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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
双子の幽霊編
26/180

1:変わった世界

 〝双子の幽霊〟。


 双子の幽霊に関わるな。というのは、吉原にいる人間の共通認識となっている。

 妓楼の中には、楼主が直接遊女に双子の幽霊に関わらない様にと念押しする所もあると聞く。非現実的ではあるが、それほど吉原の人間から恐れられている存在なのだ。


 年齢や容姿や着物の色などは曖昧で、妓楼や人または時代によっても変わってくる。

 確実にわかっている事は、男女のそっくりな双子であるという事。ただ、それだけだ。


 吉原に売られた子どもの霊だとか、吉原から逃げ出せなかった遊女とそれを追って自殺した客の霊が集まって出来た存在だとか、呪術師の生霊だとか式神だとか真偽の程は定かではない言い伝えばかりだが、吉原のいたるところで目撃情報がある。


 視界の端に捉えた程度であれば何もないとされているが、話しかけたり関わったりすると不幸が訪れると言われている。

 だから、視界の端に捉えても気づかないふりをする。そして後からこっそり、双子の幽霊をみたんだけど、と話をして自然とうわさ話が広がっていくのだ。


 吉原の人間にとっては、怪談話や都市伝説のようであってかなり距離感が近い。

 昔の人は〝夜には鬼が出る〟と恐れたらしいが、見たことはないけど身近で恐ろしいもの。という感覚は近いのではないかと思う。


 あの双子は、本当に幽霊なのだろうか。

 そもそも霊感のない人間に、あれだけはっきり視界に入ってくるものなんだろうか。


 しかしどちらにしろ、見てしまったものは見てしまった。その双子の幽霊が本当は生きているのか、本当に死んでいるのかはわからないが。


 感じた視線に顔を上げれば、視界の隅に佇む双子。視線を向けるがそこには誰もいない。

 初めてその姿を視界の端でとらえてからというもの、最近何度か感じた違和感のような視線をさらに頻繁に感じるようになり、時々こうやって双子の幽霊が視界の隅にいる。


 当然怖い事には怖いのだが、案外慣れるもので今の所日常生活に支障は出ていない。


黎明(れいめい)さん」


 満月屋の廊下で後ろからそう声を掛けられて、明依(めい)は振り返った。そこには、言いにくそうに口ごもっている(なぎ)がいた。


「あの、雛菊(ひなぎく)さんの事……なんて言ったらいいのか」


 明依は日奈(ひな)が死んだ日から、人とまともに話すのは久しぶりだ。誰からも気を使われている事は分かっている。


 挨拶の次の言葉で口ごもる事を知っていた。みんな腫物に触るように接する。それを見ていると、本当に日奈が死んだのだと実感する。それが堪らなく苦痛だった。だから、何も言わなくていい。何も言わないでほしい。感情が揺さぶられる事には、ほとほと疲れ果ててしまった。


(さく)が急に仕事を辞めてしまって、凪も寂しいでしょ。いろいろ落ち着いたら、またお茶でもしよう」


 朔は表向きは諸事情で急に仕事を辞める事になった、という事になっている。しかし裏側では、朔が日奈を殺して明依を襲ったことは瞬く間に広がっていった。

 そして、(あさひ)を殺した犯人も朔だったという事を前提に調べている所らしい。しかし、明依には朔が旭を殺したとは思えなかった。


 朔の本性から察すると、旭を殺したのであればあの日にあっけらかんと言っているだろう。話の様子からも、朔が旭を殺したとは到底思えなかった。


 明依は凪の返事を聞くより前にその場を後にした。人との関りから逃げてばかりだ。一方で、仕事からも逃げてばかりだった。


 (よい)は今はそれでいいんだと言っているが、これでいいはずがない事は明依が一番よくわかっていた。しかし今、当たり前の様に源氏名で呼ばれて誰かに触れられれば、自分の存在がかき消えてしまいそうな気がしていた。


「明依。今日は調子がよさそうだね」


 廊下の向かいから歩いてきたのは、宵と(ゆき)だった。雪は明依に気付いていない様子で、両手で大切そうに持っている木の箱をキラキラした目で見つめながら歩いていたが、宵の声に顔を上げた。


「うん。調子いいよ」

「よかった。今、雪と散歩に行ってきたところだったんだよ」

「明依お姉ちゃん、これあげる」


 宵の隣にいる雪が明依に差し出したのは動物が刻印された木の箱だった。中には紙が敷いてあり、いろんな色の可愛い飴が入っている。


「ありがとう」

「全部あげる」


 雪は日奈がいなくなったことは分かっている様だが、正直どこまで理解しているのか明依にはわからなかった。しかし、日奈がいなくなってからというもの、言葉は少ないが自分から明依に話しかけたり、自分の持っている食べ物をくれたりする。


 あれだけキラキラした目で見ていたのだ。楽しみだった筈なのに、ためらいなく明依に全部渡そうとする雪が堪らなく愛しくて、久しぶりに心の底から笑った。


「せっかく買ったんだから、雪が食べて。ひとつだけくれると嬉しいな」

「じゃあ、雪が一番好きなやつあげる」


 そういって雪は水色の綺麗な飴を一つ明依の手のひらに乗せた。


「ありがとう、雪」


 明依が笑いかければ、雪は嬉しそうに笑う。日奈とよく、こうやって笑う雪を見て喜んだなと胸の内が少し痛んだ。


「あのね、宵兄さん。聞きたいことがあるんだけど」

「ああ、どうした?」


 まさか話を振られるとは思っていなかったのか、宵は少し驚いた顔をしたがすぐに薄く笑った。


「日奈に大夫の昇進祝い、何か渡した?」


 ほとんど自室にこもりきりで、考える事と言えば日奈と旭の事だった。日奈が死んだときに頭に飾ってあった簪は、間違いなく清澄(せいちょう)の店で明依が購入した櫛と、旭が日奈に送った簪と同じデザインの最後の一つの簪だった。


 近しい人間でなければ、あの金額を簪には払わないだろうと思っていたのだ。日奈の知らない事を一つ知る事で、明依の中で日奈が息をしている様な気がした。


「ああ、簪を渡したけど……それがどうかした?」


 やはり宵が渡したものだったのか。と明依は現実と心の中を照らし合わせて、安心感とは少し違う不思議な感情に浸る。


 しかし、その後には何とも言えない感情が広がっていく。乳白色の水の中に、藍色を一滴落として薄く広がっていく様な、そんな感覚。


「確認したかっただけ、ありがとう」


 そういって明依は雪から貰った飴を口の中に放った。


「こら、明依」

「あ、明依お姉ちゃん。お行儀悪いんだよ」


 宵が優しい口調で窘めるのはいつもの事だが、雪は本当に年の割にしっかりしていると思う。明依は雪の頭を撫でてその場を去った。


 日奈と旭とよく話をした坪庭に面した廊下を歩く。日奈が何度も躓いて落ちそうになった階段。隣に並ぶ日奈の部屋。明依の部屋の中から見える、吉原の道。旭はよく満月屋に入る前にこちらを見上げて、軽く手をあげていた。


 世界の全てが変わったような気がした。この妓楼は、この吉原は、こんなに暗い街だっただろうか。この部屋はこんなに、もの寂しかっただろうか。自分はこんなに、何も持っていない人間だっただろうか。


 明依は自室の壁に背を預けてへたり込んだ。寂しくて、苦しくて堪らない。考える暇もなく忙しく動いている方が、楽だとわかっていた。でも、何のやる気も起きないのだ。この世界の全てが、くだらなくて、何の意味も価値もないと思ってしまう。


 こんな様子では、しっかりしろよと旭に叱られてしまうだろう。日奈は、叱ってくれるだろうか。明依が送った櫛を死ぬ間際に手に取ったのは、許しているという意味で本当にいいのだろうか。これは、都合のいい解釈なのだろうか。


 結局こうやって自分自身を許せないでいる以上、記憶の中の日奈は明依を許してはくれないのだろう。だから自分自身の問題だと、わかっているのに。


「会いたい、日奈、旭」


 自分の声が耳を通って心に承認される感覚が、涙となって頬を伝う。溢れる涙を押し出す為に目を閉じた。


「随分遊女らしい顔になってきたね」


 一人きりのはずの部屋に響く男の声。目を開けなくてもわかる。こんな事が出来るのは、こんなことをするのは明依の知る限り一人だけだ。


「……終夜(しゅうや)


 声にすれば、嫌悪感と恐怖感を身体中が思い出す。目を開けると、終夜が胡坐をかいて座っていた。


「何しに来たの」

「酷い言い方。ふさぎ込んでるって言うから様子を見に来てあげたのに」

「わざわざどうも。じゃあもういいでしょ。私は至って健康だから」


 明依は涙を強引に拭って、一刻も早く部屋を出ようと立ち上がった。しかし、終夜の隣を通り過ぎるより前に、腕を掴まれて動きを止められてしまう。


「せっかくだから話でもしようよ」


 何言ってんの?正気?と言いたい気持ちの全ては表情に出ていたと思うが、終夜はやはり意に介さずにニコリと笑った。


「どうせ暇でしょ?」

「話す事なんて何もないんだけど」

「雑談しようって言ってるんだよ。今日は風が心地いいねとか、きっと星は綺麗なんだろうね、とかさ」


 本当にこの男は何を考えているのか理解できない。何の為に話をしようというのか。


「もしかして、毒盛ったって嘘ついた事に怒ってるの?ほんの戯れの言葉だろ」


 そんな事は忘れていた。その後にいろいろありすぎたのだ。話をするなら、聞きたい事はそんなしょうもない事じゃない。


「謝るから許してよ。ごめんね」


 終夜はそういって、ペコリと頭を下げた。明依の腕を握る手には、力を込めたままで。今更そんな事にどうこう思っていない事なんて、分かり切っているはずだ。毎度毎度心の内を掻き乱されるこの感覚が不快だ。そしてどこまでがこの男の思惑通りなのかわからない事が、さらに不快だ。


「人間の思い込みの力って言うのは案外侮れないよね」


 雑談のつもりなのか、終夜は明依に向かって笑顔を作った。


「日奈が死んだ日、どうして座敷から出てきたの?」


 明依は終夜の目を見て問いかけたが、彼は相変わらず表情を崩さない。


「会話って言うのは、こういう事でしょ。早く答えて」

「それに答えるかどうか、決める権利くらいあると思うけどね」

「そのつもりなら私もこれ以上話すつもりはないから。手を離して」


 明依は終夜を見下ろしながら冷たくそういうが、やはり彼に動じる様子は微塵も見られない。そして明依の腕を握っている手を離す様子もなかった。明依は終夜から視線を逸らした。


 別に答えてもらえるなんて思っていない。これ以上、不必要に関わりたくない。終夜が宵が犯人だなんて日奈に言わなければ、朔はもしかすると日奈を殺せなかったかもしれない。そんな想像は無意味だ。わかっていても、違う道があったんじゃないかと思ってしまう。


「日奈に会いに行った」


 はっきりした口調でそういう終夜に、明依は思わず目を見開いて彼を見た。終夜は俯いていて表情が見えない。まさか終夜からそんな言葉を聞くことになるとは思っていなかった。日奈が自分を友達と呼んでいる事すら興味が無いような態度を見せていたからだ。しかし終夜は、視線を上げて明依を見上げた後、挑発的な笑みを浮かべた。


 それだけで、一体どの面下げてそんな台詞が吐けるのか、と心の内が掻き乱される。この男の吐く言葉はどうしてこんなにも軽薄に聞こえるのだろう。本当に、この男が大嫌いだ。


「信じる?」

「信じない」

「じゃあ、この話はこれでおしまいだ」

「さようなら。さっさと離して」


 最初から本当の事を話してもらえるなんて期待していない。明依はそういって自分の腕を掴んでいる終夜の手首を握ったが、びくともしない。それどころか、終夜は彼の手首を掴んでいる明依の手を空いている方の手で掴んだ。


「もう夜になるよ。本当なら仕事の時間だろ。客の話し相手になると思って、少し付き合ってくれてもいいんじゃない?」

「私が話に付き合うって本気で思ってる?頭おかしいんじゃないの」

「お堅いなァ。強姦しようって訳じゃないんだから……強姦で思い出した。俺、丹楓楼でお預けくらってたんだった。じゃあ、その分って事なら安いモンだろ?」

「自分が眠ったからでしょ。大体、強姦って言葉で思い出すって事は、無理矢理の認識あったんだ。最低、クズ男、さっさと離して」

「だってあんなあからさまに拒絶されるとさ、ムキになるというか、煽られた気になっちゃったんだよ」


 明依は至って真顔で返答するが、終夜の軽薄な態度と絡んで痴話げんかの様に聞こえてくる事に嫌悪するばかりだ。また完全に終夜のペースだ。本当に腹が立つ。そう思った明依は、大きく息を吐き捨てた。


「日奈の事」

「日奈の質問?どうぞ」

「日奈は最後に、何て言ってた?」


 日奈に触れた時、まだ温かかった。もしかすると終夜は日奈の最後を見届けたのではないかと思った。


「何も。俺が行った時には、もう死んでた」

「そう」


 終夜は感情の読めない表情をして、少し間をあけて短く息を吐いた後でそういった。明依は俯いた後で聞こうかどうか悩み、結局口を開くことにした。


「痛かったと思う」

「そうだろうね」

「それなのにどうして、あんなに穏やかな顔してたの」

「知らないよ」


 終夜が何か知っているかもしれないという期待はどうやらはずれらしい。終夜はどこか愛想悪く必要最低限の言葉で答えた後、優しい顔をして笑った。


「死人に口なし。意味、わかる?」


 明依は俯いたまま、終夜に握られたままの両手で彼の胸ぐらを掴んだ。


 自分に落ち着けと言い聞かせても、一向に収まらない感情。この男とまともに話をしようと思ったのがそもそもの間違いだとようやく気付いた。


 宵を主郭へと無理やり連れて行った日。どうして二人が終夜の事を友達と呼んでいるのかわからないと叫んだ日。自分が教えてほしいくらいだと言っていた。その程度なのだろう。この男にとっては。


「もう二度と同じ気持ちになる事なんてないと思ってた。これが人生で二回目よ」


 意識だけが先行しているような感覚の中にある飲み込まれそうな程の高揚感と相反して、頭は至極冷静に動くこの感覚が明依にとってはどこか懐かしかった。笑顔の一切を消して無機質な顔で見上げる終夜を、明依は見下ろした。


「本気で人を殺したいって思ってるのは」


 明依はありったけの憎しみをその言葉に込めたが終夜は顔色一つ変えず、明依から視線を逸らすこともなかった。


「明依。今、少しいいか」


 部屋の外から聞こえた宵の声に、明依は一瞬にして冷静さを取り戻した。


「宵兄さ、」


 言葉の途中で終夜に思いきり手を引かれて、あっという間に彼に背を向ける形で抱きすくめられ上半身の自由が奪われた。

 声を出そうと口を開けば、それより先に終夜の手のひらが口を覆った。唯一自由な足を動かそうとしても、終夜の足にからめとられて身動き一つとれない。抵抗しようと身体を動かすとすぐに終夜が手足に力を入れる為、骨がきしむ音がする。


「動くと苦しいよ」


 終夜は顔をしかめる明依の耳元でそう呟いた。この状況を宵が見つけてくれれば、主郭の人間達は終夜を放っておかないだろう。旭がいなくなってから終夜の扱いに困っているのなら、この件を大事にすれば何かしら対処してくれるはずだ。


 必要とあらば嘘泣きでもなんでもしてやる。絶対に逃がさない。そんな意味を込めて、明依は自分の口を覆っている終夜の手首を握った。


「いないのか?」


 不審がる宵の声を襖越しに聞きながら、襖を開けてくれることだけを祈った。突然口元を覆っている終夜の手に力が入り、明依は成す術もないまま無理矢理天井を向かされた。


「これってピンチだよね。アンタもそう思う?」


 終夜は明依の顔を上から覗き込んで、答えさせる気のない質問を投げかけた。そして悪戯を思いついた子どもの様な顔で笑う。そして「いけるかなー」とどこか楽しそうに言いながら数回咳ばらいをした。


「明依、開けるよ」


 襖が宵の手によって少しだけ開いた。終夜はそちらに視線を動かした。


「〝待って!開けないで、宵兄さん〟」


 録音した自分の音声でも流しているのかと錯覚する。表情一つ変えずに終夜が放った言葉の、声色、スピード、抑揚のつけ方まで、まぎれもなく〝明依の声〟だった。

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