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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
吉原の陰謀編
124/180

18:可惜夜に口遊む

 襖を閉める終夜に付き合った後、布団をもう一つ敷いて隣に並べる。それから終夜は枕元の間接照明をつけた後、部屋の電気を消した。

 現代では生活必需品である電気ですら懐かしい。これでは確かに終夜の言う通り世捨て人だ。

 それからやっと横になり、終夜は間接照明を消した。使い慣れていない布団で眠る感覚が新鮮で、すぐに睡魔が襲ってきた。


「おやすみ、終夜」

「おやすみ」


 終夜の返事を聞いてから眠ろうと目を閉じたが、冷静にこの状況を考える。

 これって凄い状況だよね。そう認識すると、頭の中がザワザワ騒がしくなり、収拾がつかなくなった。


 手錠つけて隣に寝てるってもう事後の寝落ちじゃん。もし今、誰かにコレを見られたら完全に勘違いされる。でも説明しようもないし。いや、終夜の家なんだから誰も入ってくるわけないし説明も必要ない。

 剥製の遊女の事を考えながら一人では眠れなかったかもしれないから、これでよかった。無理矢理そう言い聞かせて抑えつけようとした明依だったが、頭の中は結局、いや本当にいいのか?という疑問を提示してくる。

 雨の中を外に出てビチャビチャになりながら鍵を探すなんて気力が残っているはずもなく。かとって葛藤することをやめられないまま明依は何度も寝返りを打った。


「もしかしてなんだけど」


 視界が暗いからか、少し掠れた声で呟く終夜の声にすら反応している自分をブン殴ってでも正気に戻らせてあげたい。何を言われるんだろう。

 「なに」とそっけない態度で返事をしたが、心臓がドキドキうるさい。


「期待してる?」

「してない!!!」

「じゃあ、早く寝なよ」

「わかってるからもう喋りかけないでよ!おやすみ!」


 明依はそう言うと、そっぽを向くようにして目を閉じた。


 終夜が外の世界で生きてくれたとして。明依という女も黎明という遊女も、終夜の記憶の中で埋もれてやがて溶ける。それならせめて、未来で終夜が触れる思い出の中で位は可愛い女でいられたらいいのに、それも出来ない。


 諦めの気持ちと一緒にゆっくりと息を吐くと、遠ざかっていた眠気がすぐ近くに来る。


 吉原に戻るまでに、終夜はちゃんと答えを出してくれるのだろうか。もし否定された場合、何を言えばいいんだろう。微睡の中でも、明依はその事について考えていた。


 「終夜に死んでほしくないから」と伝える事にしよう。それに終夜は「なんで?」と言うだろうから「旭と日奈の友達だから」と言う。もしそれでも納得しないで、「明依には関係ない事だよね」なんて言われたら、そう言われたら、どうしよう。「終夜が好きだから」と素直に伝えようか。いや、そんな訳にはいかない。「私も終夜が大切だから」、くらいの言葉にしよう。






 次の日。鳥のさえずる音で目を覚ました。目を開けるいつもと違う景色。そうだ。吉原の外に出たんだ。昨日は、今日の事を考えている間に眠ってしまったのか。

 寝覚めがいいから伸びようと腕を伸ばしたが、不機嫌そうな「痛い」と言う声が聞こえて、明依は肩を浮かせた。


「何だ終夜か」


 明依はそう呟いて安堵の息を吐いた。

 終夜と手錠で繋がっているから終夜の手も一緒に頭上に行ったのかと最初は思ったが、それだけではなく、なぜかしっかりと手を繋いでいた。


「なんで手、繋いでるの?」

「これが繋いでる様に見えるの?俺が手を握られてるんだよ」


 確かに終夜は一切の力を入れていない。逆に明依は渾身の力で終夜の手を握っていた。明依は何事もなかったかのように手を離した。ずっと力を入れていたのか、手首と肘の間が少し痛んだ。

 終夜は解放された手をグー、パー、と何度も動かしながら片手で本を読んでる。枕元の間接照明の明かりは付いていた。


「ずっと起きてたの?」

「うん。読み切りたかったから」


 まじまじと部屋を見回すと、たくさんの本が綺麗に端の方に並べてある。

 よく見ると部屋の中は、寂しい。シンプルなものが好みなのかもしれない。だけどもしかすると、終夜はこの場所に戻ってくる気がなくて荷物を整理している。つまり、やはり死ぬ気なのだろうと思った。


 今言うと泣いてしまいそうで。それは自分にも終夜にも得になるはずがない事は分かっていた。明依は気持ちを切り替える様に身を起こした。


「本好きだね」


 主郭の地下の拷問部屋の隣。隠し扉を抜けた先の部屋にも、たくさんの本が並んであった事を思い出しての事だった。

 このありきたりな言葉を吐く感覚は、吉原に来る客を相手にしている感覚とどこか似ている。


「うん」


 短く返事をする終夜の言葉にさえ、胸が鳴るのだから本当にもう勘弁してほしい。もうこれは突発的に発症する発作の様なものだと言い聞かせた。


「ほかに読んでみたい本はないの?」

「あるよ」

「それって、どんな本?」


 終夜は読み終わった本を閉じて枕元に置いた。


「言い出したらキリがないよ。読みたい本なんてたくさんあるし」


 だったらどうして、自ら死にに行こうとするのか。吉原の外で本に囲まれて暮らしていればいい。過去の喧騒なんてなかった事にして、穏やかに暮らしたらいいのに。

 終夜の思いを理解できない事が悔しかった。


「でも、本はどんどん増えていくんだよ。この本を選ぶなら、あの本は読めない。もしかするとあの本を読む日は来ないかもしれない。それって当然の事じゃない?」

「だけど、」

「だからさ」


 終夜は明依の言葉を遮る。まるでどうしてほかに読んでみたい本を聞いたのか、質問の意味を知っているみたいに。


「今自分が一番読みたいと思っている本を読む。時間には限りがあるんだから、優先順位をつけて読んでいたら最悪の後悔はしない。人生の満足度って、そういうので決まるんじゃないの」


 終夜はきっと人生の本質を知っている。


 『何かを得るためには、何かを捨てないといけない。それが自然の摂理』

 『この本を選ぶなら、あの本は読めない。もしかするとあの本を読む日は来ないかもしれない』


 以前、海がそう言った事を思い出した。終夜と海は根本的な考え方が似ているのかもしれない。


 晴れた空の下に出て、二人は鍵を探した。鍵を見つけてすぐにその場で手錠を外すと、終夜は左手を肩に当てて右肩を回していた。

 簡単な準備をして、玄関に背を向けた。

 きっとこの場所に来るのは、これが最後。


 終夜が車庫から出したバイクの後ろに、昨日と同じように跨った。

 きっとバイクに乗るのは、これが最後。


 山中を走って、それから海辺を走る。

 夜中よりもぬるい風は、スピードが速くなるにつれて冷たくなって行った。

 終夜はこれから先どうするのか、何も話さない。


 昼過ぎ。バイクが止まり、何も言わない終夜の後ろを歩く。

 そこは吉原の正門前へ続く、湾曲した道だった。


 吉原の前にいる。それが答え。

 終夜はきっと、ちゃんと考えた。ちゃんと考えて、この結果を選んだ。そう思うのにやっぱり、吉原の前に来ても明依の気持ちの整理はつかなかった。


 お互いに何も喋らないまま、〝損料屋〟と書かれた看板の店に入る。

 二人きりの部屋の中。明依は藁にも縋る思いで、昨日の夜思った言葉を伝えようと口を開いた。


「終夜。私、」

「いいよ。吉原から出ても」


 明依は信じられない思いで終夜を見た。どこか優しい顔をしている終夜の穏やかな雰囲気に、絆されそうになる。


「明依が一緒に来てくれるなら」


 今度は確かに、胸が鳴った。

 終夜は今、何て言った?


「私が一緒に?」

「そう」

「なんで、」

「一緒がいいから」


 本当にずっと一緒にいたいとか、例えばプロポーズとか。きっとそんな意味じゃない。

 じゃあそれは、一体どういう意味だろう。

 頭の中で必死に〝終夜〟という男の情報を辿って、その言葉の結論を見つけようとしているのに、どんな経路を辿ってもその答えにはたどり着かない。


「外界の道を歩く人の顔を見て、こんなに自由な世界に一体何の不満があるんだろうって。思わなかった?」


 確かにそんな事を思った。

 きっと、想像に至らない苦労があるんだろうな。と無理矢理片付けた事だ。


「自由って言うのは、選択肢が限りないって事。優柔不断な人間にとってそれは不幸な事なんだよ。何を選び取ればいいのか、見当もつかない。たくさんの人が、わからない、わからない、って嘆いている間に人生が終わる。遊女は外の世界に出たがるけど、外の世界も吉原も大して変わらないよ。何の目的もなければ、死んでるみたいに生きるだけ。だけど、吉原って場所が笑えるくらい広い世界の中を手探りで生きるのは怖い事も、面白い事も山ほどある。……でも、俺には選べない。だから、明依が選んで」


 蕎麦屋の二階にいた時もそうだ。大切な選択を委ねようとする。終夜はあの時、面白がって選択を明依に委ねた。


「明依が俺の為に全部捨てるなら、俺も今までの全部を捨てていいよ」


 終夜はそう言うと距離を詰めて、少し身を屈めた。

 きっと蕎麦屋の二階の時とは違う。終夜の嘘偽りのない姿に触れている様な気がした。


 終夜の綺麗な顔が、ゆっくりと近付く。


「私は……終夜が生きてさえいてくれたら、それでいい」

「だから一緒に、死んだように生きてみる?って。誘ってるんだよ」


 『一緒に外界に逃げるなんて結末はどう?』


 終夜は死なない。宵も死なない。

 吉原での立場も、努力も、思い出も、何もかも捨てて、二人で新しい世界を生きてみる。それは怖くて、でも面白くて。 

 そんなことがあっていいのだろうか。たくさんの人たちを踏み台にして、吉原で幸せだった人間が、自分だけの幸せを願っても。そんな焦りを覆い隠す様に広がるのは、凪ぐ様な穏やかな気持ちだった。


 鼻先が触れて、思考も呼吸も止まる。


 他の誰でもない自分自身が、終夜という一人の男を心の底から受け入れた証を、つまりまもなく触れる唇の熱を待っている。


 絡む視線を断った後、誰かの笑顔が浮かんだ。

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