10月22日-8
・・・・・・がちゃり・・・
「…はぁはぁ…、…た、ただいま……」
ばたばたばた・・・・・・!!
「もぉ! 遅いよお兄ちゃん!! いま何時だと思ってんの!!」
息を切らせながら玄関を開けるやいなや、絵依子の乱暴な足音と怒声が、僕を
出迎えてくれた。それにしても、今日はよく走らされる日だったな…。
「ご、ごめん…絵依子。その…今日はちょっと…」
疲れたからもう放っておいてくれ、と言いかけた時、ふと絵依子が、ぽかんと
した顔で僕を見つめているのが目に飛び込んできた。
なにか…得体の知れないものを見たような…、たぶん僕が初めて怪物を見た
時も、こんな顔をしていたんじゃないだろうか、というような表情を浮かべて、
こっちを見つめながら絵依子が立ち尽くしている。
「…………?」
…いや、違う。よくよく見れば、絵依子の視線が向いているのは僕ではなく、
僕の後ろの…玄関口だということに気がついた。
「……お兄ちゃん。何、この人………」
「え………?」
わずかな間の後、絵依子が絞り出すように声を上げた。何…とは、いったいどう
いうことだ?
思わず僕も、まだ開けっ放しだった玄関の後ろを恐る恐る振り返った。まさか…
お寺から幽霊でもくっついてきたんじゃないだろうな…。
「……へ……?」
「フゥン…? ここがシュンヤのハウス…ネ?」
思わず僕の口から……間抜けな声がでた。なぜならそこには……。
「へ……、ああああぁぁぁぁッ??!!」
そこには……なぜかさっきタクシーで帰ったはずのソニアさんが、旅行用と
思しき巨大なキャリーケースを携えて……立っていた。
「……え…? え、えぇぇぇ………?」
……いったい全体、何が起きたのか、僕の脳みそは大混乱を起こしていた。
なんでさっき別れたはずのソニアさんが……こんなところにいる?
忘れ物……なんてことはない。僕は彼女の荷物を預かったりはしていない。
じゃあ僕に何か言い忘れたことがあるとか…。…いや、それもないだろう。
考えても考えても、なぜソニアさんがここにいるのかまったく分からない!
と、その時。
「あんたたち! いつまで玄関先でわーわー言ってんの!」
ゆらり、とさっきの絵依子のように、不機嫌そうな表情の母さんが姿を現した。
「え、あ、か、母さん……?」
「まったくもう! ご近所迷惑でしょ……って、え、あら……?」
これまた絵依子と同じように、玄関口に立っているソニアさんを見た母さんが、
ぽかんとした表情を浮かべた。でもそれもそのはずだ。だってたぶん今の僕も、
同じような表情を浮かべているんだろうから。
「ハイ! ワタシ、ソニア・エルンステッド言いマス。今晩泊メテもらいマス!」
「「はぁぁぁぁぁぁ???!!!」」
…訳が分からず、廊下で固まってた僕たちに、ソニアさんの全く想定外の、全く
思っても見なかった言葉に、思わず僕と絵依子の声がシンクロした。母さんはと
言えば目を白黒させている。
「…え、えっと…そ、ソニア…さん? いったい…どういう……?」
「今日はシュンヤにトテモお世話になりマシタ。家ニも泊まッテいい言いマシタ
から」
「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁ???!!!」」」
じろり、と母さんと絵依子の視線がこちらに向く。
い、いや、そんなことを言った覚えは僕にはないんだけど……。
「……瞬弥。どういうことか説明しなさい……」
「え、あ、そ……その……、お、お世話っていうか……鎌倉の街を案内しただけ
で…、…でもその…家に泊めるなんて話は……」
「ノー。シュンヤ言ったネ。ワタシがマンゾクするマデ、トコトン付き合ウと」
「え……ぇぇぇぇ…、…いや…それは……」
…確かにそんなようなことを言った憶えはある。だけど、それはあくまで案内の
話であって、そういう意味で言った訳じゃない。
…いや、でもソニアさんは外国人なのだ。日本人同士なら普通に通じても、そう
誤解してしまったのか…?
「ワタシ、まだマンゾクないデス。ダカラまだ……終わッテないヨ、dateは?」
「…………!!!」
と、ふいに僕にだけ聞こえるようにか、最後の「デート」という単語をささやく
ようにソニアさんが言った。
……まさか…さっきの明良さんとのやり取りを聞かれていたのか……?
思わず顔から火が出そうになった僕を見てか、さもおかしそうに悪戯っぽく、
くっくっと笑うソニアさんの笑顔は…どこか悪魔じみていた。
だけど…、そんな風に笑う顔さえ…僕にはたまらなく素敵に思えた。
「……細かいことは置いておいて、つまり瞬弥…、この子と約束したのね?」
「う……、ま、まぁ…そう…なるかも……」
「じゃあ仕方ないわね。…泊まってもらいなさい」
「「ええええええええ!!!!」」
また僕と絵依子の声がハモった。っていうか……いま…なんて言った?
「オゥ! アリガトございマス!」
「…その代り瞬弥、勝手な約束したペナルティは覚悟しときなさいよ?」
「ちょっ! お、……お母さん?! そんなのダメだって!!」
「…だって約束したっていうんなら仕方ないじゃない。それに…こんな時間に
外国の女の子を外に放り出す訳にもいかないでしょ」
「で……でも……!!」
呆れたような、諦めたような表情で、母さんがふっと笑った。すごい剣幕で抗議
していた絵依子も、しばらく何か言いたそうにしていたものの、諦めたのか渋々
口を閉じた。
というか、これは僕も意外だった。…まさか母さんが、どこの誰かも分からない
外国人の女の子が、いきなり来て家に泊めろだなんてのをOKするだなんて…。
「とにかく…狭くて申し訳ないんだけど、それでも良ければだけど…」
「大丈夫デス。ワタシ気にしまセン」
…そこは普通は「そんなことないです」とかって返しそうなところだけど、
さすが外国の人はストレートだな…。
「…あ、ところでソニアさん、あなた…日本へは親御さんといっしょに来たの?」
「ノー。PappaモMammaモスゥエーデンでス」
「じゃあご両親に連絡って…どうしたらいいのかしら…。国際電話…ってどうかけ
るんだっけ。あ…それに時差とかって……」
「ノー。ワタシもう成人してマス。必要アリマセン。スゥエーデン、arton…18歳
デ成人デス。ワタシ18歳デス」
そう言ってソニアさんが取り出したのは、なにやら免許証……のようなもの
だった。見ればそこにはソニアさんの生年月日らしき数字が書いてあった。今の
西暦から逆算すると、確かに18歳半ばの年齢が確認できた。
ということは…ソニアさんは学年でいうと僕の一つ上、ということか。日本だと
高校3年生、ということになる。
もう少し上かと思っていたけれど、この歳でデザイナーとしてすでに有名という
のは逆にとんでもない話だ。いったいどんだけ天才なんだ……。
「で、でも…ここは日本だし……、それでいいのかしら……」
「いいデス。問題アリマセン。ンン…? ソ言えばイイ匂いシますネ。何ですカ?」
「え、あ、あぁ…晩御飯にね、シチューを炊いたんだけど…」
「オゥ! ワタシ、シチュー大好キでス!」
「あ、そう…なの? じゃあ良かったら、あなたも食べる…?」
「ワォ! 食べるデス!」
言うやいなや、玄関にどかんとキャリーケースを置いて、とうとう…ソニア
さんが我が家に上がっていった。
……でも未だに…僕はこの光景を現実のものとは思えなかった。
「…ワォ! さっきノショウジンリョウリもグッドでしタガ、これモオイシい
デス!」
「そ、そう? 喜んでもらえて嬉しいわ。まだたくさんあるわよ?」
「シュンヤのマッマ……、料理上手イですネ!」
「あらあら! 嬉しいこと言ってくれるわねぇ! それにしてもソニアちゃんは
日本語上手ねぇ!」
……ふと気づくと、なんかさっきまでとは打って変わって、普通にソニアさんが
我が家に馴染んでいる。母さんとも打ち解けたみたいで、楽しそうにダイニングで
おしゃべりしている。
ってか、本当にいったい何なんだ……この状況は。
…確かにさっきまで、僕はソニアさんと別れるのが辛いと思っていたけれど、
こんな事態は予想外、想定外過ぎる。あまりの異常事態に、正直脳みそがまだ
追いついていない。
……だけど、一度は断ち切れたはずの糸が…また繋がったことだけは確かだ。
今はそのことがたまらなく嬉しく、ありがたい。
「……ちょっと、お兄ちゃん」
「え、な、なんだ? 絵依子」
と、そんな感慨に耽っていると、ふいに絵依子が僕の腕を掴み、そのまま僕は
ずるずると洗面所に連行された。
「…あのさ、あの人、いつまでいさせるの」
「え、そ、そりゃあ…満足するまでって言ってたから、しばらくは居るんじゃない
かなぁ」
「ダメ! お母さんも認めちゃったから今日は仕方ないけど、明日には出ていって
もらってよ!」
「い、いや、別にいいんじゃないか? 何も問題ないだろ」
…何が気に入らないのか、怒ったような表情の絵依子が、ひそひそ声でそんな
事を言ってきた。実際僕としては、何泊でも気が済むまで泊まっていってもらえば
嬉しいぐらいだ。
あるいは……その辺の流れで、もっと親しく…気安くなれれば、今度こそ連絡先
の交換ぐらいは出来ちゃうかもしれないのだ。無理に帰ってもらう理由なんか一つ
もない。それが得られるなら、母さんの本気鉄拳制裁も恐るるに足らず、である。
問題などあろうはずもない。
おまけにあのソニアさんが僕たちの家に泊まるということは、ひとつ屋根の下で
一晩を…いや何日もいっしょに過ごすということで……。
最初に思い描いていたお泊りデートこそ実現しなかったけれど、この状況は
むしろ、逆に、それ以上のシチュエーションなのではないだろうか。
夢でもこんな状況なんて、めったに見られるもんじゃない。それがまさか現実に
なるなんて……思い返すだけで顔が緩んでしまう。
「ダメったらダメ!! あんな人に居座られたら、怪物退治にも行けなくなる
じゃん!」
「え? あ………」
…また妄想の世界に入り込みかけていた僕を、絵依子の声が現実に引き戻した。
そして言われて気がついたけれど、確かに絵依子の言うことにも一理ある。
怪物退治は母さんがいないか、寝てる間のような、スキを突いて行くものだ。
だからもしソニアさんがずっと家にいるとなると、抜け出すことは今以上に難しく
なるだろう。
…それはきっと…絵依子にとっては、認めがたい、許しがたいことなんだろう。
でも……。
「い、いやまぁ…別にいいじゃないか。どうせちょっとの間なんだし…。せっかく
だから、おまえもしばらくのんびりしたらどうだ?」
「……はぁぁぁぁぁぁぁ?! ってか、またお兄ちゃん、キモい顔してる! もう
死ね!」
・・・ドゴォッッ・・・・・・!!
「おごぉッッ!! …ぁお…? …っ………ぉぶ…っ……」
…予想外……、いや……、冷静であれば予想ぐらいは出来たであろう絵依子の
パンチが……僕のみぞおちに……直撃したらしい。
痛みと衝撃で……刈り取られたように意識が薄れていく。
「え……えいこ……、お、おま………」
「うっさい! 死んどけ!」
「~~オゥ…~~~~ママさん……~~~~ですネ…~~」
「~~~ことないわよ…~~~~~ソニアちゃ……~……」
…どこか遠くから、母さんとソニアさんの楽しげな声が聞こえてくる。それを
聞きながら、静かに……僕の意識は闇へと溶けていった……。




