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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
次代頭領候補編
53/180

05:真っ直ぐなフリをする

「……圧巻、ですね」

「でかいよなァ。一人二人しれっと混じっててもわかんねーよ」


 満月屋を見上げながらそう言う楪に、時雨はそう返答するものの大して興味なさ気に満月屋の中に入っていく。明依と楪も時雨に続いて満月屋の中に入る。時雨は慣れた足取りで宵の部屋まで向かった。


「入るぞ。宵」


 時雨はそう言うと、宵の部屋の襖を開けた。宵は書類片手に驚いた表情で時雨を見た後、困った様に笑った。


「もうそんな時期か」

「そんな時期だ。今年もよろしく頼むわ」

「ああ、わかってる」


 吉原一大イベント夏祭りの重要な会話は、宵の部屋到着から10秒かからず終了した。しかし時雨は、宵の側に腰を下ろした。宵は明依をみてほほ笑んだ後、隣に立っている楪に視線を移した。宵と楪はどちらも何も言わず、少しの間お互いを見ていた。


「楪だ。俺の付き人にした」

「そうか。この妓楼の楼主、宵です。楪さん。どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ。それにしても、立派な妓楼ですね。宵さんのお噂はかねがね聞いております。凄腕の楼主だと」

「噂に尾鰭(おひれ)はつきものですよ。従業員の皆さんの努力の賜物です」


 宵はそう言うと、楪に座る様に促した。楪は時雨の隣に腰を下ろした。


「明依、お前も座れよ。2対2でなんか丁度いいだろ」


 時雨の言葉に甘えて、明依は宵の隣、楪の前に腰を下ろした。


「それで、この組み合わせは何だ。あんまりいい予感はしないな」


 宵は明依と時雨を交互に見てそう言った。

 時雨は息を吸うように女性を口説く。それでこの満月屋の遊女のどれだけが時雨の手中に落ちたのかわからない。本人曰く〝マグロが止まったら酸欠で死ぬアレと同じ〟らしい。宵のいい予感がしないというのは、その事を言っていると想像するのは大して難しくはなかった。


「ほら出た。だから嫌なんだ。いつもいつも明依と俺の仲を邪魔してきやがる」

「いつか吉野大夫にも同じことを言ってなかったか」

「女の前で別の女の名前を言うなんて論外だな。宵、お前モテないぞ。なァそうだよな、明依」


 お願いだから、そんな答え辛い話題を振ってくるのはやめてほしい。明依は聞こえないフリを決め込んで宵を見たが彼は静かに時雨を睨んでおり、そして当の時雨は宵の視線に気付かないフリを決め込んでいた。

 明依は余裕で堂々とした口調でそういう時雨に、密かな憧れがあった。それは勝山に向けているものにも似た感情だ。自分はきっと生涯かけたってこんな完璧人間を前にして、自分の本当の意見は口にできないだろう。

 宵は息を吐いた後、時雨を見た。それからどこか嬉しそうに笑った。

 

「それにしても久しぶりだな」

「本当になァ。いろいろ大変だったな。せめて邪魔にならない様にと気を使ったつもりだったんだが……何の役にも立てなくて悪かったな」

「気にしなくていい」

「寂しくなったろ」

「ああ、寂しいな。旭も日奈もいなくなった。……誰かがいなくなるって言うのは、到底慣れる様な物じゃない」

「そうだな。わかるよ、お前の気持ち」


 宵にとって時雨は、唯一心を許すことが出来る人間なのかもしれないと明依は思っていた。時雨には本心を話している様な気がする。妓楼の中では責任のある立場が邪魔をして、気を抜くことが出来ないのかもしれない。宵に直接聞いた訳ではないのであくまでも予想だが。

 ほんの少し暗くなった雰囲気を一掃したのは、時雨が喉元で笑った声だった。


「で、終夜にはめられて主郭に連行されたんだろ?」

「笑いごとじゃない。あれは本当に……参ったよ」

「まァ、終夜相手に五体満足で生き戻って来れたんだから儲けモンだな」


 時雨がそう言うと部屋の外から「宵さん」という女性の声が聞こえた。


「丹楓屋の十六夜(いざよい)さんがいらっしゃっています」

「ありがとう。すぐに行きます」


 宵は来客を告げた女性にそう言うと立ち上がった。

 十六夜が宵に何の用事があるんだろう。この時期であれば夏祭りの件だろうか。それなら通常は楼主同士が話し合う様な気がするが、丹楓屋のあの雰囲気からして楼主の妓楼内での権利はあってない様なモノだろう。そう考えたら、満月屋に馴染みのある十六夜が来るのもそうおかしな話ではない様な気がする。


「悪いけど少し待ってて。すぐ終わるから」

「十六夜かァ。お前は何の気もないと思っていたが、男だな宵」

「変な勘繰りはやめてくれ。そういうのじゃない」


 宵はそう言うと部屋を出て行った。明依は宵が襖を閉めるまでを目線で辿った後、ふいに視線を感じて時雨を見た。彼はニヤニヤと笑いながら明依を見ていた。


「なに?」

「宵となんかあった?」


 心臓が大きく跳ねて、明依は思わず背筋を伸ばした。


「別に何もないけど……何で?」

「勘」


 この一瞬で何かあったと本当に見抜いたのなら、その勘ほど恐ろしいものはない。明依はなるべく冷静を装って時雨に向き直った。


「本当に、別に何も」

「宵、好きか?」

「そりゃ好きだよ」

「そうやってためらいなく言葉が出るんだからなァ。……宵も宵で苦労するね」


 もしかして宵が明依の事を好きだと思っていて、かつ明依の方は宵に気がない。という構図が時雨の中では出来上がっているんだろうか。だったらそれは勘違いだ。

 どちらかと言えば明依から宵に説明のしようがない感情を向けているのであって、宵は罪悪感からそれに付き合っているだけに過ぎないのだから。もしもそれを除いたとしても、同じ妓楼の仲間として大切にされている。だからきっと、この関係に名前なんてないんだろう。


「いや本当に、私たちはそんなんじゃないから」

「へー。お互い何とも思ってなくて、所詮はこの妓楼の中だけの関係って事か。ふーん、そうか。そういう事か。まァなら、ナシではないよな。……おい、付き人。目も耳も塞いでろ」


 時雨は一人で納得した様子で頷いて、楪にそう言いながら立ち上がった。


「何にそんなに納得してるの?」

「つまり、俺と明依がどうこうなっても宵には関係ないって事なんだなーって納得してる」


 明依が時雨を視線で追いながらそう言うと、彼は明依の目の前に座り込んで綺麗な顔で笑った。ただそれだけで、ゆっくりと確実にこの部屋に満ちている空気には色が混じっていく。

 これはマズイという明らかな直感。正面から絡む時雨の視線を断ち切ろうと顔ごと視線を逸らした。


「おいおい、それは無粋だろ」


 しかし時雨は、明依の視線を追いかける様に首を傾けた。


「誘う側にも心はあるモンだ。嫌ならはっきり自分の口でそう言った方がお互いの為だぜ」


 そしてまた、綺麗な顔で笑う。それは終夜から無理矢理注がれる感覚と似ていて、少し違っていた。自分が自分ではいられなくなる感覚、身を任せたくなるようでいて温かい。詰まる所、時雨にあてられそうになる。


「俺達は話もよく合うし、相性は悪くないはずだ。お前もそう思うだろ」


 時雨がそう言うのなら、そう思うような気がしてくるのだから本当に恐ろしい。この人は多分、女という生き物の扱いについては天性の才能を持っているのだと思う。

 小春屋は吉原でも少し珍しい妓楼だ。表向きは満月屋と変わらず酒を楽しむ場所として機能している。裏側も同様、遊女が客と一晩を過ごす。しかし客を取るのは遊女だけではない。男性は女性客と一晩を共にする。陰間(かげま)と呼ばれており、時雨は陰間の中でも飛びぬけて人気がある。


「俺は何度もお前を買おうとしてるのに、その度に宵に止められるんだ。酷い話だと思わないか?」

「ダメだから。そんな気まずいの」


 明依は少し叱る様な口調でそういう。それは明らかに、自分に対して放った言葉だった。宵との関係を(こじ)らせたくないのなら、本当にダメだと思っている。しかし、嫌ではない所が何よりの問題だ。今の今まで別に気にしてはいなかったが、もしかすると本当に自分はチョロいのかもしれないなんて思っている。

 時雨はそんな事を考えている明依の手を握った。


「この身体は頭から足の先まで、俺の時間を買う女の為にある。ウチで俺を買えよ、明依。遊ぼうぜ」


 その洗練された雰囲気の全ては、自分を買う女性の為にあると本気で言ってのける。いろいろな事を悟っている様に見えるそれが、大人の余裕なのだろうか。あっけらかんとした性格の割に、どこか落ち着いた様子にみんな惹かれていく。吉原の中で働く女も、吉原の外から来た女も、この男に夢中になる。絶対に自分の物にならないと分かっていて。

 時雨は客を選ばない、絶対に。どこのどんな女性であろうと、平等に接する。逆に言えば、だから客は抜け出せない。その魅力はどこか、勝山と似ている。この人のこの神経は、全遊女と陰間が見習うべきだと思う。もし時雨が遊女なら、大夫の称号をもらっても何らおかしい事はないだろう。吉原遊郭を模していて、かつ裏側の存在を隠しているのだから、そんな日は来ないだろうが。


「ダメだから。冗談言わないで」

「ダメと嫌は大違いだろ。俺は仕事、お前は気晴らし。万事解決だろ」

「それ、何も解決してないから」

「たった一晩。でもその一晩だけだったら俺は、誰よりも明依を幸せにできる自信があるね」


 本気で口説きにかかってくるからたちが悪い。こんな真っ直ぐな言葉を吐かれて、少しも心が揺らがない人がいるんだったらぜひとも連れてきてほしい。


「宵さんに殺されますよ」


 本気か冗談かわからない口調で楪はそう言った。


「明依と遊んで死ねるなら、本望だね」


 この人はこんな言葉を平気で、本気で口にする。これくらい真っ直ぐならどれだけ悲惨な運命が真正面から迫ってきても、その運命の方が道をあけるに違いないと思う程、彼はどこまでも真っ直ぐな様な気がして仕方がなかった。羨ましいと思うくらい。

 それから襖が開いたと同時に時雨は「あ」と短い声を上げて開いた襖を見た。そこには目を見開いた宵が立っていた。明依と時雨の顔を交互に見た後、繋がれた二人の手に視線を落として、それから俯いて深い深いため息を吐いた。


「時雨。本ッ当に、お前は……!」


 ありったけの〝呆れ果てた〟と溢れんばかりの〝怒り〟を混ぜた様な口調で宵はそう言うと、足早に明依の側に駆け寄り、時雨が握っている明依の手を奪うように握った。時雨は何食わぬ顔で観念した様に両手のひらを顔の横にやった。


「何で俺がちょっと席を外した短い時間にナンパしようって気になるんだ!油断も隙もないな!」

「ナンパなんて安い言葉で片付けるなよ。せめて〝誘う〟って表現にしてほしいね」


 どちらかと言えばそっちの表現の方が如何(いかが)わしいのでは。と思った明依だったが、口をはさむとややこしくなりそうだったのでやめておいた。


「一応止めましたが、『明依と遊んで死ねるなら、本望だ』と言っていました」

「おい楪。『目も耳も塞いでろ』って言ったろ」


 まるで告げ口する様に淡々とそう告げる楪に、時雨はふてくされたような口調でそう返した。


「付き人にまで止められて恥ずかしくないのか。少しは飾っていい顔をしたらどうなんだ」

「俺からしたらいい女だなーと思ってただ眺めているだけのヤツは全員腰抜けだね」

「また極論を……。なんでお前はそういつもいつも」


 宵はそう呟くと、頭を抱えた。今の所、時雨のせいで満月屋の遊女が仕事をないがしろにする様な事はないから宵も目を瞑っているが、これ以上の被害拡大は防ぎたいのだろう。こればかりは宵の気持ちが痛いほどよくわかった。


「意見の食い違いが発生する前に帰るか。楪」


 時雨はそう言うと、満足気な表情で立ち上がった。


「もうとっくに食い違ってるんだよ」


 宵は呆れた表情を浮かべてため息をつきながらも、次の瞬間には困った様に笑っていた。

 時雨と一緒にいる宵はやはり、他の誰に見せるより素に近い部分を晒しているのだと思う。そういう明依も、宵と同じくらいの年齢である時雨には全く気を使わない。やはり時雨という人間はそれだけ、人を巻き込む才能がある。

 宵と楪に続いて明依も同じように立ち上がった。


「明依に甘いお前に代わって、余計な事に首を突っ込むなよって釘刺しといたぞ」


 宵に向かってそう言った後、明依の頭の上では時雨の大きな手が乗ってポンポンと跳ねた。それから誰の返事を聞くことも、振り返る事もせずに宵の部屋を後にした。ふいに楪を見れば、彼はじっと明依を見ていた。視線が絡んだ後、先ほどと同じように焦る事もなく笑顔を作る。その表情は最初にみた笑顔とは違ってどこか、疲れているような、悲しそうな表情にも見えた。


「失礼します」


 そう告げると、楪は小走りで時雨を追いかけた。廊下の少し離れた所から、「時雨さん」「時雨さん」と呼ぶ女達の声と、「久しぶりだな」と言ってひとりひとりの名前をしっかりと呼ぶ時雨の声が聞こえた。これはプロ根性というのだろうか。しかしどう考えても仕事として嫌々やっている訳ではないので、やはり天性の才なのだろう。

 きっとその遊女たちにとって時雨は、暗い夜を越える為の心の拠り所なんだろう。そう考えると、ほんの少しもの寂しい気持ちになる。


「宵さん。お出かけ前に申し訳ありません」


 先ほど十六夜が来た事を告げた女性とはまた別の遣り手が宵を呼び、彼は身体ごと女性に振り返った。

 宵はどうやらこれから出かける予定になっているらしい。もしかして十六夜に会いに行くんだろうかという考えが感情を連れてくる前に、本当に忙しいなと思い直した後「じゃあ私はこれで」と会話の邪魔にならない程度の声でそう告げた。


「張見世の予定だった梅ノ位が休みです。誰を補填しましょうか?」

「そうですね……」

「私、やりたいです!!」


 明依の言葉に、宵と遣り手の女は驚いていた。

 張見世は基本的には梅ノ位の仕事だが、休みがいるときには竹ノ位の遊女が人数合わせに入ることも少なくない。しかし、明依や日奈の様に大夫の側で学んだ遊女は、張見世の人数合わせに呼ばれる事はない。まあこれも、他の遊女からお高く留まっていると批判を浴びるわけなのだが。

 どうせ夕方まで大した予定はない。何もしないでいるよりかは、何かしていたかった。これで夕方まで張見世をすれば、投票する日にちをずらす事は立派な理由になるような気もしている。


「……迷惑じゃなかったら」


 それから明依は、小さな声でそう呟いた。

 一度やってみたかった事も事実だ。自分が何かをしたいという気持ちがしっかり湧いている事に心底驚いていた。同時に、そこまでして投票を延期させようという自分自身にも。宵を前にして、そんな感情が出るとは思っておらず戸惑いを隠せなかった。終夜に確認するあてなどないというのに。


「本人がやりたいと言っているので、今回は任せましょう。俺は出かけるので、後の事は頼みます。……きっといい経験になるよ。明依、頑張ってね」

「うん」

「立場に甘えない所には感心するよ、黎明。じゃあ、いきましょうか」


 明依はそう言う遣り手の後に続いた。宵に対する罪悪感と、初めて張見世をする緊張感がぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。

 その気持ちを隠してゆっくりと息を吸った後、深く深く息を吐き捨てた。

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