10月20日-2
「…は? ……はぁぁぁぁ……!?」
僕は思わず自分の耳を疑った。僕が今、耳にした言葉が本当に言葉通り
なのだとしたら、彼女は…ソニアさんは今から京都に行くつもりらしい。
しかも…この僕を……案内役にして…。
「あ、あの……、そ、ソニアさん……?」
「京都楽しみデース! Buddhist temple! shrine! アナタどこ知って
マスか?」
でもそんなのは無理だ。ここから京都まで、いったいどれぐらいの距離
があるのか。正確なところは分からないけれど、たぶん何百キロは確実に
あるだろう。
おまけに僕は京都になんか行ったことはない。案内しろと言われても
無理だ。そもそもどう行けば京都にたどり着けるのか、まずそこから
僕には判らない。
飛行機…? 電車…? 新幹線……?
第一、今から京都に行っても着くのは夜だ。たぶんまともに観光なんか
できないだろう。だとすると一泊して次の日からということになる。
……つまり、明日学校を休んで、彼女を案内する……?
…いやいや、出来るわけがない!!!!!!
「あ、あのですね、ソニアさん……」
「オゥ! そイえばアナタ、名前ハ?」
「え? あ、いや……」
「ヘイ! アナタ! 名前は? what's your name?!」
「え、あ、な、名前…? あ…、シュンヤ ワタラギ…です」
「…shunya? OK、シュンヤ! デは行きましョウ! エアポート行くCab
乗りマシょう!」
「あ、あのですね! ソニアさん!! ちょっと待ってください!」
なにかどんどん向こうのペースで話が進んでしまっている。とっさに僕は
大声を出してしまった。
「…? ドうカしましたカ? ナニか問題でモ?」
「あ、あの、つまりソニアさんは、今から京都に行きたい、そういうこと……
なんですよね?」
「ソウでーす。それがナニか?」
「…今からだと着くのは夜になっちゃいます。ホテルの予約とかはしてるん
ですか?」
「ワッ?! ニホン小サい国です! ナンでソウなリまスか!」
…そりゃあ確かに日本はそう大きい国じゃないけれど、はっきり小さいと
言われると、ちょっとカチンと来るな…。
「あ、いや……。小さいっていうか、細いけど長いんですよ、日本って。
だから京都は結構遠いんです」
僕が手振り身振りを交えながらそう言うと、あわてたようにソニアさんは
スマホを取り出し、ポチポチと何か操作をし出した。
「……オォゥ……。京都……ホントに遠いネ……」
何か、あからさまにソニアさんが落胆しているのが見て取れた。スマホで
地図か何かを見て、僕の言ったことが嘘ではないことを理解したらしい。
というか…なんで今までそれぐらい下調べしてなかったんだ…。
「OK……、I Am Grateful For Your Warning……」
がっくりと肩を落としたソニアさんが、何ごとかをつぶやいて、くるりと
踵を返した。たぶん、「わかった、もういい」みたいなことを言ったんだろう。
つまりはこれで僕もお役御免、訳の分からない厄介事から解放されたと
いうことだ。ようやく本来の目的……、バイト探しにも戻れるということだ。
だけど………。
「あ! あの!」
「……ワッ?」
「…今日はもう無理ですけど、日を改めてだったらご案内できるかもです」
「………?!」
…突然、自分でも信じられないような言葉が口から飛び出た。同時に、
ソニアさんがサングラスを外して、驚いたような表情でこちらに振り向いた。
いや、驚いたのはむしろ僕自身のほうだ。いま僕は…何を言った?
…別の日にこの人を京都に案内する…だって?
いったいどうやって? 学校は? バイトは?
「リアリィ? ほんとデすカ?!」
「え、あ、あ……い、いや、その……、え、えぇぇ…?」
とっさに口をついて出てしまった自分の言葉に、僕はちょっと混乱していた。
だってそんなことができる自信も時間も、何もかもないのだ。
なんで僕は…こんなことを口走ってしまったのか……!
…だけど、それでもこの人を放ってはおけないと僕は思ったのは確かだ。
わざわざ日本にまで来てお寺や神社を見たいというソニアさんを、がっかり
させたくないという思いは確かにある。
僕自身、別に日本の文化に詳しいというわけじゃないけれど、それでも
外国から来た人が日本の文化に触れたいと言ってくれるのは悪い気はしない。
日本人としてはむしろ嬉しいぐらいだ。ましてや彼女は世界的なデザイナー
なのだ。
だったら、その彼女にそういう物に存分に触れてもらう機会を作るのは、
日本人としての義務ではなかろうか…?
日本人がみんな不親切だと思われるのもよくないし……。
…そうだ。よくよく考えてみれば、ちゃんと理由はある。
思わず口から飛び出した言葉を、僕はそんな風に自分で解釈した。
「グッド! それでイイわ! Tomorrow? The Day After Tomorrow?」
僕の言葉に、ぱぁっと一気にソニアさんの表情が明るさを増し、畳み
掛けるように何ごとかを口にする。たぶん明日か明後日かを聞いてきたん
だろう。
それにしても、ソニアさんは笑うとガラッと印象が変わる。クール系の
美人だと最初は感じたけれど、笑顔だと「可愛い」とさえ見える。
確か…18歳だとテレビでは言っていたような。ということは、こちらの
方がむしろ、素顔に近いのかもしれない。
「ンン……?」
などとつい自分の世界に入り込んでいると、怪訝そうな表情でソニアさんが
こちらを覗き込んできた。あわてて意識を戻して、返答の言葉を探す。
「あ、え、ええと……トゥモロウ……ノー……」
明日は特に予定はないけれど、さすがにちょっと急すぎる。もう少し
クッションを置いた方がいいような気がする。
「と、とりあえず、明後日はどうでしょうか。明後日の夕方3時半にここで
合流というのは……」
「OK! ソレでいいネ! デはThe Day Af…アサッテに、またココで!
Thank You For Today!」
そこまで言うと、ソニアさんはぶんぶんと手を振りながらロータリーに
停まっていたタクシーに乗り込んでいった。ソニアさんを乗せたタクシーは、
弾かれたように駅前から消えていった。
「……ふぅ…」
ソニアさんのいなくなった駅前の喧騒に、ふと僕は急速に「現実」に引き
戻された。さっきまでのあのやり取りは本当のことだったんだろうか。
「……えっと……、何だったんだろう。今の……」
駅前に残された僕は、とりあえずいったん状況を整理することにした。
どうやら僕は、例の新型スマホをデザインした、世界的にも有名な天才
美少女デザイナーに偶然駅前で声をかけられ、あろうことか京都に旅行の
約束をしたらしい。
…
……
………
いやいや、ありえないだろ! 現実にこんなことがあるはずがない!
…うん。普通に夢だな、これは。
とっさに僕は自分のほっぺたを軽くつまんだ。でも返ってきたのは現実その
ものの軽い痛みだけだった。
じゃあ本当に僕はあんなすごい人と、もしかしてその、デートの約束を取り
付けた……?
「いやいや……、何かの間違いだろ、いくらなんでも、そんな……」
そう思って何度も何度も頬だけじゃなく、頭も何度か叩いたものの、やっぱり
目は覚めない。
………ということはつまり、今のは本当に、まぎれもない現実だったのだ。
「……マジか…。マジなのかな……」
マジもマジ、大マジらしい。だけどそれはつまり、僕はとんでもない事態に
陥った、とも言える。いったいどうやって学校を休むのか。母さんや絵衣子に
どう説明するのか。バイト探しはどうするのか。そもそも本当に僕に案内役が
務まるのか。
…問題山積みどころではない。問題しか無い、という状況である。
…しかしながら、そんなことは大事の前の小事、取るに足りない程度の
話でもある。この僕が、あんな天才美少女と、泊まりで旅行に行く、という
この先、未来永劫無いであろうスペシャルビッグイベントの前では…!
幸い、うちは母さんが夜勤やら何やらで仕事が不規則だ。そこを上手く
絵依子に口裏を合わせてもらったりすれば、一泊ぐらいはなんとかなる
気がする。牛丼特盛を3日ぐらい食わせれば、絵依子のやつはたぶん
買収できるだろう。学校への連絡も絵依子に頼めばいい。
あとは京都について予習をしておけばいい。図書館でガイドブックでも
借りれば、外人さんの興味がありそうなところも大体のところはカバー
できるだろう。
「よし……、行ける…! 行けそうだ…!」
あと、問題があるとすればバイト探しだけれど、それも今日中に決めて
しまえばいい。こうなったらとりあえずでいい。少々ブラックでも背に腹は
替えられない…!
「うおぉぉぉ! やるぞぉぉ!!」
思わず口をついて出た雄叫びに、周りの人がさぁっと僕から距離を取った。
「あ…あの…、す、すいません…。何でもないです……」
などと言いながら、僕はこそこそとその場を後にして、改めてバイト探しに
向かったのだった。




