10月20日-4
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「……ところで今日はどうする? 母さんが寝てる今のうちに出かけるか?」
お皿も洗い終わり、すっかりダイニングの片付けも終え、母さんが眠った
のも見計らって、僕はひそひそと絵依子に今晩の怪物狩りについて切り
出した。
本当のところを言えば、なるべくなら行きたくはないけれど、あの計画に
協力してもらうことを考えれば、こいつのご機嫌は取っておいたほうがいい
だろう。
「うん…。お母さんが出勤するまで待ってたら遅くなり過ぎるしね。
ちょっと早いけど…まぁいっか」
時計を見上げると今の時間は9時…21時前だ。母さんを起こすと
したら12時前後だから、まだ3時間以上ある。
「……?」
「…時間が早いとね、あいつらはあんまり表には出てこないんだよ。
早くても10時過ぎにならないと…」
「え…でも僕を狙ってたヤツは5,6時ぐらいに出てきてたじゃんか」
「アレは例外。アイツは最初からお兄ちゃんに目をつけてたからだよ」
「そういうもんなのか…。なるほどな…」
怪物を見つけるには絵依子の感覚だけが頼りだ。適当に歩き回っては、
捉えたかすかな気配を追うしかない。
だから相手が遠ければ、移動にも時間もかかってしまって、下手を
すれば僕たちが着く前に逃げられてしまう。実際、昨日も危うくそうなる
ところだったのだ。
10時から12時ぐらいとなると、実質的な時間が2時間ほどしかないって
ことになる。それだと正直いってかなりキツい。無駄足になる確率のほうが
高いだろう。
「…ちなみに今、この近くにいそうか?」
「うーん……、さっきも言ったけど時間も早いし、近くには感じないかなぁ。
10時過ぎになれば出てくるかもだけど」
「昨日のこともあるから、あんまり遠くには行きたくないなぁ…」
「うん…でもこればっかりはどうしようもないから…」
「そうか……じゃあ……」
できれば戦いに行って、絵依子のご機嫌を取っておきたかったけれど、そう
いうことなら仕方がない。なら、今日はやめておこうか。と言いかけた時、
ふと僕の頭に、ある反則技がひらめいた。
「あ…、母さんのバイクをこっそり拝借してみる…ってのはやっぱ
マズいか…マズいよなぁ……」
「……! それっていいかも!!」
独り言半分、冗談半分につぶやいただけの僕のアイデアに、絵依子が
がぜん食いついてきた。
「あれだったら歩くより速いから、今までより遠くまで行けるし、帰りも
ラクラクだよ!」
「確かにな…延々歩き続けるってのもけっこう辛いしな」
「じゃあ決まりだねっ! あ、でもお兄ちゃん…あれ動かせたっけ?」
「去年郵便局のバイトした時に免許は取ったよ」
「じゃ楽勝じゃん! よぉ~し! 決定~!!」
ぱぁっと明るく、大きくなった目で絵依子が僕を見つめる。でも実際の
ところ、これはそう簡単でも楽勝でもない。そういう次元の話ではないのだ。
「おまえ…分かってるのか? …内緒で使ったのがバレたら、後で母さん
から大目玉だぞ?」
「え? わたしは関係ないから平気だよっ? だって運転するのお兄ちゃん
だもんっ☆」
「お……おまえなぁ……」
「…ウソウソ。冗談だよ。その時はわたしが無理やり乗せてもらったって
いうから」
…とは言いつつも、土壇場になったら裏切りそうに思えてならないのは
僕の兄としての器量が小さいからなんだろうか。
しかしまぁ…とりあえずは信じてやるとするか……。
「…そこまでの覚悟か。分かった。じゃあそうしよう…」
「おっけー! じゃあ準備してくるね!」
上機嫌で寝室の方へと絵依子が向かう。しかし、…実は問題はもう一つ
あるのだ。というより、むしろこっちの方が重要なのかもしれない…。
「う、うん…。だ…大丈夫じゃないかな。一度身体で覚えたら、乗り方は
忘れないって…、…誰かが言ってたし…………あれから乗ってないけど、
たぶん何とか…なるような気が…しなくも無いかもしれない……」
…自分を励ますように、僕はなるべく楽観的に考えることにした。
せっかく絵依子が期待してくれてるのだ。それを裏切るのは、せめて
もう少し後にしたい…。
少しして、下駄箱に無造作に置いてあったバイクの鍵を拝借し、
いつものゴスロリ服に着替えてきた絵依子と連れ立って、僕たちは
とりあえず下の駐輪場に降りた。
「………ん…?」
駐輪場に停めてある我が家のオンボロバイクを見た時、ふと僕は妙な
違和感に囚われた。
「なぁ絵依子……。うちのバイクって…こんなだっけ?」
「え? どういうこと……?」
絵依子がきょとんとした表情で僕を見る。何を言ってるのか、とでも
言わんばかりのように。
いや、僕自身も、自分が何を言ってるのか意味が分からない。
ここに停めてあるバイクは確かにうちのバイクだ。それは間違いない。
ボロボロで傷だらけの、この年代物のバイクは確かに記憶にある。
でも………、なぜか違和感がある。かすかな違和感が僕を捉えて離さない。
「………なんなんだ…?」
「どうしたの? お兄ちゃん……」
…不審そうに絵依子が僕を見る。
…いや、ともかく今は予定通りにやろう。そうだ、これはきっと…ただの
気のせい…だ。
「あ、いや。なんでもない。じゃ…じゃあ行くぞ……!」
見るからにくたびれた我が家のおんぼろバイクにおもむろにキーを
挿し、ひねった。そして……いざスイッチオン!
プーーーー!
「お兄ちゃん! それ違う!」
「わわわ、わかってる! 母さんに気づかれる! 大きな声出すな!」
「お兄ちゃんの方がうるさいよ!」
「えーっと…! じゃあ…これか!」
ピカっ!
「それも違うって! お兄ちゃん!」
「ううう、うるさい!!」
カッチッ、カッチッ・・・
「えーっと! えーっと!」
「…………」
「…! あ、こ、これだ! ふんっ!!」
…バゥゥンンンッッ!!
「あ、かかった! どうだ! 見たか!」
パニクりながらもどうにか存在を思い出したキックスターターを勢いよく
蹴り、見事にエンジンを点火して得意げに振り向いた僕を待っていたのは、
凄まじく冷ややか、かつ無表情な絵依子の姿だった…。
「…まだ動かしてもないのに、こんなんじゃ先が思いやられるよ…。着替えて
きて損した…」
…ぐさぐさと背中に容赦の無い言葉が突き刺さる。
「…ま、まぁそう言うなって。自転車にはこんなの無いんだし。そ、それに
動き始めたらすぐだよ」
我ながら情けない言い訳を口にしながら、ひらりと僕はカッコよくシートに
またがった。
…そう、ここから、ここからがまさに本番なのだ。
エンジンの振動がかすかに全身に伝わってくるのを感じながら、くっ、と
少しだけアクセルを回す。それに従って少しだけエンジンの音が大きくなる。
ビィッン、ビィィインン・・・!
「よし…行くぞ……!」
もうすっかり汗びっしょりになった手のひらで強くハンドルとクラッチを握り、
左足でスタンドを跳ね上げ、つま先でギアのバーを下に押す。するとカチン、と
小さくギアが入った音が聞こえた。
両足で支えながらじわりとアクセルを回し、握り込んでいた左手のクラッチを
そぅっと開けていく。するとついに…ゆっくりとバイクは前に動き始めた。
「………!!」
ブイーン、と小気味いい音を立てながら、バイクが軽やかに加速していく。
ある程度のスピードでギアを上げる。2速、そして3速。
と、今度はぐんぐん近づいてきたカーブの前でブレーキをかけ、今度はギアを
落とす。同時に身体を傾けると、バイクと僕は軽やかにそれをクリアしていく。
団地内の道を独楽ねずみのようにくるくると走らせながら、僕は自分が意外な
ほど運転できている事に、我ながら驚いていた。
当たる風で手のひらの汗も見る見る引いていく。
免許を取った時やバイトの時にも、バイクはそれなりに走らせた事はあった
けれど、あの時の感覚とはまるで違う。まるで僕にも翼が生えたような、そんな
感覚だ。
5分ほど走らせると、僕は以前の感覚をほぼ取り戻した。さっきまで感じていた
妙な違和感も、走らせているうちにどこかへ消えていった。
たぶんさっきまでの違和感は、今日いろんな事がありすぎて、脳みそが混乱
でもしてたせいだろう。今は確かにこれは母さんの…うちのバイクだと思える。
「お…お兄ちゃん、すごい! すごいよ~!」
「…はっはっはっ。ま、まぁ、ざっとこんなもんさ」
駐輪場で待つ絵依子のところに戻ると、僕が華麗に走らせる姿を見て、さっき
までの落胆はどこへやら。自分も早く乗りたいとウズウズしているようだった。
時計を見ると時刻はもう9時半になろうとしていた。こうなったらあまり
のんびりもしていられない。とりあえず今日は練習がてら、近くを適当に流して
走ろうと僕は提案した。




