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Realita reboot 第二幕  作者: 北江あきひろ
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10月23日-5



「え……、そ、ソニアさん……?」


 もう一度呼びかけてみたものの、やっぱり返答はなかった。

 これは…どうなってるんだ?


 郵便受けに鍵がなかったのだから、出かけた訳じゃないのは確かなはずだ。

 いや、もしかしたら鍵をかけずに近所を散歩しに行ってるとか……。

 それとも……いや、もしかして…まさか……。


 ……一瞬でいろんな事が頭に浮かぶ。と、その時。


 水の流れる音の後、かちゃり、とトイレのドアが開いたのが聞こえた。


「あ、そ、そうか、なんだ……あはは……」


 思わず僕はほっと胸をなで下ろした。一瞬、最悪の想像を……、…ソニア

さんがいつの間にか帰ってしまった、という事態が頭に浮かんだ後だっただけに、

僕は心の底から安堵した。

 …そうだ、冷静に考えれば、あんなしっかりした人が、鍵もかけずに家から

出るなんてことは有り得ないだろう。こんな当たり前のことも思いつかずに、

ただうろたえるだけだった自分が、情けないやら恥ずかしいやらだ、まったく……。


「そ、ソニアさん? ただいま…帰りました!」



 ぺたぺたとこちらに歩いてくる足音に向けて、そしてさっきまでの情けない

自分に活を入れがてら、ちょっと気合を入れて僕は声をかけた。でも。


「……あれ、お兄ちゃん? それに…あーや?」

「え………」


 少しして姿を見せたのは……ソニアさんではなく、絵依子だった。


「どーしたの? ずいぶん早いじゃん」

「え、い、いや……、おまえこそ……」 


 ほとんど最短、最速で僕たちは帰ってきたはずなのに、それより先に絵依子が

帰っていることに僕は思わず呆然としてしまった。

 いや、でも、そんなことよりも……。


「……絵依子。ソニアさんは……?」

「知らない。わたしが帰ってきた時はもういなかったよ」

「な………」


「朝、わたしがガツンと言ってやったからね。ビビって逃げたんじゃない? 

あははっ!」

「…………!!」


 けらけらと笑いながら、そんなことを口にした絵依子に、僕は絶句した。

 …そうだ、確かにこいつは朝、ソニアさんに、自分が帰ってくるまでにいなく

なっていろ、でないとどうなるか分からない、みたいなことを言っていた気が

する。


 とっさにもう一度家の中を見渡すと、確かにソニアさんの私物らしきもの…

例の大きな旅行用のキャリーケースも見当たらない。だとすると…ソニアさんは

あれを真に受けて……本当に帰ってしまったというのか?!


 …瞬間、思わず……かあっと頭に血が昇って行くのがはっきりと感じられた。


「絵……依子……、おまえ…おまえ……」

「え……、な、なに? どうしたの…お兄ちゃん……」

「…………」


 …さすがの僕もこれ以上自分を抑えることは出来そうにない。ゆっくりと

絵依子の前に立つと、意味が分からない、という風情の絵依子が、かすかに

怯えたような表情を浮かべた。でも意味が分からないのはむしろ僕の方だ。

 もしかしたら……冗談のつもりで言っただけだったのかもしれないけれど、

こいつはなんてことを……なんてことをしやがったんだ……!!!


 …今度という今度こそは……絶対に許せない……!!!


「…ちょっと待って、瞬くん。ここ…これ、書き置きみたいなのがあるよ」

「…………え……?!」





 その時、ふいに聞こえてきた綾の声に、僕は…はっと我に返った。


 …同時に、また僕は一方的な思い込みで、頭に血が上っていたことを自覚した。

 おまけに今度はそのせいで、絵依子にひどいことをしようとしていたのだ…。


 さっきも改めて自分のこの性格を反省したばかりだったのに、また僕は……!




「ぅあう…………ッッ…!!」


 また僕の口から、声にならないおかしな声が漏れた。情けない。恥ずかしい。

穴があったら入りたい。自己嫌悪と絶望感で死にそうな気分だ。


「しゅ、瞬くん…? どうしたの? 大丈……夫?」


 思わず両手で顔を覆っていると、心配そうに僕を気遣う綾の言葉が聞こえて

きた。


 …こんな僕をまだ心配してくれるなんて、本当に綾は優しい子だ。だけど

この僕は、その優しさを受け取る資格のない、どうしようもないクズだ。

心底自分で自分が嫌になる……!




 …でも、そんなクズの僕でもやれることは…ある。いや、やらなきゃいけ

ないことがある。

 それは…とりあえず今は平静を装って、綾の心配を打ち消すことだ。と

いうか…それしかないだろう。


「…あ、い、いや……なんでも…ないよ。大丈夫…」


 涙目になりかけていた顔を両手で無理やり拭いて、ともかくその書き置きと

やらを僕は受け取った。でも受け取った書き置きの文面を一読して……僕は

またも絶望的な気分に叩き落とされた。


 なぜならそこには……、その書き置きは……。

「…………っ……」


「…あ、あの…瞬くん。良かったら…私が読もうか…?」

 僕の様子に理由を察してくれたらしい綾が、ふいにそう言った。


 …そうなのだ。書き置きは全部アルファベットで…たぶん英語で書かれて

あると思われる。でも…情けないけれど、それゆえに僕にはさっぱりなのだ。

 まさかこんなところで英語の授業を真面目にしてこなかったツケが来るとは…。


「わ、私もそんなに自信ある訳じゃないけど……ぱっと見た感じ、そんなに難し

そうな単語はないみたいだし……」

「………た、頼む。いや、お願いします……」


 いくら綾とは言え、下級生に英語を翻訳をしてもらう、というのは、少々…

どころではなく、とてつもなく恥ずかしく情けない。でもこの際しのごの言って

いる場合じゃない。

 とことん己の残念さを自覚しつつ、僕は綾の手にソニアさんの書き置きを戻した

のだった…。






「えぇと……、Dear Syunnya…親愛なる瞬弥へ。I was indebted in……いろいろ

とお世話になりました…かな?」



 次々と綾が英文を読み上げ、それをすぐに日本語に翻訳していく。ところ

どころ詰まったり首をひねったりもしていたものの、それでも綾の訳はおおむね

意味は分かるものだった。

 要約すると、昨日今日と世話になった、何日か泊めてもらおうと思っていた

けれど、急な仕事が入ったため、どうしても東京に戻らなくてはいけなくなった。

絵依子のせいではないので、そこは間違えないでほしい、また会えることを

楽しみにしている、というような内容だった。


「はぁ………」


 一通り聞いて内容は把握できた。だけれど、それだけだ。

 また会えることを楽しみにしている、なんて言っても、書き置きにはメールの

アドレスも電話番号も、連絡がつけられそうなものは一切書かれていない。これで

どうやってまた会えるというのか。


 …一瞬、これは絵依子が隠蔽工作ででっちあげた書き置きなのではないか、と

僕は疑った。絵依子への言及もなにか甘く感じられるし、連絡先を書いていない

のも絵依子がでっちあげたものなら書いてなくて当たり前だ。

 だけど、よくよく考えれば有り得ない話だ。僕以上にバカの絵依子が、こんな

英文を書けるはずがないのだから。



 しかし、ということは……この書き置きはやっぱり本物で、連絡先を書いて

いないということは、また会いたい云々は社交辞令とか慣用句みたいなもので、

本心ではない、ということなのだろう……。




 …あまりのことに、思わず僕はその場にへたり込んでしまった。せっかく

一度は切れた糸が繋がったと思ったのに、今度こそ完全に……希望の糸は絶た

れてしまったのだ。

 …喜びが大きかった分、今回のショックは……大きすぎた。おそらくは…

…今度こそはもう二度と、あの人に会うことが出来ないという事実に……僕は

完全に打ちのめされていた。




「…え、しゅ、瞬くん……? だ、大丈夫……?」

「ちょっ……お兄ちゃん……、どうしたの……?」






 ……どこからか綾や絵依子の声が聞こえてきたような気がしたけれど、内容は

僕の頭にはまるで入ってこない。聞いたこともない外国語で話しかけられている

ようだ。

 少しして、ふらふらと自分でも分かるほど覚束ない足取りで僕は立ち上がった。

さっきからのショックの連続と、最後の絶対的な絶望が、僕の心にとどめを刺した

ようだ。目の前が比喩や例えではなく、本気で真っ暗に見える。足取りがふらふら

でも当たり前なほどに……。


「え、お、お兄ちゃん……?」


 また絵依子の声が聞こえた気がしたけれど、その幻聴を無視して僕は寝室に

入った。

 もう……何もする気が起きない。


 幸いにも寝室には、昨晩ソニアさんが使ったであろう布団がそのまま敷きっぱ

なしになっていた。西洋人のソニアさんには、布団をたたむという概念はないの

だろう。日本人なら行儀がいいとはいえないことだけど、今回ばかりは文化の

違いに感謝だ。


 ぼすん、と布団に突っ伏すと、かすかに甘い匂いがした。これは…ソニアさんの

匂いなのか。

 その甘い匂いに包まれていると、ふいに…目から涙がこぼれた。情けなく、女々

しいと思うけれど、溢れる涙を抑えることなどとうてい出来ないまま、ゆっくりと

僕の意識は…暗い深みに…沈んでいった……。





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