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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
傾城・松ノ位編
90/180

24:花束のような

「警察官って言うとイメージが違うね。潜入捜査官って言った方がいい。宵は日本が誇るとびきり優秀なエージェントだよ。俺が殺した小春楼の(ゆずりは)と一緒だ」

「どうして。……私を」


 ほとんど無意識に先程と似たような言葉を口にしていた。知りたくないと思っていたくせに、どうして。


「アンタに松ノ位に上がってほしかったんだよ。恩を感じて自分の為に努力してもらえれば、万々歳。宵の吉原での評価はまた上がる。叢雲が事をうまく運んだおかげで、満月屋から三人目の松ノ位を出して、評判の悪い俺に変わって頭領に推薦する糸口まで掴んできた」

「だから私の松ノ位昇進の邪魔をしていたの?目立たず騒がず過ごせって言うのはそういう事?」

「そうだよ」


 自分の意志で動いたはずだ。快く受け入れてくれた宵に感謝して、彼の為に頑張ろうと思っていた。その全てが彼の思い通りに動いていたのだとしたら、一体これからどんな顔で生きて行けばいいというのだろう。


「宵にとって計算違いだった事がいくつかある。まず、吉原に来たアンタが自分以外の心の拠り所を見つけた事だ。旭と日奈の存在が大きかった。それから、その二人が死んで精神的に大きく揺らいだアンタを、一人で支えられると高を括っていた事。結果的に自分だけに依存させるまでには至らなかった。そしてもう一つ。精神的に大きく成長を遂げた事だ」


 頭が痛い。何も考えたくない。それなのに、頭は勝手に考えを進めている。


「アンタが自分だけを心の拠り所にしているなら、陶酔させて操って、見てくれだけ取り繕って松ノ位に昇進させるくらいは出来たかもね。宵なら」


 終夜はまるで、宵はそういう男だと言わんばかりの口調で話をする。一体終夜が、宵の何を知っているというのか。

 終夜の一言一言で、明依の中の宵という人間は形を変えていく。それに対して自分がどんな感情を抱いているのか。肝心な部分は、何一つわからなかった。


「できるはずない。私はこの目でちゃんと、松ノ位を四人とも見てる。見てくれだけの人間じゃない」

「応用はきかなくてもテンプレートだけ宵が植え付けてそれに従順に従っていれば、主郭の人間くらいは騙せたかもねって話だよ。あの四人は特別だ。どんな場所だってうまく切り抜けて生きていける。世の中には特別って言う凡人には関係ない別枠がある。つまりアンタには関係ない話だ。あまり自分を過剰評価しすぎない方がいい。身の丈に合わない願望は、呪いになる」

「私の人生に、アンタの評価は必要ない」


 終夜を睨みながら、突発的に口を開いた。どうしてだろう。宵の事を考えていた部分に割り込んで、それは違うと価値観が言う。一体、どうして、


「どうしてそういう言葉を、宵には言えないんだろう?」


 待ってましたと言わんばかりに笑顔を作る終夜に、明依は思わず押し黙った。


「どうして宵の評価は欲しいんだろう。どうして宵に認めてほしいの?心が明らかに反発しているのに、宵を拒絶できない理由は何?」


 長椅子に座っている終夜は、明依を見上げながら綺麗な顔で笑う。


「それが、答えだよね」


 心の内側をぐちゃぐちゃとかき乱された様な気になった。不快感をかき消すように、終夜を睨んだ。


「俺は、アンタと宵の関係を全て口にして説明できるよ。例えば、アンタが宵に一線を引いているのは、宵がそうさせたからだ。後々距離を詰めた時に違いがあったほうが印象に残りやすいから。ギャップって好きだろ、男も女も。恋なんて所詮、脳みその誤作動みたいなものだ」

「……私はちゃんと、ちゃんと私の意志で関わり方を選んで来た。それなら感情は私のものでしょ」

「自分の中にある宵って人間に対する感情が、自分の内側から生まれたものだと思っているなら大間違い。いい感情も悪い感情も全て含めて、宵から植え付けられたものだと思っておいた方がいい。アンタの心の中にある〝宵〟って人間に対する感情は、あの男が繊細に作り込んでいる」

「そんな事ない」

「別に特別な事じゃないよ。だってアンタは最初、俺の思い通りに俺を怖がっていたんだから」

「できるはずない。そんな事」

「パソコンやスマホをクリックしたら画面が表示されるプロセスを、知ろうと思ったことがある?」


 予想できるはずのなかった言葉に、明依は張っていた顔の力が無意識に緩むのを感じた。


「脳とコンピュータの情報処理は、よく似てる」


 やはりこの男は、他人の理解進捗度を考慮するという事が出来ないらしい。


「日々自分が判断しているはずの言動は、その裏側で脳みそが無意識領域で高速処理をしている結果だ。思考のクセや習慣がある認識。それを変える知識がないなら、手動はきかないって事。だからコツさえつかめば、案外簡単に書き換える事ができるんだよ。自分も、他人も。プログラムみたいにね。……わかるかなァ」


 そう言うと終夜は立ち上がった。一瞬身構えた明依だったが、終夜は絡めていた指を解くと、両手で明依の頬を包み、顔を覗き込むように上から見つめる。


「俺の言いたい事」


 挑発的な顔で笑った終夜は、指先で明依の頬をなぞった。

 この男に対する〝怖い〟という感情のメーターはとっくに振り切っているのだと思う。

 この男の考えている事はいつだってわからない。わからないから知りたくなる。抜け出すことも出来なければ、目を逸らす事も出来ない。

 考える事をやめた頭がはじき出した答えは、不気味という言葉だった。

 その言葉は思考の向こう側で、ほんの少しだけ明依を悲しい気分にさせた。


「ね。不気味でしょ」


 息を呑んだ。終夜を見つめていても答えなんて出るはずもないのに、ただ彼の目を揺れる視線で捉えようとしている。


「普通、こんな事をされたら恐怖心が勝って振り払って逃げるのに、どうして逃げようと思わないのか。それは、力や体力じゃ到底、敵わない人間。当たり前の顔をして予測不能の動きをする人間。だけど、直接的に害はないと思われる人間。これまで蓄積した俺の情報を脳の無意識領域でそう辿って、〝終夜〟はそういうヤツだ、って結論を出してるからだ。だから本来は他人に近付かれると不快に感じるくらい距離を詰めても、俺の手を振り払おうなんて考えにも至らない。本当はすぐにでも、振り払った方がいいのにね」


 終夜はそう言うと優し気な、それでいて寂しそうな顔で明依の頬をなぞる自分の指先を眺めている。

 どうしてこんな顔をするんだろう。考えがまとまらない。明依は終夜から顔ごと目をそらそうとしたが、終夜はそれを拒むように顔を包むように触れている手に力を入れた。今度はしっかりと、明依の目を見ていた。この男が何をしたいのか、わからない。


「距離、口調、声のトーン、言葉の言い回し、表情管理。相手に与える情報を自由に選べるって事はね、自由に他人を操れるって事だ。で、何が言いたいかわかる?」


 わからないし、わかるはずがないと思っている。それなのに、問いかけられると考える事をやめられない。


「ほら。今、答えが出ない事が分かって考えてる。意外と簡単でしょ。人間を操るって言うのは。俺とアンタが出会った数か月でこれなんだ。五年もじわじわ毒を注がれれば、気付くことも難しい」


 満足げな表情を浮かべた後、終夜は明依の頬から手をはなした。


「つまりアンタは今、一種の洗脳状態って事。目を覚ましなよ」

「……宵兄さんが、私を洗脳してるって。そう言いたいの?」

「そうだよ。だから俺は、ちゃんと警告したよ。アンタは間違いなく依存するタイプだって。思い出して」


 『そうやって甘やかされて守られて、一体アンタには何が残るんだろうね』

 『そしていつか、一人じゃ立ち上がれなくなる。そういうのを、依存っていうんだよ』

 『依存するタイプの毒は、派手で甘いって相場が決まってる。惑わされて、気付いた時には堕ちるところまで堕ちてる。賭けてもいい。アンタは間違いなく依存するタイプだ。そして自分の事が嫌いになって、許せなくなる。そして最後は』

 終夜に担がれて満月屋の屋根に登って話をした時。確かに彼はそう言っていた。

 あの時からずっと、終夜は気付いて警告していたのか。唖然としている明依をよそに、終夜は呆れた様に笑った。


「思い出してくれたみたいで嬉しいよ。……気づかないんだよねェ。こういうのって。おかしいと思ったはずだよ。どうして自分が、宵にそこまで執着するのか。十六夜に対する嫉妬心は一体、何だったのか。少しまともになったなら」


 吉原の空気はこんなに薄かっただろうか。混乱した頭にぽつりと浮かんだのは、そんな考えだった。


「成長している実感は確かにあるのに、宵の前ではまともでいられないって感じでしょ。松ノ位と身を固める事になれば、吉原での宵の信用もよりいっそ固くなる。後は叢雲を利用して頭領になり、知らないフリをし続ければいい。国は宵を経由して吉原を動かす。叢雲を利用していたのは自分の方だって言うのに、利用されていることに気付いてたなんて普通の顔して嘘を吐ける人間だよ。人生を賭けて国の安泰の為に好きでもない女と身を固めようなんて、凄いよね」


 本当に全て、嘘だったんだろうか。どこかに本当は、なかったのだろうか。それを終夜に聞いても返ってくる答えは分かり切っているはずなのに、かすかに生まれる本当と思われる部分に縋りたくなっていた。


「宵兄さんは松ノ位に上がれないって言う私を、受け入れてくれた」

「そりゃ受け入れるよ。その問題は俺が死ねば万事解決なんだもん。そこであっさりアンタを切り捨てるのは悪手だって事は俺にでもわかる。捨て駒じゃないだけよかったね。人間はやれって強制されたことは自分のやりたい事でも効率が落ちる様にできてる。一度切り捨てた後で状況が変わって、本当はお前を信じてた、松ノ位に上がってくれ。なんて言えるわけないだろ。〝自分から〟行動させるためには、受け入れる事は絶対条件だ。縛りつけられるだけじゃ人間が能動的に動かない事を宵はよく知っている。だから温かく見守っている様子を見せていただけ。……ここまで言ってもまだ信じない?」


 終夜はため息交じりにそういう。

 きっと今、どれだけ宵について語られたって、答えは出ないのだと思う。


「吉原で15歳って言ったら、ほとんど価値がない。宵はそのことも、野分の性格もよくわかっていたんだ。何の理由もなく、松ノ位の世話役なんて地位が与えられる訳もない。それには二つの理由がある。一つ目は、松ノ位昇進の可能性を上げたかった。吉野大夫に憧れる日奈の影響で、実際アンタも努力はしていたんだろうし。二つ目の理由は、俺でも最低だと思うね」


 そういって終夜は言葉を区切る。聞きたくないのに、気になって仕方ない。終夜はどこか楽しそうに笑っていた。


「周りの人間からアンタに批判を集めたかったからだ。幼い頃から地獄を味わっているのに、何の能もないぽっと出の15の女に好待遇を横取りされるなんて、これほど気分の悪い事はないよ。宵に思いつかなかったはずがない。満月楼の人間とアンタの仲をうまく取り持つ方法なんて、あの男になら山ほど浮かんだだろうね。でも、それをしなかった。自分だけに依存させる必要があったから。冷静に考えたらおかしいって思わない?生涯のパートナーになるかもしれない女が、自分を殺そうとしている男を庇っていても許せるなんて。今、同じ建物のどこでどんな人間に抱かれているのか知っていて、平気な顔が出来るなんて。俺なら、全員まとめて殺してやろうって考えると思うな」


 終夜はとぼけた様な顔をした後、明依を見て笑顔を作った。


「それが自立しようとするアンタと、従順な駒にしたかった宵の折衷案だったって事。これ以上心の反発が起きない最低ラインだった。宵が潜入捜査官だって知っていたから、俺はアンタに花魁道中をさせた。あの日は宵と楪を含めた警察官は、吉原のメンテナンス休園に向けて情報を共有しようとしていた。……楪。あの男はさぞ都合が良かったと思うよ。表側にいながら、管理がずさんな小春楼で()()()()裏側があることを知った。恩がある楼主にお咎めが行くことを恐れた時雨が、万が一主郭にバレていた時の言い訳の為に、楪を自分の付き人にして側において守ってたんだよ。人目があれば手を出せないし、あの男は顔が広いから、主郭の上層部も取り合う可能性が高いから」


 確かに時雨は、楪が死んだと聞かされた後、楪とは別行動の予定だったからお前のせいじゃないと言っていた。警察官同士なら、宵と楪は知り合いだったという事だ。そんな様子はあっただろうかと思い返してみる。


 雨が降り出して時雨の傘に入れてもらった時、楪はじっと明依を見ていた。吉原奪還作戦の要、宵のターゲットだと認識していたのだろうか。その後、妓楼に入りすぐにその場を去ろうとしたのは、宵以外の人間は極力関わらない様に考慮されていたからだろうか。

 もしそうなら、時雨が明依を口説いた時、『宵さんに殺されますよ』と本気か冗談かわからない口調で言っていたあれは、そういう意味だったのだろう。

 自分の視線が向いていないすぐ側で、知らない何かが(うごめ)いていた。それが堪らなく恐ろしくなった。


「すぐに正義だなんだと口にする。事情も背景も知らないで。与えられたことだけに命を注ぐなんて、思考停止もいい所だよ。人生をかけている宵の方がまだ見込みがある」

「……だから宵兄さんを殺したいの?」

「そうだよ。気に入らないだろ。人のテリトリーに土足で入り込む様な人間は消さないと。この国には、この街が必要だ。その点で言えば結構俺は、国に尽くしていると思うんだけどな」


 終夜は吉原の街を眺めた後、もう一度明依に向き直った。


「これでわかったでしょ。もうあんな男の為に頑張らなくていい。アンタと宵は、対等にはなれないんだから。絶対にね」

「そんな事、アンタにわからないでしょ」

「居場所を渇望していて、救ってもらった恩があるのは事実だからね。二人で同じ方向を向いて歩いて行くなんていうのは宵がアンタに魅せる夢物語。だって宵は、アンタの隣になんて居やしないんだから」


 その言葉が深く胸に刺さった事は実感していた。気付かないふりをする。しかし終夜にはお見通しなのだろう。わざとらしく眉を潜めて明依の顔を覗き込んだ。


「かわいそうに。心から信用している人に裏切られて。心中お察しするよ」


 明依は終夜を睨んだ。終夜は視線が絡むのを待っていたかのように、ニヒルに笑った。


「逃がしてあげようか、この街から」


 外に出る事は出来ないと、大門の外に背中を押して追いやった人間が言う言葉ではない。この男が、そんな事を言うはずがない。

 だから明依は、この街の外に出してやる。という以外の意味を、必死になって探していた。

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