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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
吉原の厄災編
2/180

2:その世界のすべて

 満月屋という妓楼の中で、鳥の(さえず)る音で明依(めい)は目を覚ました。

 障子窓から太陽の光が漏れている。いつもなら布団の中でぐずぐずとしばらく過ごしているが、今日は気だるさもなく気分がいい。


 人生でトップ3に入る程の目覚めにわくわくした。

 今日はいい事が起こるかもしれないと飛び起きてから、テキパキと身支度を済ませる。変なテンションに身を任せて、三味線でも弾こうと思い立ったのが運の尽き。

 (ばち)で一度弾いただけで大げさな音を立てて弦が切れた。


 目を閉じてしばらく短かった幸福の余韻を噛みしめたが、先ほどまでみなぎっていたやる気というやる気の全ては消え失せていた。


 仕切り直そうと障子窓を見つめたが、太陽の光が眩しくて腹が立った。どうやら人間はこの瞬間の気持ちで感じ方が変わるらしい。


 プラマイゼロ、つまり今日も至って普通の日だという事だ。


 仕方なく部屋の外に出て階段を降りると、若い女達がちらほら廊下を歩いている。いつになくキャピキャピしている。今日も朝から元気だなと、大して年齢の違わない女達の横を通り過ぎた。


 一階の中央に造られた坪庭に面した廊下を歩いていると、女達がキャピキャピしている〝原因〟と思われる男がいた。たった今楼主である宵の部屋から出てきた髪を無造作にセットした男、(あさひ)だ。

 襖を閉めた後で明依の存在に気付いた旭は、挨拶替わりに片手を上げた。


「おはよー明依」

「おはよう、旭。何しに来たの?」

「満月楼の契約書類確認」


 旭は吉原の最奥にある城の様な大きな建物、主郭(しゅかく)という裏側から吉原を支えている、というより実質支配している人間が生活している場所に在籍している。

 だからこうやって月に数回、妓楼の書類確認に駆り出されている。


 旭が手に持っていた紙の束を顔の横でひらひらと振れば、途端にどこからかキャッキャと騒がしい声が聞こえてくる。


「モテてるねー」

「えっ、やっぱり?やっぱ明依もそう思う?そうだよな。やっぱそういう視線だよなアレ」


 旭はこっそりと明依に耳打ちした後、辺りをちらちらと確認した。

 ずっとその顔面で生きてきたくせに、なんだそのモテ初めくらい不器用な態度は。


「どうしたらいい?」

「何が?」

「どんな顔して歩いたらいいんだ?」

「どんな顔って、いつも通りの顔してたらいいじゃん」

「気になってそわそわするんだよ。正直ちょっと悪い気はしないんだけど」


 斜め上を眺めてぽりぽりと指で頬をかきながら旭はそういった。

 随分前から〝そういう視線〟はあった。気付かない事が逆に奇跡だ。


 アホみたいに絵に描いたような照れ方するんじゃないよ。という言葉も飲み込んで、変わりにすべての気持ちを冷たい視線に込める事だけで表現した。


「ええ?何?その顔……」


 調子に乗るなよ。とでも言いたいのだろうと勘繰ったのか、少し不安になった様子でそういう旭に明依は「別に」と答えた。


「でも不思議だよな。挨拶以外で〝梅ノ位〟と関わる事なんてめったにないのに」


 〝梅ノ位〟とは、妓楼に籍を置く女性スタッフの位の一つ。

 テーマパーク吉原と正式に契約を交わして雇われているアルバイトスタッフの一部で、主な仕事は赤く塗られた格子前で指名を待ち、指名が入れば座敷に上がって酒を注ぐ事だ。客と一晩を共にすることはない。


「顔だけはいいからじゃないの」

「なに、俺の事褒めた?えっ、ちょっと嬉しい。もう一回言って」

「言わない」

「なんでだよ!言えよ!」


 裏側を取り仕切る主郭の人間は、梅ノ位と直接かかわる機会なんて滅多にないはずだ。それなら軽くあしらっておけばいいのに、人がいい。決して容姿に頼って誰かと関わる様な人物ではない。


 自分がもし旭と同じスペックを持って生まれた男なら、人生をもっと謳歌するだろうな。と明依考えていた。

 もしそうなら、一つの妓楼の中に自分だけのハーレムを築きたい。いつでも好きな時に両手に花なんて夢がある。旭ならやろうと思えばできない事も無さそうだが、そんな浮ついた気持ちが生まれてこないのか不思議だとさえ思っている。


 しかし、そこが魅力の一つという事も知っていた。

 次期裏の頭領の座を争っているはずの主郭内の人間でさえ、旭に任せておけば吉原の未来は安泰だと言わしめる人たらしの才を持った人格者でもあった。


 そんな旭に何度も救われたからこそ、生涯伝えるつもりのない心の拠り所の様な気持ちが生まれたのだと思う。


「彼女でも作ったら?」

「それならこのままでいいやー」


 半分冗談で、半分本気でそう言えば、やはりなんの躊躇いもなくあっさりと旭は答える。


 冗談でもそんな提案に乗る様な人ではない事は嫌と言う程知っているが、本当に彼女の一人や二人くらい作ってくれたら、それなら仕方ないとあっさりすっぱり諦める事ができるかもしれないのに。今の所そんな様子はない。


 しかし同時に、そんな気を起こさない旭の言動に安堵している。

 本当にどこまでも可愛くないひねくれ者だなと自分の事をそう思ったが、今の所それで他人に迷惑をかけてはいないのでよしとする。


「明依、旭。おはよう」


 鈴を転がす様な声に視線を向ければ、今日も花が咲いた様に可愛らしい笑顔を浮かべた日奈(ひな)が立っていた。


「おー日奈。おはよ」

「おはよう、日奈」


 〝竹ノ位〟。妓楼に籍を置く女性スタッフの位の一つで、満月屋の楼主に自らを売った明依や、親に売られた日奈の様に人身売買で吉原に入った女たちのほとんどはその階級にいる。

 そのシステムは、江戸の頃に栄えた吉原遊郭の遊女と何ら変わりないものだ。


「今日ね、三味線の弦を切っちゃう夢見たんだ」


 日奈の発言にドキリと心臓が高鳴ったのは言うまでもない。日奈の寝室は隣の部屋だ。もしかしてあの弦が切れた音が聞こえてたのだろうか、いやでも防音はしっかりしているはずだし、と明依は何食わぬ顔で日奈の話を聞いていた。


 気持ちのいい朝だったから、自分に酔いしれて三味線弾こうとしたら弦が切れました。なんて、恥ずかしくて絶対に言えない。


「音が凄くリアルでね、昔に明依と一緒に稽古してた時の事思い出しちゃった。明依覚えてる?懐かしいよね」

「あーうん、覚えてる。懐かしいね」


 早く話を変えたいならば動かさなければいけないのは間違いなく脳みそなのだが、なぜかそわそわして視線を動かしたり手を動かしたりともはや不審者レベルの挙動不審さだ。

 精一杯の作り笑いはきっと引きつっていたと思うが、幸いにも日奈は気付かずに二人で三味線の稽古をしていた懐かしい話をしている。


 ふいに視線を感じて隣の旭を見ると、ジトっとした目と目が合った。明らかに、絶対お前の仕業だろ、と言いたげな視線のおかげで、ほんの少し冷静になる。

 何事もなかったかのように旭からそっと目を逸らしておいた。


 明依と旭がそんなやりとりをしている間も、日奈は「あの頃は楽しかったなー」と思い出話を口にしながら指を唇に添えてクスクスと笑っている。


 その様子があまりにも可愛らしくて自然と顔が綻ぶ。旭も同じように優しく笑っていて、明依の視線に気付いてから視線を合わせると、二人で微笑みあった。


 これ以上の幸せは、望まないと決めている。命と時間には限りがあって、別れは突然訪れるものだという事はよく知っている。

 友達とのなんて事のない日常が続くなら、他には何もいらない。だからさっさと旭への思いが息をひそめるのを待っている。


「俺、もう行くわ。この書類確認し終わったら、久々に三人で裏の店の団子でも食べに行こうぜー」

「いこう!じゃあ、それまでは明依と二人で適当に時間を潰しておくね」


 旭が去ってすぐ、隣の襖が開いた。落ち着いた色合いの着物が長身によく似あっている。


「おはよう、明依、日奈」

「おはよう宵兄さん」

「おはよう」


 楼主である(よい)は後ろ手で出てきたばかりの襖を閉めて旭の後ろ姿を見た後、明依と日奈に向き直った。


「三人は本当に仲がいいね」


 そういって宵が嬉しそうに笑うのはいつもの事だ。明依にとって宵は恩人と言っても過言ではない。あの日宵に拾ってもらわなければ殺人鬼になっていたかもしれないと思うと、5年たった今でもぞっとする。


 吉原という狭くて窮屈な檻の中で明依が生きていける理由のほとんどは、旭と日奈、そして宵だった。大げさな表現をするようだが、それが明依にとっての世界の全てだ。


 明依たちの年齢からすれば、吉原の楼主のほとんどは親以上に歳が離れている事が普通ではあるが、その中で宵は飛びぬけて若い。

 今よりもまだ若い頃に現在の頭領に認められ、明依が吉原に来るより少し前に満月屋の楼主に抜擢されたのだと以前に旭が自分の事の様に誇った顔で教えてくれた。


 宵の裏表のない性格を慕う者は満月屋だけではなく吉原の中でも多く、彼の籍が満月屋ではなく主郭にあれば、旭と裏の頭領争いでいい勝負をするのではないかと、明依は頭の中でそんなドリームマッチを繰り広げている。


「日奈と旭と裏の団子を食べに行くの」

「それはいいね。旭がいるなら安心だけど、気を付けるんだよ」


 そういった宵は明依と日奈の頭をごくごく自然な様子で撫でて去っていった。


「ね、明依。やっぱり宵兄さんってかっこいいよね」

「うん、かっこいい。大人の余裕ってかんじ」


 女の話が長く結論がないのはもはや常識だが、例に漏れず明依と日奈のガールズトークは旭が仕事を終わらせるまで途切れる事なく続いた。

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