暗闇を抜けた先で絶望
真っ暗な闇の中。
周りの景色どころか自分の身体も見えない。
意識も薄ぼんやりとしていて、上手く考えをまとめられない。
そんな中でも、何となくわかることがある。
ああ、俺、死んだんだな。
立っているのか寝ているのか、そもそも地面があるのかどうか。
身体の感覚もない中で、考えるのは一つ。
せめて死ぬ前にもう一度、豚汁が食べたかった……
豚汁を好きになったきっかけは、クリスマスだ。
うちの家は、とある宗教上の理由から、とある聖人の降誕祭に真っ向から歯向かっていた。
有体に言えば、両親の方針で、パーティーもチキンもケーキもプレゼントも、全てノーの家だったわけだ。
その代わりに12月24日に決まって出てきたごちそうが、豚汁だった。
ん?クリスマスは12月25日だろうって?まあ、イブだろうが当日だろうが、少なくともうちにとっては些細な誤差だったんだろう。
単に、父さんと母さんが誤解していただけかもしれんが。
今思えばSSレアクラスに珍しい家族だったのは間違いない。
ある時に小学校のクラスメイトの話題に出てくる12月24日の内容の落差に、うっかりわが家のことを話してからかわれたあげくに取っ組み合いのケンカになったり。
その勢いのまま、怒りに任せて父さんに噛みついて夜も取っ組み合いのケンカをしてみたり。
今思えば、プレゼントを用意しないとかケーキの美味しさを一人息子に教えないとか、若干虐待の疑惑があったりもするんだけど、基本的にはちゃんと子供のことを見てくれている良い両親だったと思うから、いまさら恨みつらみを言おうとか家庭裁判所に訴えようとかそんな気は毛頭ない。
そんなわけで、散々な思い出が多すぎる記念日なんだけど、それでも不思議と12月24日を嫌いになることはなかった。
まあ、理由は分かっている。結局のところ、豚汁が美味しかったんだ。
子供のころはあんなに苦手だった、にんじんや大根とかの野菜が大量に入っているのに、豚肉のバラと、味噌のしょっぱさと甘みと、出汁の味わい深さが合わさると、あんなにもパクパクいけるものなんて、未だに信じられないと思うこともある。
唯一の香辛料の山椒の良さはさすがに子供時代には分からなかったけど、中三のある寒い冬の日に知ってからは、一段と深い沼に嵌まった気がした記憶がある。
最後に食べたのはいつだっただろう?
大学時代は実家暮らしで、母さんの機嫌が良さそうな時を見計らってちょくちょく作ってもらっていたけど、四年になってからは就活が忙しすぎてなかなお願いするチャンスがなかった。
だから、かれこれ五百日以上は、あの至高の一杯を食していないことに……
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!考えただけで全身が震えてくる!!(体の感覚がないけど)
待てよ、事故に遭う寸前、エコバッグを離さなかったのも、無意識のうちに俺の体が豚汁を求めて怨念じみた力を発揮していたせいかも。
だとすると、俺の死因は「豚汁の摂取不足」ということか。……業が深いな。
そこまで考えて、最後の最後まで右手で握りしめていたはずの豚汁の材料のことが気になった。
全身の感覚がないんだから、右手に握りしめているだろうエコバッグの取っ手の感触も当然無い。
だけど、怨念がこもるほど豚汁に執着している俺なら、まだこの右手に握ったままなんじゃないだろうか?
そして、あの世の道連れにしようとしている最中なんじゃないだろうか?
いや、自分でもおかしなことを言っているのは分かっている。
でも、死ぬ前には誰にも証明できなかった幽霊の存在が今こうして実在しているんだから、食材の幽霊がいるかもしれないって夢を見たっていいじゃないか。
うん、そう考えると、なんだかあの世にも豚汁の材料を持っていけるような気がしてきた。
そんなやる気が伝播したんだろうか、不意に俺の体が動き出した。
と言っても、この闇の中じゃどこに向かっているかもわからないし、そもそも俺が歩いているわけじゃない。
感じるのは、なにか全身に糸が張り巡らされて引っ張られているような、そんなイメージ。
だけど、その力は弱々しく、俺が本気で抵抗したら振りほどけそうなほどに頼りない。
どうする?抜け出すか?
それも一つの案だと思いつつも、体が動き出したからこそ、言い知れない恐怖が心の中で首をもたげ始める。
もし、本当にあの世に行ってしまったら?
いや、あの世ならまだいい、下手をすればこのまま一生、もしくは永遠にこの闇の中、なんてことも……
そう考えた時、このまま謎の力に身を任せることに決めた。
もちろん、だからといっていい選択だったという保証があるわけじゃない。
むしろ、俺をどこかに誘い込んでいる誰かに、行った先でひどい目に遭うかもしれな。
いや、それでも生きるんだ。
もう一度、せめてもう一度だけでも豚汁をこの腹に収めるその日までは……!
そう思ったその時、不意に俺の五感を奪っていた闇が薄れ、真っ赤な光の中へとこの体が飛び込んでいった。
「第五十八次転移儀式、全員の魂のサルベージに成功しました」
「おおお!百四年ぶりの快挙ではないか!」
「見事だ、宮廷魔導士団長!十八人もの異世界人がいるのだ、一人くらい、いや三人はレアスキルを有しているのではないか!?」
目が眩むほどの眩しさにようやく慣れてきたのは、なにやら複数の男たちの興奮した声がひとしきり聞こえた後。
そして辺りを見回してみると、さっきまで感じていた赤い光はどこにもなく、白くて大きなドーム状の広間の中心辺りに俺を含めた十人以上の人達の姿があった。
それよりも目を引いたのが、呆然と佇んでいる俺達を遠巻きに囲んでいる、おかしな人達。
何がおかしいって、まるで某同人誌即売会に参加するコスプレイヤーのように、色々と大げさな衣装を全員が着ていることだ。
そんな中、
「おめでとう!君達は運命の神によって導かれた、選ばれし者達だ!どうか第二の人生と新たな力を、この世界のために役立てていただきたい!」
聞いているこっちがこっぱずかしくなるくらいの演説をかましたのは、コスプレオジサン集団の中でも最年長と思える初老のおっさん。
たくわえているグレーの髭も見事なことから、この広間にいる中じゃ一番偉い人なんだろう。
そのおっさんが満面の笑みを浮かべながら、次々と呆然としたままの人達と握手を交わしていく。
広間に中央にいる人達も困惑の顔を浮かべてはいるが、特に拒絶する理由もないせいか、とりあえずおっさんの握手に応じている。
そして、オッサンが俺の前に来て、
「よろしく頼むぞ少年!この世界の発展は、君の活躍にかかっている!」
十人以上と握手をして若干湿っているように見える右手を差し出してきた。
もちろん、ここで変に目立とうとわざと握手を断るほど俺はひねくれていない。
少し汗ばんでいるおっさんの右手に少し嫌悪感を抱きながら、それでも自分の右手をきれいにしようと上着で右手をぬぐおうとしたをところで、
「あああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
エ、エコバッグが、俺の豚汁が、ないっ!!