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造花街・吉原の陰謀  作者: 野風まひる
吉原の陰謀編
116/180

10:勝利の方程式

「ああ」


 炎天がそう言って咳ばらいをする。


「……あれ、えーっと……え~」


 そんな挙動不審な炎天の様子にも全く動揺を見せず、師範は柔らかい笑顔を浮かべている。


 まさか合言葉を忘れたのかと明依は炎天を見たが、彼は変わらず唸っているだけだ。

 少し離れた所にいた生徒と思われる子どもが、不思議そうにこちらを見始めている。


 これはまずいんじゃないか。と明依は焦った。

 しかし、以前の清澄の言葉を思い出そうとしてみたが〝山吹〟がどうのこうの、という事以外は思い出せない。


 相変わらず炎天は、あーでもないこーでもないと言いながらうなっている。

 後ろにいる主郭から来た三人は合言葉を知らない様子で、〝どうする?〟とでも言いたげな視線を交わしていた。


「おかげさまで、変わりないよ」


 そう言ったのは終夜だった。

 性格は底辺だが、なんだかんだ頼りになる。明依はやっと緊張を解いた。


「だけど、この前天気が崩れた時は風邪を引いたんだ。参ったよ」

「そうですか、そうですか。大事がなくてよかった。……今日は、山吹に御用でしょうか」

「うん、そう」


 清澄と話した時は山吹という人はさっき会って別の人に用事があって、みたいな話ではなかっただろうか。

 曖昧に思い出した明依だったが、前回とは何となく違っている様に思えた。


「生憎、山吹は出ておりまして」

「じゃあ、中で待っててもいい?」

「ええ、どうぞ中へ。すぐにお茶を準備いたしますから」

「お構いなく」


 終夜が当たり前の様に会話を様子に興味が失せたのか、子どもたちはどこかへ走って行ってしまった。

 師範が踵を返した。


「俺の監視役でしょ。しっかりしてよ」


 終夜の言葉に炎天はさすがに何も言い返せないのか、小刻みに身体を震わせて悔しそうにしている。

 時雨はなだめる様に炎天の肩をポンポンと叩いた。


 時雨以外は皆、おそらく終夜の監視の為にいるのだろう。本当にこの男は身内からもとことん信用がないんだな。と思うと可哀想という気になるのかと思ったが、終夜が余りに堂々としているのでそんな気にすらなれなかった。というより、自業自得だ。

 逆にここまで警戒されて、平然としている精神力が凄い。


「さあ、どうぞ中に」


 師範に連れられてたどり着いたのは以前の奥座敷ではなく、墨の香りが充満する部屋だった。まさか、あの部屋の隠し階段のほかにも地下に通じている道があるのだろうか。


 部屋の中には背の低い机がいくつも並べられていて、その上には生徒が書いたと思われる半紙、積み重なっている双紙。筆、(すずり)等、たくさんのものがおいてある。

 二人の女性従業員が、振り返って「こんにちは」と愛想よく挨拶をする。


 なんて事のない従業員の詰所、もしくは準備室の様な場所だった。


「どうしてこんなところに」

「ここには常に人がおりますから」


 思ったことをほとんど無意識に言う明依に師範はそう言いながら、従業員と協力して一つの机の上にあるもの全てを別の場所に移動させ始めた。


「手伝うぜ」

「お手を触れぬよう留意くださいますように!」


 机の上のものに触れそうとする時雨と、側にあった双紙に手を触れようとした晴朗は、師範の強い口調でピタリと動きを止めた。


「時雨殿。お気持ちだけありがたく頂戴いたします」

「え、なんで?」

「私共はこの部屋にある物の位置、角度。全てを把握しております。一ミリとズレや歪みが生じては困ります。(ゆえ)にここには、従業員以外の立ち入りを禁止しております」

「へー。徹底してんだな」


 それを聞いた晴朗は手を引っ込め、時雨は感心したように声を漏らした。

 それから何を思ったのか、移動作業も終盤に差し掛かり手の空いた女性従業員の側へと歩いた。


「ここで働いてどれくらい?」

「え?えっと……三年くらい経ちましたでしょうか」


 女性は時雨を少し警戒しているようだ。

 それもそうだ。初めてあった男に馴れ馴れしく話しかけられるなんて、誰だって警戒するに決まっている。


 時雨は女性のペースに合わせて話をする男だと思っていたが、時雨も行くときは結構グイグイ行くんだな。なんて思っていた。


「三年か。もともと字が得意でここに?」

「いえ、全然。寧ろ苦手だったから、うまくなりたかったので」

「あの中にアンタの書いた字、あんの?」

「はい。あれです」


 部屋の壁にはたくさんの書が並んでいる。女性はその中から自分のものを指さした。


「へー。めちゃくちゃうまいじゃん。苦手だったって嘘だろ?ちょっと話盛った?」

「盛ってませんよー。本当に下手だったんです」

「普通に見本だろ、あれ。本当に三年であんなに上手くなんの?」

「ね、私も自分でびっくり。案外上手になるものなんですね」

「他人事みたいに言うじゃん」


 時雨を警戒していた従業員は、途中から楽しそうな笑顔で話をし始める。


 天才過ぎないか?

 本当にこの人、女性の扱いが上手すぎる。おそらく時雨の今の仕事は天職なのだろうと思わせられる場面だった。


 お前も少しは見習えよ。と当然終夜の事を思ったが、視線をやるとまた勘付かれそうなのでやめておいた。


「しかし、くれぐれもお気をつけくださいな、黎明大夫。それから時雨殿」


 そう言った師範の口調は、これから怪談話でも始めようとしているのかと思う程迫力があった。

 時雨は視線をやっただけだったが、明依は思わず背筋を伸ばした。


「いくら名の通っておられる方と言えども、この場で怪しい行動をとろうものなら、価値のあるそのお命、頂戴することになります(ゆえ)


 その言葉と迫力のある師範の様子を見て、明依と時雨はひっ、と声を漏らした。


「そうそう。火遊びも程々にしておかないと、大火傷じゃ済まないよ。時雨。ここの従業員は主郭が優秀と認めた陰で構成されている。下手な事すれば、気づいたらあの世にいるかもね」


 終夜は物騒なことを平然とした顔で言ってのける。

 明依は思わず師範を見た。この穏やかな人が山姥みたいになるのかと想像すると恐ろしくなった。

 時雨は自分の隣で笑っている女性を見ている。その表情には、この綺麗な女が……?という気持ちが全て出ていた。


 従業員たちは机の上にある物を全て移動させてから、次に机を動かし始めた。それから道具を使って一枚の畳を外す。その下には回転する取っ手のついた木の板。それを持ち上げると、古びた階段が顔を出した。


「ありがとう。手間かけたね」

「とんでもない事でございます。主郭の方々のお役に立てる仕事であると自負しております」

「その通り。助かってるよ」

「嬉しいお言葉でございます」


 その言葉は自分が言いたかったとでも言いたげな炎天を他所に、師範はシャンと背筋を伸ばして労わる終夜にそういう。

 それから師範は従業員から持ち手のついた燭台、手燭を受け取った。

 それを受取ろうと手を伸ばす炎天をすり抜けて終夜に手渡す。


「燃焼時間は10分でございます」

「うん。わかってる」


 終夜が返事をすると、師範は蝋燭に火を入れた。それからまた、背筋を伸ばした。


「では、道中くれぐれもお気をつけて。いってらっしゃいまし」


 まず最初に終夜が階段を降り、次に晴朗、炎天と続いた。それから明依に手を貸す時雨と、その後ろから監視役の三人が階段を降りる。


 降りた先は地下通路。以前施設に行くために通った、骸骨がカタカタ笑っていても違和感ない道と何も変わらない。

 多分、どっちでしょう?というゲームが確立五分五分のまぐれに頼るしかない結末になるほど何も変わらない。


 主郭の人間に挟まれているからか、明依は以前よりも比較的心の平穏を保っていた。


「な、なァ、明依。手、繋ごうぜ」


 歩行に支障が出る程怖がっているのは意外にも時雨だった。

 堂々と細い道の真ん中を胸を張って歩く炎天とはえらい違いだ。


「よ、宵には俺からちゃんと謝っとくから」


 自分より怖がっている人間がいると、逆に冷静になるものだ。

 明依は時雨に手を差し出した。

 〝異性と手を繋ぐ〟というイベントの中でこれほどドキドキしないものもそうないだろうな、と考えながら。


 しばらく歩いているが、時雨に先ほどのようなおびえた様子はない。その代わり握っている手の力が強くなったり、弱くなったり。不規則に動いていた。


 明依が少し振り返って時雨を見ると、彼は目を閉じていた。


「大丈夫?」

「ああ。……洋服……から」

「えっ、なに?……洋服だから?」


 蚊の鳴く様な声でぼそぼそとそういう時雨に問いかけると、彼は目を開けてキリっとした顔で正面を見据えた。


「洋服脱がす手順、考えてるから」


 聞き直して損をした。


 お願いだから人の手握ったまま目を閉じて、本格的に妄想するのはやめてくれよ。と思った明依だったが、握っている手の力が強くなったり弱くなったりするあたりがなんだかキモかったので、さっと手を離した。


「ああっ!おい」


 その声にビクリと肩を揺らした炎天が振り返る。


「やかましいぞ、時雨!!静かにしろ!!」


 炎天の怒号が、辺りに飽和して響く。

 なんだ。堂々としてたけど本当は怖かったのか。と思うと、時雨の様に素直になれない炎天に少し同情した。


 やはり叢雲が死んで気を張っているのだろう。自分がしっかりしなければと思っているに違いない。

 明依の知る以前の炎天は、もっと豪快で自分の気持ちをはっきりと表現する人間だった。


「アンタの声の方がやかましいよ」


 終夜は進行方向を向いたまま冷静にそう言う。


「終夜はもっと喋ったらどうですか。そしてまたこの前みたいに失言してください」

「……なんで吉原から出るだけでこんなに疲れないといけないの?」


 終夜の言葉を聞いた後、明依は着物の上から遠慮なく腕を掴んで歩いている時雨を思ってため息をついた。

 終夜のいう事はごもっともだ。どうしてこんなに疲れないといけないんだ。


 大体、女の着物を崩していいのは抱く覚悟があるやつだけなんじゃなかったのか。と思ったが、時雨には肝心の〝抱く覚悟〟がデフォで備わっているので何とも言えない。


「何でこんな狭くて暗くて長いんだよ。この道は」


 時雨は恐怖心と少しの怒りを交えてそう言った。


「暗い場所は心理効果が働きやすい。何より、多い人数の敵が攻めて来ても、こっちは最小限の人数で対処できるように考えて造ってあるんだよ」


 終夜はさも当然の様にそういう。時雨は「どういうことだ?」と訳の分からない様子を見せた。当然、その答えがわかるはずのない明依も、時雨の問いかけに誰かが反応するのを待っている。


「複数の人間がいる場合、狭い道なら一列に並んで移動することは避けられない。つまり、必然的に一対一の構図が出来上がります。これなら人数で圧されていても勝ち目がある」


 晴朗の説明に明依と時雨は「へー」と声を重ねてそう言った。


 ふいに終夜が立ち止まった。道はそこで終わっていて、壁に沿って心もとない古びた木の梯子が光の届かない先まで上に伸びていた。


「持ってて」


 そう言って終夜はすぐ後ろにいる晴朗に手燭を渡し、身軽に梯子を登って行く。何かを捻る様な音が高い音が断続的に聞こえて、それからかなり高いところにぼやけた光が見えた。


「……こんな面倒なことをしなくても、大門から出ればよかったのでは?」

「本来吉原から出られない陰間と遊女。それも松ノ位を大門から出せばどんな噂が流れる事か。……それに、ただでさえ秘密裏に行われる会議に連れて行こうとしているんだ。公にはできない」


 終夜と蕎麦屋の二階に身を隠していた時、炎天は冷静さを欠いている様子だった。あれこそがやはり、炎天らしいと思っている。

 しかし今の炎天は、まるで亡き叢雲のように比較的冷静な判断をしている。彼らしくない。それに、ほんの少し心が痛んだ。


「秘密裏に行わなければいけないその会議の内容は?」

「知らん。先方がどうしても終夜を出せと言っているらしい。今度は何を企んでいるのか。……とにかく、目を離さずに見張っていろ」


 炎天と晴朗は小さな声でそう話をする。

 明依と時雨は、ほとんど無意識に視線を合わせた。それで確信する。やはり時雨は、自分と同じように終夜の事が見捨てられない。


「二分切ってる。急いで」


 終夜は梯子を下りて晴朗から手燭を受け取ると、背中を壁つけた。その横を通って晴朗、炎天と順番に梯子を登っていく。


 一歩足を踏み出した明依の肩を終夜は引き留める様に掴んだ。


「アンタは最後」

「……なんで?」


 もしかしてこんな状況でも嫌がらせか?さすがにブチギレ案件なんだけど。

 と思った明依だったが、先ほどの合言葉でこの男の信頼が少し回復している面もあったので、素直に端に避けた。それから時雨、監視役の三人と続く。


「いいよ」


 終夜にそう言われて明依は足を踏み出して梯子を握った。

 ふと気がつく。


 着物が重い。

 何より、足が開かない。

 その状態で、あんな高い所まで。 


「どうしたの?」


 この男に登れない事が知られたらどうなるんだろう。そもそもこの男は意図してこの状況を作ったのか?でも、大門を通れない以上、ここを通るしかなかった訳で。


「別に」

「あ、もう火消える」


 終夜はわざとらしくそういう。

 どうしよう、どうしようと冷や汗をかく明依を他所に終夜は口を開いた。


「……ねえ、人にものを頼む態度ってあるよね?」


 そう言って正面から、終夜と視線が絡んだ。

 途方もなく、嫌な予感。


「『金輪際盾突きません。助けてください終夜サマ』は?」


 屈辱的な言葉を強要する終夜の笑顔を最後に、火が消える。

 視界は真っ暗になった。


 素直に助けを求めれば何とかしてくれるんだろうなという、時々顔を出す終夜への謎の信頼感。と並行していろんな意味での絶望感。


 助けてほしいと口にしなければ、平気な顔をして自分だけ上に上がるというキング・オブ・クズな行動をやってのける可能性も捨てきれない男だ。


 上から聞こえる「おい明依、大丈夫かー?」という時雨の言葉に返事をする余裕すらない。


 感情がいろんなところを飛び回った結果、

 ああ終わった。と思った。

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