10月20日-1
-10/20-
「ふわぁああああ……」
「…ふぁぁあ…」
……眠い。超眠い。
…昨日と言うか今日と言うか。結局僕が寝たのは3時前で、絵依子に
至っては4時過ぎだという。
仕事から帰ってきた母さんと、綾のチャイムに起こされるまで、たったの
5時間ほどしか寝られなかったのでは、それも仕方ない話だ。
仮にも成長期の僕たちにとっては特に…。
「…なんか…今日も二人とも眠そうだよね…。最近は二人で夜ふかし?」
「え……ま、まぁそんな感じ~。それよりさー、昨日クラスの子がね~」
寝癖の付きまくった髪をぐりぐり直しながら、絵依子が眠そうな顔の
まま、綾の話を何となくはぐらかす。
…今にして思えば、こいつが朝に異常に弱かったのは、ずっとこんな
風な生活を続けていたからだったんだろう。同じように出歩くように
なった今の僕には、それが充分すぎるほど納得できた。
しかし、ずっとこんな調子じゃ綾に不審がられるどころか、下手を
すればいつか身体を壊しかねない気がするぞ…。
「…そういえば私もね、最近ちょっと寝不足気味なの。夜中に急に目が
覚めたり……変な気配みたいなのを感じたりするの…」
「へぇ~~。それってもしかして…アレかも! れ、霊の仕業とか!
あーやって霊感とか強かったっけ?」
「ぅん…ど、どうかなぁ…。そんなことないと思うけど…」
両手首をだらんと下げて、ベタな幽霊のマネをする絵依子に、綾が
少々引いている。まったくこいつは…。
「ばーか…。幽霊なんかいるわけないだろ。そんな非科学的な……」
と、そこまで言いかけたものの、僕はとっさに口をつぐんでしまった。
…考えてみれば近頃はその非科学的なことばかり起きている。怪物の件
しかり、オービスや絵依子の件しかり。今だに現実のこととは思えない…
思いたくないことばかりなのだ。
なので、つい口ごもってしまった僕を見て、絵依子がニヤリと勝ち誇った
笑みを浮かべた。なんだか悔しいぞ…。
「ふっふっふ~♪ それであーや、その霊って気配だけ? 見えたりは?」
「ゆ、幽霊って決めつけないでよエコちゃん…。ますます寝られなく
なっちゃうよ…」
苦笑いを浮かべつつも、どうも本気でビビりかけている綾に、畳み
掛けるようにオーラがどうとかと絵依子が熱心に語り始めた。
どうやら最近はバラエティだけではなく、スピリチュアルナントカ
にもハマったらしい。どこまでテレビっ子なんだろう。このバカは。
「…まぁ、絵依子のヨタ話はともかく、泥棒の可能性もあるよな。
一度起きて確認した方がいいんじゃないか…? あふ……」
「う…ぅん。でもね、幽霊じゃなくて泥棒とかだったら、気づかないで
寝てるフリしてるのも安全かなって」
「あはは! 確かにそうかも! でもでも、ここの団地に忍び込む
泥棒なんかいるワケないから、やっぱ霊だよ! 間違いないって!」
けらけらと笑う絵依子の言う事にも一理はある。ぶっちゃけた話、
この築40年以上のおんぼろ団地に住んでる人たちに、お金持ちという
雰囲気は欠片も無い。もちろん我が家も含めて。
この近くには立派なマンションや豪邸だってあるんだから、何も
わざわざこっちに忍び込まなきゃならない理由が泥棒の人にあるとは
思えない。
……はっきりとうちが貧乏であるのを認めるのは、やっぱり少し
抵抗はあるのだけど…。
「それでそれで? なんの幽霊だろ!? いわゆる自爆霊かな!?」
「え…エコちゃん……、だから決めつけないでって……」
「ふわ…、綾…、だからまともに受け取るなって……」
……などと半分ぐらい夢の世界を漂いながら喋り続け、それでようやく
何とか、僕は無事学校に辿りついた。
さっそく寝ようと、机に突っ伏しかけた時、いきなりクラスメートの
竹内くんが話しかけてきた。
「いよーう渡城。今日はいつにも増して眠そうだなー」
「あ…うん。分かってるなら寝かせて……」
「ところでよ! お前、また絵ぇ描きだしたんだってな?」
「そ…それが……なにか……? ふあぁぁぁぁ……」
…もはや眠気は限界を突破しようとしている。無視してもう寝るか…。
「じゃあ今度よ、俺のイケメンスタンプ作ってくれよ! いいだろ?!」
…やぶから棒に何を言ってるんだ、彼は。まったく意味が分からない…。
「あぁ…うん…分かったから寝かせて……」
とりあえず適当にした僕の返事に満足したのか、竹内くんがおおおおっ!
と大声を張り上げた。
「おーーーーし! 聞いたぞ? 約束だぞ! 俺も男だ約束は守る!
渡城を起こそうとする奴ぁ、例えセンコーでもこの俺がただじゃ
おかねぇからな! 安心して寝とけ!!!
…君が黙ってくれる方がよほど有り難いのだけど。
ちなみに今はすでにホームルームの時間だ。ふと前を見ると、担任の
内山田先生が教壇ごと微妙にかたかたと震えていた。
…すみません先生。
でも僕が言ったんじゃありませんから……。
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…竹内くんの厚意により、ぐっすり5時間目までフルに寝られた
おかげで、ここしばらくの削られた睡眠時間はだいぶ取り戻せた。
ありがたかったけど、いったい僕は何の約束をしたんだろうか…。
・・・キーンコーン・・・カーンコーン…
6時間目に少々遅めの昼食を摂っていると、あっという間に放課後に
なった。これで今日のお勤めも終わりである。がんばった自分を自分で
褒めてあげたい気分だ。
この後の予定はもう決まっている。今日は駅前に出てバイト探しだ。
情報誌を立ち読みするのも悪くはないけど、実際に店に行くと
いろいろな事が分かる。店の雰囲気、お客の入り、そういうところは
情報誌では分からない。
だから僕は店の前の張り紙を見て応募することにしているのだ。
…だけど、今日だけはその前に、僕には寄るところがあった。
がぎぎぎぎ・・・と嫌な音を聞きながら、僕はまたその扉を開いた。
扉の向こう、美術教室の中はあの時のままだ。木っ端微塵の石膏像や
椅子が散乱したままだった。
本当は今すぐにも片付けたいけれど、あいにくと今日は時間がない。
だから次に来れた時には、いつかの大掃除の続きをしようと僕は思った。
今すぐに出来ないことに、ちくりと胸が痛む。と同時に、その胸の奥に
何かが…火のようなものがほのかに点るのも僕は感じた。
僕たちが出来る事は、ほんのわずかかもしれない。でも、一人でも
多く、先生のような人を出さずに済むのなら、やる価値はあるのかも
しれない。
絵依子を危険な目に合わせたくはないけれど、それでも絵依子が
あいつらと戦うことを望むのなら。
…改めて僕は決心した。
絵依子と二人で、できる限りあいつらを…『怪物』を倒そうと。
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「はぁ……参ったなぁ……」
結局僕が駅前にたどり着いたのは4時を回った頃だった。
仕方なかったとはいえ、美術室に寄り道したせいで、予定より少し駅前に
着くのが遅くなってしまったことに、思わずため息が出た。
「……!! ……!! ………!」
「~~~~!! ~~! ~~~~~!!」
と、そこへ、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。西口のタクシー
乗り場のあたりから聞こえてきているようだった。
「なんだぁ……?」
何かあったのかと野次馬根性がむくむくと湧いてきた。
僕と同じ野次馬の人に混じってとりあえず騒ぎの中心らしきところを
見ると、なにやら外国の人が騒いでいるようだった。
すらりとした長身…遠目からでも分かるぐらいにスタイル抜群の女性だ。
モデルかなにかなんだろうか。
なにより一際目を引くのは、よく海外セレブな人がしているような巨大
サングラスだ。アレは本当になんなんだろう。ああいうのが向こうでは
オシャレなんだろうか。
「…タクシーの乗車拒否ってとこか。まったく都会の人間は薄情だねぇ。
人情紙風船とはこのことか…。日本もいよいよお終いなのかねぇ…」
騒ぎを遠巻きに見ているおじさんがぽつりとそんなことをつぶやいた。
…だったらあんたが行って助けてあげればいいのに、などとぼんやり
考えていたら、ふいにサングラスの向こうと目が合った。
次の瞬間、何を思ったのか…そのサングラスの女性はずかずかとこっちに
やって来るではないか。
「……え・・・・・・?」
他に誰か後ろにいるのかと思い、あわてて振り返ったものの誰もいない。
近くにいたはずのおじさんも、いつの間にかいなくなっていた。
ま、まさか…この僕が狙いなのか……?
「え……ま…まずい。このままだとまずいぞ……」
…僕の英語力ははっきり言って小学生以下だ。話しかけられてもどうにも
ならないし、何より僕にはバイト探しという使命がある。面倒なことに
なるのは困るのに…。
「Huhu……」
「あわ……あわわ……」
そして…その嫌な予想は当たってしまった。僕の前で止まった女性が、
にっこり微笑んで口を開く。間近で見ると…サングラス越しでも判る
ぐらい、ものすごい美人だ。やっぱりモデルか何かなのかもしれない。
思わず気圧されそうになったものの、ふと僕は……気づいた。眼の前の
この女性には見覚えがある。巨大なサングラスに覆われてはいるけれど、
こんな美人を見間違うはずがない。
でもまさか……、こんな偶然なんてあるんだろうか……?
「Hej! ワタシ、ソニア・エルンステッド言いまース! 日本人ミンナ
不親切デーす! アナタ、ワタシのお願い聞いてくださーイ!」
「あ、あーゆー、スマホのデザイナー?」
「……ハ……ッ?」
…自分でも分かるほど謎な英語に、眼の前の美人さんが、ぽかんとした
表情を浮かべた。でも、次の瞬間。
「オゥ! イエース! イエース! ワタシ、smartphoneのデザインしテます!
アナタ知ってマすか!」
「…………!!」
…やっぱりそうだ。この人は…いつだったかニュースで見た、例の新型
スマホをデザインした…外国の人だ。
それにさっき聞いた「ソニア・エルンステッド」という名前にも聞き覚えが
ある。間違いなくあのスマホのデザイナーの人だろう。
だけど、そんな人がなんでこんなところに…?
そんな風な疑問が一瞬頭をよぎった。でも、それ以上の疑問がふいに脳みそ
いっぱいに膨らんだ。
なんで僕はその外国の女のひとと会話できてるんだ……?
「アナタ! もうアレ買いマスカ! 安イでしょウ!」
嬉しそうに再び口を開いた外国の女性……、…ソニアさんの言葉をよくよく
聞くと、謎はあっけなく解けた。
「……ん…、…え? あ、あれ、に、日本語……?」
どうやらソニアさんは……最初から日本語で僕に話しかけていたらしい。
どうりで意味が分かるはずだ。
というか、今の今までそのことに気づかなかったとか、自分で自分がヤバいと
言わざるを得ない……。
「イエース! ワタシ、ニホン大好キでース! だからズッとベンキョウして
キマシタ! ワタシの日本語、バチリでショウ!」
「あ、は、はい。分かります。えっと…、そ、ソニア…さん?」
「イエス! ワタシうれしいヨ! じゃアいっショに行きましょウ!」
「え……、ど、どこにですか……?」
「キまてます! 京都デース! 今からアンナイよろシクでーす!」
「…は? ……はぁぁぁぁ……!?」




