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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
吉原の厄災編
7/180

7:日常にまみれて

「また朝食(あさげ)を食べなかったって聞いたよ」


 宵はそういって、障子窓を開け放って外を見ている明依の横に移動し、着物の裾をさっと払って正座した。


「うん、お腹がすいたら食べるから」

「そういって何日経った?」

「どれくらいかな。覚えてない」

「三日は経ってるよ」


 最後に水分以外の何かを口に入れたのはもう三日も前の事になるのか。と他人事の様に思った。しかしお腹が空かないものは空かないのだ。


 何も言わない明依の横に宵が二つの容器を置いた。どうやらうどんの様で、ひとつには麺と具、ひとつには出汁が入っている。それだけなら驚く事は何もないのだが、吉原にいる間に見るとは思っていなかった蓋付の使い捨て容器に入っていた。


「これ、なに?」

「うどんだよ」

「それは、わかるけど……」


 明依はうどんの入っている使い捨て容器を手に取ってまじまじと見つめた。現代人なら当たり前に目にしている物を見るのは、明依にとっては5年ぶりだった。


「吉原一のうどんの人気店があるだろ。出前はしていないって言うから、容器に入れてもらったんだ」

「わざわざ外にこの容器を買いに行って、うどん屋の店員さんに頼んで持ってきてくれたって事?」

「まあ、明依からすればそうなのかな。でもごめんね、これは俺の為なんだ」


 そう言うと宵は明依の横に置いた容器と同じものを二つ手に取って明依に見せるとニコリと笑う。


「ずっと食べたかったんだけど、いつ行っても数時間待ちだったから。だから明依はついで」


 そう言うと宵は容器の蓋を開けてうどんの中に出汁を入れた。それから、パキ、と割りばしを真ん中から綺麗に二つに割った。


「一緒に食べよう」


 宵にそう言われ、また涙が溢れてきた。宵は明依から視線をずらしてうどんの麺を(すす)った。明依のすすり泣く声と混ざって部屋の中に響いた。宵の優しさが染みれば染みる程、涙が止まらなくなってくる。明依はごしごしと目を着物で擦った後、容器のふたを外し、割りばしを二つに割った。


「いただきます」


 手を合わせた明依は、宵と同じようにうどんを啜った。間違いなく、今まで食べたどんなうどんよりも美味しい。


「宵兄さん、いるの?用事って何?」

「入っておいで」


 宵は首だけを襖の方へ向けて少し声を張った。襖を開けたのは日奈だった。宵は日奈を明依の隣に座る様に促した。

 宵の部屋で抱き合って泣いた旭が死んだ日の夜から、明依はほとんど部屋にこもりきりだった。日奈と会ったのは一週間ぶりで、なんだか少し気まずい雰囲気を感じていた。話しかけない所から見ても、日奈も同じ気持ちらしい。


「日奈も一緒に食べよう」


 宵はそういって日奈の前にうどんを準備した。


「これ、使い捨ての容器?凄い。何年振りだろう」


 日奈も明依同様にうどんの入った容器を手に取ってまじまじと見つめている。その様子に宵はフッと噴出して、笑い出す。その様子に明依はほとんど無意識に日奈を見れば、日奈も明依を見ていた。


「何笑ってるの?」

「ごめん。でも、二人とも全く同じ反応だったから、おもしろくて」


 問いかけた日奈に笑いかけた宵は、またクスクスと笑う。


「明依も日奈も、こうやって両手で顔の前まで持って来て、首を(かし)げて、斜め下から覗いてたよ」


 宵が真似して見せれば、確かにと明依は納得した。日奈がとった行動と寸分違わず、全く同じことをしていた。


「じゃあ、宵兄さんだったらどうする?」


 明依の発言に宵はきょとんとした顔を浮かべた。すると日奈がニコニコと笑って二つの容器を宵の前に置いた。


「は~い。10年ぶりに見る使い捨て容器ですよ~」

「10年ぶりに見る、使い捨て容器……?」


 宵は差し出された使い捨て容器を見つめながら、想像の斜め上を行った日奈のパワーワードをまんま復唱して、状況を飲み込もうと必死の様子だ。それを見た明依がこらえきれずに笑った。


「日奈、10年ぶりに見る使い捨て容器って何」

「だって、私は10年ぶりくらいに見たから、宵兄さんにも具体的にそういうものだと思ってもらった方が分かりやすいと思って。は~い、どうぞ~」


 後半は先ほどと全く同じ口調でニコニコと笑顔を作った日奈は、宵の方へと容器を少し押した。もはや押し付けているようにしか見えない。


「久しぶりに見たな、使い捨て容器」


 と、急にスイッチが入り役になり切る宵をみて明依と日奈が笑った。


「もっとしっかり見たいな」


 そういって宵はうどんの入っている容器を傾けて、出汁が入っている容器に移した。


「これで、よく見える」


 うどんが入っていた容器の裏表を明依と日奈に見せた宵は、容器を畳の上に置いた。


「あ、確かに!」

「うどんの容器を持ち上げて見るんじゃなくて、出汁の方からうどんへ、でもなくて、うどんの方から出汁へ。だったらよかったんだ。それなら傾けても汁は零れないし。うん、宵兄さん頭いい!」

「10年ぶりの使い捨て容器だったからね。ちゃんと確認しないと」


 日奈に続き明依も納得した所でしたり顔で言った宵は、フッと噴出した。それから三人で笑った。


「たかが使い捨て容器一つで、まさか二人がここまで盛り上がってくれるなんて思ってなかったよ」

「だって私達ずっと吉原の中なんだよ?使い捨て容器なんて見る事ないんだもん。ね、明依」

「そうそう、日奈の言う通り。もしかして宵兄さん、楼主の立場を利用して、私達に内緒で牛丼テイクアウトしてるとか?」

「酷いな。二人に黙ってそんな事しないよ」

「私テイクアウトってカタカナも久しぶりに聞いた」


 明依にとって今は、くだらない事で笑っていられるこんなささやかなで他愛もない出来事が、酷く愛しく思えた。


「ごめんね、折角買ってきてくれたのに残しちゃって」

「私も、ごめんなさい」

「最初から全部食べてもらおうなんて思ってないよ」


 明依に続いて日奈も宵に謝罪の言葉を伝えるが、宵は全く気にする素振りを見せずにゴミをビニール袋に入れた。


「俺はこれから仕事があるから、二人は今日までゆっくり休むこと。いいね」


 宵に念押しされた二人が口々に返事をしたことを確認した彼は部屋を出て行った。

 旭に別れを告げてから一週間が経ったが、何事もなかったかのように吉原は日常にまみれている。宵の配慮で明依と日奈に与えられた休暇も今日で終わり、明日からはまた当たり前の日常が始まろうとしていた。明依の中から旭という存在を置き去りにしたままで。

 二人きりになった室内は、シンと静まり返っていた。


「久しぶりに笑った気がする」

「うん、私も」


 明依の言葉に日奈もそう同意したことを合図に、二人は顔を見合わせた。ニコリと笑う日奈に釣られて笑うと雰囲気はたちまち和やかになる。


「日奈、あの日はごめんなさい」


 明依がそういって頭を下げた。


「待って、何のこと?ねえ、明依。顔を上げてよ。明依は何もしてないじゃない」

「日奈だって旭に会いたかったはずなのに、私だけ仕事放りだして会いに行ったの。その時は夢中で気が付かなかったけど、後から自分勝手だったって反省した。だから、ごめんね」


 明依がそう言い終わると、沈黙が生まれた。それから畳をするような音が聞こえて明依が顔を上げると、今度は日奈が頭を下げていた。


「私こそ、ごめんなさい。旭が殺されたって聞いた時、身体が動かなかった。認める事が怖くて、どうせ主郭の中には入れないんだから、私が行ったって無駄だって自分を納得させようとしてた。だからあの日、勇気を出して会いに行って怪我までして帰ってきた明依を見たら、自分が卑怯に思えて仕方なかったの」


 日奈は顔を上げて明依を見た。目に涙を溜めて悲しそうな顔をして笑っていた。


「明依が自分の目で確認して教えてくれなかったら、私多分、今も旭はどこかで生きているかもしれないって期待していると思う。だから、ありがとう。明依」


 目に涙がたまって、明依は鼻をすすった。日奈は指で自分の涙を拭う。旭が殺された事を乗り越えた訳ではない。殺した犯人が一刻も早く捕まることを願っている事は言うまでもない。しかしきっとこの話に、これ以上言葉は必要ない。明依が一度頷いて笑えば、日奈も同じように笑うからだ。


「そういえば、終夜に会ったよ。主郭の中に入れてくれたの」

「本当に?元気だった?」

「うん。元気だったよ」

「私も会いたいな」


 日奈はそういってもの寂しそうな顔をして目を細めた。それから細く息を吐いてから明依を見て笑った。


「明依、散歩でもしない?いい天気だよ」

「うん、行こう」


 日奈はそう提案して立ち上がった。明依も同じように立ち上がってぐっと伸びをしたが、下が随分と騒がしい事に気が付く。


「なんか騒がしいね。あれ、(にわか)じゃないよね?」


 日奈が障子窓の外を指さした。人だかりができていた。


「あれ、主郭の人たちかな?行ってみよう。何かあったのかも」

「そうだね」


 明依の提案にすぐに返事をした日奈と一緒に速足で部屋を出た。もしかすると旭を殺した犯人が早速捕まったのかもしれないという期待は少なからずあった。

 

 満月屋の出入り口にはスタッフが所狭しと肩を押しあっていた。


「黎明さん!雛菊さん!」


 凪がそう言いながら人混みをかき分けて駆け寄ってきた。


「なんだか大変なことになっているんです。表に宵さんがいます!」

「どうして、宵兄さんが?」

「日奈、とにかく行こう」

「うん」


 明依と日奈はそう言いながら人混みをかき分けて満月屋の外に出た。


「何度も言っているでしょう。誤解です」

「誤解かどうかは我々が判断する事だ。とにかく、一緒にきてもらおう」


 宵の言葉に返事をしたのは、主郭に入ったあの日に終夜と言い合いをしていたガタイのいい男だった。


「明依ちゃん、日奈ちゃん」

「清澄さん、一体何があったんですか?」

「いや、実は……」


 宵と主郭の人間のやり取りを見ていたはずの清澄は、日奈の問いかけに言いにくそうに口ごもった。


「いつまでやってるの?さっさと連れてきてよ」


 聞き覚えのある声に反応したのは、明依だけではなく日奈も同じだった。相変わらず場違いな薄ら笑いを張り付けた男が、こちらに向かって歩いてくる。


「旭を殺した犯人をさァ」


 宵の目の前で足を止め、顔を近づけて挑発的にそう言った男。宵は少し顎を引いてぐっと男を睨んだ。額には汗がにじんでいる。


「〝吉原の厄災(やくさい)〟」


 宵がそう呟いた。聞き覚えのあるフレーズと見覚えのある人物。それから旭を宵が殺したという言葉で、明依は混乱していた。


「終夜」


 日奈が目を見開いて、男の名前を呼んだ。

 そして終夜の口元は、弧を描いた。

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