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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
傾城・松ノ位編
73/180

07:これからも生きていく私へ

「黎明」

「はい」

「私は男が好きだ」

「知ってます」


 何をいまさら、と明依は思った。勝山が男好きという事実なんて、水は冷たい。お湯は温かい。くらい揺るがない、イコールで結べる公式と言ってもいい。


「だからこの街に来た」

「……それは知りませんでした」


 今の今まですっかり忘れていたが、この人はこの造花街の歴史が始まって以来、初めて梅ノ位から竹ノ位へ昇格を果たした凄い女性だった。


「私は外でも男を相手にする仕事をしていてね。その時は、偏見ばかりだった。私は好きでやっているのに、客でさえ私を可哀想だと言う。悩んだモンさ。……それで考えたのさ。自分がどうしてこの仕事が好きなのかわからないから、偏見の目を気にするんだってね」

「それで、分かったんですか?なんで、この仕事が好きなのか」

「ああ、分かった。男が好きだからだ」

「……あの、勝山大夫。……お言葉ですが。最初の話に戻ってきました。ループしてます」


 勝山が万が一気付いていないという事を考慮して明依は一応そう告げたが、彼女は満足げな顔をしているだけだった。

 この人は凄い人だ。先ほど聞いた話からもそれは明確だ。凄い人に決まっているはずなのに、慎重に言葉を選んで言うなら、ノリと勢いだけでここまで来たのかもしれない。という考えが一瞬頭をよぎる。

 無意識に浮かんだ考えを先ほどの凛とした勝山の態度を思い出して、悪い方に傾かない様に全体重をかけて阻止し、後一歩のところで思いとどまっていた。


「男ってのは、難儀な生き物さ。身近な人間に程、なんでもかんでも口に出すことが格好悪いと思ってる。それを察して陰から女が支える時代なんてのは、とっくに終わった。だけど一人で生きていけるほど要領のいい人間ばかりじゃない。だから、こんな街がある。性の捌け口だけなら、孤独に耐える事が出来る人間ばかりなら、承認欲求がないなら、異性との一晩に金を払ったりしない。私はそのどうにも不器用な不完全さが好きだ」


 そういう勝山にはやはり風格があって、先ほど失礼なことを考えた事が申し訳ないと思うくらい、やはり松ノ位と呼ぶにふさわしいものだった。


「……私の両親はまァ、なかなかのクズでね。口癖の様に金がない、金がないというくせに、一日きっちりひと箱煙草を吸ってパチンコに出かけて、給食費もまともに支払わない様な人間だった。お小遣いどころかお年玉だってもらったことがない。だからいつも、この年齢で金を稼げればたくさん働くのに。と本気で思ってた」


 酷い親の元で育った。という遊女に対する印象はあったものの、明依はその余りに具体的なエピソードに、そんな親がこの世にいる事に唖然とした。自分の両親を思い出して、自分は心底恵まれた人間だったのだと思っていた。


「当時中学生だった私に、学費を払えないから高校にはいけないって、当たり前の顔でスパスパ煙草を吸いながら言い放った。私ももう、その頃にはすっかり両親に期待しなくなっていてね、大して驚きもしない話だった。だったら、これからどうしようかと思い悩んでいた時に声をかけてくれた人が、男を相手に商売する店のオーナーだった。衣食住を提供する代わりに、客が取れる年齢になるまで無給で雑用をするって条件で店に住んだ」


 煙たがられていたが、高校については好きな所に行けばいいと親戚夫婦は言っていた。自分に興味がないのだろうと思っていたし、実際はそうだったのだろうが、それですら恵まれていたのだと勝山の話を聞いて改めて気付かされる。


「今思えば、好きに使っていいと言われた部屋は物置小屋みたいな埃まみれの小汚い部屋さ。でも、生まれて初めて貰った、誰にも邪魔される事のない、私だけの部屋。オーナーは面倒見のいい人間でね。食事の心配もない。ボロボロの服を着なくてもいい。こんなに幸せな思いをしているのは、これから大きな罰が当たる前触れなのもしれないって、本気で心配して眠れなかった事もある。子どもの頃に比べたら、それくらい天国のような場所だった」


 勝山は相槌一つ打てない明依を全く気にしていない様子だった。

 心が締め付けられて仕方ない。そんな思いをしている子どもが、見えていないだけで今もこの世の中にいる事に、何もできないくせにそわそわとする思いだった。


「客を取れる年齢になってからはここと大して変わらない仕事さ。周りには生活の為に自ら望んで働いている人間もいれば、ホストなんかで借金作った人間もいた。入れ替わりの激しい仕事でね。死んだ目をしている人間も多かったけど、私には何がそんなに不満なのかよくわからなかった」

「……自分の人生に不満を持った事はないんですか?」

「そりゃあるさ。ただ私は、幸せのレベルが低い。腹いっぱい食って、温かい風呂に入って、ぐっすり眠る。その当たり前が幸せだって事を、私は本当の意味で理解してる。この価値観は、何にも代えられない。幼少期を一緒に過ごした両親に感謝したっていいくらいさ。……世の中には高級ブランドを身に着けて、人から褒められて、やっと一抹の幸せを感じる人間もいるんだから。私に言わせりゃ、不満を持って当然だ」


 確かに幸せと思うレベルが低ければ低いほど、幸せと感じる機会が多いのは当たり前の事だ。

 それにしても『両親に感謝したっていいくらい』と堂々と言えるところが、勝山という人間を表している様な気がした。


「まァ、今だから偉そうに言うけどね。そのころは悩んだモンさ。楽し気に働く私を、同業者は変人だと思って近づかなかったし、楽しく話をしているだけなのにわざとらしく媚びてるなんて、客に変な言いがかりをつけられたり。自分が世間一般とズレているとは思っていたけど、自分が好きだと思ってる事をしているだけなのに、どうしてこんなに生き辛いのかって考えていた。それで、どうしてこの仕事が好きなのかわからないから偏見の目を気にするんだ、って事までは考えた。ただ、その答えは分からなかった」


 勝山にもわからない事があるというのが、明依には驚きだった。何でもお見通しで、何でも知ってる。そんな人だと何となく思っていたから。


「それからすぐに経営が傾いて、店がつぶれる事になってね。これからどうしよう、別の仕事でもしてみようかといろいろと考えていた。それで何となく、昔の色街を見に行こうと思った」

「それで、この街に?」

「初めて吉原に来たのは、その時だ。でも、全く想像とは違っていた。赤い格子の向こうにいる女を見て、本当に噂通りの〝造花街〟だと思ったよ。遊郭という場所に踏み入った瞬間に昔の人間が感じたのは、きっとこんな感覚じゃなかった。もし、女を無理やり閉じ込めて抑えつけて男の相手をさせていたとしたら、女はきっとこんな風には笑わない。魅了する程華やかな雰囲気と隣り合わせで、鬱々としていて仄暗い。そんな雰囲気は全く感じられなかった」


 梅ノ位と関わってよく思う事だ。雰囲気も、笑い方も。何から何まで違う。

 明依は格子の前に座った時の事を思い出していた。


「それから、どうせ来たなら食事でもして帰ろうと見世の中に入った。本当に驚いたよ。格子前に並ぶ女とは、明らかに雰囲気の違う女が見世の中には何人もいる。今まで私が仕事で見てきた女達と同じ目をしていた。独特な雰囲気を感じた。この街には何か秘密があるに違いないと、その時に思った」

「それで、暴いてやろうと思ったんですか?」

「いいや。まあ、この街に女が集まっているんだから、男も集まるのは当然か。くらいにしか考えていなかったよ。それから運よく、花魁道中を見てね。息を呑んだよ。格子前の女とも、雰囲気の違う女とも、印象が違った。凛としていて、どう言葉にしていいのかわからないほど美しい。この街の向かい風に負けずに強くなった女に違いない。だから美しいんだって、そう断言出来た。……それで、その日はそのまま帰った」

「帰ったんですか?何も手を出さずに?」

「……アンタ、本当に私を何だと思ってるんだい」


 勝山はそう言って、目を細めて明依を見た。

 しかし、勝山ならそのまま裏側を暴いて主郭の人間を脅して雇わせるくらいの事はしそうだ。

 勝山はため息を一つ吐き捨てる。


「で、結局どうするか決め切れないまま、私は最後の客を取った。その男は自分に自信がなくてね。自分の相手をさせるのが可哀想だからって店に来るのも気が引けて、ずっと彼女もいなかったらしい。私が抱きしめるとあからさまに戸惑って、それから私の腕の中で本当に嬉しそうにこう言うんだよ。『生まれて初めて、自分を受け入れてもらえているような気がする』って。私もそうだった。初めて、この仕事が好きだと思っている自分を受け入れてもらえた気がした。壊れ物を扱うみたいに優しく抱きしめられた時、救われた様な気がした。だから、この街に来た。どうせ働くなら、上があったほうがいい」


 上、というのは、松ノ位という目標の事だろう。それで本当にやってのけるのだから、やはりこの人は凄い人だ。


「誰もがみんな孤独で、誰もがみんな認めてほしいと思ってる。だからその日から私は、どれだけ悪行を重ねた人間だろうが、私の一晩を買った男の全てを無条件に受け入れると決めている」

「……それがもし、手の付けられない犯罪者でも?」


 明依がそう言って頭の中に浮かんだのは、他でもない。終夜だった。


「その一晩だけは清も濁も併せ呑んで、その人間の味方になって認めてやる。なぜなら私は、自分で自分を認めてあげられない事の辛さを知っている。あの時、あの客に認められていなかったら、私はずっと自分を認めてあげられないままだったかもしれない。そしてここに来て、この街に受け入れられた事で、大夫という称号をもらったことで、やっと本当の意味で、自分で自分を認めてやる事ができたから」


 明依は今、晴朗が揉め事を起こしたあの座敷でのことを思い出していた。

 『松ノ位に上がる事が出来る人間のパターンはある程度決まっている。規則性があるんだよ。この人は何も満たしていない』

 きっとこれが終夜のいう条件のうちの一つだと、明依はそう確信した。

 夕霧も、勝山も同じだ。自分の状況に悩み、苦しみ、それからしっかりと俯瞰でみて整理をして、それを乗り越えている。


 こんな風に、堂々と生きてみたい。どれだけ酒癖が悪かろうが、女らしくない態度だろうが、その全てが魅力的だと思えるくらい、勝山という人間には憧れるばかりだった。

 そしてまた、終夜の言葉を思い出している事に胸がトクンと鳴った。

 それから明依は、ふとあることを思い出した。彼女が竹ノ位に上がった経緯だ。


「最初は、梅ノ位だったんですよね」

「そうだ」

「……それからは?」

「竹ノ位に上がった」

「……どうやって?」

「……見世に来ていた主郭の人間を脅して、竹ノ位として正式に契約した」


 なにが『本当に私を何だと思ってるんだい』だ。想像通りじゃないかと、明依は勝山を見て目を細めたが、彼女は知らん顔を決め込んでいた。


「勝山大夫」

「なんだい」

「……最近、よく終夜の言われた言葉を思い出します」


 明依がそう話し出すと、今度は勝山がじっと黙って耳を傾けていた。


「最初は私の事が単に嫌いなのかと思っていました。でも、はっとするんです。言い方はムカつくけど、確かに終夜の言う通りだって」

「あの男は善人じゃない。どんな理由があっても、平気で人を殺すような人間をこの世界じゃ善人とは呼ばないのさ」


 双子の幽霊も『終夜は善人じゃない』と言っていた。本人もそれらしいことを何度も口にしている。吉原全体の終夜の評価は、恐怖の対象。それが答えのはずだった。


「ただあの男は、本物の悪人でもないと私はそう思ってる。アンタは、どう思う?」

「終夜が本当に、ただ周りに害を与えるだけの存在だとは思わない。でも理由は、分かりません」

「黎明。私はアンタに確かにこう言ったはずだよ。『くよくよ悩んでる暇なんてありゃしない』って」


 確かに、そう言われた。夕霧の所へ連れて行ってもらう前に。しかし、答えが出ないから悩むのだ。こればかりは、勝山の言おうとしている事が分かる気がしなかった。


「〝悩んでいる〟状態って言うのはね。思考してないって事だ。分からないのは当たり前だろ。アンタはずっと、悩んでいるだけ。終夜がアンタに見せた悪い面と良い面を頭ン中でなぞっているだけ。考えていないんだよ。考えてないんだから、分からないのは当然さね」


 そこまで言われて、はっとした。確かに何度も終夜の悪行を頭の中で繰り返した。ただ、それだけだ。


「悩むんじゃなくて、考えな。アンタがどうして周りの人間が当たり前に終夜に向けている〝悪人〟って印象を、潔く持てないのか」


 どうして。一体、どうしてなんだろうか。

 殺されかけた。無実の宵を主郭の地下に連れて行って傷つけた。泳がせて地下に来るように誘導していて、朔を平然とした顔で殺した。宵を何度も挑発して。吉野の身請け話を延期にして。大夫にならない様に弱みを握って、圧をかけて。利用されて、楪達を殺した。

 ざっと思い当たる分だけ、終夜の悪行を頭の中でなぞってみる。いつもの事だ。やはり嫌いだ。と、どこかで思った後、心の内はそれに明らかな反発を示していた。


 雪に見せる顔や、吉原の人間が恐れる双子の幽霊に向ける顔から、日奈と旭の見た終夜はこんな人だったのかもしれないと連想した。座敷で晴朗に殺されかけた時、あれだけ敵視してた宵を頼っても助けてくれた。傷付く事をたくさん言われたと思っていた。しかし、しっかり思い返してみれば、正論なのだ。その証拠に、最近は何度も何度も、終夜の言った言葉を思い出している。


 いい所も悪い所も一通り頭の中でなぞって、比較してみた。

 信じてみたい気がする。どうして信じてみたいんだろうか。

 やっぱり、一番の理由はやはり日奈と旭だ。これは自分の価値基準が二人だからという事じゃない。あの二人の事が好きだから、あの二人の事を誰よりも信じているから、自分も終夜という人間を信じてみたくなる。

 じゃあどうして、信じられないのか。それからもう一度、彼の悪行を頭の中でなぞる。

 ああ、そうか。わかった。

 終夜の行動に一貫性を見出せないから。未だに目的がはっきりせず、どうしてその行動をとったのか理解できないからだ。

 だからまだ、〝悪人〟という言葉では片付けられない。

 だから終夜を、信じられない。信じてみたいと思いながら、信じ切れない。


「……まだ今は、決められません」

「そうだね。アンタはまだ、終夜って人間を自分の中で定められる程深く関わっちゃいない」

「よく考えたら私が終夜と関わっている時間なんて、たかが知れています」

「なんでも止まっているときが一番安定してるモンだろ。人間の感情だって一緒だ。揺れて動くから、苦しくなる。終夜がいろんな顔を見せるから、分からなくなる。それに、私が外界で最後の客を相手にして気付いた時みたいに、経験値が足りないと分からない、想像できないことも世の中にはあるモンさ」


 明依は俯いて思い出していた。

 先ほど直感的に決断した、終夜と二人で話がしたいと思った気持ち。それにちゃんとした理由付けが出来たような気がした。

 終夜がどんな人間なのか、自分の目で確かめたい。


「人間は自分に自信をもって、自分で責任をとる覚悟が出来て初めて、自分の人生を生きられるようになる」


 明依は俯いていた顔を上げて、勝山の目を見ながら彼女の言葉に耳を傾けた。


「周りの意見に振り回されて、自分の価値観が決まるほど屈辱的なことがあるかい。誰が何と言おうと、アンタの人生の責任はアンタにしか取れないってのに」


 勿論、宵への感謝が一番にある。でも、だからこそ、宵に終夜との関係性を疑われる事が、本当に嫌だった。

 終夜が宵を騙して連行した事実は消えないし、日奈に向けた冷たい視線も、旭が死んだ日の態度も、絶対に消えない。ただ、それを上回って彼を信じてみたいと思っているのなら、このまま持っている情報だけで悩んでいたって、何一つ解決しない。

 そう決断するとして、それには大きなリスクが伴う事は分かっていた。しかしもうその判断には、誰の意見もいらない。


 勝山は、薄く笑っていた。


「胸を張りな、黎明。アンタはどんな過去の自分と比べてみたって、少しも劣ってなんかいないよ」


 これからどれだけの苦難が待ち受けているとしても乗り越えてみせる。その先にいる、夕霧や勝山、それから吉野が見ているであろう景色を、この目で見てみたい。

 胸に刻みつける様に、深く息を吸った。

 生まれて初めて、自分の人生を自分で握っている感覚が、確かにしている。

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