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05:盃を充たす

「よく座敷の中で鬼ごっこをして怒られたな」

「懐かしいわね」


 高尾と吉野はそう言うと笑い合う。

 もっとも、高尾は顔を隠しているので笑っているのかはわからないが、雰囲気はとても柔らかい。


 二人がいつ仲直りをしたのかは知らない。

 しかし今の二人の様子には、生前の日奈と自分が重なって見えて。


 違和感なく羨ましい気持ちになるという事は、二人は本当に以前の様に心を開き合っているのだろう。


 そんなことを考えていると、視線を感じた。

 すぐに梅雨と目が合う。

 梅雨は以前と同じ様に、近寄りがたい様子を見せている。


 しかしすぐに、ふっと息を抜いて笑った。


「やっといろんな話ができるな、黎明」


 『じゃあ治ったら、いろんな話をしようね。私、楽しみに待ってるから』


 挨拶周りの帰り、満月屋まで送ってくれた時にそう言った自分の言葉を思い出す。


 〝いやだ〟と言っていたのに、まさか覚えていてくれたなんて。


 その思いが胸を熱くして、外側に出るのを待っている。


「……梅雨ちゃん」

「梅雨ちゃんって言うな」


 即座に反応する梅雨だったが、明依はそれ以上最適な呼び方がわからず、また〝梅雨ちゃん〟以外はありえないという結論にまで至っていた。


「怪我は?」

「もう治った」


 もう治ったはさすがに話盛りすぎだろと思った明依だったが、変にツッコんでまた距離を取られても寂しいのでやめておいた。


「私まで呼んでいただいてありがとうね」

「八千代さん」


 高尾と梅雨の後に三人ほど迎え入れてすぐ、座敷に入ってきたのは八千代だった。

 余所行きの着物を着ている八千代からは、細かな所からセンスの良さを感じる。


 蕎麦屋の中か、座敷の中で準備をしてもらう時にしか会わなかったからか、今の八千代からは品のいい雰囲気が漂っている。やはりこの人の技術は本物なのだと思わざるを得なかった。


 次に姿を現したのは炎天だった。


「みんな早いな」

「きっとみんな、この日が楽しみだったんですね」

「根詰めて働いていたからな」


 炎天の言葉に、吉野は笑顔で返事をする。

 元の、という言い方が正しいのかは分からないが、炎天は今まで通り、感情を大きく表に出している。


 変に気を張ることもない。

 今では自分にできない事はできないとはっきり割り切って、自分の仕事に専念している様だ。

 これこそが彼らしい。


 そして明依はすでに座っている清澄と炎天をみて、叢雲を思い出していた。


 悪い人ではなかったのだ。

 ただ、暮相に対する思いが強かっただけ。

 そうでなければ、彼の為に自ら命を絶ったりしない。


 叢雲はこの二人を見守ってくれているのだろうか。

 できるならまた三人でいる所を見たかったと、少し悲しい気持ちになった。


「ねえ、ちょっといいかな」

「はい、なんでしょう。黎明大夫」


 あることを思い立った明依は、遊女の一人にこっそりと声をかけた。


「お願いがあるんだけど」


 そういって明依は、遊女に耳打ちをした。


「わかりました。伝えてきます」


 遊女はそう言うと、ぺこりと頭を下げて座敷から出て行った。


「もう賑やかだね」


 遊女と入れ違いで入ってきたのは吉原の医者だ。


「こんばんは」

「こんばんは。……終夜くんはいないみたいだね」


 医者は大して期待もしていなかったのか、あっさりとした様子で言う。


「来ないらしいです」

「こういう場所は嫌いだろうからね。あなたがいるからいるんじゃないかと思ったんだけど」


 医者は何の気もない様子でそう言うと、座敷の中に入っていった。

 一体どういう意味なのだろうと思ったが、声をかけられた明依の意識はとっさに切り替わった。


「お招きありがとう」

「夕霧大夫」


 夕霧は満月屋の遊女たちさえも骨抜きにしている様で、高尾の時のような歓声のざわつきというよりは、唖然としているどよめきに近いものを感じる。


 やはり夕霧の美貌は男だけではなく女も虜にする。

 間違いない。保証してもいい。


 だって初めて会ったときに新しい扉を開かれかけたのだから。


 本人の意図してかは知らないが、夕霧の魅力は人間をおかしくする。


 どうして今日もそんなに美しいんだ?

 夕霧の美しさがもともとの素質に加えて圧倒的な努力があることも当然わかってはいるが、それにしても美しすぎる。


 個人的に夕霧の顔がタイプというだけの話かもしれないが、タイプどうこうの前に圧倒的に美しい。


「あら」


 夕霧はそう言うと明依の顎に手をかけ、自分の方へと半強制的に明依の顔を向けた。


「素敵な色ね」


 夕霧はそういって明依の唇から視線を逸らして目を合わせると、意地悪な顔で笑った。


 しかし次の瞬間にはもう明依には興味がなくなったのか、あっさりと手をはなして歩いて行く。


 心臓を射抜かれた様な気になったばかりなのに、すぐに姿が見えなくなる。


 本当に夕霧という女性は恐ろしい。

 しかし自分がやると大事故になりかねないので、何の勉強にもならなかった。


「今日終夜は来るんですか?」


 当たり前の様な顔で座敷に足を踏み入れた晴朗は、辺りを見回しながら明依に問いかけた。


「どうして私に聞くんですか?」

「一番終夜の予定を知っていそうなので」


 他の人はきっと終夜の話題を世間話のついでに出しているのだろうが、晴朗に限ってはおそらく本当に予定を知っていそうだと思って聞いているに違いない、という確信が明依にはあった。


 晴朗は以前満月屋で宴会をした時の様に、腰に二本の刀を下げている。


 この前のような揉め事はごめんだ。

 終夜が今日、この場にいない事はナイスだと思った。

 

「あら、生きてたの」


 夕霧は分かり切った様な強気な笑顔を浮かべて、晴朗に向かってそう言った。


「おかげさまで」


 晴朗は笑顔を張り付けたままそう言う。


 おそらく吉原には〝吉原の人間たるもの、病院は抜け出すべし〟という家訓でもあるのだと思う。


 晴朗も、今、高尾の後ろに座って、彼女を凝視している梅雨も、終夜同様に大けがをしていたので吉原の外にある病院に入院していた。


 二人とも終夜同様、目が覚めてしばらくすると吉原に戻ってきたらしい。


 晴朗は唖然としている明依に『もう動いても問題なさそうでしたから。自分の身体の事は自分が一番よく知っているので』と言っていた。常識的に考えて絶対安静だと思うのだが、彼にそれを言う気には全くなれなかった。


 何ならまだ命を狙われる可能性がある。

 終夜の予定を知っている女だと思われたらなおさらだ。

 全くもって、油断はできない。


「私と一杯どう?」


 座敷を出ようとしていた晴朗は、夕霧の魅惑的に聞こえる声に歩みを止めた。


「悪運が底をついていなかった事を祝って」

「今晩くらいは、いいですね」


 晴朗はそう言うと、踵を返して座敷の中に足を踏み入れた。


「こんばんは」


 次に入ってきたのは外部の情報屋の竹下だった。

 竹下はやはり本当にどこにでもいる男に見えて、見慣れているはずの和服も竹下が着ると改まった服装に見える。


「こんばんは、竹下さん」

「やっぱり大きな妓楼はすごい迫力ですね」


 竹下はやはり、困った顔で笑う。

 観光客、と言われても疑いはしないだろう。

 どこにでもいる男に見えるのに、裏社会の住人。


 鳴海ほどわかりやすければ、これほど脳みそはバグを起こさないと思う。


「竹下さ~ん。こっちこっち」


 鳴海は座敷に人が溢れている事には何の遠慮もなく、自分の座っている場所から竹下に向かって手を振る。

 竹下は広い座敷の中で自分の名前を呼ばれたことに戸惑いながら、明依に軽くお辞儀をして座敷の中に入っていった。


 何人かに挨拶をした後、また騒がしくなった廊下に視線を移すと、勝山が大きなあくびをしながら廊下を歩いていた。

 その隣には勝山の圧に押し負けているであろう丹楓屋の楼主がいる。


「こんばんは」

「ああ、こんばんは黎明さん。その節はどうも、」

「今日は対等に付き合ってもらいたいモンだよ」


 丹楓屋の楼主の言葉を遮って、勝気な笑顔を浮かべる勝山。


 今回は助けてくれるんだよね?

 そんな気持ちを込めて勝山の隣にいる丹楓屋の楼主に視線を移したが、彼はしれーっと視線を逸らした。

 身の危険しか感じない。


「暖かい布団の中で眠れると思うんじゃないよ、黎明」


 捨て台詞を吐きながら、勝山は明依の隣を通って座敷の中に歩みを進めた。

 丹楓屋の楼主はちらりと明依を見て、触らぬ神にたたりなしとでも言いたげに小走りで座敷の中に入っていく。


 うなだれそうになりながら、必死に自分を奮い立たせた。


 よく分かった。丹楓屋の楼主は役に立たない。

 今日は他にもたくさんの人がいるんだ。誰かが止めてくれるだろうし、何なら誰かが身代わりになってくれるかもしれない。


 明依は座敷の中を歩く勝山に視線を向けた。

 勝山は賑やかな座敷の中に、広く薄く視線を巡らせていた。


 終夜を探しているのだ、という事はすぐにわかった。


 明依も勝山と同じように視線を巡らせる。しかし当然、終夜はいない。


 勝山が十六夜に対してどんな感情を抱いているのか、明依にはわからなかった。

 裏切り者として割り切っているのか、それとも心底嘆いているのか。


 しかしどちらにしても勝山にとって、終夜が生きていたことは不幸中の幸いに違いない。


 もしかすると今、勝山と同じ感情を持っているのかもしれない。

 生きていてくれるだけでいいと思う反面、元気な姿をずっと見ていたいと思う、相反した気持ち。


「やあ、黎明大夫。ごきげんいかがかな」

「おかげさまで元気です」


 赤城学園の息子の赤城のにこやかな態度に返事をする明依だったが、赤城はふと視線を座敷に移して息を呑んだ。


「来てるじゃないか、勝山大夫と夕霧大夫……!」


 高まる感情を声と共に抑えたつもりなのだろうが、全然抑えきれていない事に気付いていないであろう赤城は、明依の横を足早に通っていく。

 

 話をしている勝山と夕霧の側に行く赤城。三人で少し話をしてから、赤城は後腐れも無さそうな様子で自分の席に移動した。


 あの二人に上手に手のひらで転がされたに違いない。


 清澄といい、時雨といい、どうして男はそんなに女が好きなんだろうと、明依はずっと解けない疑問を感じていた。


「こんばんは、少し遅くなりました」

「大丈夫です。まだ始まっていませんから」


 入口に人がまばらになったころにあらわれたのは、吉野の婚約者、天辻だった。


 天辻は何か言いたげに口を開いたが、すぐに口をつぐむ。


「では、またあとで」

「ええ。また」


 二人がこうやって話をするところを見るのは初めてで、幸せになってほしいと心の底から思った。


「来てやった」


 視線を移すと、そこには空と海がいた。

 海はきょろきょろとする雪の手を引いている。


「いらっしゃい」


 吉野は穏やかな笑顔で言う。

 座敷の中にいる吉原の人間は、まだ双子の幽霊に対する恐怖心は完全に消えない様子だ。しかし、嫌悪感を顔に出す者はいないだけ、大きな進歩だ。


 双子の幽霊は勤めを終えて、普通通り街の中で暮らしている。


 もう印象を残す必要もないのだからバラバラの着物を着たらいいのに、いまだに着物の色を揃えている。


 理由は〝人がおびえているのを見るのがおもしろいから〟らしい。

 何とも海らしい理由だ。


 三人は席についてジュースを注いでもらっていた。


「え~、みなさん」


 炎天の大きな声に、座敷の中はおとなしくなった。


「本日はお集まりいただいて、ありがとうございます。現代の頭領が進めている吉原解放がやっと叶う所まで来ました。理由は何であれ、吉原の未来の為にと思う気持ちは誰もが同じだったと思います。長年かけてやっと方向性が固まったことを、嬉しく思います」


 この言葉は本来、頭領である終夜が言う言葉だろう。

 しかし明依には、終夜が挨拶をしている所が全く想像できなかった。


「本日、頭領は不在ですが、楽しみましょう」


 炎天はそういうと酒を掲げた。


「乾杯!」


 広い座敷の中が、「乾杯」という声で埋め尽くされる。


 楽しそうな笑い声が座敷の中に響く。


 吉原解放の祝賀会であり、亡き人への弔いであり、過去の清算であり、吉原の未来を願う為でもある。


 吉原の街のいたるところから呼ばれた人たちが、同じ座敷の中で楽しそうに笑っている。


 座敷の中には、空席がいくつかある。


 今回の一連の出来事で命を落とした人を弔う為の席。

 中でも目立つ空席は、先代の頭領の席。


 誰が何を言わなくとも、先代の頭領の席にはたくさんの人が並ぶ。

 台の向かいに座る男たちは、二つの猪口に酒を注ぎ、ひとつを先代頭領の元へ。もう一つの猪口に入った酒を飲み下した。


 頭領の席はすぐに猪口でいっぱいになる。


 明依も二つの猪口を持つ、そして遊女らしく、生きていれば頭領が座っているであろう場所の隣に腰を下ろした。


 聞きなれた、酒がトクトクと流れる音を意識している。

 他の誰でもない〝あなた〟の為と、意識しながら。


 本当の意味で苦しみから解放された暁が、あの世で笑っていてくれたらいい。


「いただきます」


 そういって酒を飲み下した。


「大酒のみの頭領も、さすがにこの量はまともに立っていられんだろうな」


 頭領の席に集まったたくさんの酒の前で、炎天は豪快に笑う。


「けろっとしているフリはするだろうね。情けない所を他人に見せない人だから」


 そういう清澄に、炎天は「そうだろうな」と穏やかな口調で言った。


 誰もが打ち解けて話をしている。


 吉原の街は閉鎖的で、妓楼の間でさえ行き来することはめったにない。

 吉原は今、本当に変わろうとしているのだと自分の肌で感じていた。


 終夜の為に用意されている席は、やはり空席。

 それがなんだか、腹の奥底を締め付けて、悲しい気持ちにさせる。


 終夜が吉原にもたらした平穏、その予感。

 この座敷の中のたくさんの人の嬉しそうな顔に、にぎやかな雰囲気。

 また、彼の想定内なのだろうか。


 それでもいいから、この様子をぜひ終夜にも見せたいと、どこにいるのかもわからない彼にそんなことを思った。


 明依は、四人の松ノ位が座る場所へと歩いた。


「遅い」

「すみません」


 勝山の叱責に、光の速度で返事をする。


「無礼講だ、黎明。吐くまで呑みな」


 どうして無礼講なのに、吐くまで呑まないといけないんだろう。

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