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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
双子の幽霊編
33/180

8:旭の後任

「明依お姉ちゃん」


 朝、そういって明依の部屋の襖を開けたのは雪だった。


「雪、どうしたの?」

「呼ばれてるよ。下に来てって」


 心臓がドクリと嫌な音を立てた。昨日の晩にあんなことがあって、平然としていろと言う方が無理な話だ。


「宵兄さん?」

「ううん」

「違うの?じゃあ吉野姐さまか」


 明依は安堵のため息を吐きながら立ち上がった。あれから双子の幽霊に会って、今までの事を整理してこれからの事を考える時間なんて全くなかった。どんな距離感で接したらいいのか見当もつかない。呼んでいるのが宵ではない事には安心していた。


「終夜だよ」


 雪の口から出た名前に、思わず動きを止めた。終夜が一体何の用事だろう。前回の様な個人的な理由ならわざわざ雪に呼びに来させたりしないだろう。途方もなく嫌な予感がして、明依は足早に階段を下りた。


 廊下に立っていた終夜は明依に気が付くと、笑顔でひらひらと手を振りながら明依に向き直った。


「おはよう。気持ちのいい朝だね」

「何の用?」

「冷たいな。大事な話があって……あ、来た来た」


 そういう終夜の視線の先を見れば宵がこちらに向かってきていた。あからさまに動揺している明依に宵は笑いかけた。


「おはよう」


 明依が返事をするより前に、宵は終夜と明依の間に入った。


「おはよう、終夜」

「おはよう、宵。気持ちのいい朝だね。なんだかんだで言いそびれていたけど、旭を殺した犯人だって疑ったりして悪かったよ。真犯人が早く捕まる様に努力するよ」


 まさか終夜が謝るとは思っていなかった明依は、終夜と宵の背中を交互に見つめた。宵の声色は少し警戒している様にも聞こえるが、今まで終夜にされた事を考えると顔を見て普通に話が出来ているだけ凄い事だ。


「もう気にしていないよ。俺が旭の件で提供できるものがあるとは思わないけど、力になれそうな事があれば何でも言ってほしい」

「ありがとう、助かるよ」


 お互いに上辺をなぞっているだけの型にはまったやり取りだという事は、明依にもわかった。


「そんな話をする為にわざわざここまで来て、明依を呼びつけた訳じゃないよね」

「一緒に話を聞いてもらおうと思って呼んだんだよ。そんなに警戒しなくても、何もしないよ」


 終夜はそんな宵を全く気にする様子もなく笑いかけ、それから明依を見た。そして戸惑う明依から宵に視線を戻した。


「これからは据え膳食い損ねた者同士、仲良くしようよ」


 明依はしばらく終夜の放った言葉の意味を脳内で繰り返していた。どれだけ考えたって、終夜の言葉の意味は一つしかない。どうして知っているのか。もしかして、宵に縋ることをわかっていてあんな事を言ったのだろうか。ありえない、ありえないはずなのに、終夜ならそれくらいの事をいとも簡単にやってのけそうだと思っている自分に嫌悪した。


「終夜」


 そんな明依の思考は、宵の声とゆっくりと息を吐いた音で強制的に終了した。


「明依を惑わせるような事を言うのはやめてくれないか。お前が明依をどう思っての言動なのかはわからないけど、明依は今大切な時期なんだ」

「大切な時期って?心の拠り所が無くなって、右も左もわからないって事?」


 何も答えない宵に終夜は笑いかけた。


「遊女のコントロールも大変だね」


 その終夜の一言に心の奥底まで深く抉られた様な気がした。宵に気持ちがない事は理解していたはずだったのに。それをこうもあっさりと他人に言われてしまえば、本当に一晩の夢に魅せられた気になってくる。


「だから、」

「宵の言う通り、そんな話がしたくてここに来た訳じゃないんだ」


 言葉を遮られた宵は、黙って終夜の言葉の続きを待っている様だった。


「挨拶に来たんだよ。今日からこの満月楼は、俺の管轄下に置く事になったから」


 やはり嫌な予感というのはよく当たるものだ。どうしてよりによって、旭の後任がこの男なのか。主郭に所属する人間なんて山ほどいるというのに。


「満月楼に関わる人間はさ、よく死ぬよね」


 『終夜に深く関わる人物はよく死ぬ』。双子の言葉を思い出していた。終夜が殺すからという意味なのか、それともジンクスの様なものなのかは知らないが、これから先終夜と関わる機会が増える事実に嫌な汗が背を伝った。


「双子の幽霊の目撃情報も最近はここに偏っている。誰も関わりたがらないんだから、俺で我慢してよ」


 終夜はそう言い終えると、胸の前で一度手を叩いた。


「はい。挨拶おしまい。それで本題なんだけど、吉野大夫の身請け話は無期限に延期する事にした」

「なんだって?」

「だから、吉野大夫の身請け話は延期にする。言っただろ、満月楼では人がよく死ぬ。旭を殺した犯人はまだ捕まってないんだ。この満月楼から、誰一人逃がすつもりはない」


 一瞬だけ、本当に一瞬だけ吉野がこの妓楼から去らない事に明依は安堵した。しかしそれからすぐ、はにかんで笑う吉野の顔が思い浮かんだ。吉野はその話を聞いた時、どう思うだろうか。そんな事は深く考えなくてもすぐに理解できた。


「……ありえない」


 事の重大さに、掠れた声でそう呟いた。

 誰かと想いが重なる喜びを知らない明依には想像する事しかできないが、もしも旭が生きていて、もしも思いが重なる事があったとして、一緒になる約束をしていたとしたら。その喜びはきっと何にも代えられないだろう。


 犯罪に手を染めている主郭が、警察の様にしっかりとした捜査が出来るとは思えなかった。犯人が見つかるまでだなんて余りにも酷い話だ。


 旭や日奈など満月屋に関わる人間が多く死ぬ事は、双子の幽霊の話からしても明らかだ。しかし、身請け先が明確である吉野一人引き留めて何になるというのだろうか。

 何より明依は、旭を殺した犯人が終夜であり、その罪を宵に擦り付けようとしていたと考える事が一番自然だと今でも思っている。


 終夜が本当に吉原に興味がないのであれば、肝心なその理由については分からないままだが。


「吉野大夫は無実だ。必要なら彼女が当日に何をしていたのか今すぐに確認するよ」

「いくらでもでっち上げられる情報なんて必要ない。俺は吉野大夫が旭が死んだ当日に何をしていたのか、この目で見ていないんだから。妓楼内の人間は皆、身内みたいなもんだろ。信じられないね」

「今回もまた独断で、裏の頭領の許可を取ってきたのか」

「そう。みんなが大好きな頭領の許可を取って来た。本当にこの街は、頭領がいないと決め事一つ出来ないんだから困りものだよ。早く世代が代わればいいのになァ」


 まるで次の頭領は自分だとでも言いたげな様子だ。やっぱりこの男が吉原を自分のものにしたくて旭を殺したんじゃないか。もし本当にそうなら、吉野一人が吉原から出ようが何の影響もないはずだ。だったらどうして。そんな疑問がぐるぐると頭の中で回っていた。


「納得できない。吉野大夫の身請け先ははっきりしているんだ」

「その男が一枚噛んでる可能性は?もし吉野大夫が犯人だったとして、その男が今回の件に絡んでいたらもう手の打ちようがない。吉原の裏側で起こる出来事は、基本的に公に出来ない事ばかりだ。そのメリットとデメリットは、吉原側だけじゃなくて客側も同じなんだよ。宵、どうしてそんなに必死なの?満月楼は経営が傾いているわけでもない。今すぐに大金が必要なわけでもないだろ?」

「そういう問題じゃない。遊女にとっての身請け話がどういうものなのか、わかるか?」

「じゃあ一応聞いてあげるけど、どういうものなの?」

「生きる為に客の相手をさせられる遊女にとって身請けというのは、一番マシな選択肢。年季が明ければ外の世界を知らないまま妓楼から放り出される遊女からすると、唯一の希望だ」


 宵の言葉の続きを待つように、終夜は薄ら笑いを浮かべたまま黙っていた。


「主郭や俺達楼主は、遊女たちに何も与えないくせに奪うばかり。やっと掴みかけた幸せくらい、叶えたいと思うのは当然の事だ。納得できるはずないだろ」

「同情を誘うやり方で主郭を動かそうと思うなら、まずは清澄辺りから巻き込むことをお勧めするよ。俺は別に納得してもらおうと思って説明しているわけじゃないんだ。従ってもらう」


 何を言っても意見を変える気のない終夜に、宵は小さく舌打ちをした。


「そうやって、他人の幸せを奪って何が楽しいの?」


 明依は震える声で終夜にそう問いかけた。終夜は瞬きをひとつしてから明依に向き直ると笑顔を張り付けた。


「他人が幸せだろうが不幸だろうがどうでもいいね。これが一番合理的なだけ。仕事なんだ」

「今なら吉野姐さまの凄さがよくわかる。アンタも勝山大夫の近くにいるなら、分かるでしょ?遊女は希望を持たない。それでもきっと、私達が想像できないくらい傷ついて努力してきたの。幸せになる権利がないとは思えない」

「この現代が、心の傷と努力に比例して幸せを掴める様な甘い世界だと本気で思ってる?やっぱり妬ましいほど幸せ者だね。アンタを呼ぶとこの会話するんだろうなって思ってたけど」

「それならどうしてわざわざ、私を呼んだの?」

「私が頼んだのよ」


 明依の問いかけに答えたのは、吉野だった。


「その話をするなら明依も呼んでほしいって、私がそう頼んだの」

「吉野姐さま、何で……」


 吉野の様子からして、自分の身請け話が無期限に延期になった事は既に知っている様だ。明依は宵を見たが、彼は目を見開いたまま吉野を見ていた。


人伝(ひとづて)に明依の耳に入るのが嫌だったからよ。私はその話を終夜くんから聞いて、納得しているの」

「この話のどこに、納得できる点があったんですか。吉野大夫」


 明依が口を出すより前にどこか吉野を責める様な口調でそういった宵は、悲痛な面持ちだった。吉野は宵に視線を移すと薄く笑った。


「全面的に納得しています。この妓楼に関わる人間が二人死んでいるのは事実です。少しでも可能性があるなら、私を吉原の外に出すべきではありません」

「無期限の延期なんですよ、吉野姐さま」

「勿論、それも聞いたわ」


 頑なに意思を変えない吉野に、明依同様宵も唖然としている様子だった。


「納得して、受け入れます」

「……そんな」


 そう呟く明依に向かって、吉野は優しい顔で笑った。その表情に胸を締め付けられない筈はなかった。明依は薄ら笑いを浮かべている終夜を睨んだ。


「吉野姐さまに何を言ったの!?」

「酷い疑われ様だ。俺は何も言ってないよ」

「終夜くんのいう事は本当よ、明依」


 そういう吉野に、明依は下唇を強く噛んだ。ゆっくりと吐き捨てた息は喉元で震えた。

 吉野が満月屋を去る事で終夜に不利益が生じるとは思えなかった。それなら、終夜の言う事に嘘はないのだろうか。でも終夜は一度、宵を犯人だと決めつけて連れて行った。安直に信じる気になんてなれるはずもない。


「これは命令で、(くつがえ)らない。それなのに吉野大夫本人がわざわざ納得しているって説明してるんだよ?いい加減、理解してあげたら?」

「アンタの命令だから納得できないって言っているの。わかる?」


 明依は小さな声でそういって終夜を睨んだ。彼は薄く笑って見下す様な顔で明依を見ていた。


「誰かを、例えば天辻(あまつじ)さまを人質に取るくらい、アンタならやりかねない!吉野姐さまを脅して、」

「明依、やめなさい」

「でも、」

「やめなさい」


 吉野はもう一度しっかりとした口調で明依を制した。


「吉野大夫。今回の事については、俺も到底納得できない」


 宵はそう言って終夜を睨んだ。


「終夜。お前一体、何がしたいんだ」

「旭を殺した犯人を捕まえたいんだよ。当たり前だろ?ところで宵。吉原に来る前までは真っ当に生きていたって話だけど、本当?」

「俺の情報は全て主郭にあるだろう。調べればすぐにわかる事をどうしてわざわざ、」

「拷問には結構自信あるんだ」


 そう言うと終夜は宵に近づいて挑発的な顔で笑った。


「壊れる人間も、殺してくれって泣き喚く人間も山ほど見てきた。でも宵。アンタ一度も俺の質問を肯定しなかったね。それだけじゃない。今も何事もなく生活している。フラッシュバック一つ起こさずに。それって凄い事だよ」

「何が言いたい」

「その精神力の強さには、何か秘密があるのかな?例えば、特殊な訓練を受けてるとか」


 意味深にそういった終夜と正面に立つ宵の間には沈黙が流れた。

 終夜の言葉に、確かにその通りだと納得していた。一方的に恐怖を与えられた相手に対する恐怖心は、終夜でよくわかっている。宵はその終夜からボロボロになるまで一方的に暴力を受けた。


 顔を見て普通に話が出来ているだけ凄い事だと思ったが、今となってはそれさえもまともじゃない。


「疑われても仕方ないよね。朔に襲われた時、懐に手を忍ばせたのには何か訳があるのかな?」

「他人を信用しないクセに、質問だけする意味が分からない。自分の目で見たものしか信用しないなら、お得意の情報網で探ったら?」


 宵が何かを言うより前に、明依は終夜に向かってそう言い放った。終夜の視線は宵から明依へと移動した。相変わらず笑顔を張り付けて。


 無実の宵を守ってあげないと、なんて大儀が芽生えた訳じゃない。実際、朔に襲われたあの日に宵の懐に手を入れて何をしようとしていたのか疑問に思っていた。十中八九、相手を殺傷する何かだったはずだ。しかし、吉原の裏側がどれだけ危険な場所なのかくらい、楼主ならわかっているはずだ。護身用の為に武器を持っていたって何もおかしくはない。


 丹楓屋で目が覚めた時に十六夜は、明依の顔を見た宵は生きる勇気が持てたはずだと言ってた。日奈と喧嘩した日に宵は、明依に救われたと言っていた。宵は旭を殺す様な人間ではないと知っている。今の明依にとっては、宵から終夜を引き離す可能性に賭ける理由はそれだけで充分だった。


「拷問だって、アンタが〝下手くそ〟だっただけでしょ」

「〝下手くそ〟ねェ。遊女らしい表現じゃないか。やっと自分の立場が分かってきたみたいで嬉しいよ。ただ俺は今、宵と話をしているんだ」

「私はアンタに呼ばれてここに来た。黙って話を聞くだけの人形じゃないの」

「話を聞かせるだけのつもりで呼んでいるんだ。意見は求めていない。俺にとっては人形と大差ないね。だってアンタが来ても、状況は何も変わらないんだから。今も、あの時も」


 〝あの時〟が宵が連れ去られた時の話だという事はすぐに理解できた。どれだけ強がっても、吉野の身請け話が無期限に延期になる事に変わりはない。この気持ちは、終夜を前に成す術もなく宵が連れ去られて行ったあの時の感覚に似ていた。


 終夜は明依に近付いて身を屈めると、顔を覗き込んで綺麗な笑顔を浮かべた。その行為はまるで〝その気なら手折(たお)ってやる〟とでも言っているようだった。実際に明依は、過去の自分と現在の自分をリンクさせて自分の無力さに染まっていた。終夜の瞳を覆う深い色に吸い込まれそうな感覚になる。脳が麻痺して恐怖心や怒りさえぼやけて、正常な判断が出来なくなる。


 本当に不思議な男だと、自分の現状を理解しないまま意識の外側でそう思った。


「俺には今、アンタが何を考えているのかよくわかるよ」


 表情や声色、態度に言葉。終夜から与えられる情報の全てが絶妙に絡まって、頭も身体も動かなくなる。

 明依の頬に張り付いている髪を指先でさっと払った終夜は、そのまま覆うように頬に触れた。我に返った明依は終夜から離れようと一歩身を引いたが、終夜はすぐに頬に添えていた手を離して明依の首から顎にかけてを強引に掴んで引き寄せた。


「力がないって言うのは、悲しい事だね。自分を守ることも、牽制(けんせい)する事も出来ない。でも身の振り方さえ間違えなければ、それでいいんだよ。アンタはね」


 終夜の言葉を咀嚼するより前に終夜の手が明依から離れた。


「とりあえず今日の所は帰ってもらえないかな」


 そういった宵は、明依に触れていたはずの終夜の手を掴んでいた。


「冷静に話が出来そうにないんだ」


 いつもより低い声と表情が静かに、しかし激しく怒っている事を表していた。昨夜の終夜に何を吹き込まれたのかと聞いた宵とは比べ物にならない。殺気というものを肌でひしひしと感じる。本当に〝宵兄さん〟なのかと疑ってしまいそうな程。怖い、ただそれだけだった。


 形が変わる程強く握られた終夜の腕は変色していた。それを見た終夜は視線だけを宵に向けた後で、花が咲いた様に狂気に満ちた顔で笑う。宵もその雰囲気を一切崩さなかった。止めなければどちらかが死ぬ。そう直感したが、何か行動に移すより前に終夜は宵に向かって腕を伸ばしていた。

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