「死ぬ」が口癖の彼女の尻に敷かれてます<第2回/第四会場>
第二回参加作品。
色々とやらかしました。
【結果:94位/6P(会場23位)】
キスされた。
柔らかな唇が俺のそれと重なり、今まで感じたことのないような浮遊感に襲われた。
多分それを、世間一般的にはキスというのだろう。
女の子の、何とも言えぬ柔らかで優しい香りがした。
二つの唇はしっかりと密着し、それからゆっくりと離れていく。
自分の意思や感情と違うところから突然やってきた出来事に、俺は何が起きているのか瞬時には理解できなくて、頭の中が真っ白になった。
目の前には小堀悠希奈の顔があった。
勝ち誇ったような目で俺を見ている。
前の授業で居眠りをしていた俺は、要するに小堀のキスで起こされた。
授業の直後で、当然周囲にはクラスメイトがわんさかいたはずだったんだが、何故か誰も見てなくて。――移動教室か。次の授業は化学室で、居眠りしていた俺と小堀だけが教室に残っていたようだ。
「伊織君、早く行かないと遅れるよ」
小堀は俺にそれだけ言って、軽やかな足取りで俺より先に教室を出て行った。
……寝ぼけてたんだろうか。
それまで小堀と一切絡みのなかった俺の頭は、酷く混乱した。
今のはキスで間違いないのか、本当に誰にも見られていなかったのか。
キスだと思い込んでしまっただけで、本当は何もなかったのか。
何度も首を傾げながら、教科書類を抱え教室を出る。
夢か。
夢に違いない。
まともに喋ったことさえない女子に、一方的にキスされるなんて。
*
小堀悠希奈は普通の女子高生だ。
清楚ってわけでもなければ優等生でもない。かといって男好きなわけでも、リーダー的なところがあるわけでもない。いわゆるモブ的な平素な顔で、可愛いか可愛くないかと言われれば、まぁ可愛い方じゃないのってくらい、目立たなかった。
性格が良いとか悪いとか、そういう話題にすら上らない、本当に普通の、何の変哲もない女子高生が、いきなりクラスメイトの男子にキスなどするだろうか。
単なる居眠り中の妄想か。だとしたら最悪だな――程度に、俺は自分の中にその問題を押し込めようとしていた。
ところが、だ。
その日の放課後にはもう、どうやらそれが夢ではなかったらしいと、俺は打ちのめされたのだ。
テスト前で部活もないし今日は帰るかと、いつものように席を立ち、リュックを背負った直後、小堀悠希奈が目の前に立ち塞がった。
小堀は屈託ない笑顔を俺に向ける。
「伊織君、今日は部活ない日だよね、一緒に帰ろ?」
――?
バスケ部仲間と寄り道して帰る予定だった俺は、無言のまま首を大きく傾げた。
下の名前を堂々と呼ばれたことや、声のトーンがおかしかったことなんて、そのときはどうでも良くて、そんなことより友達の居る前でお前なにを言い出すと、そればかりが頭を巡った。
祐弥も英和も、俺と小堀を交互に見て目を丸くしている。
「ちょっと、小堀さん。何言ってんのかイマイチわかんないんだけど」
小柄な小堀は、不思議そうな顔で俺を見上げている。
――おかしいぞ。
確か俺、小堀とは一切絡みがなかったはずだ。高校で初めて出会ったし、クラスが一緒になって数ヶ月経ったとは言え、何かで恩を売るようなことも、会話したこともなかったはず。
俺の認識が間違っているのか?
「俺たち二人で帰るから、伊織は小堀さんとどうぞ」
祐弥が目を細めて手を小さく振る。
「ハァ? ちょ、待てよ! 俺はそんな」
「遠慮すんなって。伊織、応援してるからな。イケメンは辛いねぇ」
英和まで、ポンと俺の肩を軽く叩いて仏のような顔をしやがって。
「違っ! 違うんだってば」
俺を置いて帰ろうとする二人を追いかけようと伸ばした手が――、小堀に遮られる。
「……だって。さ、一緒に帰ろう、伊織君」
肩までのストレートヘアを揺らして、小堀が微笑んだ。
あ、可愛い。
じゃなくて。
「小堀、お前何考えて!」
騒いでる間に教室から皆居なくなって、俺と小堀が二人きり残されてしまった。
小堀はニコニコ顔で通せんぼしたままだ。
窓から差し込む柔らかな日差しが、小堀の顔をくっきりと照らす。
俺の胸の位置までしかない小さな小堀は、首が痛くなりそうな角度で、キラキラした目を俺に向けている。
「――竹内伊織君」
ふいに、小堀がフルネームで俺を呼んだ。
「な、なんだよ」
俺は顔をしかめて、あからさまに迷惑だと表情で訴える。
けれど彼女は、全く動じずにニッコリと笑ってみせた。
「私と、付き合ってくれる?」
……目が、点になる。
「キス、したでしょ? 私、本気だから」
俺は咄嗟に居眠り後の柔らかな感触を思い出した。
生まれて初めて感じたぷるぷる感。それが今、目の前で訳の分からないことを言ってる小堀悠希菜の唇で。
――赤面する。
頭の先まで血が上って、体温が急上昇する。
口元を手で隠し動揺をこれ以上悟られまいとするが、無理だ。驚き過ぎた俺は、体勢を崩し、よろけて周囲の机や椅子にガンガンぶつかった。
慌て過ぎだ。一旦呼吸を整えよう。理解を超えるにも限界ってもんが。
「ちょ、ちょ、ちょぉっとゴメン。小堀、俺、別にお前のこと好きじゃないし、キスだって勝手にお前がやっただけだし。第一、俺のどこが良いの。全然意味わかんねぇんだけど」
苦笑いしか出てこない。
理解が遠く及ばなくなるって怖い。
頭おかしいんじゃねぇの、コイツ。
「全部。全部好き。ここ最近、伊織君のことばかり考えてる。伊織君と出会えて良かったって思ってる」
びょ、病気か。
メンタルおかしいんじゃ。
「……迷惑?」
俺のあからさまな態度に、小堀はとうとう、表情を暗くした。まるで空気のしぼんだ風船みたいに、突然勢いがなくなった。
「常識的に考えれば、まぁ……、迷惑」
好きでもない女に突然キスされて付き合ってなんて、これが男女逆だったら完全に訴えられるケースだ。
制服の襟を正して、俺は小堀を見下ろした。
「そう……だよね。順番間違えちゃった。告白してからキスするんだった。……あはは。ゴメン。伊織君の気持ちも何も考えないで、自分だけで突っ走って」
ばつが悪そうに、小堀は後頭部を何度か掻いた。
そして顔を引きつらせたまま、俺に背を向ける。
「やっぱり、生きてても仕方ないかな。――死のう」
……聞き捨てならない言葉を聞いた。
今、小堀、妙なこと言わなかったか。
咄嗟に俺は小堀の腕を鷲掴みにし、ぐっと自分の側まで引き寄せた。
「おい、今なんて言った」
小堀の目は、死んだ魚のようだった。
「死のうかなって。伊織君と付き合えなかったから、死のうって」
「――ハァ?」
「生きてても意味がないもん。伊織君と付き合えたらきっと素敵な毎日が訪れると信じて、それだけを心の支えに頑張ってきた。でも、ダメだっていうなら死ぬしかないかな」
「ばッ! おまっ! バッカじゃねぇの?! 男なんてこの世にごまんと居るのに、俺に振られたくらいで死ぬなんて」
そこまで言って俺は、息を飲んだ。
制服の袖口から覗いた小堀の手首に、赤い傷跡が何本も。腕のシワと並行に、新しい傷と古い傷が無数に走っている。
これは。
もしかして。
さっきまで頭に上っていた血が一気に足元まで下っていった。
逃げた方が良いのではと、脳みそが変な指令を出し始めた。
「見えた?」
小堀は腕を振り解いて手元を隠し、俺から数歩距離を取った。
「私、本気だよ。本気で死のうとしたの」
今度は力強く、小堀は俺に訴えかけてきた。
「人生に良いことなんてひとつもない。大切なものは全部消えていくし、手に入れた物は壊れていく。だから死にたい、死んで楽になりたいって思った。進学しても意味がないって思ったけど、この高校には竹内伊織君、あなたがいた。私、運命を感じたんだ。伊織君と付き合いたい。伊織君と素敵な日々を過ごしたい。私の気持ちは嘘じゃないよ。――お願いします。竹内伊織君。初めて見たときから、胸のドキドキが止まらないの。付き合ってください。そして、私のこと救ってくれませんか」
――それが地獄への扉だということは、なんとなく感じていた。
彼女はメンヘラで、俺は標的で。
『付き合ってください』の次が、『救ってください』で。
明らかにおかしい。
けれど、そこでゴメンと頭を下げることが、俺にはどうしても出来なくて、小堀に押される形で、
「……いいよ」
だなんて。
言わなければよかったのに。
小堀は目を潤ませて、首が痛くなるだろう角度で俺を見上げている。
「本当にいいの?」
「えぇっと……、よくはないけど、いいって言わないと死ぬって、そっちが脅迫したんじゃ……」
「別に脅迫してないから。死のうと思ったのは本当だけど」
……ややこしい。
「伊織君が、私のこと好きになればいいんじゃない?」
――と、彼女は唐突に変なことを言う。
「好きに? 小堀のことを?」
「そう。本気で好き同士になったらさ、私、死にたくなくなると思う」
そう言って、小堀悠希菜は俺の腕にしがみついた。
ヤバい。これはマジでヤバい。
今からでも断ろうかな。急に寒気が。
「あ、あのさ、小堀。俺、やっぱり」
「やっぱりは無し。ちゃんと聞いたんだから。オッケーの返事!」
小堀は差し込む西日の中、満面の笑みを浮かべていた。
詰んだ。
俺の高校生活、マジで積んだ。
突然出来た初めての彼女が、死ぬ死ぬ言うとかマジあり得ん。
これってまさか、新手のデスゲーム……?
メンヘラNGの皆様に大変不愉快な思いをさせてしまいました。
完全にメンヘラ好き男性向けでした。ターゲット絞りすぎ。