天使のおしごと
初めまして。
拙い文章ですが、楽しんで頂けたらと思います。
「あら? 竹本さんのお爺さんじゃないですか? こんにちは~」
子供を公園に遊ばせに来た主婦……確かお隣の宮川さんだ。
和やかな表情で私に会釈をするが、早く遊びたい子供に手を引っ張られていく。
「あらあら、そう急がないで。 では竹本さん、また」
そうして子供と公園の中にある遊具の方へ歩いて行く。
私は公園のベンチに座ってそれをぼんやり見ていた。
日差しは暖かく、春の陽気を通り越して暑くなりそうにも思える。
齢80ともなると家からここまで来るのにも一苦労だ。
そんなに遠い訳ではないのだが、杖をつきつつ30分程度かけ公園のベンチに辿り着く。
別にここに来る用事があった訳ではない。
特に何もすることのない彼の日課だった。
趣味もなく特に生きがいを感じる様な物もなく……一年前、妻に先立たれてからは家にさえいづらくなった。
それからは日課の散歩を朝から……そして日が暮れる夕方までこの公園で過ごしていた。
何をするでもなく、ただぼーっと風景を眺める。
そしてその日もいつも通りになると思っていたのだが……その日は違っていた。
「お爺ちゃん、こんにちは~」
私の目の前に可愛らしい少女が現れた。
いつの間に来たのだろう? 初めて見る顔で近所の子ではなさそうだ。
外国の子だろうか? ふんわりとした肩までの金髪に青い目をしている。
小柄な少女ながらもその立ち姿は少し大人びて……ませた子供のように見える。
白いワンピースは高級そうな材質で育ちの良さを思わせた。
少女は私からの返事が無いと感じたのか、再度、
「お爺ちゃん、こんにちは~~」
さっきより少し大きめな声で私に話しかけた。
そのわざとらしい仕草はやはり子供っぽく、開けた大きな口の中にちょこんとした牙の様な八重歯が見えた。
「聞こえているよ。 こんにちは」
「あら? 聞こえていたなら返事してくれないとわかんないもの」
やっぱり性格はませているようだ。
話し方が無理矢理な大人っぽい。
「こんなところで何をしているの?」
「見ての通りだよ。 休んでいる」
「じゃあお暇なのね?」
「……」
どうすれば「休んでいる=暇」という考え方になるのだろうか?
子供の考えは大人とはだいぶ違う様だ。
「暇なら私とあそびましょーよ!」
「……悪いが遠慮するよ」
私は力なく首を横に振る。
「遊ぶのならあそこの子供達と遊べばいい」
公園の遊具や砂場で遊ぶ子供達に目を向ける。
子供達は砂で何かを作ったり、遊具を使ってはしゃぎまわっている。
すぐそばでは子供達の母親達が井戸端会議に花を咲かせていた。
賑やかな声のする方をチラリと見た少女だが、
「嫌。 私はあんな子供じゃないもの」
見た目はそんなに変わらない気がするが……。
「とにかく私はもうお歳だからね……君と遊ぶのは疲れるのだよ」
すると少女は頬を膨らませ、
「『君』じゃないわ! 私はトルテって言うの」
「ああ、トルテだな? すまないがどちらにしろ私は遊ぶことが……」
「大丈夫。 遊ぶって言っても疲れないのもあるわ」
そう言うとトルテは私の隣……開いているベンチにちょこんと座る。
「色々お話を聞かせて頂戴な。 お爺ちゃんですもの、色々なお話がありそうだし」
私は迷った……子供が喜びそうな話なんぞ一つも知らなかったからだ。
大体私と妻の間には子供が出来なかった。
私の体に異常があって……妻がそれでも良いと微笑んでくれたのをふと思い出す。
「私は……子供の扱いを知らないし、トルテの喜びそうな話も知らないよ」
私の言葉にトルテは嬉しそうな顔をすると、
「名前! すぐ覚えてくれるなんて嬉しいわ。 ……それに別に私に合わせる話じゃなくていいの。 何か楽しかったお話とかして!」
孫が祖父にせがむような……そんな感じにトルテが私の袖を引く。
「楽しかった話……か」
久しく思い出なんて思い出しもしなかった。
目まぐるしく働き……いつの間にか時間は流れ……定年になって、初めてやることが無くなった。
それでも……何もしてなくても時間は流れていく。
気付けば妻をも失い、私しかいない家。
食事も味気なく、言葉を発するのも今日が久しぶりだった。
気が付けば私はトルテに昔の話をしていた。
トルテも話しやすい様に誘導してくれていたのだろう。
「子供の時はどうだったの?」
「……私が子供の時は、田舎の村だったから……」
「学校は楽しかった?」
「学校は……よく先生に怒られていたよ。 特に全員で……」
「大学って大変そう?」
「私の大学は三流だったからな。 どちらかと言うと……」
こんなに話したのは久しぶりかもしれない。
話すのにも疲れてきた頃、トルテが飲み物を買ってきてくれた。
そこの自販機に売っているペットボトルのお茶だ。
「はい、どうぞ!」
「いや、お金払うよ」
私は財布を出すと、トルテはそれを両手で押しとどめた。
白く綺麗な……そして小さく冷たい手だった。
「ううん。 私の方がお願いして話してもらっているから」
「しかし君みたいな子供に……」
「むぅ~!」
トルテが膨れる。
「また『君』とか言ってるし! それに私の事子ども扱いして!」
……しまったな、ませた子には『子供』は禁句だったらしい。
「すまないトルテ。 しかしやはり自分の分は……」
「いいから!」
再度財布を開けようとしたが、トルテが声を少し大きくして、
「こーいうのはギブアンドテイクって言うんでしょ?」
何処で覚えて来たのだろうか?
自慢げに話すトルテに思わず頬が緩んでしまう。
「あ~笑ったし! え~? 使い方違うの?」
「いやいや、合っているよ。 大丈夫」
私の言葉にホッとするトルテ。
「じゃあ、飲み物飲んだらもっとお話しして!」
「ああ、分かったよ」
話すのに疲れてはいたが、なぜか私も話したくなっていた。
知らないうちに誰かとの関りを求めていたのだろうか?
お茶を一口二口飲んで喉を潤す。
不思議な事にいつも一人で飲むお茶より美味しく感じられた。
「お爺ちゃんって、奥さんいたの?」
話の続きとばかりにトルテが尋ねて来た。
「ああ、いたよ。 一年ほど前に亡くなったけど……」
「どんな人だったの?」
「そうだな……感謝してもしきれないぐらいだよ」
私は妻の事を思い出していた。
妻は甲斐甲斐しい人だった。
私がどんなに苦労を掛けてもついて来てくれたし、私に笑顔を向けていてくれた。
仕事で遅くなった日も
些細な事で怒鳴ってしまった日も
子供が出来ないと分かった日も
……どんな日も、いつでも私に笑顔を向け支えてくれた。
二人で旅行をしたこともない。
私の仕事は年中忙しく、休みもままならなかった。
業績を上げる責務に、後輩を育成する責任に、部下を管理する職責に……日々追われていた。
妻との思い出……そして言えなかった事。
何故私はこんな子供にこんな事を話しているのだろうか?
トルテは何も言わず私の話を真剣に聴いている。
その姿は私のどんな話も黙って聞いていてくれた妻を彷彿とさせた。
……私は、妻の話をこんな風に聞いたことがあっただろうか?
気が付けば公園には私達しかいなくなっていた。
陽は沈み、空には星達が瞬き始めている。
公園の街灯がジジッと音を立てて点灯し始めた。
春過ぎとはいえ昼間と違い暖かさはなくなり風が冷たく吹き抜けていく。
「っと、すまない。 話に夢中でこんなに暗くなってしまった」
「ううん。 気にしないで。 私の方こそこんなに長い間話してもらって……ありがとうございました」
トルテはベンチからピョンと降りると私に頭を下げる。
「いや、私も久しぶりに誰かと喋れて楽しかったよ。 ありがとう」
それは本心だった。
暗い時間まで付き合わせたのは悪かったが、いつもより心が弾んでいる気がする。
「……それでね?」
「ん?」
トルテが私を覗き込む様に見上げて来た。
その瞳は金色に光っている……。
あれ? この子の瞳は青色……
「お爺さん。 実はね、私天使なの」
「?」
トルテの言っている意味が分からず、
「すまん、良く聞こえなかった」
「私ね。 天使なの。 神様の使いなの」
神様の使いと言われて、ようやく『天使』と言っていると理解する。
しかしその時点では私はまだ冗談にしか取っていなかった。
「確かに……トルテは可愛らしい子供だと思う」
「むぅ~~何かニュアンスが違う気がする」
トルテが頬を膨らませる。
「本当に天使なのよ? 見てて」
そう言うとトルテはその場で一回転する。
軽やかにクルリと回った彼女の背中には美しく輝く白い翼が生えていた。
そんな……さっきまで羽なんて無かったのに!
驚く私に、
「どう? お爺ちゃんにも見えるようにしてみたんだけど……見えてる?」
「あ、ああ」
他に言葉が出ない……いきなり出てきた翼。
作り物には思えない質感と神秘さを感じる。
「触ってみてもいいよ?」
私がまだ信じられない様な顔をしていたからだろうか?
トルテにそう言われ恐る恐る手を伸ばして……羽の1枚を触ってみる。
羽だ……間違いなく手触りは羽。
私が触る度に羽からキラキラした光の雫が零れ落ち消えて行く……
もはや私は疑ってなかった。
トルテは天使なんだと……神様の使いなんだと理解した。
「どお? 分かった? 私は本物の天使なの」
「あ、ああ。 分かったよ、確かにこんな綺麗な輝きを持つ羽は見たことが無いし……」
私の言葉にトルテが表情を明るくする。
褒め言葉が嬉しかったらしい。
「そして、ここからが本題。 私の我儘を聞いてくれたお礼に、お爺ちゃんの我儘を……どんなことでも一個だけ叶えてあげる」
「……願い? どんなことでも?」
「うん! 何でも! 私は天使だから、何でも叶えられるの」
勿論そう言った人はちゃんと見極めるけどね~……トルテが小声で付け足すのが聞こえた。
人によっては悪用する人もいるからだろう。
「さぁ! 何でも言って! お爺ちゃん、貴方の願いは?」
トルテの目が……金色の目が光を帯びる。
「私の……私の願い……」
私の頭の中で色々な想いがグルグル巡る。
時間を戻す……どこからかやり直せるだろうか
両親に会う……もっと親孝行してあげたかったから
お金や不老不死などに興味はなかった……今となってはそんなものに興味はない
そして私はトルテに告げる。
「妻に……会いたいんだ」
トルテは優しく微笑んだ。
「勿論叶えてあげる。 さぁ……目を瞑って……」
言われるがまま目を閉じる。
それからどれくらいの時が経ったのだろう?
10秒? 1分? 5分? 1時間? 良く分からない。
ただ急に先ほどまでの肌寒さを感じなくなった。
「えと、トルテちゃん。 もう目を開けてもいいのかい?」
返事を待ったが……返事はない。
「目を開けるよ? 良いね?」
やはり返事はない。
恐る恐る目を開けた私の目に飛び込んできたのは、遠くまで続く一面の花畑だった。
遠く、遥か遠くまで……見渡す限り花が咲き乱れている
周りに建物などはなく、先程の公園の景色はどこにもない。
それどころか空は青空が広がり、柔らかな日差しが降り注ぐ。
そしてその花畑の中に……彼女を見つけた。
私は思わず駆け出した!
しまった! 杖!
と思ったが、私の体は思い通りに動き軽やかに彼女の元へ走っていく。
私が通るたびに花びらの波飛沫が舞い上がる。
「___!!」
私は彼女の名前を呼ぶ!
ありったけの声と想いを込めて。
彼女もまた私に気付くとこちらに向かって駆け出した。
私も彼女も心からの笑顔を浮かべていた。
私はトルテ。 神様に遣わされた駆け出しの天使なの。
今は電信柱の上に腰かけて足をぶらぶらさせつつ、すぐ下にある家を見ているところ。
その家は白と黒の布で飾られていた。
「……夜は冷え込みますし……」
「ええ、公園で寝ちゃったのかも……」
「年齢的にも……」
黒い服を着た近所の人達がヒソヒソと話をしているのが聞こえて来た。
相手を見極めて、願いを叶えてあげる。
それが神様に与えられた私のおしごと。
私は電信柱の上に立つとその翼を広げた。
純白の羽は、広げた瞬間漆黒の翼へと変わる。
羽を白く見せているのは天使と言うのを信じてもらえるようにだった。
何故か黒い羽だと天使と言ってもなかなか信じてもらえない。
人間とは不思議な生き物だ。
「お仕事完了。 神様に報告して次の仕事に行かないと……」
私は黒い翼をはためかせて青い空へ飛び立つ。
主である死神様に報告する為に。
お読み下さりありがとうございました。
この話を読んで下さった時間も、皆さんの貴重なお時間です。
そんなお時間をお使い下さり、ありがとうございました。