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07:胡蝶の夢に

 清澄が苦笑いを浮かべる横で、炎天は「おもしろいじゃないか!」とテンションが上がっている。

 絶望していたかと思った鳴海は「じゃあしゃーねーな。今日くらい飲むかー!」と言う。根本的に陽キャなのだろう。


 梅雨に至っては目を閉じて精神統一をしていた。


 こんな時に利口になる女好き時雨は、こちら側に近寄りもせず、遠くの方で背を向けて完全に存在感を消していた。


 近付いたら終わると思ったに違いない。

 松ノ位が集合している場所に近寄ろうとしないなんて、女好きの時雨からすると奇行に違いないからだ。


 ふと視線を感じてそちらに顔を向けると、丹楓屋の楼主が申し訳なさそうな顔でこちらを見ていた。

 しかし視線が絡んだとたん、丹楓屋の楼主はあろうことか光の速さで目を逸らした。


 思いだすのは花祭に丹楓屋に応援に行ったときの事。

 勝山に鬼絡みされる明依を襖から覗いていた丹楓屋の楼主は、目が合った途端襖を閉めて自分だけが逃げて行った。


 あんの野郎。一度ならず二度までも。

 自分の妓楼のモンスターくらい、自分の手で手綱を握っておけよ。


 そう思いながらももし自分が丹楓屋の楼主になった場合、自分が勝山の手綱を握っている所が一ミリも想像できなかった。


 そんなことを考えているうちに、丹楓屋の楼主は騒がしい人達に間を縫ってさっと立ち上がり出入口に向かって歩いた。


 逃げる気だな。復讐心を察したか。そうはさせるか。


「あっ、丹楓屋の旦那さーん」


 明依はわざとらしく声を張り上げ、丹楓屋の楼主に向かって手を振った。


「ご無沙汰しておりますー」


 丹楓屋の楼主は焦った様子で、手を彷徨わせてあたふたとしている。


 明依の声に勝山の視線が移る。

 よし、かかった。


 舐めるんじゃないよ。座敷の中で遊女を相手にすると言うのはこういう事だ。


 遊女の腹の中にいると思え。

 逃げ切れると思ったら大間違いだ。


「なーんだい、いたのかい」


 勝山は特に大した感情もない様子で言う。

 もしかすると勝山は丹楓屋の楼主をこの場に誘わないのではないか。

 とっくにいじり飽きているとか。


 丹楓屋の楼主にも希望が芽生えたらしく、少し表情を明るくした。

 もしこのままお(とが)めなしなってしまったら。


 明依は大して回っていない頭で次の策を考えていた。

 明依と丹楓屋の楼主の二人にだけ、緊張が走っている。


「ちょいと」


 勝山は丹楓屋の楼主に手招きをする。

 丹楓屋の楼主はそれを見て終わった、と思ったのだろう。大きなため息をついた。


「何だいその態度は」

「なんでもないです」


 勝山の言葉にかぶせるように、丹楓屋の楼主は光の速さで返事をする。

 そしてしぶしぶと言った様子で勝山の側に腰を下ろした。


「ちょうどよかったよ。みんなで楽しく酒を飲もうとしていたところだ」


 丹楓屋の楼主は勝山から握らされた徳利を虚無の目で見つめていた。


 丹楓屋の楼主、地獄入り。


 明依は心の中でガッツポーズをした。


 今日という今日は酒乱モンスターの餌食になってもらう。自分は既に餌食だが、明依の中には一人でも多くの人間を道連れにしてやろうという気合が十分にみなぎっていた。


 以前、丹楓屋の応援に行ったときに、座敷で酒乱モンスターの餌食になっている所を見て見ぬふりされた時に願った、頭の毛根死滅は取り下げてあげてもいい。


 その代わり今日は、自分の妓楼、〝丹楓楼式〟の酒の席を楽しんでいくといい。


 そして明依は、意を決して徳利に口をつけた。

 酒が無くなると目ざとく察する勝山が、わんこそば顔負けのレベルで、酒を手渡してくる。

 もはやそういうボットなのではないかと思った。


 まず最初に潰れたのは、勝山に勧められるまま酒を飲んだ丹楓屋の楼主だった。


「はい、一人目~」


 勝山は恐ろしいカウントをしながら、自分の妓楼の楼主の首根っこを掴むと、座敷の端に引きずって行った。

 それから雑に手をはなして放り投げた。


 以前丹楓屋に応援に行ったとき、自分もこんな感じで乱雑に扱われたのだろうかと思うと怖くなった。


 松ノ位達はいつの間にか、この大乱闘からは脱線している。

 きっと三人は上手い事言って逃れたのだろうと思った。


「梅雨ちゃん」

「……なんだ」

「大丈夫?」


 一応まだ他人を心配する気力は残っていた。

 遊女のなりから解放されて最初の宴会が酒乱モンスターがいる座敷とは、梅雨はとことんついていないのだろうなと思った。


 酔っぱらってもう〝梅雨ちゃん〟と呼ばれる事にすら反応しなくなった梅雨は、虚無の目で酒を見ていた。


「高尾大夫の為だ。俺がここで耐えないと、高尾大夫にまで魔の手が及ぶ」


 明依は離れた所にいる高尾を見た。

 高尾は吉野と楽しそうに話をしている。


 そのさらに向こう側には海と空と雪が三人固まって地面に腹ばいになって、楽しそうに笑いながらお菓子を摘まみ、絵か字か何かを書いている。


 どうして一つの座敷で、こんなにも天国と地獄が分かれてしまっているのだろう。


「生き残ろうね」


 明依はそういって、持参していた桶の中に徳利の半分の量の酒を捨てた。


「ああ! お前!」

「しー!!!」


 声を荒げる梅雨に、明依は鬼気迫る表情で詰め寄った。


 それを目ざとく察した酒乱モンスターがこちらに視線を向けるが、梅雨は一瞬で勝算を見出したのか、明依と肩を密着させて桶を酒乱モンスターから完全に見えない様に隠した。


 ドキドキ、なんて可愛いものじゃない。

 心臓がギュインギュインねじれる様な音を立てなっている。

 

 生きた心地がしない、というのはまさにこの事だった。

 二人とも勝山と視線を合わせない様に、遠くを見るふりをしながら酒に口をつけ続けた。


 勝山の視線が他にそれた後、明依と梅雨は示し合わせた様に安堵の息を吐いた。


「取引だ、黎明」

「なんの?」

「俺にもその桶を使わせろ。じゃないと勝山大夫に言う」

「……それ〝取引〟じゃなくて〝脅し〟だよね」

「取引だ」


 きっと梅雨は本当の取引というのがどういうものなのか知らないのだ。

 取引というのは利益や損失が平等にあるから取引というのであって、片方に膨大な利益がありもう片方に膨大な損失があるものを取引とは言わない。


 しかし、酒乱モンスターの被害者だしな、という所に収まった明依は、使わせてあげよう、という所に考えが収まった。


「いいよ」


 ここは協力しなければ乗り越えられない。


「一緒にこの夜を越えよう」


 明依がそう言うと、梅雨は大きく頷いた。


「当然だ。俺がつぶれたら、高尾大夫が危ない」


 梅雨は自分がどれだけ犠牲になっても高尾だけは守り通すという気合らしい。

 それほど愛されている高尾が少し羨ましく感じた。

 全て、彼女の人徳のなせる業だと思う。


 しばらくして次に潰れたのは真正面から勝負に挑み、ノリと気合とテンションで乗り越えられると高を括った鳴海だった。


 勝山は瀕死の鳴海の首根っこを掴んで座敷の端に運び、丹楓屋の楼主同様に雑に手を放す。

 気付けば座敷の隅には、戦士たちの抜け殻が溜まっていく。

 

「黎明ー、アンタはまだ、私を楽しませてくれるんだろうね」


 あれだけ酒を飲んで、顔色一つ変えない。

 明依は勝山が恐ろしくなると同時に、泣きたくなった。


 意識が沈んだまま戻らない時間が長くなる頃。ふと我に返ると、座敷の中が最初に比べると随分静かになっていた。


 いつの間にかリタイア者が続出しているなか、とうとう時雨は勝山につかまった。


 持ち前の口八丁を活かしてどうにかしようという気概を感じたが、どうにもならなかったようで、徳利を握ったまま遠い目をしていた。


 もう酒が水みたいに思えてきた。

 明依は無意識に勝山から差し出された新しい徳利を受け取って、そのまま取り繕う事もせずに隣の桶に移した。


 桶はとっくにいっぱいになっていて酒が溢れている。

 それどころかいつの間にか潰れた梅雨が顔を突っ込んでいたが、明依は全く気付かずに、ただひたすら、勝山から受け取る徳利を梅雨の頭の上で傾けるという動作を機械の様に繰り返していた。


 零れた酒が足付近を冷やす。

 しかし明依はその原因は何なのか、気にする余裕も、確認する余裕すらなかった。


 頭がくらくらする。

 平衡感覚すらなくなり、明依はゆっくりと身を横たえようと畳に腕を付いた。

 しかし、ほんのわずかな理性で我に返る。


 終夜から貰った簪が割れてしまうかもしれない。


 そう思った明依は、気力を振り絞って頭の上に手を伸ばして、やっとの事で簪を抜き取った。

 髪が重力に従って肩や顔に落ちると同時に気力も尽き果てて、バタリと音を立てて倒れ込んだ。


 それから、どれくらいの時間が経ったのかはわからない。

 感覚はなく、視界は霞んでいる。

 音は聞こえる。ただそれが何の音なのか、認識する事はできなかった。


 広い座敷にいる。ほの暗くて、たくさんの人が横になっている。


 夢の中にいるのだと思った。

 夢の中でまで仕事を思わせる座敷を見るのは勘弁してほしい。

 だからもう、別の夢に移るみたいに目を閉じてしまえばいいのに、夢の中でさえ焦点を合わせようとする高性能の視界が、この夢から出る事を嫌がっている。


 障子窓の側で、誰かが二人、酒を飲んでいた。


 ゆっくりとした時間が流れていることが分かるくらい、穏やかな様子で。


 その人物が誰かと分かった時、あらためて、ああ、夢か、と思う。


 明かりの灯らない座敷の中。月明かりだけを頼る仄暗い座敷の中で、夜を背景に座って話をするのは、勝山と終夜だったから。


 明依はそこでいつかの夜を思い出した。


『私の酒は飲めないってのかい』


 そういう勝山を終夜はなだめて言った。


『いつかゆっくり飲みましょう』


 終夜と勝山の会話を、鮮明に思い出す。

 あの時の終夜はきっと、そんな気はなかったのだ。

 吉原の抗争が終わって自分が生きているなんて、そのつもりなんて、少しもなかったに違いない。


 二人のあの会話が、心の奥底にあったのだろう。

 こんな夢を見るなんて。


 何の話をしているのだろう。そう思うのに、肝心の聴覚は話を聞き入れる事をサボっている。

 まあ、夢なのだから、話している様に見えているだけかもしれないが。

 

 しかし明依は、ぼんやりとした意識の中でも、二人のやりとりを見ていたい思った。


 勝山はきっと、ずっと終夜と酒を飲みたかったに違いない。

 終夜もきっと、同じ気持ちだったはずだ。


 夢の中の勝山は穏やかな顔で笑っていて。

 終夜もまた、薄い笑顔を浮かべていた。


 大好きな二人が笑っている。

 なんて最高の夢なんだ。


 襲い来る、眠気に似た重さ。ダルい、という感覚。だからほんの少しだけ目を閉じていようと思った。

 早起きをして時間に余裕があるときに、もう少しだけと思う感覚と、そっくりで。


 そして明依は目を開けた。


 男物の着物が見える。

 酔って眠ってしまったのか。

 そうに違いない。


 そして、二回戦でも始めようという気なのか。

 酒を飲んで寝ている女を起こしてまで欲望を吐き出したいなんて。嫌われるぞ。


 そもそも、今日の客は、どんな客だったか。最低な客の顔を拝んでやる。


 面倒という感情の中で主張する反骨精神で、明依は顔を上げた。


 男の顔が目に映って。

 なんだ、夢かよ。と落胆し、そして〝二回戦〟がない事に安堵した。


 目の前にいるのは終夜で、彼は一度としてこちらを見ない。


 しかし明依は、夢の中であることをいいことに、終夜の顔を穴が開くほど眺めていた。

 少し下から眺める終夜の顔は、腹が立つくらい綺麗な顔だ。

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