闇夜の魔女は過去から出ずる<第3回/第三会場>
第3回参加作品。
概ね好評だった気がする。
【結果:20位/21P(会場6位)】
カフェテラスに、妙な客がいる。
一人は子ども、一人は大人。大人の方は全身真っ黒で薄気味悪い。
しかもよりによって、ルシアの気に入りの席にいる。
ルシアは図書館での調べ物を終え、大学へと向かう途中だった。
街路樹の下、日陰の席でランチを食べるのが彼女の日課。今日もホットサンドとコーヒーを購入したばかりだ。
はらりと風で黒いマントが揺れた。美しく長い黒髪と、豊満な胸の曲線を誇張したような民族衣装。刺繍が特徴的な黒のロングスカート、アンクレットと編み上げのサンダル、胸元にもキラキラ光るものがある。
「……女の人?」
ルシアは思わず目を奪われ、そっと隣のテーブル席へと腰を下ろした。
カランカランと、氷が小気味よい音を立てた。
「酷ぇな」
声変わりしたばかりの少年がぼやくと、背の高い黒マントの女が、向かい側でコクコクと頷いた。
「本当ね。変な臭いはするし、塔みたいな建物が乱立してるし、人はわんさか。妙な箱が車輪付けてビュンビュン走るし。狂ってる」
女の言葉に、ルシアは聞き耳を立てた。
高いビルとビルの間に設けられたテラスで、二人は極端に浮いて見える。
少年はまだ15、6。透き通るような青い瞳と白い肌。夕焼け色の美しい髪を後ろで結い、大きすぎるパーカーと裾をまくり上げたカーゴパンツ。服は少しズレているが、雑誌のモデルかと思うほど端正な顔だ。
女は全身真っ黒で、冬でもないのにフード付き羽織り物を頭からすっぽりと被っていた。至る所にレトロな装飾品を幾つも付け、まるで舞台の世界からぬっぽりと出てきたようだ。長い爪の黒いマニキュアが妖艶で、うっすらと笑うその顔は、整ったまま決して崩れなかった。
「そうじゃなくて、俺はエールを頼んだんだ。なんだ、ジンジャエールって」
少年がブーブー言うと、女は口角を上げ、
「そりゃ仕方ないわよ。昼間のあなたが幾つに見えるか、よく考えてみたら、ミロ。子どもは頼んじゃダメなのよ」
女はミロの顎にスッと手を伸ばし、ゆっくりと撫でてから舌舐めずりした。
「ま、昼間はマーラより小さいしね。どうせまた子連れに見られてる」
ミロは頬を膨らませてジンジャエールを飲む。
マーラはテーブルに肘をつき、ミロを見てウフフと笑った。
「私、どうやら20代に見えるらしくてよ。もしかしたら、血の繋がっていない姉弟に見えてるかも」
「ハァ? 20代? 200歳じゃなくて?」
「それでも、若く思われてるってことに違いないわ」
マーラはどこか上機嫌だ。
二人はとんでもない話をしている、とルシアは思った。
演劇のセリフか。
創作物談義か。
コーヒーをひと飲み、ルシアはじっと奇妙な二人を観察する。
ルシアが気になったのは、マーラの装飾品。
彼女は持っていた鞄の中を漁り、図書館で借りたばかりの本をパラパラ捲った。
「……似てる」
昔、まだ剣や鎧で武装し、戦っていた時代のこと。
世界には魔法が存在し、魔女がいた、という記述。
魔女は魔法を帯びた多くの装飾品を身につけ、身体の天辺から足の先まで真っ黒な衣装に身を包む。
今から100年以上昔、魔女に出会った男の証言を纏めたのがその本だった。
魔女は年齢不詳、普段は呪い師として街中に紛れている。証言者の男が出会ったとき、魔女は子どもの形をした使い魔を従えていた。
本来ならば、正体を知っただけでも恐ろしい呪いをかけようとするらしいのだが、男は特に気に入られたらしく、魔女は手を下さなかった。魔女は美しい少年が好きで、特別に側に居ることを許されたそうだ。
やがて魔女から逃れた男の証言を元にして描き起こされた口絵と、目の前の女が重なったのだ。
民族伝承を研究するルシアが本を手に取ったのは偶然だった。
返却されたばかりの本だけどと司書に勧められ、面白そうだと借りたばかりだ。
「まさかね」
ルシアは口絵の装飾品とマーラの首元にあるそれを見比べ、生唾を飲む。
偶々、そういう趣味なのかも。
ハロウィンはまだ先だが、魔女の扮装をしているだけかも。
魔女には刺青があるという。顔と手足に、蔦を模したような刺青がくっきり彫ってあるらしいが、マーラには見当たらない。
ツバ広の三角帽子もなければ、長い杖もない。彼女が口にしているのは毒々しい飲み物ではなく、チョコレートパフェだ。
気のせいでは。
しかし、仮に目の前の女が本当に魔女だったらどんなに――。
大通りには車が行き交い、人はひっきりなしにカフェテラスの側を横切った。沢山の音や光がルシアの周囲に溢れていた。けれどなぜか、あの二人の周囲だけ白黒に見える。
本を閉じ、ルシアは目を凝らして耳を澄ました。
ミロがチラチラと周囲を見まわす。
「どいつもこいつも軽装備。危機感の欠片もない。この時代で間違いないのか、ヤツが逃げたの」
マーラにだけ聞こえるようにコソッと呟く。
「ええ。あなたと同じで、昼はなりを潜めてるみたいだけど」
言われてミロは、ふぅんと軽く呟き、ジンジャエールをググッと飲み干した。
「で、マーラは良いのかよ。装備があっちと一緒」
「良いの。魔女の格好は大抵どの世界にも馴染むものよ」
「そうかぁ?」
ミロは複雑そうに頭をクシャクシャと掻きむしった。
目が合った。
マーラがルシアの目を見ていた。
気付いた途端、ルシアの中で音という音が消え、色という色が消えた……ような気がした。
「――来たッ!」
ふいにミロが声を上げた。
立ち上がったかと思うと椅子を蹴飛ばし、ルシアの方へと飛び込んでくる。
「危ない、伏せろ!」
ミロがルシアに飛びかかる。ホットサンドと飲みかけのコーヒーが宙を舞った。
ルシアは無意識に本を抱え、ミロに抱きつかれたまま後ろへと大きく倒れた。ミロの腕が地面に擦れ、ルシアの頭を守っている。何が起きているのか、ルシアはただ、目をウロウロさせた。
「奇襲かよ!」
ミロの声にハッとするも、ルシアには何も見えない。心臓が高鳴り、息苦しくなる。
突然の騒ぎに驚いたのはルシアだけではなかった。そこかしこにいる人という人が、彼の動きに驚いた。
ドンッと、急に店舗の壁が破裂した。
車同士が追突し、信号機が倒れていく。
街路樹の大きな幹が根元から折れて道を塞いだ。
何が原因なのかは分からない。けれど、同時多発的にそれらは起きた。
人々は逃げ惑う。混乱する。どこへ逃げれば良いのかと怒鳴り合う。
ルシアはミロの腕の中、仰向けに倒れたままそれらを聞いた。
「聞いてたんだろ。俺たちのこと」
ミロが耳元で囁いた。ルシアの鼓動が急に早くなった。
「俺たち、何者だと思う?」
その声は、どこか状況を楽しんでいるようにも聞こえる。
ルシアの返事を聞かないうちに、ミロはそっと彼女の身体から手を離した。
立ち上がり、空を見たミロは、マーラに向かって叫んだ。
「太陽が邪魔だ!」
「分かってる!」
待っていた、とばかりにマーラは答えた。
幾重の円、幾何学模様、そして古い文字が紫色の光を帯びて宙に浮かんでいた。
「魔法陣……!」
地面に転がっていたルシアはゆっくりと身体を起こし、マーラを見た。
フードが取れ、マントがはためく。顔と手足に蔦文様が浮かび上がっている。
「闇の帳よ、邪悪なるものの姿を映し出せ!」
マーラが低い声で呪文を唱えると、魔法陣は一層煌めき、辺りに紫の光を散らした。
――暗くなる。
まるで夜に閉じ込められたかのように、突如光を失う。
「え? 何?」
慌て、身を縮めるルシアの前に、まだミロとマーラの気配がある。
「ほらね、言ったとおりでしょ、ミロ。ヤツは確実に来ているのよ。この時代にね」
マーラの目が赤く光った。
「暴れてもいい?」
さっきと違う声。かなり低い。
「どうかしら? この時代の人間は大混乱かもね」
「まぁ、混乱したところで、助からないんじゃ意味ないからな」
「それもそうね」
ルシアの目が徐々に闇に慣れてきた。
輪郭が見える。おかしい、確かミロは少年だったはず。けど、そこにいるのは大人の。
そして――、空中に、黒く漂うものがある。黒いボロボロのマントを羽織る、無数の骸骨。長い鎌を掲げながら、ケタケタと声を出して笑っている。
沢山の人がそれを見た。そして恐怖し、悲鳴を上げた。
「急がなくちゃね」
マーラの前に赤黒い魔法陣が展開する。
「闇に封じられし魂よ、力を解放せよ!」
魔法陣の光がミロと思しき人物を照らした。
――ルシアは、絶句した。
悪魔だ。
背の高い美しい男の頭に、雄牛の角があった。隆々とした筋骨、背中には大きな蝙蝠羽。
パーカーとカーゴパンツがなければ、それがミロだとは思わなかっただろう。
マーラの魔法でほのかな赤色を帯びたミロは、上空へと飛び上がり、ゴキゴキと肩を鳴らした。
「ご主人様はどこだ」
骸骨は無言のまま、一斉にミロへと突っ込んで行く。
「仕方ねぇな」
ミロは持っていた一振りの剣で、骸骨たちを次々に打ち砕いた。
バラバラになった骸骨の残骸が、霧のように消えていく。素早い、そして強い。
「映画……?」
目の前の光景が現実だとは、ルシアにはとても思えなかった。
「映画? 演劇ってこと?」
マーラに話しかけられ、ルシアは動揺しながらも、そうですと答える。
「残念だけど現実よ。そうそう、私たち、さっきこの時代に着いたばかりで困ってたのよね。あなた、時間ある? これが終わったらちょっと協力してくれる?」
暗がりの中、マーラは赤い目でウインクした。
連載化しようかな……と思って、未だ構想状態。
舞台の曖昧さが露呈してしまったので、そこをどうにか出来たら書き始められます。
しかし、それが一番大変なんですよね……。