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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
吉原の陰謀編
126/180

20:悔咎

 昨晩、明依と終夜が吉原を離れている間に、頭領の命が何者かに狙われた。

 幸いにも頭領は無事だが、犯人は不明。終夜が去った後。満月屋の前では十中八九終夜だという雰囲気を、主郭から来た人間の誰もが隠さなかった。


「終夜は犯人じゃありません。私が証明します」


 これから一緒になろうとする男の前で〝吉原の厄災〟を庇い、一晩を明かすような事を口にする。目を見開いているほとんどの男はきっと、品行が悪い女だと思ったに違いない。


 一向に構わない。

 本当に終夜ではない事を知ってもらえるなら。どうせ終夜の評判は地に落ちているのだから、先ほど強く握られてあざになっているであろう腕を見せて、昨晩の行為の妄想をさらに加速させてやってもいいと思うくらい。


 終夜を止められなかった気持ちに比べれば、そんなものはどうでもよかった。

 しかしこの結末が、自分の最善を尽くした結果だという事も知っていた。


 『この吉原には多分、何かいる』

 初めて双子の幽霊にあった時、空がそう言っていたことを思い出した。

 その〝何か〟は誰だろう。外部から入り込んだ、宵だろうか。それとも終夜か。他の誰かか。






「明依お姉ちゃん!」


 そう言われて、明依は我に返る。

 少し離れた所から雪と吉野がこちらに向かって歩いてきた。


 昨日から同じことばかり考えている。明日から吉原は、修繕工事の為の休園になる。だからか、いつもより人が多い。せっかくだから騒がしい吉原の街をゆっくり見て回ろうかと、三人で満月屋から出て吉原の街を歩いている所だった。


 雪は最初に比べると、本当に表情が豊かになった。動物が刻印された木の箱を持って笑っている。中には敷いてある紙の上には、いろんな色の可愛い飴が入っていた。


 懐かしい。日奈が死んで落ち込んでいた時、雪はこの箱を差し出して一番好きな飴をくれた。


「たくさんお着物を買ってくれるお礼です。いつもありがとうございます」


 そう言って雪は、あの日明依に渡したように、水色の綺麗な飴を吉野に渡した。それは雪が一番好きな飴だ。自分の好きなものを人にあげる。その気持ちが子どもらしくて、とても美しいと、明依はそう思っていた。


「ありがとう、雪」


 吉野は嬉しそうに笑って雪から飴を受け取ると、ぱくりと無邪気な様子で口の中に運んだ。


「明依お姉ちゃんにもあげるね」


 雪は小さな指で飴をはじくように避けるが、なかなかうまくいかない。

 明依はすぐに、雪が何を探しているのか見当がついた。

 明依が指を出すと、雪は両手で木の箱を持ち直す。


 この光景は、大嫌いだった彼があの日見た景色。


 明依は指先で飴をはじくように避けると、親指と人差し指で一つの飴を摘まんだ。

 カラフルな色の飴。


 それを見た雪は、花が咲いたような顔で笑う。


「明依お姉ちゃん、覚えてくれたの?雪が二番目に好きな飴」

「うん。覚えてるよ」


 覚えている。

 一番大好きな飴が水色の飴だという事も。

 『じゃあ、これにする』と言って、終夜が偶然雪の二番目に好きな飴を選んだ事も。


 かけがえのない大切な思い出の一つで、二度とは戻らない瞬間だとよく知っているから。

 きっと生涯、何度も何度も思い出す。その度にこの思い出は、胸の中で息衝く。


 この街は美しい。忘れていた気持ちを思い出すみたいに、吉原の街を眺める。


 乱れ咲く花の様に、たくさんの色の番傘が空に咲いている。観光客は上を見上げて、それから太陽に透けて地面に映る淡い色を見下ろしていた。


 花氷。花が埋められた氷は、ちょうど一時間で溶ける様に作られている。一時なら花が一つ。二時なら二つ。溶けた氷は水になり、花と一緒に桶の中で揺れている。


 時間をかけて、吉原の街を歩いた。


「いつかこのお団子屋さんで明依お姉ちゃんにご馳走する約束をしています」


 雪はいつも、ここの団子をご馳走してくれようとする。今日も団子屋を指さしながら、吉野にそう説明していた。


「終夜も誘います。お団子屋さんのおばちゃんも、会いたいって言ってたから」


 雪は本当に終夜の事が好きだな。そう純粋に思えるだけだったらよかったのに、胸が締め付けられる錯覚を覚えている。

 終夜はもう、明日には死んでしまうかもしれない。雪は、それを知らないだろう。どうしてそんなに懐いているのかは知らないが、雪は人間の本質を見抜く能力に長けているのかもしれない。


 そんな日が、本当に来たらいいのに。

 団子を食べながら笑い合う事が日常になればいい。

 この願いを叶える方法が、今の明依には全くわからなかった。


 気付けば三浦屋の近くまで来ていた。昨日吉原に戻って、高尾に挨拶をしていない事に気が付いた明依は、吉野へと向き直った。


「姐さま。高尾大夫の所に寄って帰りますから、雪をお願いできますか」

「ええ。勿論」


 そう言って吉野は頷く。明依は吉野の綺麗な顔を、じっと見つめた。


 親友に受け入れてもらえるかわからない事は、不安だろう。これ以上踏み込まなければ、これ以上傷つく事はない。わかっているからきっと、吉野も高尾も身動きが取れない。あの時宵は『まだ日奈と仲直りしてないのか?』と言っていたが、他人から見ればそんなものだ。お互い思っている事は一緒なのに、どうして一歩を踏み出さないのかと思われている。

 でも、行動に移すには堪らなく勇気がいる事を、日奈と喧嘩した時に学んだ。


 あの時日奈は、どんな大切な話をしようとしたんだろう。

 話が出来ていれば、どんな風に仲直りしただろう。

 聞くことも出来ず、答えが出なくなった疑問は、頭の中をかすめるだけだ。


 しかし、失った過去があるからこそ。終夜が明日にでも死ぬかもしれない今だからこそ。

 明依は自分に言える事があると知っていて、説得力がある事もわかっていた。


「吉野姐さま。私は、向き合った方がいいと思います。明日誰かが生きている保証なんて、どこにもありませんから」


 まさか明依からこんな言葉を聞くと思っていなかったのか、吉野は少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑う。少し俯いて、寂しそうで儚げな表情をした。


「そうよね」


 先代・吉野大夫。つまり吉野の姐さんは自殺した。友と慕った暮相も死んだ。その苦しみを痛い程知っているはずだ。


 でもいつか藤間が言った様に、鮮烈な感情は長くは続かない。薄れていく。そして深く根を張り、自分の一部になる。


 それでも人間は過ちを犯す。

 何度も何度も。


 だけど明依は、自分の成長を実感していた。少なくとも、昨日から自分のとった行動に後悔はない。これから先、しないといけない事も後悔であっていいはずがない。

 大丈夫。まだ終夜は生きている。生きている限り、チャンスは何度だって作れるはずだ。


「本当に、立派になった」

「吉野姐さまに育てていただきましたから」


 明依は笑顔でそう言うと、吉野も嬉しそうに笑う。


「じゃあ、行ってきます」


 三人で吉原の街を回るのは、もしかするとこれが最後かもしれない。

 もしそうだとしても、きっと後悔はしないだろう。


 自分に今できる事の全てを、一秒一秒に刻み込んで生きている。

 終夜の死を目前にしてやっと、時間というかけがえのないものの大切さに気付いていた。


 明依は雪の頭を撫でながらそう言って、三浦屋に入った。


「なんだ。戻ってきたのか」


 高尾は明依を見て開口一番、そう言った。 相変わらず梅雨は、ツンとした表情で離れた所に立っている。それから、まあ座れ、とでも言いたげに自分の前に誘導する様に手を向ける。


「戻ってこないと思っていたんですか?」

「五分五分といった所だな」


 高尾はどこかふざけた様な口調でそういう。明依は高尾の前に腰を下ろした。


「終夜はなんと言った?この街に残る事を」

「私がこの街に残る選択をしました」

「終夜がお前に選べと言ったのか?」


 高尾はいつも通り顔を隠しているが、その口調が〝あの終夜が?〟と言いたいのだろうという事は容易に読み取れた。


「よほど決め兼ねたらしい」


 それはどこか愛情のこもった含み笑いだ。仕切り直すように「では」と高尾は凛とした口調で言う。


「明日、終夜は命を狙われる。しかし、後悔はないな」

「ありません」


 そう言うと高尾はゆっくりと一つ頷いた。


「黎明。お前は終夜を守る為に、宵と身を固める決断をしたな」


 自分以外の松ノ位と呼ばれる人達は、本当に人の心が読めるのではないだろうかなんて、もう何度考えたかわからない事を頭の中に思い浮かべていた。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、高尾は言葉を続けようとすっと息を吸った。


「こうなっては、お前の状況を幸運と思う他ない。終夜を助けたいのなら、吉原で今一番影響力のある宵をとことん利用しろ。申し訳ないという気持ちは、終夜が死なない未来の最中、宵の側で存分に思えばいい事だ」


 高尾が何を言いたいのか、手に取る様にわかった。


 『度を越した感謝や忠義は身を亡ぼす』

 空はいつか、そんな事を言っていた。

 『アンタと宵は、対等にはなれないんだから。絶対にね』

 恩のある宵に対して絶対に対等にはなれないと、終夜はそう言った。


「真っ当に考えれば、お前が選ぼうとしている未来はそういう未来だ。誰かへの恩に縛られて生きていく」


 宵に裏切られた。だけど今ではお互いに利用する関係。だから対等になれたのだと思っていた。しかし、そんなはずもない。

 今まで散々、宵に与えられてきた。宵がいなければ、そもそも今頃、人を殺していたかもしれない。

 それに加えて、終夜を助けてほしいと頼む事。これのどこが対等なのか。


「構いません」


 それでも、構わないと思った。

 宵は気にしなくていいと言うだろう。心を開けば受け入れてくれるし、大切にしてくれる。そして言葉通り何も気にしなければ、幸せな未来だけを見られるのかもしれない。


 しかし、自分の内側から出てくるこの感情に、他人の感情は考慮されない。


 自分の本当に好きな男を救わせ、自分を〝好きだ〟という男の側で生きる未来。

 一体それは、どんな色の地獄だろう。


 今まで宵から、綺麗な物語を魅せられた。

 宵が魅せるのだから、鮮やかな色をしているのだろうか。


「心の内側はお前だけのものだ。誰にも咎められない」


 高尾は凛とした音で、そういう。


「〝本当の気持ち〟は、大切に持っておけ。必ずお前を守ってくれる」


 終夜への気持ち。それを大切に持ち続けた先に、何か救いがあるのだろうか。


 明依は高尾に頭を下げた後、高尾の部屋を出た。

 従業員の女の穏やかな笑顔に見送られて三浦屋の外に出る。


「明依」


 名前を呼ばれて反射的に視線を移すと、そこには宵がいた。


「一緒に帰ろう」


 迎えに来てくれたのだろうか。

 幸せを煮詰めた様にも見える夕暮れのオレンジの中で、明依は笑顔を作った。

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