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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
次代頭領候補編
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13:確率論上奇跡の偶然

 主郭から満月屋へと戻った明依は、自室に続く廊下を歩いていた。


「だから言っただろ。終夜は善人じゃないぞって」


 開け放たれた部屋を通り過ぎようとしたとき、中から空が抑揚のない声でそういった。


「……殺された三人に、共通点はあったのかな?」

「知らない。ただ、これだけは言える」


 明依の言葉にかぶせる様にそういう空は、少し間を開けて口を開いた。


「終夜は人を殺す為にお前を利用した。これでわかったろ。終夜ってヤツはそういう人間だ」

「勝手に信じたあなたが悪い。でも、落ち込まなくていい。終夜って誰に対してもそういう人」


 空に続いて海もそういう。明依は小さく息を吐いた後、二人に向き直った。

 終夜に対する山ほどある不満の全てをぶちまけたい気分だ。しかし、頭の中に浮かんだのはそんな陳腐な言葉じゃなかった。


「日奈と旭の見た終夜は、そんな人間じゃなかった」

「もう〝私の目で見た終夜は〟って言った方が的確だと思う」


 そういう海に、明依は思わず視線を彷徨わせた。


「人間は変わる。良くも悪くも。あの二人は過去の終夜を見ていたんだろ。もう今の終夜は、あの頃とは違う。お前が惑わされているだけだ。正気に戻れ」

「……どうしてそんなに心配してくれるの?」


 二人はただ、黙っていた。

 海はともかく、明依が空なんて話しかけるから仕方なく話しているだけというスタンスだったはずなのに。終夜と関わる事で危ない状態になる明依に対して、情でも湧いたんだろうか。


「投票したなら後は待つだけだ。どうせすぐに結果は出る」

「……うん、そうだね」


 肝心なことは何も答えない二人に、明依は小さく返事をすると、その場を去ろうと進行方向を向いた。視界の端で二人は、いつものように顔を見合わせている。

 今日は本当に疲れた。考えなければいけない事は全て、後回しでいい。

 そんなことを考えている明依を、空は「おい」と言って呼び止めた。


「お前の興味のありそうな話をしてやってもいい」

「興味のありそうな話?」

「先代・吉野大夫の事だ。会った事ないだろ」


 そういう空に明依はこくりと頷いた。頷いてはみたが、先代が吉原にいたのは吉野や時雨がまだ子どもの頃という話だ。この二人は生まれてすらいないはずだ。


「最も優れた人格者と言われた。彼女と話をした人間は必ず幸せを掴むことが出来るなんて逸話もあるし、花魁を買う金なんて持っていない青年が、暇さえあれば吉原に来て熱心に自分を見ている事に気付くと、こっそり妓楼の中に入れて自分が金を出して二人きりで食事をさせたなんて噂話もある」

「決して(おご)らずに人間として立派な所は、当代の吉野大夫もしっかりと受け継いでいる。私達の見ている限り、雛菊もそうだった」


 確かに日奈と吉野は雰囲気がどこか似ている。きっと日奈は、立派な大夫になっていただろう。

 明依はそんなことを考えながら日奈を思い出して深く息を吐くと、ふと感じた視線に目線を上げた。二人は目を細めてまじまじと明依を見ていた。


「……なに?」

「いや。なんでお前だったんだろうなって」

「……は?」

「当代の吉野大夫、当時は内気な性格だったのかも。それならこの人を世話役にしたいって言う宵の提案を断れなかった可能性もある」


 空に続いてそういう海に、明依は頭をフル回転させて考えた。たどり着いた結論をしばらく頭の中で巡らせた結果、二人を見た。


「もしかして私今、真正面から悪口言われてる?」

「悪口じゃない。でもおかしいから。流れ的に」

「流れ的って何」

「満月屋の系譜。先代吉野大夫、当代吉野大夫、それから雛菊。みんな出来た人なのに、最後に一人だけ何か違うヤツが入ってきた」


 とうとう〝何か違うヤツ〟呼ばわりをする海をみて呆気に取られていると、それに対して普段大して感情を表に出さないくせに、ここぞとばかりに空は大きく頷いた。


「そうそう。一見すればわからない。四つ並んでるとぱっと見はわからないけど、いざ飲んでみると一つは麦茶じゃなくて麺つゆだったみたいな。賞味期限切れの」

「いやもう悪口言いたいだけじゃん」


 明依の声なんて聞こえていないのか、海は「的確な表現だった」と空を褒めていて、空も空で「我ながらいいと思った」と無表情ながら満更でもない顔をしている。

 今回ばかりはクソガキと正面から言っても罰は当たらないと思う。


「話を戻すけど。お前が花魁道中で着ていたあの着物は、人間国宝の遺作だ。ある人が作ってくれと依頼した」


 その〝ある人〟がきっと、先代が最後の花魁道中で向かった先にいた人なのだろう。


「ある人って、誰なの?」

「それは言えない。でも、そんなただでさえ凄い着物を、吉原の吉野大夫が最後の花魁道中で身に着けた。行方不明になっていなかったら、美術館なんかに飾られていても何の違和感もないものだ。あの着物はおそらく、吉原にいる四人の大夫でさえ着たいと希望しても許可されない。何の因果があったにしても、光栄に思うんだな」


 やっぱりあの着物はとんでもない着物だったんだと思うと、誇らしい気持ちが生まれると同時に、疲れとはまた違った何かが身体を重くする気がした。

 あの時の正気ではなかった自分を褒め称えたい。自信をつけさせてくれた八千代に感謝する以外の気持ちが浮かんでこなかった。今回の終夜の事を差し引けば、明依の目に映る世界は明らかに少し色を取り戻していた。


「あの着物の名前、知ってる?」


 海は明依の目をじっと見つめながらそう問いかけた。


「ううん、知らない。着物の名前がどうかしたの?」

「聞いてみただけ」

「知ってるなら教えてよ」


 明依がそう言うと遠くから複数の女の声が近付いてきた。明依は思わず、こちらに向かってくる声に視線を移した。


「あの花魁道中は合格点をやってもいい」

「何の遜色もなかった。ほかの大夫と比べても、あの先代吉野大夫と比べても」


 そういう空と海に明依が視線を二人に戻した時には、もうすでに姿はなかった。代わりに明依の後ろを何人かの女が会話をしながら通り過ぎる。

 気付けばもう、吉原という場所が狂い咲く時間になっていた。






 それから数日が経ち、主郭の投票結果が通達される日が来た。明依は足早に宵の部屋に向かう廊下を歩き、宵の部屋の襖へと手を伸ばした。


「おはよう、明依」


 背後からそういう声に振り返れば、吉野が立っていた。


「おはようございます、姐さま」

「一緒にいいかしら」

「はい、勿論」


 そういうと明依は「宵兄さん、入るよ」と声をかけて宵の部屋の襖を開けた。


「おはよう、明依。吉野大夫も、おはようございます」

「結果はどうだった!?」


 食い気味にそういう明依に、宵は少し困った様に笑う。それは明依の必死な様子に笑っているのか、もしくは結果が芳しくなかった事に笑っているのか。

 不安になる明依に、宵は一枚の紙を差し出した。一番上に宵の名前。それから終夜。時雨、勝山大夫、吉野大夫、夕霧大夫、高尾大夫の順に並んでいて、少し間を開けて晴朗の名前もある。その投票結果に、明依は胸を撫でおろした。


「……よかった」

「私にも見せて」


 少し焦った様子でそういう吉野に紙を渡すと、吉野はそれをまじまじと見つめた後、息を吐いた。


「お疲れ様でした、宵さん」

「この頭領選抜の目的を知っていたんですね、吉野大夫」

「ええ。吉原の現状を見ていれば、こうなるだろうという事を予想していました。宵さん、ここ数日は気が気ではなかったでしょう」

「そうですね。でも、これは最低条件です。ここからは叢雲さん達が動いてくれるのを待つしかありませんね」


 どうやら吉野も現状について知っていたらしい。どこまでも穏やかに見えて本当に勘の鋭い人だ。


「明依のおかげだね」


 宵はそういうと明依に笑いかけた。


「そんな……。私は別に」

「謙遜する事なんてないわ。本当に立派な道中だったもの」

「その通り」


 そう言いながら、襖を開けて室内に入ってきたのは時雨だった。


「噂になってたぜ、明依。俺と明依が結婚するんじゃないかって」

「結婚って……」


 いつもと変わらない調子の時雨は、襖を閉めて腰を下ろした。明依は小さな声で呟きながら、困り笑顔を浮かべる。一体どうしたらそんな考えに至ったのだろうか。やはり白無垢を着ていたからだろうか。


「ない話ではないよな。白無垢着てたんだから」

「ない話だろ。なんで一緒に歩くんだ」

「古い人間だねェ、宵。別に一緒に歩いたっていいだろ。このままこれから先も一緒に歩いて行きます~。みたいな意味で」

「もう充分だろ。これ以上ウチから被害者を出す訳にはいかない」

「だーれも被害を受けたなんて思っちゃいねーよ。俺達はウィンウィンな関係。つまり誰も損してない」


 二人のやり取りに明依と吉野は、顔を見合わせて苦笑いをこぼした。


「そんな事より。そっちはもう落ち着いたのか?」


 そういう宵に、明依は花魁道中当日の事を思い出して時雨を見た。

 あの時の時雨の言った『お前のせいじゃない』という言葉に、明依は救われていた。あの花魁道中が今回の頭領選抜にどれ程影響したのかなんて知る由もないからこそ言える事だが、観光客の目をあれだけたくさん集める事が出来なかったら、終夜はこの人目の多い吉原で真昼間から三人も人を殺せなかったかもしれない。


「とっくに落ち着いてるよ。楪は死んだ。理由も何となくわかってる。それだけで十分だ。足抜けという名で粛清された人間がどうなったのかわからないより、ずっとマシだ」


 楪が終夜に殺された理由に思い当たるところがあるとするなら、裏側を知った事だろうか。それなら責任を問われて楼主も一緒に殺されていそうなものだが。


「あの間に違う妓楼で表の人が三人も死んでいるんでしょ?それなのに、吉原の外側でニュースになったりしてないの?」

「多分な。死体が表の人間に見つかっていれば話は違っただろうが……。それについては、さすがとしか言いようがないな」


 明依は終夜を思い浮かべた。観光客と一般スタッフがいるこの吉原で見つかることなく人を短時間で三人も殺せる様な人間。終夜という人間が段々と、出会った頃の得体の知れない鬼の様な印象に近付いている気がした。生温かい違和感だけをぽつりと胸の内に残したまま。


「まァ、もし見つかっていたとしても、国が吉原の創立に関わっている限り物騒な場所だと世間から認識されていい事なんてない。だから国は中で起きた不祥事をもみ消すだろ。本当、吉原はいい位置に収まってやがる」


 時雨はどこか、呆れた様子でそう言った。


「夏祭りが終われば、吉原はメンテナンスの為の全面休園に入る。観光客はおろか、表側のスタッフも立ち入ることが出来ない。つまり、主郭にとってはチャンス。終夜にとってはピンチだな」

「どういう事?」

「人目を気にしなくていい間に、吉原を挙げて終夜を消そうって事だ」


 心臓が一度だけ、大きく音を立てた。

 終夜は確かに吉原から見れば危険分子だろう。いつか命を狙われるという事も、何となくわかってはいた。


「……でもこの投票、終夜は二位だよ。それって吉原の裏側の人たちからは、評価されているって事じゃないの?」


 正直、終夜が二位というのは意外だ。あれだけ嫌われている、というより恐れられているのだから、終夜を次代の裏の頭領にしたくない人間がほとんどだと思っていた。

 もしかすると今、必死になって終夜を善人に仕立て上げる理由を探しているのかもしれない。


「主郭の人間、特に陰と呼ばれる組織では強さが一番。だから終夜に入れる人間が多いんだ。怖い怖いと言いながらも、なんだかんだ終夜の強さやカリスマ性に憧れて評価している人間がいるんだよ」


 てっきり終夜は吉原の嫌われ者だと思っていたが、上に立つという点では評価を受けているらしい。


「失礼します」


 はっきりとした口調でそういった誰かは、宵の部屋を開けた。主郭から来たと思われる男は、改まった様子で廊下に正座した。


「満月楼の楼主・宵様。それから、小春楼の楼主代理・時雨様」


 男のその言葉に、宵と時雨、それから明依と吉野は顔を見合わせた。


「呼び出しです。主郭へお越しください」

「なんで俺まで、」

「呼び出しです」

「夏祭りの打ち合わせに来てんだよ。優先事項だろうが」

「呼び出しが最優先事項です」

「だから、何なんだよ」

「次代頭領候補について。これ以上は申し上げられません」


 時雨は押し黙った後、盛大な溜息を吐いた。

 結果が通達された当日に動き出すなんて、主郭の人間は次代の頭領が誰になるかという事に関して相当焦っているのだろう。


「おい嘘だろ。俺もかよ」

「呼ばれているなら、行くしかないだろ」


 宵は先に立ち上がると、時雨の腕を掴んで立ち上がらせた。


「少し出ます。すみませんが、後の事は頼みました」

「はい、お任せください。宵さんも時雨さんも、それから其方様(そちらさま)も、どうかお気をつけて」


 そういう吉野に主郭から来た男は丁寧に頭を下げ、時雨は「やっぱいい女だな」と呟いていた。


「いってらっしゃい」


 そういう明依を見た宵は「行ってきます」と返事をして、吉野の言葉を噛みしめる時雨を引きずって廊下を歩いて行った。


「……吉野姐さま」

「何かしら」


 静かになった部屋でそう問いかけた明依に、吉野はいつものように優しい視線を向けた。

 主郭の男が言った〝次代頭領候補について〟というのは、具体的に何なのかという吉野の見解を聞きたい気持ちが浮かんできた。しかしそれは結局予測に過ぎない訳であって、今ここで話しても無駄な事だと脳内が判定を下したのは意外にも早かった。


「先代の着物。私が花魁道中で着た着物の名前を、知っていますか?」

「ええ、知ってる」


 今、どんな気持ちでいるのかわからないが、吉野はゆっくりと深く息を吐き捨てた。


「ねえ、明依」

「はい」

「知らない方が確実に幸せだと断言できる事を、あなただったら知りたいと思う?」


 自分はそんな重たい話題を振ったのだろうかと考えを巡らせてみたが、別に大した内容は振っていない様に思えた。


「それは……何かの比喩(ひゆ)表現でしょうか」

「いいえ。そのままの意味よ」


 自分なりに考えた結果、答えは意外にもあっさりと出てきた。


「私だったら、知りたいと思います」

「どうして?」

「……どうして、なんだろう」


 しかしその答えも意外とあっさり出てくるものだ。

 旭の死を他の誰かからの情報じゃ納得できなかった。自分の目で見て確かめたいと思った。しかし日奈は、真逆の反応をしていた。日奈の死の原因が朔にあったと知り、後々になって何も知らないよりよかったと思えた。


「私の性分なんですかね。知った上で気持ちを整理したいと思います。感謝したり、憎んだり。そんな気持ちって、真実を知らないと見えてこないじゃないですか」


 何も知らなければ、日奈を殺した朔を梅ノ位のスタッフという立ち位置で片付けていた事だろう。凪と仲がいいのだからと関係の修復を考えたかもしれない。

 そんな事があってたまるか。日奈を殺しておいて。その事実を知らないよりも、知って苦しんだ方がよっぽどいいじゃないか。藤間の言う通り少しずつ、確実に時間の流れが苦しみを解いている。だから旭を殺した犯人が、一日も早くわかればいいのに。

 そう思って明依は色が変わるほど強く拳を握りしめたが、はっと我に返った。


「まだまともに旭の事も日奈の事も乗り越えられていない私が言っても、あまり説得力はないかもしれませんが」


 そう言って笑う明依の目を吉野はじっと見つめた後、まばたきを一つしていつもの優しい笑顔を浮かべた。


「あの着物の名前は〝黎明(れいめい)〟」

「……え?」

「〝黎明〟という名前よ。私が付けた、あなたの源氏名と同じ」

「あの着物が、私の源氏名の由来ですか?」

「いいえ。私もつい最近知ったのよ。名前を公表していないから、きっと一部の人しか知らないのね」


 『この着物はもう一度だけ日の目が見たいと言ってる。他の誰でもない、あなたと一緒に』

 そういった八千代は、この着物の名前を知っていたのだろうか。

 このよくできた偶然が、ほんのすこし明依には恐ろしく感じた。

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