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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
傾城・松ノ位編
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06:〝雑草タイプ〟の底力

 終夜は振り返ることなく、丹楓屋の中に入っていく。その様子を視線で追っていると、腰に手を当てて凛と立っている勝山がいた。終夜は勝山の目の前で足を止めて彼女を見る。彼女は、凛とした態度を崩さない。


「俺は、松ノ位に上がる事が出来る人間のパターンはある程度決まっていると思っています」

「じゃあ、アンタが本気にさせた女はどうだった」


 まさか自分の話題になるとは思っていなかった明依は息を呑んだ。それから終夜を見て、彼の返答を待っていた。


「まだたった一つだ。それくらいの心持ちの遊女なら、方向性が散漫になっているだけで別にいない事もない」

「でもアンタは黎明と、少なくとも対等に話をしたろ」


 そういった勝山の言葉に、終夜は押し黙る。

 今日、思った事を終夜を前に口にした。誰の目を気にする事もなく、弱みを握られている事も全て考えないで。自分の事を、大切にしてみたかったから。


「会話ってのは個性と個性のぶつかり合いさ。今までは確かに、しっかり意見を持った終夜とは比べ物にならないくらい、黎明の個性は弱かった。でも今は、少なくともアンタが本能的に対等に話をするくらいには成長してる」


 その勝山の言葉に何を思っているのか、終夜は色のない表情でじっと勝山を見ているだけだった。


「どうした。黎明に押し負けでもしたのかい」


 どこか不機嫌そうに目を細める終夜に向かって、勝山はどこか楽しそうに挑発的な顔で笑っていた。


「他人に圧をかけるなんて下衆な方法を選ぶから、しっぺ返しを食らうのさ」

「弱い人間は強い人間に従うしかない。それは立場でも力でも、同じことですよ」

「私には、その圧力に屈さずにまだ噛みついてくる黎明をそこそこ気に入ってる様に見えるんだけどね」


 勝山の言葉を聞き終えた後、終夜は短く鼻で笑った。


「相手してられないよ。なんでもかんでも美談にしたがる人種は」


 終夜はそう言うと、勝山の隣を通り過ぎてその場を去った。

 明依はただ、そのやり取りを何をする事もなく見ていた。ただ心のどこかで終夜に少し認められた様な嬉しさがあった事も事実だった。

 これはきっと、夕霧の言った〝そういう風に扱っていいもの〟というレッテルの事だ。だとしたらひとまず、自分は夕霧の言っている事を体現したことになる。学んだことを活かしている事に安心したような、成長していることを実感して嬉しいような。不思議な気持ちだ。


 去る終夜の背中から勝山へと視線を移すと、彼女は手招きをした。明依が付いてきている事を確認するより前に踵を返した勝山は、さっさと先を歩いて行く。


「いい面構えになった」


 そういう勝山に、明依は自分の顔に手を当ててみた。

 時雨にも似たような事を言われたが、顔に出るものなのだろうか。雰囲気で分かるのだろうか。

 勝山は座敷の一室を開けて明依を中に通した。


「で、何が足りなかった?」


 座りながら勝山は明依にそう問いかける。明依も彼女の前に腰を下ろした。


「自信が足りませんでした」

「その通り」


 勝山は大きく頷いた。

 確かに勝山とは1週間程一緒に仕事をした。ただ、ずっと一緒にいた訳でもないのだ。それだけで他人の本質を見抜くなんて事が同じ人間に出来るのかと、明依は本当に目の前に座る勝山の底知れなさに感服しきっていた。


「それが分かっただけでも立派なモンだ。立派なモンだが、衝撃は一気に、かつ大きければ大きい方がいい」


 何の話か分からない明依は勝山の話の続きを待っていた。

 夕霧の話には大層な衝撃を受けた。あれ程の衝撃はきっと、人生でそうそうないだろう。だったら一体、勝山は何の話をしようとしているのか。

 勝山は短く、素早く、息を吐き捨てた。


「黎明。質問だ」

「はい」

「自信ってのは、一体なんだい」

「自分の定めた軸を信じる事だと思います」

「じゃあどうやったら、それを信じられるようになる?」

「自分を大切にすること……」

「例えば?」

「例えば……」


 明依は夕霧から学んだこと、先ほどの終夜とのやりとりを丁寧に頭の中で思い出していた。


「努力して自分の好きな体型を維持したり、好きなお香を焚いて眠ったり。後は、思ったことをきちんと相手に伝えたり、行動したりする。……とか」

「それでアンタは、自分を信じられるかい」


 確かにそうだ。自分を好きでいるための努力も、労わる事も大切だろう。ただ、それが直接的に自分を信じる事は繋がらないと思った。しかし何度頭の中で考えてみても、これ以上の回答は見つかりそうにない。


「心の底から自分を信じる為には、それだけじゃいけない」


 室内に心地いいほど凛と響く勝山の声を漏らさない様に、明依は無意識に身を乗り出していた。

 夕霧の時に感じた感覚と同じ。この人は一体今、何を伝えたいのか。その本質を、本能的に探ろうとする感覚。


「まず、自分との約束事を守る事だ」

「自分との約束、ですか」

「そう。例えば、明日は少し早く起きようと思ったとする」

「はい」

「でも実際、次の日早く起きられなかった。どんな気分だい」

「いい気はしないです」

「そうだろうね。自信を持つには自分を大切にする必要があるんだろ。それなのに、自分自身との約束を破っている。本当は一番大切にしないといけないはずの、自分との約束だ。そうやって人間は、自分がダメな人間だと自分で思い込んでいく」


 この息を呑む感覚も、衝撃も、人生でそうそうないとつい先ほどまでそう思っていたのに。生きている間に一体あと何回、この感覚を味わう事になるのだろうか。


「小さな事の積み重ねでいい。今日は誰かに一つだけ親切にしてみる。今日は棚を片付ける。そんなことでいいんだよ。大切なのは、他でもない自分自身と交わしたその小さな約束事をきちんと守る事だ。そうすれば自分はやれば出来る人間なんだと心から思う。これが自信に繋がる」


 本当に、気が付かないものだ。言われれば確かにと納得する事ばかりなのに。

 乾いた地面が、待ちわびた雨水を吸い込んでいく様な。曇天を裂いて、陽光がゆっくり溢れて満ちる様な。そんな感覚。

 衝撃で放心したままの明依に、勝山は畳みかける様に口を開いた。


「そしてもう一つ。自分自身で、物事を決断する事だ。そしてその責任を、自分自身で取る事。……何でもかんでも他人のせいにするのは、他人が基準になっている証拠だ。アンタにも覚えがあるだろ?」

「……あります」


 夕霧に湯呑を選べと言われた時、選択を間違えたと思ったくせに、正直どれも変わらないなんて他人に押し付けるような事を思っていた。〝何でもかんでも他人のせいにする〟まさに、その通りだ。


「これも小さな事からでいい。どっちの飾り物を買うか、何を食べるか。人を基準にしないで、自分自身で決める事。大きなリスクが伴う決断なんて、毎日毎日迫られるものでもない。人生はある程度の事は取り返しがつく。そう恐れる事でもないって、まずは嘘をつかれ続けてすっかり縮こまっちまった臆病な自分に、教えてやらないといけない」


 夕霧がどうして湯呑を使って確かめたのか、よくわかった。

 確かに夕霧も『小さなことさえ自分で選ぶことが出来なくなった時の事を、今でもよく覚えている』と言っていた。

 他人ばかりを基準にしていた過去の夕霧はきっと、そうやって臆病になっていったのだろう。そして自分で考え、行動し、気が付いた。


 明依はもう、恐ろしくもあった。松ノ位と呼ばれる女性の底知れなさにも。これからも何も知らずに生きるつもりだった、あまりに無知な自分自身にも。


 また世界が、変わっていく。きっとこれから目に見える世界は、より明るく繊細に、写って見えるのだろう。

 人間というのは不思議だ。自分の心次第で目に見える世界が、感じ方が変わる。

 満月屋の屋根の上で、終夜も同じことを言っていたっけ。


「人間にはある程度タイプがあると、私は思ってる。雛菊と吉野は、どこか似ていた。棘がなくて、なんとなく柔らかい。自分で自分を律する事ができて、何事にも真っ直ぐだ。だから温室で大切に育てられれば、それはそれは綺麗な花が咲く」


 それはもう、嫌という程イメージが湧く。確かに日奈と吉野は愛らしい顔立ちをしてはいるが、それは彼女達の雰囲気とは別問題だ。雰囲気が柔らかい。自分の機嫌で他人を振り回すようなことはないし、ふんわりとしていてもしっかりしている。何でも自己解決ができる。というイメージを明依は持っていた。


 花が咲いたように笑う日奈が、頭の中に浮かぶ。

 表現の仕方が悪い事は否定しない。だが、日奈の様な人間と比べれば、大体の人は霞んで見えるだろう。それくらい日奈という人間は綺麗で、立派な人だった。三人の松ノ位と話してみて実感するばかりだ。

 やはり日奈も、そこに並ぶに相応しい人間だったと。


「でも、アンタはどう考えても吉野や雛菊とは違う。自分で自分を律する事なんて出来ないだろうし、褒めて伸びるタイプでもない。……アンタは典型的な雑草タイプ。私と一緒だ」


 以前満月屋で終夜を止めた勝山は、『雑草タイプ』という表現していた。それをただの悪口だと思っていたが、どうやらそうでもない様だ。


「逆境を力に変えるタイプだ。条件がそろえば、恐ろしく成長が早い。そして反骨精神がある。アンタをみてそう思った。だからなんの準備もなく、夕霧の所に放り込んだ」

「悪口だと思ってました『雑草タイプ』」

「アンタ、私の事をなんだと思ってるんだい」

「でも気に入りました。雑草タイプ」


 まさかそこまで考えてくれているとは思ってもいなかった。本当に面倒見のいいひとだ。この妓楼が賑やかで和気あいあいとしている理由はやはり、勝山以外には考えられない。


「どうして私に、そこまでしてくれるんですか」

「私は、終夜相手にあそこまで言ってのける遊女をアンタの他に知らない」


 勝山は凛とした態度でそういうが、その様子はなぜか、どこか嬉しそうにも見える。


「アンタには、度胸がある。度胸がないヤツは、どんな状況でもいい訳並べて怖気づいてるだけさ。アンタはそうじゃない。じゃなきゃ、吉原の厄災に一泡吹かせてやろうなんて頭ン中をかすりもしないだろうさ。……嬉しかったのさ。みんなが怖がって近付きもしないあの男に真っ直ぐに突っ込んでいく人間が、私以外にいる事が」


 そう言うと勝山は今度こそ嬉しそうに、明依に笑顔を向けた。

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