ハコブネノユメ<第13回/第一会場>
あらすじ
とある村に迷い込んだ千影は、桜守の結芽と出会う。
代々、桜守の一族には女しか生まれず、村の外からやってくる者を婿として迎え入れる風習があった。跡継ぎが生まれればようやく村の掟から解放される、母も祖母も、そうしてきたのだと、結芽は言う。
「私はこの村に……、この世界に、閉じ込められているんです」
妙な言い回しをする結芽に、千影は違和感を覚え始める。
自分の記憶の曖昧さ、千影の脳裏をかすめる巨大な船の記憶。
小さな世界に隠されていた大きな秘密に、千影は徐々に気付いていく。
「私が見ている千影さんは、本当に、千影さんですか……?」
虚構と現実が交差してゆく中、二人が行き着いた先にあったものは――。
【結果:14位/63P(会場5位)】
晴れ渡る空の下、視界を全部塞いでしまうくらいの、美しい桜。
春の爽やかな空の青と、ソメイヨシノよりも色の濃い花が、心のざわめきをかき消していく。近くを流れる川のせせらぎが耳にも心地よく、肌を撫でていく風に優しさを感じる。太くゴツゴツとした幹の向こう側に、まだ白い雪の残る山の稜線がくっきりと見えていた。
ただただ、美しい。
それが、この村の山桜を初めて見た僕の感想だった。
電車を何本か乗り継いで東京からやって来たのは、決して山桜を見るためではなかったのだけれど。――僕の、疲れ切った心を癒やすには、十分だった。
名前も知らない場所に行きたかった。
適当に乗り継いだ電車に揺られ、山奥の村に辿り着いた。終点の駅で降りたのは僕だけで、無人の駅舎周辺には、商店街すら存在しない。野良猫が一匹、駅前の丸形郵便ポストのところで丸まっていて、僕はそいつとともに、フラフラと当てもなく付近を散策したのだった。
程なく民家が点在し始め、軒先で談笑するお年寄りに頭を下げる。
「あら、観光ですか」
「今時分は山桜が見頃ですよ」
簡単な道案内をされ、僕は猫と桜を見に行くことになった。
妙な猫だった。僕の後ろを人懐っこそうにくっついてくる。キジトラ猫で、ちょっと気が強そうな顔。だけど、一人でフラフラするより、少し心強い。
滅多に車の通らない、路線バスすらない田舎道を一時間近く歩いた。都会の喧噪の中を歩く一時間よりずっと時間が緩やかで、ずっと、気楽だった。
そうしてやっと辿り着いた山桜は、この世のものとは思えないくらい幻想的で、僕は一瞬で心を捉えられてしまったのだ。
僕は猫と一緒に、しばらく桜を見上げていた。
「カメラでも持ってくれば良かった」
ほんの少しだけ、後悔した。
目的がある旅じゃなかったから、着の身着のまま簡単な荷物しか持ってこなかったんだ。カメラなんて……、必要になるとは思わなかった。
「綺麗な桜でしょう」
後ろから声を掛けられ、僕はハッとして振り向いた。
清楚な女の子が一人、立っている。肩で切りそろえたストレートの黒髪、キラキラと輝く瞳、そして何より、笑顔が素敵だった。
「この桜は、村の守り神なんです」
年の頃は十九か二十歳くらいだろうか。
彼女はそっと僕の隣までやって来て、僕の足元にいた猫をゆっくり抱き上げ、微笑みかけてきた。
野良猫じゃなくて、彼女の猫だったのか。収まるところに収まって、猫は満足げにニャンと鳴いた。
「エドヒガン。樹齢約千年の巨木です。この村がまだ賑わっていた時代より、もっともっと前からここにあるんです。毎年、零れ落ちそうなくらいいっぱいの花を咲かせるんですよ」
「樹齢千年……。凄いですね」
「観光でいらしたんですか。若い方が珍しい」
「観光というか、そうですね。そのようなものです」
「日帰りのご予定ですか?」
「いや、この時間だと、多分もう電車もないし。無計画で来てしまって。この辺に、宿ってありますかね」
「宿? 宿は……」
彼女は少し困ったような顔をした。
「実は一昨年、村唯一の民宿が廃業してしまって。良かったら、うちに泊まりませんか?」
これが彼女、桜庭結芽との出会いだった。
*
昔話にでも出てきそうな、とても素朴な村だ。
木製の電信柱に、トタン屋根の家々。壁には家具屋や学生服の広告が看板代わりに貼られている。その殆どが農家で、あとは大工と、豆腐屋と、床屋、小さな商店。敷地の広い家が多く、生け垣やブロック塀の向こう側に、大きな屋根がチラチラ見えた。今時珍しい土蔵も、このあたりにはまだ沢山残っている。
僕と結芽、そしてキジトラ猫で、ゆっくりと歩いて行く。様々な柄の透かしブロック塀が続く道を辿っていくと、奥に一際大きな家が見えてきた。
老舗旅館かと一瞬目を疑うようなその屋敷が、どうやら結芽の自宅らしい。
敷地に入ると、キジトラ猫は僕らから離れ、庭石の上によじ登って日なたぼっこを始めた。気ままな猫だ。
結芽は猫をチラリと見て、家の中に入る気がないことを確認してから、僕を家の中に招き入れた。
「うちは代々、ご神木の桜守をしているんです」
茶の間に通されたものの、その広さに圧倒されてなかなか言葉が出てこない僕を余所に、結芽は自分のことを色々と話してくれる。
「戦国時代にどこかのお侍さんがお植えになったと、そういう伝承があるんですが、詳細は不明で。私の一族は、代々、そのお侍さんから引き継いだ桜を守り続けているんです。病気にかからないよう手入れをしたり、枝を剪定したり、害虫を駆除したり。結構大変なんですけど、この時期に桜が綺麗に咲いてくれると、ホッとしますよね。今年の桜は一段と綺麗で、見事でしょう?」
開け放たれた窓から見える庭も、見事に整備されていて、何種類もの小さな木々や花々が、所狭しと植えられている。
随分、裕福そうだ。
結芽の家は、庄屋か地主か、そういった家系なんだろうか。古い割にとても綺麗な家で、まるで昭和初期までタイムスリップしてしまったかのように錯覚してしまう。
家人は留守中らしい。とても立派な屋敷なのにがらんとしていて、妙に落ち着かない。
「ところで千影さんは、どちらからいらしたんですか?」
お茶を出しながら、結芽はニッコリ僕に微笑んだ。
「東京、です」
煎茶の、優しい香りがする。
僕がお茶飲もうと茶碗に手を伸ばしたタイミングで、結芽は少しだけ声色を低くした。
「――東京の、どちらから?」
突然、思考が分断される。
アレ?
東京の、――どこ?
――パキッと、どこかで亀裂音が響く。
僕はウッと口元を押さえ、しばらく考え込んだ。
東京の?
そんな設定、あったかな。
設定?
「東京は……、東京、ですよ」
ハハッと半笑いで返したが、自分でも不自然だと思う。
自分の住所を聞かれて、東京都から下の住所が思い出せないなんて、どうかしてる。
結芽はというと、僕の変な返しに気付いているのかどうか、じっと僕の顔を見つめていた。
「東京……、憧れるなぁ」
「憧れる?」
「私、この村から出たことがないんです」
「一度も?」
「私はこの村に……、この世界に、閉じ込められているんです」
結芽は、妙な言い方をした。
この世界……?
首を傾げる僕の真横に、結芽は座り直した。身体をかがめて、僕の顔を下から覗き込んでくる。
「桜守の一族には、代々娘しか生まれません。この大切な役目を繋ぐため、私たちは共に桜を守ってくれる相手を、外から連れてこなければならないのですが、あいにく私はこの村を出ることを、一切許されていません」
「今時、そんなこと」
「そう思いますよね。でも、本当なんです。正確に言うならば、村の外に出ることを許されていない……ではなく、村の外に出ることが出来ない。不可能なんです」
分かります? と、結芽はわざとらしく首を傾げた。
「村の掟、とか?」
「村、というより、この世界の」
「この、世界」
随分大きく出たな。
僕はちょっと苦笑いした。
すると結芽は、何だかつまらなさそうに、ゆっくりと姿勢を戻した。
「信じられませんよね、こんな話。どんなに訴えたところで、私は村の外に出ることが出来なくて、だけどどうにかして、村の外から婿になってくれる人を探さなければならない。……私の母も、祖母も、曾祖母も、ずっとずっと、何百年も前から同じことを繰り返してる。結婚して、子どもが生まれるまで、私たち桜守の娘は縛られ続けるんです。この、狭い世界に」
狭い、世界。
繰り返し。
――また、どこかでパキッと音がする。
狭い。
狭くて薄暗い場所。
何かを思い出しかけている。けれどそれが何なのか、ハッキリとは分からなくて、僕は顎をさすり、しばらく考え込んだ。
狭い。
繰り返し繰り返し。
気の遠くなるような時間を、僕らは生きねばならなかった。
だから、長い眠りの間に、同じ夢を繰り返し見ていたんだ。
「村の外に出ようとすると、弾かれるんです。意味、分かりますか?」
――まただ。
天井か、それよりもっと高いところで、大きくひび割れる音がする。
「私が考えるに、そこが、この世界の端なんです。千影さん、良く思い出して。千影さんは東京にいましたか? 東京で、何をしていたんでしょう」
東京で、何を。
何をしていた?
僕は何故ここへ。
駅からの記憶はハッキリしているが、その前は?
――また、どこかでヒビが入る。今度はとても大きな音。
結芽にもこの音は聞こえているんだろうか。
彼女は前のめりになって、今度はさっきとは違う、まるで何かに縋るような目で僕を見ている。
「違和感があるんですね。千影さんは、何かに気付いた。やっと、気付いてくれた……!」
鬼気迫る彼女に、僕は圧倒されていた。
「時間がありません。この村から出る方法を、一緒に探しましょう。無限にループするこの村から、いえ、この世界から脱出する方法を探すんです」
結芽は、僕の頭の中に引っかかる何かに訴えかけるように、力強く言うのだった。
連載は未定ですが、プロットはコツコツ練っています。
いつか日の目を見ますように!