10月24日-1
ー10月24日ー
「……はぁ………」
「…もぉ、朝からはぁはぁ言い過ぎ。ってかキモいんだけど」
「うるさいな……。おまえに僕の気持ちなんか……、うぅ……」
「…うっわ、ますますキモっ」
……昨日、あまりのショックで気を失ったように眠ってしまった僕の精神
状態は、今もひどいものだった。
最悪の状況からはなんとか脱したものの、ほんの少しだけマシになった、
というだけで、死にたいような気分は今も継続中だ。気を抜けば辺りをはば
からず大泣きしてしまいかねない。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、やたらと絵依子が絡んでくるのが
腹立たしい。でも怒る元気すら、今の僕にはない…。
「ねぇねぇ、じゃあしりとりでもしない? ちょっとは気が紛れると思うよ?」
「……頼むからもう放っておいてくれ……」
ピンポーン・・・・・・
「…………」
「もぉ……仕方ないなぁ……」
もはや何もする気にもなれず、リビングでゴロゴロ横たわっていると、ふいに
チャイムが鳴った。
どうせ宅急便か何かだろう。ちらりと絵依子に目をやると、面倒臭そうに
ぱたん、と本を閉じて、ハンコを片手に玄関へと向かった。
・・・がちゃり・・・・・・
「はいはいっ…とぉ」
「…こ、こんにちは。エコちゃん。瞬くん……あれからどう? 大丈夫?」
「なんだ、あーやかぁ。ってか、もうずうっとあんな感じだよ。ほんとキモイ
んだけど」
「…あのね、晩御飯持ってきたよ。元気出してもらおうと思って、お肉多めの
肉じゃがだよ」
「うひょおおぉぉぉ! に、肉ぅっ! さっすがあーや! 分かってるぅ!」
「あ、あのね、一応言っとくけど、エコちゃん一人で食べちゃダメだよ…?」
「ハーーーン? 聞こえませんなぁ!」
「も、もう……エコちゃんってば…」
玄関先から聞こえてきた声で、訪問者が綾だと分かった。でもそれだけだ。
こんな僕に世話を焼いてくれるなんて、やっぱり綾は優しいと思ったけれど、
それはそう思っただけだ。
もしかしたら…普通なら心が動いたかもしれない。感動したかもしれない。
でも僕は頭で思っただけで、心には何の感情も湧いてこない。
「エコちゃん、ご飯は?」
「お母さんが朝、炊いていってくれたから大丈夫だよ。いっぱいあるよ」
「そっか。じゃあついでにお味噌汁でも作ろうか?」
「あ、いいね! 作ってるところ、見せてもらっていい?」
何やらわいわいと言いながら、二人がダイニングに戻ってきたらしい。キッチン
に向かった綾と一瞬だけ目が合ったものの、何も言わずにいてくれたのは、僕に
気を遣ってくれたのだろう。ありがたいとは思ったものの、やはりそれだけだ。
僕の心はもう…完全に死んでしまったのかもしれない。
ピンポーン・・・・・・
と、その時、ふいにまたチャイムが鳴った。
でも今度こそ宅急便か何かだろう。放っておけば綾か絵依子が出るだろう。そう
思って僕はカーペットの上で横たわったままでいた。
「お兄ちゃーん! ちょっと手が離せないから出てーー!!」
…綾の味噌汁作りの見学に手が離せないとは。寝言を言うにも程がある。そう
思った矢先に、またチャイムが鳴った。
ピンポーン・・・・・・
「お兄ちゃーーーーん!!」
どういうつもりか知らないけれど、どうやら絵依子は自分が出るつもりはない
らしい。でもそれは僕も同じだ。
だけど……。
ピンポーン・・・・・・
ピンポーン・・・・・・
「…くそ…、仕方ないな……」
エンドレスで響き続けるチャイムの音に、結局僕の方が根負けした。宅急便
なら、さっさと受け取ってしまえばいいだけのことだ。
やむを得ずのろのろと起き上がり、ハンコを片手に、僕は玄関へと向かった。
・・・がちゃり・・・・・・
「ハイ! 初めまして! この度お隣に越してまいりました、アルシアと申し
ます。以後、お見知りおきを!」
「………は……っ……?」
扉を開けると、玄関先でぺこり、と頭を下げたまま、隣に引っ越してきたという
女性らしき人が、ほかほかと湯気を立てているどんぶりを僕に差し出してきた。
……確かに今は隣は空き家だったはずだけど、今頃引っ越しだって?
しかも……「アルシア」って名前からすると、外国の人ってことか……?
……なんで外国の女の人がこんな団地に引っ越ししてきて、おまけにえらく
流暢な日本語で引っ越しの挨拶をしながら、どんぶりを僕に渡そうとしてるとか、
さっぱり訳が分からない。
えっと……、これは……いったい……?
「…あ、あら? もしかして私……なにかやっちゃいました……?」
どうリアクションしていいか分からず、思わず固まっていると、あわてたように
頭を上げ、そう言いながらこちらを見る女性は…確かに外国の人のようだった。
ソニアさんのような完璧な金髪に青い目……、いや……、顔立ちさえもよく
似ているように見える。歳も同じぐらいだろう。はっきり違うとすれば…ほとんど
完璧な日本語とメガネとショートヘアの髪型、そして……服の上からもよく分かる
ほどの…とんでもないナイスバディ……。
雑誌のグラビアぐらいでしかお目にかかれないような、EカップだとかFカップ
とか、とにかくものすごい巨乳だ。
…こんな人がなんでうちの隣に引っ越して来たのか、ますます意味が分からない。
「…あ、い、いえ、ありがとうございます……」
ともかく湯気を立てているどんぶりを受け取ると、どうやら中身は熱々のソバ
だと分かった。
……そういえば昔は引っ越しをすると、お隣や近所に蕎麦を振る舞う慣習が
あった、と聞いたことがある。ということはつまり…これがそうなのか…?
さっきから困惑続きだけれど、とどめとばかりの日本人でも最近はやらない
習慣をする外国人、というのに、僕はぽかんとするしかなかった。
とりあえずこの蕎麦はどうしたらいいんだろうか。今すぐ食べてどんぶりを
返すものなんだろうか。それとも後で玄関先にでも返しておくんだろうか…?
と、その時。
「…Sa jag sa att sluta. Jag kan inte anvanda det alls……」
…この後、どうすればいいのか分からず突っ立っていると、ふいに聞き覚えの
ある……、いや、忘れようもないあの声が、僕の眼の前の女性の後ろから聞こえて
きた。意味は分からないけど、日本語とも英語とも違う、聞き覚えのある、でも
聞き馴染みのない外国語……。
「…Men Sonia, läste jag i en bok att detta är Japan Custom…」
「………??!!」
いま……この人は…なんて言った?!
……後ろから聞こえてきた声に応えたような、外国の女性の言葉はまったく
僕には分からない。でもたった一つだけ聞き取れた単語があった。
でもまさか……そんな……。
……僕の聞き間違い、いや、ただの偶然の一致か……?
「…え、あ、あの……」
思わず聞き返そうと口を開きかけたその時。
…すっ、と女性の後ろ……開きっぱなしの扉の向こうから……もう一人の
女の人が姿を現した。
「フフ……。お久しぶりネ、シュンヤ」
「……は………ぇ………?!」
くすくすと面白そうに笑うその人の顔、そして声に…僕は…我が目と耳を
疑った。なぜならそこには……昨日ふっといなくなってしまったあの人が…
ソニアさんが……!!!
「……今日からお隣ヨ。よろしくネ…!」




