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01:願えば叶う夢もある

 抗争から二か月。

 吉原は修繕工事に追われていた。あれだけ派手に爆破などを起こせば、修繕工事が長引くことは想像に難くない。


 吉原には物心つく前に売られた人間も多い。


 吉原の外から入った重機を物珍しそうに見る人もいれば、大きな音を「怖い」「怖い」と言いながら、まるで未確認生物から身を隠すかの様に妓楼の中で震えている人もいた。


 妓楼に限らず、休園のタイミングでと建物の中を整える所も多く、承諾を得た多くの人々が吉原に足を踏み入れた。


 同時に主郭では時雨や炎天を中心として〝吉原解放〟が最優先事項として進められている。


 修繕工事のメンテナンス休園を終える頃には、竹ノ位以上の〝遊女〟が吉原を自由に出入りできるようになる事だろう。


 だが、外の世界の物を怖がる人も多い所を見ると、本当にそれぞれが思うままに動けるようになるには、遊女たちに長い時間をかけてゆっくりと定着するのを待つしかないというのが、今の吉原の結論だった。


 しかし、選択肢が与えられることは大きく、吉原の街全体が、希望を持っていた。


 時雨や炎天は、終夜が作った人脈を利用しながら最終的なすり合わせをしている最中で、遊女を吉原の外に出す為の最善で最短のルートを考えている。


 明依は吉原の内側から、この街に残る人間の立場に立って吉原解放を推し進めていた。


 満月屋の一階の座敷の中で書類に目を通す。

 それが今日の明依の仕事だった。


 あれから二か月間、ずっと根詰めて働いてきた。

 その密度は、宵が終夜に主郭に連れ去られた時の様だ。

 今の気持ちは、その時の吉野の思いに近いのかもしれない。


 自分が動かなければという責任感がある。同時に、緊張感が心地よくもあった。


 やってもやっても仕事が終わらない。

 追われる中で効率を身に着けて即活かすという生活は、嫌いではない。


 今日は念願の団子を食べるべく雪と約束をしている明依は、強制的に作業を中断して部屋を出た。


「おはようございます、黎明大夫」

「おはようございます」


 あの日から、妓楼の中でも外でも気さくに声をかけてもらえる。

 希望が見えているからか、吉原の中は以前よりもずっと楽し気な声が響いていた。


 明依は満月屋から外に出て、吉原の街を歩いた。


 抗争の中で終夜を探していた陰達には全く遠慮がなかった。

 その時に壊れたであろう部分も修繕が始まっており、騒ぎ立てる観光客はいないはずなのに、吉原の街は賑やかだった。


「明依お姉ちゃん!」


 雪は団子屋の前で明依を見つけた途端、顔を輝かせた。


 最初に比べると、雪は大きく感情を出す。

 ずっと何かに怖がっていておびえていた頃からすると、成長した様に思う。


「ごめんね、雪、お待たせ」

「ううん。雪も今来たところだから」


 そんな言葉をどこで覚えたのか。


 同じ妓楼から出ているはずで、出会わなかったのだから、随分前に雪はここについていたという事になるが。

 〝今来たところ〟を言いたいらしい。


 雪の子どもらしい部分が、堪らなく可愛かった。


 終夜が見たら喜んだだろう。

 そんな考えが頭をかすめて、何かしらの感情を心の内側に落とし去るより前に、明依は「いこっか」と呟いた。


「いらっしゃい」


 明依と雪を見た女将は、個室へと案内した。


 日奈と旭と以前に座った場所だ。

 懐かしさを感じながら、雪と向い合せの席に腰を下ろそうとした。


「明依お姉ちゃんはそこ」


 向かい合わせでも、雪は壁側に。明依は通路に近い所に。

 斜め向かい合わせでなければいけないらしい。


 どういう事かは理解できないが、明依は「はいはい」と答えて、ご馳走になる雪の言う通りに腰を落ちつけた。


「お団子を三本ください」

「はいよ。何にしましょうか」


 女将は二人分の湯呑をテーブルに置きながらそう言って、雪に向き直った。


「三つの色があるお団子がいいです。一本ずつ、三つのお皿に入れてください」

「皿三つも持ってきてどうするんだい?」

「一皿はここにおいてください」


 そう言うと雪は自分の隣を指さした。


「一本は終夜の分だから」


 それをきいた女将は、ちらりと明依を見た。

 明依が曖昧な表情をして頷くと、女将は笑顔を作って「はいよ」と言う。それから雪の頭を撫でで去っていく。


「今日は雪がご馳走するからね」

「うん、ありがとう。お団子楽しみだね」


 明依はそう言って、雪に向かって笑顔を作った。

 雪は自分の前に置かれたお茶の入った湯呑を〝終夜の席〟に移動させた。


「お待たせ」


 女将は一皿を明依の前に。そして雪の前には皿と湯呑を。それから雪との約束通り、雪の隣に空席に皿を置いた。


「ゆっくりしていきなよ」


 女将がテーブルから離れる。

 明依は自分の前の空席にポツリと置かれた団子と湯気の立つ湯呑を見た。


「食べよう、明依お姉ちゃん。いただきます!」


 雪はいたっていつもの様子で言って、手を合わせた。


「そうだね」


 そういって雪にならって手を合わせようとしたところで、すすり泣く声が聞こえる。

 顔を上げると、雪がぽろぽろと涙を流していた。


 こんな時、大人は無力だ。


 いったいどんな声をかけたらいいのか、見当もつかないから。


 明依は〝終夜の席〟に置かれた皿を見ながら手を合わせて、そっと目を閉じた。


 途端に額に衝撃と、それから痛みが走る。


「痛ッ!!」


 何が起こったかわからずに額を抑えて辺りを見回す。

 しかしすぐに額の痛みの正体が分かった。


「縁起でもない」


 終夜はそう言うと、明依の前に腰を下ろした。


「終夜!」


 雪は涙を拭う事も忘れて隣に座る終夜に飛びついた。

 終夜は自分の腰に絡みついている雪の頭をテキトーな様子で撫でた。


 明依は一人ぼっちで赤くなっているであろう額を撫でた。


 そんな事よりズルい。

 私だって直接それくらい雪に甘えられたい。

 仕方ないな~って感じを出しながら頭を撫でたい。


「何その顔」

「いや別に」


 嫉妬の全てを終夜に向けているなんて思われたくなかった明依は、デコピンをされたのか、叩かれたのかもわからない額を自分で撫で続けた。


「謝ってよ。絶対赤くなった」


 明依は心底不服です。という感情を余すことなく言葉に乗せる。


 どうして丁寧にいただきますをしようとしているだけで責められないといけないんだ。


「空席に団子の乗った皿一つあって、隣で子どもは泣いてて、その皿見ながら手を合わせる。って、死んだ人間への餞別(せんべつ)だと思わないの?」


 終夜の言葉を聞いて明依は冷静にその状況を頭でなぞる。


 確かに。

 という言葉しか出てこなかったが、それを言ってしまうとなんだか負けてしまった気がするので、「ああ、まあね」と曖昧に濁す作戦に出た。


 終夜は睨むように前から視線を送ってくるが、目の前の団子に興味津々という様子を見せつけて回避した。


 この男の張り巡らせる死線を潜り抜けてきたんだ。

 日常生活くらい片手間で相手できる。


「終夜、来られないって言ってたのに、どうして?」

「一区切りついたから」


 終夜から離れた雪は、お行儀よく手を膝の上にのせてそういう。

 小さくてかわいい。とにかくかわいい。

 その言葉しか出てこない。


「雪、終夜が来るのすごく楽しみにしていたからさ。かわいそうで」

「だからって勝手に葬式ムードにするのやめてよ」


 終夜はそう言うと、自分の前に置かれた団子を見て手を合わせた。

 そういえば自分も挨拶がまだだったと思いだした明依は、終夜と一緒に手を合わせた。


「いただきます」


 明依と終夜の声が重なる。

 それを聞いた雪は、花が咲いた様な、嬉しそうな表情を浮かべた。


「どうぞ、めしあがれ」


 ニコニコと笑って二人が食べる様子を見ている雪に、明依と終夜はちらりと視線を交わして笑った。


 終夜も同じ事を思っている。

 きっとこの瞬間を、純粋な幸せというのだ。


 明依と終夜は同じタイミングで団子を頬張った。


「うん。おいしい」

「おいしい。ありがとう、雪」


 明依と終夜がそう言うと、雪は大きく頷く。


 日奈と旭との思い出がある団子屋で、まさか終夜と団子を食べられる日が来るなんて思ってもいなかった。


 現実は無慈悲だ。

 だけど、夢は願えば叶うものなのかもしれない。


 世の中には混じり気のない幸せは少ない。

 終夜と一緒にいる時間で、幸福と葛藤を味わうみたいに。


 だけどこの空間は紛れもなく混じり気のない幸せだと、明依は確信していた。


「おかわりお願いします」


 聞き覚えのある声に、三人はカウンター席に視線を移した。

 そこには海が口元にたっぷりの餡をつけて、女将に向かって皿を差し出していた。


「ついてるぞ」


 空は海の隣で、呆れ気味にそういう。


 二人の的確な応急処置のおかげで、終夜は一命をとりとめた。


 明依はその場に崩れ落ちて、空は明らかな安堵の息を吐いていた。

 海は無表情のまま、ぽろぽろと涙を流していた。


 三人で「よかった」「よかった」と言い合った。


 しかし終夜が回復してから、徐々に冷静になった二人は〝いや、どうしてあの怪我で助かったんだ?〟と疑問に思ったらしい。

 それがとうとう、恐怖にまで発展した。


 喜びと疑問の感情を浄化させるために選んだ手段があだ名を付ける事だった。


 二人がしばらく陰で終夜の事を〝ゴキブリ〟と呼んでいる事は知っていた。

 理由はそのレベルの生命力だから、らしい。


 かつて、酔っぱらった客に着物を握られ、つるりと剥けるように乱れた着物の様子からつけられた〝ゆでたまご大夫〟というあだ名は愛嬌があったのだと思った。


 きっと終夜は自分がゴキブリ扱いされていることに、まだ気づいていないだろう。

 自分を犠牲にして吉原を救ったのに。

 そして助かったのに。

 陰で〝ゴキブリ〟と呼ばれているなんて。

 かわいそうに。


「〝ゴキブリ〟と同じ空間で食べる団子の味はどう?海」


 終夜の言葉に、空と明依は生命の防衛反応が働いて、終夜からできる限り顔を逸らした。

 海は相変わらずのポーカーフェイスで手に持った残りの団子を口いっぱいに頬張っている。


 雪は床をきょろきょろと見回していた。


 ゴキブリはふたりが言い始めた事だ。

 どうして自分までこんな危機感を抱かなければいけないんだと思いながら、明依は壁のシミを数えるフリをして団子を頬張った。


 生死を彷徨った終夜だったが、幸いにも生命活動に問題はない。


 瀕死の状態から回復し、当然の様に病院を抜け出した終夜だったが、それを予想していた吉原の医者が終夜の治療に必要なものを一式を準備しているというファインプレーを見せたので、終夜はそのまま退院となった。


 しかし、肩と手のひらに深い傷を負った左手は、以前と同じだけの力をこめて握ることはできないらしい。


 とはいっても、日常生活に全く問題がなければ、明依の右手の握力よりも圧倒的に力がある。


 死にかけた人間に〝この程度〟と言っては失礼だろうが、この程度の代償で済んでよかったと、誰もが心の底から思っていた。


「雪、ごちそうさま」


 団子を食べ終えて、終夜は雪に言う。


「ごちそうさまでした」


 明依もそう言って手を合わせた。


 雪はまた嬉しそうな顔で笑う。


「すみません。ご勘定」


 片手をピシッと挙げてそういう海に、空はあきれた様子を見せる。

 同時に、少しだけ嬉しそうに笑っていた。


 幸せだ。

 紛れもなく。

 だからこれ以上は望まない。


 だから盗み見た終夜の笑顔をもっと近くで見たいなんて、終夜に触れたいだなんて。

 そんなわがままな願いは、叶ってはいけない。

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