10月26日-2
「あ、………綾…?!
「さっき美味しいって言ってくれたじゃない! 本当は嘘だったの?! だからそんなこと言うの?! ねぇ!」
「ちょ…お、落ち着けって! とにかく…座れ!!」
とっさに僕も立ち上がり、綾の肩を掴むと、その瞬間……また、ハッとした表情を浮かべて、静かに元の、いつもの…僕のよく知っている「加賀谷 綾」に戻っていった。
「あ……、しゅ、瞬くん……?」
…いったい何が綾をこんなにしてしまったのか。おそらくはさっきの僕の言葉が理由なのだろうけど、その何が悪かったのかが分からない。
だから僕は、今度こそ僕の気持ちをちゃんと綾に伝えようと決めた。上手く言えなくてもいい。思った通りの、ありのままをぶつけようと。
「……ごめんな。もしかしたら綾を傷つけちゃったのかもしれないけど、そうじゃないんだ。僕は…僕らの都合でおまえに面倒をかけたくないんだ」
「………」
「綾の弁当が美味しかったのは本当だし、僕らのために作りたいって気持ちも嬉しい。それも本当なんだ。でも……」
「…でも………?」
「でも、やっぱり僕は綾に負担をかけたくない。綾はたいした手間じゃないって言ってたけど、たまにならともかく毎日ってなると、やっぱり大変だと思う。だから……」
「…………」
「…た、例えばさ、また今日みたいに、母さんがお弁当を作れない日だけお願いする…っていうのはどうかな? それじゃ…ダメか?」
「…………」
どうにかそこまでを絞り出したものの、うつむいたままの綾の表情は分からない。肩に置いたままの手からも、何も伝わってこない。また…しくじったか……。
「……うん。分かった」
「………!!」
そう思っていた矢先に、少しだけ顔を上げた綾から、小さくか細い声が聞こえてきた。
「…瞬くんがそうしたいって言うなら、それでいいよ」
……よ、よかった。今度はちゃんと通じたみたいだ。思わず僕は心の中で胸をなでおろした。
「あれれ、ざーんねん。わたしとしては毎日あーやのお弁当の方が良かったのになぁ」
と、そこにまた急に絵依子が割り込んできた。
せっかく話がまとまったのに、また蒸し返すようなことを言いやがって……!
「…絵依子…おまえなぁ……」
「え、だって、そしたら毎日牛丼弁当だったのに。はぁ~~~~っ! 残念すぎるっ!!」
…まったくこいつは……。
…心底悔しがってる素振りの絵依子に、もはや怒る気も失せて変な笑いしか出てこない。
でも…。
「…ふふ…、ふふふふふっ…。もぅ、ホントにエコちゃんってば…。毎日だったらあんなお弁当にしないよ。今日だけだよ」
絵依子のバカ発言にくすくすと笑いながら、ようやく綾がちゃんと顔を上げた。よっぽどウケたのか、目元の涙を指でぬぐいながら。
「え……い、今…なんて……」
「…毎日あんなのじゃ栄養が偏るでしょ。そんなのエコちゃんに食べさせられないからダメだよ」
「な……そ……そんなぁ………!! 後生にござる! 後生にござる!」
「ダメったらダメだよエコちゃん」
一方、愕然というか驚愕というか、信じられないと言った表情を浮かべたまま絵依子がワナワナと震えている。まったくこいつはどんだけ肉に支配されてるんだ……。
「……で、でも! でも、たまになら牛丼なんだよね…!!」
「うん。考えとくね」
「……ちっ。仕方ないな……じゃあそれで手を打っとく」
「……ふうっ……」
あからさまに憮然とした表情のまま、渋々、といった風情で絵依子が矛を収めた。
……一瞬どうなるかとヒヤヒヤしたけど、ある意味絵依子のおかげで、いつも通りにニコニコと笑顔に戻った綾の姿に、まぁ結果オーライかな、と僕は安堵した。
しかし……疑問というか、よく解らないモヤモヤはまだ残っている。
さっきのあの綾の様子……、いや、思い出してみればその前の、絵依子にぶち当たってきた時…、そして何ごとかを叫んだ時から、少し様子はおかしかったように思える。
あんな風に綾が激しく感情をぶつけてくるなんて、今まで一度も無かったことだ。もう10年以上にもなる付き合いの中で、ただの一度も…あんなことは無かった。それがどうしてあんな…。
あるいは、いつもは抑えているけど、実は綾ってけっこう喜怒哀楽が激しい性格だったりするんだろうか…。
・・・キーンコーンカーンコーン・・・・・・
「…っと、もうお昼休み終わりか……」
などとぼんやりと考えていたら、午後の授業が近いことを知らせるチャイムが鳴った。ぱぱっとシートを畳んで片付けを終わらせる。
「じゃあ今日はありがとうな、綾。ごちそうさまでした」
「うん。お粗末さまでした。じゃあ…行こうか、エコちゃ……、あ、あれ…?」
「え………?」
…さっきまで一緒にいたはずの絵依子の姿が、なぜか周りに見当たらない。まるで煙のようにドロンと消えてしまっていた。
「なんだ…? 先に教室に戻ったのかな…」
「そうかも。じゃあ……途中まで一緒に行こう? 瞬くん」
「了解。はぁ……午後も気が重いや……」
さて、午前の授業は弁当を心の支えにしてどうにかやり過ごせた。午後は早く学校が終わることを心の支えにしてやり過ごすとしよう。
・・・がららっ・・・・・・
「…あ、渡城くん。ちょっといい…?」
教室に戻ってきたとたんに、ぱたぱたとこっちに駆け寄ってきた日名瀬さんに声をかけられた。
「う、うん。どうかした?」
「さっき渡城くん、屋上にいたでしょ。それで……何か揉めてたみたいだったから、どうしたのかなって」
ひそひそと声を潜めて、日名瀬さんがそんなことを言ってきた。さっきの…とは、たぶん綾がお茶を買いに行って、屋上に戻ってきてからのあの一連の騒ぎのことを言ってるんだろうと僕は理解した。
「…あぁ、聞こえてたんだ。お騒がせしてごめん……」
「そうじゃなくて……。一緒にいた子らって…もしかしてどっちかが彼女だったりする?」
「……は? な、なんで? 一人は僕の妹で、もう一人も似たようなもんで……全然そんなんじゃないよ」
「あ…そう。やっぱりそう…だよね。渡城くんは外国の年上のカノジョ狙いだもんね…」
「い、いや……、それも違うけど……。でも急にどうしてそんなことを?」
「……遠目からだったからはっきりとは分からなかったけど、もしかしてロングの子と別れ話とか痴話喧嘩でもしてるのかなぁって」
「……は…っ…」
……ソニアの観光案内を相談した時もちょっと感じたけれど、日名瀬さんって意外と恋愛脳なのかな…。
他人の色恋沙汰に首を突っ込んで何が面白いのやら…。しかもそれはとんだ勘違いなのだ。一瞬呆れて言葉も出なかったけれど、いちおう日名瀬さんには借りもある。ここはオトナの態度でスルーしておくとしよう。
「ははっ…。全然そんな話じゃないよ。ただちょっと、お弁当のことで行き違いがあったっていうかさ。じゃあ僕はこれで…」
「…待って渡城くん」
「え………?」
「今の話……それ本当? ……だったらそれ、余計にヤバいと思うよ」
急に真顔になった日名瀬さんが、制服の袖を引っ張って僕を引き止めた。そして…にわかには信じがたい言葉に、思わず僕も足を止めてしまった。
「え………??」
「別れ話とか痴話喧嘩であんな風になっちゃう子、私も前に見たことあるし、気持ちも分からなくはないもん。でも…そんな話であんな風になるなんて、あのロングの子…ちょっと普通じゃないよ」
「……い、いや、あいつは…綾はそんなんじゃ…」
と、そこまでを言いかけたものの、確かに今日の…いや、思い返してみればここ最近の綾は、時々様子がおかしかったようにも思う。
一瞬、能面みたいな無機質な無表情になったり、かと思えば妙に社交的になったり、もっと言えば急に弁当を作ろうかと言い出してきたことも妙といえば妙だ。『普通じゃない』は言い過ぎにしてもだ。
絵依子がうちの事情を教えたとしても、どうして今になって急に…?
今まで一度もそんなことはなかったのに……。
「い、いや、考えすぎじゃないかな、はは…は………」
だけど、だからそう僕は答えるしかできなかった。確かに最近の綾が少し様子が変だったのは事実だ。でも、何も知らない他人から『普通じゃない』なんて言われる筋合いはない。
「…とにかく、その子………綾ちゃんだっけ? しばらく注意して見てた方が良いと思う。それと…絶対に変に刺激しないこと。いい?」
「だから……そんなんじゃないって。もういいから…!」
…いい加減うんざりだ。下衆の勘繰りとやらもいいとこだ。とっさに日名瀬さんの手を振り払って、僕は自分の席に戻ろうとしたその時。
「……渡城くん。またこれになってるよ」
…そう言って。真顔のまま日名瀬さんがまた……いつかの時のように両手を顔の横に付けて、前後にスライドしてみせた。
「…………ッッ…!」
……まただ。
日名瀬さんのジェスチャーに、また僕は……やってしまったことに気付かされた。
頭に血が上ると、思い込みや主観だけで、客観的に物事が見れなくなるという僕の悪い癖が…また出てしまっていたのだ。
それのせいで散々周りに嫌な思いをさせて、二度とそうはならないと決心したはずなのに、知らず知らずのうちにまた僕は…やってしまっていたのだ。
……情けない。本気で僕は自分で自分が情けない……。
「…っ。ご、ごめん。日名瀬さん……」
「いいって、もう。ちなみにだけど…思い当たる節って何かある?」
「………」
…またも自分の愚かさ、視野の狭さに打ちのめされていた僕は、日名瀬さんに大人しく従うしかなかった。だから言われた通りに綾の変化について僕は記憶と思考を巡らせた。だけど、やはり思い当たるようなことは何もなかった。
……ただ一つを除いて。
「……理由…とかは正直分からない。見当もつかない。ただ……」
「ただ………?」
「時期だけなら…分かる。たぶん……3日前ぐらい前かな。学校を過労とかで休んで、その後からだと思う…」
「…そっか。でもそれだけじゃ…なんともだね…」
「だよね……」
「とにかくさっき私が言ったこと、忘れないで。いい? 渡城くん」
「…はい……」
だから…そう僕は答えるしかなかった…。




