10月25日-4
ピンポーン……
日が西に沈みかけた頃、唐突に家のチャイムが鳴った。
たぶん例の配送のテレビが来たんだろう。昼の絵依子の言葉から逃れようと、がむしゃらに動かしていた落書きの手を止めて、僕は玄関に向かった。
「……はい」
「お待たせいたしました。エピオンです。こちら渡城さまのお宅で間違いございませんか?」
「はい。あ、でもちょっと待って……」
確かに配送先は僕らの家の住所にしたけれど、実際に置くのは隣のソニアの家なのだ。このまま家の中に持って入られても面倒なことになる。
あわてて僕は向かいのソニアの家のチャイムを鳴らそうと、サンダルで玄関を出た。
…がちゃり
「あ、ちょ、ちょうど良かった。来たよ、テレビ」
玄関から出たのとほとんど同時に、ドアの開く音が聞こえた。そしてドアの向こうには…ソニアではなくアルシアさんがいた。
「あ! す、すいません! ソニアだと思って…つい……」
「いえいえ、お気になさらずとも結構ですよ。…あの、すみません。そのお荷物、こちらの方に運んでくださいな」
「え? で……でも……」
アルシアさんの言葉に配送の人の表情がかすかに陰る。でも、よくよく考えてみれば当然かもしれない。書かれてあった住所、部屋番号ではなくて、その隣に運べなんて急に言われたら混乱するに決まってる。
なんであの時に気づかなかったんだろう…。
「だ、大丈夫です。この人っていうかこの家は…その……別邸っていうか離れっていうか……、だから大丈夫なんです」
「………はぁ…」
配送の人たちが怪訝そうな表情で顔を見合わせる。でも、「別邸って…二世帯住宅みたいなもんか?」とか「家族が多いとこは団地二部屋借りてるって俺聞いたことあるわ」とか「でもあの人、外国人じゃないか?」などと、ひそひそと小声でやり取りしてるのが聞こえてきた。
少しして。
「あ…あの、じゃあ身分証明書みたいなのって見せてもらうって…できます?」
「…はい。免許証でいいですか?」
「……受取人の住所氏名と完全に一致してる。これだったら…受取のサインだけもらえば俺らは関係なくなるんじゃないか?」
「…だな……」
「あの……、じゃあ…ここに渡城さまのハンコかサインをお願いします」
ようやく納得してくれたらしい配送の人が僕に伝票を差し出してきた。何というか、こんなことになるとは想像もしていなかったというか、異常に面倒くさいやり取りに、二度とこんなことは引き受けないと僕は心の中で決心したのだった。
そうしておよそ30分ほどが経って、アルシアさんの指定した部屋と場所に、無事にテレビが設置された。チャンネル設定やら何やらも、手際よく配送の人が片付けてくれたおかげで、僕らは特に何もすることなく無事に巨大なテレビはエルンステッド家のリビングらしき部屋にどんと鎮座ましました。
しかし……いざ部屋に置いてみると、このテレビは本当にデカい。さっき絵依子が言ったことを真に受けた訳じゃないけれど、それでも…確かにもう少しぐらいは説得しても良かったかも知れない。どう考えてもこんなのは無意味どころかバカバカしいほどだ。お金の無駄遣いにも程がある。
と、そこまでを心の中で考えていると、ふとした事に僕は気がついた。昼までいっしょだったソニアが、どういう訳か姿を見せてないのだ。
「………?……」
「えー、作業は以上です。それでは失礼いたします」
「……あ、は、はい。どうもお疲れさまでした…」
ふっと頭をよぎったそれをとりあえず脇に追いやって、テレビの設置を終えて帰ろうとしたエピオンからの配送の人を階段までお見送りして、僕は小さくぺこりと頭を下げた。
「あ! ちょ、ちょっとお待ちを! これ! こちら差し入れです!」
と、そこへアルシアさんが、何かコーヒーのようなサイズの缶を持って外へ飛び出してきた。
「あ、こりゃ恐縮です。ありがたく頂戴いたしま……」
でも、渡された缶を受け取った配送の人たちがかちんと固まった。
「…本日はどうもご苦労さまでした。つまらないものですが…どうぞご査収ください」
「あ…は、はぁ……どうも……」
一瞬、缶コーヒーのように見えたそれは、よくよく見ると大きく「めんつゆ」と書かれてあった。
やっぱりこの人……日本語や日本文化に詳しいようで、でも決定的にどこかズレてるな……。
「さてと…じゃあ僕も戻りますね」
テレビの設置も無事に終わったので、僕もこれでお役御免だ。まぁ帰ったところで何があるわけでもないけれど。
「あら、そうおっしゃらずに。お茶でもいかがですか? そろそろソニアも帰ってくると思いますし」
「あ、ソニア…出かけてたんですね。道理で姿が見えなかったわけだ」
「えぇ。今はこの国の、とある企業の重役の方との会食に行っていますの。シュンヤさんが家に戻られてからすぐに向かったんですよ」
「へぇぇ……それはまた…すごいですね」
「えぇ、あの子は…ソニアは本当に…私の自慢の妹なんです」
「はは、さすがは世界を股にかける天才デザイナー…ってこと…ですか…」
などと口にしながら、僕はちくりと胸の奥が痛んだような気がして、思わずそこを押さえた。
……とある企業の重役サマとやらとの会食なら、きっと僕なんかが行ったことも食べたことも…いや見たこともないような豪華な食事、料理、店なんだろう。
ちょっと肉が多いぐらいの豚汁を豪華と感じる僕なんかとは…まったく住んでる世界が違うんだろう。いや、今は住んでる場所こそ同じではあるけれど。
ソニアやアルシアさんが何を思ってこの団地に引っ越してきたのかは結局いまも分からないままだ。
でもあれだけの買い物をポンとカードで支払っていたのだから、住もうと思えばきっと都心のタワーマンションにだって悠々と住めるだろう。でもそりゃそうだ。だってソニアは世界的に有名な天才デザイナーなんだから。そもそもここぐらいにしか住めない僕らとでは、もとから何もかもが違うのだ。
世界中の大企業、有名な会社がソニアのデザインを求めて注文するんだ。きっと金に糸目も付けずに。そりゃ唸るぐらいお金があったって不思議でもなんでもない。なのにこんなところに来たのは、きっと僕らにはうかがい知ることもできないような何かの遊びや道楽気分なんだろう。
「は……ははは……っ……」
……なんだか自分と違いすぎて、惨めすぎて逆に笑えてきた。まったく……神様は不公平だよな……。
「…あの…シュンヤさん? それで、今日は特製のスコーンもありますので、ぜひ……」
「いえ、やっぱり…いいです。じゃあ…これで。お疲れさまでした」
「えっ、あ…しゅ、シュンヤ…さん…? あの……」
「……………っ…」
アルシアさんが引き留めようとしてか、何度か声をかけてきたけれど、聞こえないふりをしてそのまま僕はエルンステッド家を後にした。




