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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
双子の幽霊編
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22:明依の過去

 人生の中で一度だけ、本気で人を殺そうと考えたことがある。憎しみから人を殺そうとする時、人間は後先を考えないのだと知った。意識だけが先行しているような感覚の中にある飲み込まれそうな高揚感と相反して、頭は至極冷静に動いていた。考える事はたった一つ。どうすれば二人を確実に殺すことが出来るか。ただ、それだけだった。


 それが野分が明依を見つけた日。


 10歳で両親が交通事故でこの世を去って、父方の親戚夫婦に引き取られてから四年後の中学三年生の頃。今から五年前の事だ。


「ただいま」


 学校が終わって家に帰ると、二人はリビングで話をしていて、明依は思わず息を潜めた。死んだ両親の話をしている様だった。

 この家では死んだ明依の両親の話をしないことが暗黙のルールになっていた。父方の親戚は誰もが駆け落ちする形で結婚した両親、特に母親をよく思っていない事を幼いながらに理解していた。


 死んだ両親は非常に心が広い人達だった。幼い頃にコップのお茶をこぼした時も、走ってこけて余所行きの服を泥だらけにした時も、決して怒らなかった。その代わり、こぼしたお茶を拭くタオルのある場所、汚れた服を洗う手順を教わった。


 それからいつもこう言う。失敗してもいい、大人でも失敗することはあるんだから、そこから学ぶ事が何より大切なんだ、と。だから、親戚夫婦に引き取られて初めて失敗すると怒られ、嫌味を言われる事を知り、大人の機嫌を取る方法を学んだ。


 子どもはいつだって、身近な大人の言いなりになるしか生きる術を知らない。親戚夫婦が両親の話をするなと言うなら、それが正しい事なのだと認識した。そんな二人に、自分を認めてほしいと思ったのはどこまでも馬鹿げていると思うが、その頃はまだ一人で生きていく方法を知らなかった。


 身近な大人の定めた線からはみ出さない事だけに、全てを注いだ。それがいつしか幼い明依の世界の全てになった。


 今となって思えば、大人の事情を子どもに一方的に押し付けるのは余りに理不尽だと思う。きっと誰もが子どもの頃、一度は大人の理不尽に振り回されて傷ついた過去を持っているのに、大人になると忘れてしまう。


 それがどれだけ辛い事だったか。泣いていると親戚夫婦はいつも『泣くな』と言った。泣きたくて泣いている訳じゃなかった。

 ただ、伝える術が分からないだけだ。認めてほしい人に否定された虚しさを、例える術を知らないだけだ。それでも、一番近い大人に、自分の存在をありのままに認めてほしかった。


 世界の全てだと言っても過言ではない身近な大人、親戚夫婦が自分が大好きだった父親と母親の話をしている。

 ほんの少しでも両親を好意的に思っていると聞くことが出来れば、救われる様な気がした。


 そんな期待から、扉に顔を押し付けて耳を澄ませたが、聞こえてきた会話は望んでいるものとは程遠かった。


「義理兄さんはきっと、あの見た目がいいだけの女に騙されたのよ。気の毒だわ」


 冷や水を頭から被せられた様に、冴えているとも鈍っているとも呼べる感覚に陥っていく。

 母は確かに器量がよかった。幼稚園でも友達から『明依のお母さんはビジンだね』と言われていた。


「いや、兄さんも兄さんだよ。母さんと親父が甘やかしたから、人を見る目がないんだろ。どうして身勝手なアイツらの尻拭いを、俺達がしないといけないんだ」

「なんだか苦労ばかりね」

「母さんももう年だからと思って明依を引き取ったけど、毎月金貰わなかったらとっくに放棄しているよ」

「本当は老後まで夫婦二人で過ごしたかったのに」

「やめろよ。本当にそうしたいって思ってくる。明依に罪がないのもわかるよ。ただあの二人だよ。自分勝手に生きて、死んでも人様に迷惑をかける。まるで疫病神みたいだ」

「それは言い過ぎよ」


 そんな会話の後、二人は仲睦まじげに笑っていた。頭の中が真っ白になった。わずかでも好意的に思っているのであれば、両親の話をするなと圧をかけるはずはない事も、頭の中では理解していた。


 それでもまさか、ここまで酷い言葉で大好きな両親を否定されるとは思ってもみなかった。


 帰ってきたばかりの家を出て行く当てもなく歩いている最中、親戚夫婦の会話が何度も繰り返されていた。ふと気付けば、家から十五分程歩いた所にある公園にいた。

 親戚夫婦と食事の時間をずらしたい時、悩み事があるときや落ち込んだ時、この公園で考え事をよくしていたから、無意識に足が動いたのだと思う。


 とりあえずベンチに座ろうと足を止めた時、壊れた電子機器の様に脳内で何度も繰り返し再生されていた会話がピタリと止まった。


 二人を殺そう。と、それだけがぽつりと頭に浮かんだ。

 ぽつりと浮かんだその考えに絡まって増幅したのは何とも形容しがたい感情だったが、至極簡単に言えば、憎しみだった。認識した途端、肯定する様に増えるそれに手の震えが止まらなかった。二人をこの手で殺す事でしかこの感情は収まらないと、本気でそう思った。


 憎しみから人を殺そうとする時、人間は後先を考えないのだと知った。意識だけが先行しているような感覚の中にある飲み込まれそうな高揚感と相反して、頭は至極冷静に動いていた。考える事はたった一つ。どうすれば二人を確実に殺すことが出来るか。ただ、それだけだった。


「アンタ、人でも殺しそうな顔してるよ」


 恐る恐ると言った様子で声をかける女性を明依は冷たい目で一瞥すると、何も答えずにその場を去ろうとした。


「私は野分って言うんだけどね。お嬢ちゃん、何があったのか話してみな」

「話したくありません。知らない人とは話す気もありませんから」


 そう言って去ろうとする明依の腕を野分は掴んだ。


「放っておけないよ」

「話したくありません」


 そう言って腕を振りほどこうとするのに、野分は強い力で明依の腕を掴んでいた。そのやり取りは、約十分にわたって繰り返されていた。


「他人だから話せる事もあるさ。話してみなよ」


 結局、根負けする形で事の顛末を野分に話した。見ず知らずの人になら、どれだけ酷い言葉で親戚夫婦を罵ったって許される様な。詰まる所、素直に話せる様な気がしていた。


 今までの出来事とこれからの行動しようとしている事を、まとまりのない箇条書きの様な言葉でぽつぽつと口にしていた。全て話し終えれば、野分は涙を流して「辛かったね」「嫌な思いをたくさんしたんだね」と言って明依の肩に触れた。


 温かい何かが心に落ちてそれが全身に広がるより前に、それを拒絶するように世界の色が変わった。いや、元に戻ったと言った方が正しいのかもしれない。


 あれほど殺す事でしか収まらないと思った感情が、どこかに収まろうとしていることに気付いてしまった。(やわ)らいでいる殺意に嫌悪した。


 早い所この場を去りたくてたまらなくなった。家につくまでの十五分でまたあの二人の会話を脳内で繰り返せば、きっとあの感覚は戻ってくる。この感情を忘れてしまえば、またあの日常が戻ってくる。自分の定まらない心を定める事に必死になっていた。


「聞いてくれてありがとうございます」


 明依はそう言って帰ろうとしたが、野分は必死になってそれを止めた。


「アンタ、〝吉原〟って知ってるかい!?」


 帰ろうとする明依の腕にしがみついて引きづられながら、野分はそう叫んだ。

 明依は諦めのため息を吐いた後、世間から〝造花街・吉原〟と呼ばれているテーマパークの事を考えた。あの場所はデジタル機器の持ち込みを禁止していて、写真は一枚たりとも出回っていない。行ったこともないのだから、想像する事すらできなかった。


「もう、いい加減にしてよ」

「アンタ、そこで働きなよ!そうだ、それがいい!なんで今の今まで思い浮かばなかったんだろうね!」


 野分は自分の提案を自分自身で大絶賛していて、明依が「ちょっと」「勝手に決めないでよ」と言う声はことごとく遮られて行った。


「アンタはどうだい?働く気はあるかい」

「……私、まだ中学生なんだけど」

「そんなの制服を見たらわかるよ」


 野分は明依は小馬鹿にしたようにそう言った。


「吉原って街には秘密があるんだよ」


 そういった野分は明依の手を離した。もう逃げないだろうと確信したからなのかもしれない。


「何の秘密?」

「アンタ。遊郭、妓楼って場所が本来何をする場所なのか知ってるかい」

「知ってるけど……」

「私はここでアンタを見捨てて人殺しにするくらいなら、実力でのし上がれる可能性のある世界を勧める。女の地獄、狭い世界だよ。だけどもしかすると、アンタの今の環境よりはマシかもしれない」


 まだ世の中のほとんどを知らない中学生という立場でも、それが人身売買であることは分かった。その話を受け入れた先で何をしなければいけない場所なのかも、なんとなく想像がついていた。


 しかし何より衝撃的だったのは、誰もが天国だの夢の街だの言って帰ってくるテーマパークに犯罪を容認しているという裏の顔があったという事だった。


「人を殺した罪は重い。身勝手な大人のせいで子どもが人生を棒に振るなんて、おかしな話だよ」


 あの日常に戻らなくてもいい安心感。それから、テーマパークの裏側を知った高揚感。どちらを選択するかなんて、分かり切っていた。


「私もう、あの家には帰りたくない」


 明依のその一言で、人生が変わった。


 それから電車に乗って長い間揺られた後、和風の建物が立ち並ぶ通りに足を踏み入れた。本当に江戸に迷い込んだような場所だ。道行く人は着物を身に着けていて、湾曲した道の先に消えていく。野分は〝損料(そんりょう)屋〟と書かれた建物に入った。その中には、着物や小物が所狭しと並んでいた。店員は次から次に訪れる客の対応で、はたから見ても目が回るほど忙しそうだった。


 慣れた様子で店員と話した野分は、大して選ぶこともせずさっと明依の物と思われる着物を手に取ると、店の奥に入っていく。明依は慌てて野分に続いた。

 着ていた洋服を脱ぎ捨てた野分は着物を身に着けた後、手早く明依に着物を着付けた。


「吉原は和服以外では入れないんだよ。だから吉原に入る前の道にはここみたいなレンタルショップが山ほどあって、ひっきりなしに訪れる観光客を捌いてんのさ」


 野分が吉原についてそんなことを一方的に話している間にすぐに着物は着終わり、野分は明依の髪を結った。大きな鏡を見ると、見慣れない自分がいた。


「急ぐよ。これから妓楼は騒がしくなる。その前に挨拶しとかないと」


 大した感想を抱くより前に野分はそう言って足早に部屋から出て行くので、明依もそれに続いた。

 吉原の外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。明依は野分の隣に並んで歩いた。一瞬、もしかすると親戚夫婦は心配しているかもしれない。と考えたが、明依は首を振って考えないようにした。


 明依は感嘆の声を上げた。見えてきたのはまさに異世界。暖色が飽和して、人の笑い声がする。まだ大門すら潜っていないというのに、この街の魅力に取り付かれるオタクと呼ばれる人たちの気持ちが痛いほどよくわかった。それ程幻想的だった。


「綺麗だろ。この街を初めて見た人間は、みんな決まって同じ反応をするんだよ」


 そういう野分の声は、どこか悲しい響きをしていた。


 それから、野分に連れられて様々な妓楼を歩いた。〝楼主〟と呼ばれるいかにも偉そうな役職の人間とその奥方と思われる人間に挨拶をしては、「いくら野分さんの頼みでも……年齢がねェ」「この年齢の子を一から育てていく余裕は、ウチみたいな見世にはないよ」という楼主に食い下がる野分だったが、楼主という人間は忙しい様ですぐに話を切り上げた。


 最初のうちは野分の「こんなもんさ。次、次」という言葉で大して気にもしていなかったが。さすがに断られた見世の数が二十を超えてくると心が挫けそうになった。「どうしたモンかねェ」と呟く野分に、なんだか自分がみじめになって、何でこんな思いをしないといけないのだろうと思うと涙が出てきた。


「もういいです」


 そういう明依に野分は大きく一つ溜息を吐き捨てると、「賭けてみようかね」とどこか決心した様な口調で言った。それから、嫌がる明依の手を無理矢理引っ張って連れてきた場所は、先ほど断られた見世とは明らかにグレードの違う場違いな見世だった。


 赤く塗られた格子の前に座っている女性は目移りする程綺麗で、見世の中に入っていく客は誰もが洗練された雰囲気を持っている様な気がした。とにかく圧巻の佇まいだったのだ。


「なんでいけると思ったの!?絶対嫌だ!!もう、離して!!」

「暴れるんじゃないよ!大丈夫!ここの楼主は年も若い。きっとアンタの気持ちをわかってくれるよ!!」

「そんな話もうさっきから二、三十回は聞いてるじゃん!!もうわかってもらわなくていいってば!!」


 そんなやりとりを、明らかに高級な見世の前でしていると当然注目を浴びた。結局引きずられるように見世の中に連れ込まれ「誰か!今すぐ宵を呼んできな!!」という野分を横目に隙を見て逃げようとした明依だったが、アッと言う間に羽交い締めにされて身動きが取れなくなった。お人良しなのだろうが、明依にとってはもはや迷惑以外の何物でもなかった。


 一人の女性が「こちらです。楼主」と小さな声で言って連れてきたのは、本当に若い男だった。親以上に年の離れた楼主ばかり見てきたからか、まさかここまで若いとは思わず、明依は暴れていた動きを止めた後、少しの間楼主を見ていた。


「宵。この子なんだけどね、」

「中へどうぞ」


 宵は野分の言葉を遮ってそう言った。それから宵は明依に視線を移した。明依ははっとしてすぐに彼から視線を逸らした。


「ほら行くよ」

「だからもう、嫌なんだってば……」


 明依を解放しながらそういう野分に、絞り出すような小さな声でそういった。それが今の、精一杯だったから。その様子を見ていた宵は何を思ったのか、周りの制す声も聞かずに下駄も履かず段差を降りた。それから身を屈めて明依と視線を合わせた。


「名前は?」


 宵は一目で心を解きたくなるような優しい笑顔を浮かべて、優しい声で明依にそう問いかけた。


「……そういやアンタ、名前なんて言うんだい」


 野分はそう言うと、隣にいる明依に視線を移した。


「……明依」

「明依か。明依、怖がらなくていいよ。中に入って、少し話をするだけだ」


 有無を言わせない何かがあった事は確かだが、それよりもこの人の話なら聞いてみてもいいかもしれないという気持ちの方が強かった。どうして初めて会った男に対して少しでも心を許そうと思ったのかは、よくわからない。


 廊下を歩く間、宵はすれ違う数人にこの後の動きについて過不足のない言葉で指示を出していた。この廊下の全てが自分のものだと言わんばかりに、ど真ん中を我が物顔で通るほかの妓楼の楼主とは年齢だけじゃない。明らかに違う何かをこの人は持っていると、そう確信していた。

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