10月22日-4
「…じゃあお客さん、空港でええんだね?」
「OK! レッツゴー!」
車内に無理やり押し込まれたとたん、タクシーの運転手さんが行き先を確認
してきた。それにすかさずソニアさんがゴーサインを出した。
…ま、まずい。これはまずいぞ……。
「ちょっ! ちょっとだけ待ってください! 運転手さんも!」
「お……? どうしたね?」
僕が必死の声を張り上げると、そろそろと動き出しかけていたタクシーが
カクンと停まってくれた。
「…ドウしましたカ? ナニかモンダイでも?」
「…はい。その……大問題です。あの……すみません!!」
「……?!」
「……実はその……、先日京都を案内するって言った約束なんですけど……、
あれは…ウソだったんです! 本当にすみません!!!」
…もちろん僕はソニアさんを騙そうとしていた訳じゃない。けれど結果的には
そうなってしまったのだから、細かいことをあれやこれやと言い訳するのも見苦
しいだろう。
なので僕は謝りながら、タクシーの中で深々と土下座した。
「…ドウいうコトですか?」
さっきまでとは打って変わって、2オクターブぐらい低くなった声が聞こえて
きた。頭を座席の下に置いてるので、ソニアさんの表情は分からない。でもその
声からは、なにか…不穏なオーラが感じられた。
………覚悟はしてきたけれど、これは……確実に怒っている。そう……感じ
られる……。
この期に及んで言い訳なんかしたくはないけれど、説明しろと言うなら、ある
程度は理由を言ったほうがいいのかもしれない。
「あ、あの、先日の話は、ぼ、僕の先走りっていうか…実は僕は京都のことなんか
何も知らなくて、その…」
「…………」
「そ、それに本当は……最初から無理だったんです。学校とか…休める算段が
あった訳でもなくて……。でも……」
「…………」
「その…はじめにお断りした時、ソニアさんがすごく残念そうな顔をして…
だから…」
「……………」
「だ、だからつい…勢いで…あんなことを言ってしまいました。すみません!」
「……………」
ちらり、と一瞬だけ顔を上げて、僕はソニアさんの方をうかがってみたものの、
反応はなにもない。黙って腕を組んだまま、僕をじっと見るその表情からは何も
読み取れないけれど、どうにもこれは……まずい感じがする…。
もしかしたら僕の言葉が通じていないのかもしれない。もっと外国の人にも
分かりやすい単語を選べばいいのかもしれないけれど、そんな風に言葉を選んでる
余裕なんか僕にはない。
こうなったら……真正面のどストレートを投げるしかない…!
「そ、その代わりと言ってはなんですが、もしもソニアさんが許してくれるなら、
今から鎌倉という場所を案内させていただきます!」
「………………」
「そ、その、鎌倉も京都と同じか、それ以上に名所です。お寺もたくさんあります
し、だから…もし良かったら…」
「んん? 要するにあんたら…鎌倉か京都で迷ってるんか? お寺参りしたいん
なら鎌倉もええとこだよ?」
「……!!」
思っても見なかった、運転手さんからの援護に、思わず鎌倉推しの僕の声にも
力がこもる。
「そ、そうなんです! いい所なんです! だ、だから絶対に後悔はさせません!
むしろ鎌倉の方が満足してもらえると思います!」
「……んン……」
……今までずっと黙っていたソニアさんから、かすかな音が聞こえた。声なのか
ただの息なのかは分からないけれど、やっと反応をしてくれた。ここが正念場か!
「と、というか、満足してもらえるまで……とことんお付き合いします! 約束
します!」
「…OK、ソレでイイワ!」
「え………?」
……!!
思わず顔を上げると、さっきと同じように腕を組みながら、でも苦笑いのような
表情をソニアさんが浮かべていた。
……やった!!
何が効いたのかは分からないけれど、とにかくソニアさんは僕を許してくれた。
納得してくれたらしい。
良かったぁ……。
「あ、あの、ありがとうございます!」
「フゥ……、シュンヤ、アナタ話がナガすぎるネ。キュウにヘンなポーズして
イロイロ言うシ、よく聞こえナイ。ワタシどうしてイイか分からなカッたヨ」
へ………?
「え、あの……、じゃあソニアさんは怒ってたんじゃ……」
「行きサキがチョット変わッタぐらいデ大ゲサデス! ワタシ、テンプル……オ寺
見タイ。カマクラにもそれアル。ジャあナニも問題アリマセン!」
そんなことを言いながら、くすくすとソニアさんが笑う。
……つまり何か、ソニアさんは、車の中で僕が急に土下座した上に、よく聞こえ
ない口上を長々と聞かされて、訳が分からずに固まっていた、ということなのか。
しかし怒っていた訳じゃない、というのはホッとしたけれど、誠意を込めた
つもりの僕の渾身の土下座を、変なポーズ扱いというのは少々悲しいな…。
ともあれ、これで一番の問題は解決した訳で、僕は心の中で胸をなでおろした。
あとはあの日名瀬メモを使って、しっかりソニアさんを案内して、満足してもらう
だけだ。
「じゃ、じゃあ運転手さん! 改めて鎌倉までお願いします!!」
「あいよ~。鎌倉までね~。ほんで鎌倉のどの辺で降ろしたらいいんかね?」
運転手さんがそう言いながら、そろそろとタクシーを発進させた。あわてて
僕は日名瀬メモを取り出し、ルートの確認をした。
「あ、はい。とりあえず大仏のところでお願いします」
「ダイ…ブツ? オゥ! Big Buddha! シッてます! イイですネ!!」
「ほんで? そこからはどうするんね? 観光するなら門前で待っとこうか?」
「イエス! 他ニもテンプルアリますカ?」
「有名どころは押さえてありますから、近い順に回りましょうか」
「グッド! ソレデいいワ!! ダイブツ…とてもオオキいブツゾウと聞いて
イマス。ドレぐらいですカ?」
「そ、それは見てのお楽しみということで……」
「ナルホド! その通リデス!」
さっきまでとは打って変わって、窓を流れる景色を眺めながら、ソニアさんは
にこにこと笑みを浮かべている。ご機嫌はかなりいいようだ。
それにしても、こうも普通に会話できていることに、改めて僕はソニアさんに
感心してしまう。時々英語が交じったりはするものの、意思の疎通という点では
まったく問題ないレベルだ。
確か前に、日本が好きだから勉強してきた、とソニアさんは言っていたけれど、
独学でここまで話せるようになるなんて、驚き以外の何物でもない。10年近く英語
を勉強させられてきたのに、外国の人との会話なんてまず無理な自分のことを思う
と、ちょっと信じがたいほどだ。
「…あ、あの、ソニアさんって、本当に日本語お上手ですよね…。もしかして日本
には前にも来たことが…? ってか、実は昔住んでたとか……」
「ノー。昔カラ来たイと思っテましたガ、来ルのはハジメてデス」
「じゃあ…ちなみにですけど、ソニアさんはどちらの国から…」
「ワタシの国、Sverigeデス」
……す、スバーリヤ?
聞いたことのない国だけど……どこだ……?
「……ン…、オゥ、英語デは…Sweden言いますネ」
たぶん僕が理解できてないことを察してくれたのか、ソニアさんが助け舟を
出してくれた。しかし残念ながら、それでもまだ僕は分からないのだ…。
スバーリヤ……、スイー…ドゥン……?
スイス……ドン…?
そんな国…あったっけ……?
「おっ、お客さん、スゥエーデンから来たんかね。遠いところからまぁ…よう
来たねぇ!」
「イエス! ニホン、とても遠イかったデス! 退屈デ死にソウでしタ!」
「……………っ!」
と、またしても運転手さんからのナイスフォローが飛び出した!
そうか…、スイードゥン……スゥエーデン……か。なるほど……。
しかし……スゥエーデンといえば確か北欧の国だったはず。そうなるとソニア
さんは母国語と英語に、おまけに日本語まで話せることになる。
天才デザイナーで美少女で、そのうえ頭もいいなんて、ちょっと神様は不公平
すぎるんじゃないかな…。
「私もねぇ、20年ぐらい前に一度行ったことがあるんよ。ほら、オーロラっ
ちゅうのを見に。あの頃は私も羽振りがよくてねぇ。あの頃は良かったなぁ…
ははは…はは……」
あまりの格差に呆然としていると、乾いた笑い声を上げてから運転手さんが急に
押し黙った。ふと見えたバックミラーに映る運転手さんの目には、かすかに光る
ものがあった。
きっとこの何十年かで、この人にもいろいろあったんだろうな……。絶望的な
までの格差を目の当たりにした今の僕には分かる。分かってしまったのだ…。
「オゥ! アナタ、Sweden来ましたカ! イイとこロでショウ! そう例えバ…」
「あ、あの…! それでスゥエーデン人のソニアさんがお寺とか大仏さんを見たい
っていうのは、何かお願い事とか…ですか?」
…話をスゥエーデンや昔のことに戻されると、運転手さんのメンタルが心配だ。
さらに言えばそんな状態で運転されたら僕らの命もヤバい。なので僕は全力で別の
話を振った。
「ンン……? 意味ガ分かりマセン。ナゼ大仏にお願イ?」
「え、あ、いや……、その、日本では大仏と言うか仏さんにお願いとか、頼み事を
するんですけど…」
「フゥン……、面白イですネ。デもワタシは違いマス。自分ノ願イを叶えるハ、
自分ノ力だけデス」
「…………」
…傲慢にも聞こえる今のソニアさんの言葉は、若くして天才デザイナーとして
有名になった彼女にとっては自然に出てきたものなのかもしれない。でも、なぜか
そこに僕はかすかな違和感を持った。
確かに今の発言は彼女の本心だろう。それは間違いないように思う。でも………
どこか、なにか、「力み」のような色が感じられたのは僕の気のせいだろうか。
ともあれ、一人であれこれ考えていても仕方がない。会話を続けなければ。
「…じゃ、じゃあもしかしてお仕事の関係…ですか?」
「イエス! ソノ通りデス。ワタシ、デザインシテます。デザインはインスピ
レーションデス。ソレをワキタタせるのは異文化デス。ミタコトナイものを見ル。
コレに勝ルもノはアリマセン!」
「なるほど…。でも…今ならネットとかで見るのは出来るんじゃないですか?」
「ノー! 見ルとはタダ目でミルだけではナイのデス。ワカリませんカ?」
…見るとは、目で見るだけじゃない、か。
なるほど、分かったような分からないような。
「えっと……、ただ見るのと、その場の雰囲気や周りの景色とか…、そういうもの
も含めて現地で見る「体験」みたいなのは違う…ってことですか?」
「…そうネ。ハンブンぐらイ正解ネ」
自分なりに真面目に考えて、どうにかひねり出した答えだったけれど、半分
しか合ってないらしい…。
がっくり落ち込みそうになったけど、よくよく考えてみれば半分でも御の字
だろう。世界を股にかける天才デザイナーの問いに、半分でも正解と言われたの
なら、それはもう普通なら100点満点でもいいぐらいのはずだ。
……とはいえ、やっぱり正解は気になるな…。
「あ、あの、じゃあ…」
と、そこまでを言いかけた時、ふいに僕たちを乗せたタクシーが停まった。
「あ………」
「…ご乗車お疲れさんでした。着きましたです」
「え………」
「ワォ! もう着きマシタカ!」
運転手さんの声にあわてて窓から外を見ると、確かに見覚えのある景色……
えらくうっそうとした参道の木々や土産物屋さんが目に飛び込んできた。
前に来たのは小学校の遠足だったから、10年近く経ってるだろうに、あの頃と
まったく変わりないことにも、ちょっと僕は驚いてしまった。
「ここが鎌倉の大仏さん…高徳院になります。…待っといた方がいいんだね?」
「あ……、そ、そうですね。じゃあそれで…」
「ヘイ! カード、OKデスカ?」
「はい、大丈夫ですよぉ。んじゃこれで……」
…結局正解が何だったのか分からないまま、聞けないままタクシーを降り、僕
たちは大仏さんを見るべく、まずは山門に向かったのだった。




