなもので密封されていたのだ。
ミレーヌさんに案内されたのは、広めの物置といった感じの部屋。
大小の荷物が整頓されて積まれている中で、俺が購入した調理器具や食材の残りが置かれているテーブルがあった。
そのテーブルに備え付けられている椅子に座るように俺に促したミレーヌさんが、ちょっと離れた位置にもう一つの椅子を置いて腰を落ち着けた。
ちなみに、さっきから持っていた二つのマグカップは、ミレーヌさんの側に置かれている。
てっきり俺と飲むために持ってきてくれたんだと思っていたんだが……?
「これは、あとで飲みましょう。たぶん、その方がいいです」
俺の視線に気づいたんだろう、なぜかお茶を濁すような言い方をしてきたミレーヌさん。
その彼女の方の視線はというと、俺の努力と夢と希望の結晶である豚汁の大鍋に注がれていた。
「ところでシュンイチさん、その豚汁ですけど……」
「はい!会心の出来ですよ!ミレーヌさんも良ければ一杯どうですか!」
「え、ええ。もちろん、シュンイチさんのほうで問題がなければいただきます。そう、例え漂ってくる臭いがアレだったとしてもシュンイチさんの世話係としての義務が……」
豚汁を完成させた俺のテンションが高すぎたせいだろうか、特に後半部分が良く聞こえなかったミレーヌさんだけど、とりあえず豚汁が欲しいのは間違いなさそうだ。
「それはそうとシュンイチさん、まさかその量を一人で食べるつもりじゃないとは思いますけど、残りはどうするんですか?」
「残り?……あ」
こんなことを言うとただの間抜けなんじゃないかとミレーヌさんに呆れられそうだけど、その言葉を聞くまで、俺の頭の中には大鍋一杯に作った豚汁の始末のことなんか微塵も考えられていなかった。
なんだか他人事のような言い方になってしまってあれなんだが、この世界に転生してからこっち、豚汁を作ること以外に意識が全く向かなかった。
例え王宮が戦火に見舞われても、気にせずに豚汁の材料探しをやっていたと思えるくらいに。
そんな益体もないことを考えていたのが呆然としているように見えたんだろう、ミレーヌさんが思わぬ提案をしてきた。
「もしシュンイチさんが良ければ、昨日行った市場でその豚汁を売ってみませんか?」
「市場で?素人の俺が売ってもいいんですか?」
「はい。本当は事前の申し込みや商品の安全性の確認など、色々と手続きが必要なんですけど、今回は材料の買い出しから調理に至るまで私が直接付き添って、何の問題もないことを確認していますから(少なくとも衛生上は)」
「え、最後、何か言いました?」
「いいえ何も。気にしないでください。今は」
ちょっと様子がおかしかったミレーヌさんの説明によると、王国は、異世界人が持っている才能や技術だけでなく、文化や料理などの知識も積極的に取り入れる方針を持っているらしい。
それを俺に当て嵌めて言えば、食材の調達や調理場の提供、販売の斡旋をミレーヌさんがやってくれたのも、王国の優遇措置のお陰というわけだ。
「とは言っても、無駄な試みに資金を出すほど王国も余裕があるわけではなくてですね、最初に渡された支度金で成果が出せなければ更なる援助もないということでして……」
「要は、市場で豚汁を売って人気が出れば、王国が金を出してくれるってわけですか」
――ふっふっふ。
そういうことなら話は早い。
「売りましょう!俺の食べる分が減るのはちょっと残念ですが、それで豚汁がこの世界の人達の中でも人気が出るっていうんなら喜んで売りますよ!」
「そうですか、ええ、そうしてもらえると私もありがたいというか、後での説得もやりやすくなるというか……」
「ありがとうございます!なら、さっそく豚汁の味を確かめましょう!さすがに味見もせずに客には出せませんからね!」
「ええ、そうですね、それは避けられない運命ですよね、ハハハ……」
時々声のトーンが下がるミレーヌさんのことが心配だが、まあそれは後で考えよう。
俺はなぜか密封されていた大鍋のフタを油紙ごと取り去り、多少の匂いも気にせずに近くにあった二枚の深皿によそい、うち一つをミレーヌさんに渡して、ワクワクする気持ちを抑えきれずに言った。
「いただきます!!」
食事のマナーガン無視で深皿を左手に取り、箸はなかったので代わりにスプーンを右手に持ち、そのままかき込むように喉に流し込んだ。
「う」
「シュンイチさん?」
勝手に涙が出た。
「う、ううう、ま」
「ま?」
激しい衝動が込み上げてくるのを抑えきれなかった。
「まっずうううううううううううううううううううううううううう!!??」
至福の時間を与えてくれるはずの一杯の豚汁がくれた奇跡のような不味さに、苦しさのあまりに絶叫させられて、絶望した。