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残った豚汁

「う、ううう……」


「あ、あの、シュンイチさん、そんなに落ち込まないで」


「駄目だ、この世の終わりだ……」


 神はいなかった。

 厳密にはタナカさんという味噌の神様はいたけど、俺を救ってはくれなかったってことだ。






 時は昨日、つまりニンジンもどき二本を金貨十枚――日本円にして十万円で購入した直後まで遡る。


「あ、あの、シュンイチさん、さすがに食材としてアカリュウソウを使うのはどうかと思いますよ?そんな無――贅沢なこと、宮廷料理人でもやらないですから。今なら返品も間に合います。私もいっしょに掛け合いますから、すぐに戻りましょう、ね?」


 ニンジンもどきを買った商館を出て、次なる食材を探して歩く。

 その俺の横から、口調は優しく、だけど絶対に引き下がらないぞという気迫を感じさせる、ミレーヌさんの説得の声が聞こえてくる。

 そして、一般常識的に言えば俺の方が間違っていることくらいは分かる。

 たとえそれが違う世界の価値観を基にしていても、基本的な人間の正誤の判断としてどっちに軍配が上がるか、火を見るよりも明らかだ。


 だがそれでも、そんな絶対的真理を敵に回したとしても、譲れないものは確かにある。


「ミレーヌさん」


「は、はい、何でしょうか?」


 いきなり立ち止まったせいだろう、息を弾ませながら俺を見てくるミレーヌさんの顔色が、少し赤みがかっている気がする。


「なんだ、こんな真昼間から告白か?」 「おいおい、女の役人とヒモかよ。こりゃ結果は見えたな」


 昼間の市場だけあって、野次馬がありもしないストーリーで俺達をからかってくる。

 王宮の役人然とした、ミレーヌさんの恰好も手伝っているのかもしれないが、次の俺の言葉が変わるわけでもない。


「ニンジンのない豚汁なんて、ただの豚と大根の味噌仕立て汁なんですよ」


「は、はあ。……え?どう違うんですか?」


「全然違うじゃないですか!!」


「えええ……」


 豚汁がたくさんの人に愛される大きな理由の一つは、温かいが故の美味さだ。

 これは別に、豚肉と野菜と出汁のハーモニーから来る唯一無二の味わいのことだけを言っているわけじゃない。

 豚汁をお椀によそった時の、今すぐにでも胃袋に流し込みたくなる色合いのことを俺は主張したいのだ。

 その一番の決め手となるのが、薄茶色の味噌の中に紅一点とばかりに浮かぶ銀杏切りのニンジンによる、鮮やかな赤。

 ニンジンがなかったら、ただの油の浮いた味噌汁にしか見えないじゃないかっ!!


「あ、あの、シュンイチさん?なんだか顔がものすごく怖いですけど……」


 ……だが、出会ったばかりのミレーヌさんに、今すぐこの熱意を理解してもらおうと思うほど、俺も馬鹿じゃない。

 やはり食べてもらってこその豚汁の魅力!

 豚汁愛好家の端くれの俺の拙い料理で、僅かでもミレーヌさんに論より証拠というところを見せるのだ!!


「というわけでミレーヌさん、買い物を続けましょう」


「何が、というわけでなのかはわかりませんが……、シュンイチさんがこの先の人生で後悔しないというのなら、無理には止めませんよ」


 なぜか、ギャンブルに有り金突っ込んでスッた人生の落伍者を見るような眼をしてきたミレーヌさんだったけど、それでも文句ひとつ言わずにこの後の買い物に付き合ってくれた。


 このお礼は、豚汁おかわり放題で!!






 そう意気込んでいられたのは、食材を両手に抱えて王宮に帰ってきて、王宮の食堂で大勢の役人に混ざっての夕食後(多くの異世界人を受け入れてるだけあって違和感なく食べられた)の調理場を貸してもらい、いざ豚汁の仕込みを始めようと包丁を手に取るところまでだった。


「な、なんだこれ……?」


 まず愕然としたのは、一番初めに買ったニンジンもどき。

 俺が知っているニンジンと比べて全然水気がなく、日干ししたゴボウを切っているみたいだ。


「それはまあ……元々、他の薬草と煎じて服用するためのものですから」


 次に切ったのは、大根もどき。

 こっちは、包丁を入れた途端に水気が出て来て、いかにも野菜って感じだとホッとしたのもつかの間。


「な、なんだこれ、全然刃が通らない……!?このっ!」


「ああ、シロゾーネですか。それ、値段も手ごろで栄養も摂れるんですけど、とにかく固いせいで子供やお年寄りからは大不評なんですよね」


 豚汁に入る野菜といえば、里芋も忘れてはいけないんだが、


「ジローイモは、ぬめりがとにかくすごいんですよね。包丁で切ろうにもつるつる滑るから、料理人の間で不評だと聞いたことがあります」


 コンニャクもどきも市場で見つけたので買おうとしたんだが、値段が高すぎて予定の半分も買えなかった。


「その昔、とある異世界の方が製造方法を考案して、シュンイチさんの世界のものとそん色ないクオリティで市場に出回るようになったそうなんですけど、あまり人気がなかったのか今では生産量が少なくて、値段が高騰しているそうですよ。もっぱら、一部の異世界人やその血筋の人達のための嗜好品になっていますね」


 豚汁の主役といえば、なんと言っても豚のバラ肉。

 ここだけは譲れないと、肉と脂身のバランスに注意して大量に買って来たんだけど、


「臭っ!?獣臭っ!!」


厳密には、俺の世界についてある程度知識があるミレーヌさんから「これが豚に一番近いとされている肉です」と言われるがままに買った、いわば豚バラもどき。

その、買った時には何何重にも包装されていたから気づかなかった、あまりの獣臭に悶絶しかけていると、豚バラもどきに顔を近づけて匂いを嗅いだミレーヌさんが、事も無げに言った。


「え、そんなにひどいですか?このくらいなら普通――というより、文句なしに上質なお肉だと思いますよ」


「で、でも、これじゃ煮込んでも臭みが」


「それはそうですよ。肉料理といえば、胡椒などで十分に臭みを消してから食べるのが当たり前です。煮込み料理もありますけど、最低でも三日くらいは時間をかけているそうですよ」


「冗談じゃない!豚汁でそんなに煮込んだら、豚バラも他の野菜もグズグズに溶けてしまう!」


「え?豚汁って、そういう料理じゃないんですか?てっきり、三日間は煮込みに使うと思っていたんですけど……」


 ……ここでミレーヌさんを責めても何も解決しないし、それじゃただの八つ当たりだ。


 そう気持ちを切り替えて、黙々と具材を切って下ごしらえをしていく。

 切っていくんだけど……、全然捗らない。

 もちろん、理由は分かっている。

 食材が元の世界とは勝手が違うせいもあるんだが、一番は俺の包丁の扱いが下手なせいだ。

 ニンジンもどきの銀杏切りに苦戦し、大根もどきを切るのに肉包丁を持ち出し、里芋もどきのぬめりに体力と精神をガリガリ削られていく。


「あ、あの、良ければ私もお手伝いしますけど……」


「大丈夫、大丈夫ですから。今日は帰ってもらってもいいですよ。ちゃんと後片付けまでやっておきますから」


「いえ、どこまでもシュンイチさんに付き合うのが私の仕事ですので、気遣いしなくてもいいんですよ。じゃあ、お茶でも飲んで待っていますね」


 そんな風に、ミレーヌさんに逆に気遣いをさせてしまった。

 ちなみに、ミレーヌさんが今淹れているお茶は四杯目。お世辞にも喉が渇いて飲んでいるとは思えないから、やっぱり俺への配慮なんだろう。


 ……こなくそっ!!


 元から途中でくじけるなんて気はさらさらなかったが、こうなったら意地でも豚汁を完成させないと気が済まない。

 その気迫が良かったのか悪かったのかは別として、王宮の時計塔の短針が頂点を差す前には仕込みも終わり、なんとか夜明けを迎えることなく豚汁が完成した。


 その頃には俺もミレーヌさんも睡魔と戦うのに精いっぱいで、味見をする余裕なんてなかった。


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