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防音設備のしっかりしたレッスン室に入るとすぐに俺はストレッチを始める。
さっき廊下でやったにはやったが、いつもレッスン室に入るとストレッチするのが当たり前になっていて、これをしないとなんだか気持ちが悪い。
雅ちゃんとあんこちゃんも同じ気持ちらしくストレッチを始めた。
「3人は普段もストレッチからはじからはじめるの?」
そんな俺達の様子を見ていたリリア先輩は、ストレッチが一区切りしたタイミングでそう尋ねてきた。
「はい。授業でもストレッチからやるので。それに身体をほぐしておかないといい声出ませんし」
そう答えの雅ちゃんだ。
あんこちゃんはマイペースにストレッチを続けているし、俺は雅ちゃんがストレッチからレッスンをはじめのを見てそういうものだと思っているだけでどういう効果があるかよくわかっていない。
なので今その効果を知ってへーって口に出しそうになった。
「そうよね。じゃあ当然、喉とか口とかもストレッチするのよね?」
「へ?」
雅ちゃんが珍しく驚いた表情を見せた。
確かに喉のストレッチって一体何なんだろうとは思う。
「もしかしてしてないの? じゃあまずはそこから始めましょう。わたしの言ったとおりにやってみて。まずは――」
リリア先輩から指示を聞き言われたとおりに喉ストレッチをしていく。
あくびをするように喉を開いたりとか口を大きく開けて表情筋を意識口を動かしたりとか。
普段使わない筋肉なので終わるストレッチが終わる頃には両頬が痛くなり、額に汗がうっすらとにじんでいた。
「ストレッチだけでこんなかかるんですね」
多分10分ぐらいはレッスン前のストレッチに使っていると思う。
「それはもちろんいつでも最高のパフォーマンスを出すためよ。スポーツでも最初に準備運動は必ずやるでしょ? それと同じなの。歌も身体を使うから」
「やっぱり、天才歌姫のリリア先輩でもしっかりウォーミングアップするんですね」
なるほど一流は準備から一流なのか。
しかし俺が褒めるとリリア先輩は不思議と暗い表情をした。
「わたしは今でこそ綺羅星クイーンの称号を貰えるぐらいになったけど、入学した時は歌もダンスも全然ダメダメだったのよ? 上手いけど、安定感がないからって判定はいつもB止まりだったの。だからわたしは天才じゃないよ。むしろ天才なのは……」
「でも、あなたには演技があるじゃない。天才子役のリリアちゃん」
リリア先輩の言葉に被せるように雅ちゃんが割り込んだ。
何故か雅ちゃんは普段とは、違う悔しさに溢れた表情を浮かべて、ゆずはちゃん以外に出したことのない刺のある声だった。
そういえば時々雅ちゃんはリリア先輩を見るとこういう反応をしている。
負けず嫌いにもほどがあるよな。
「桜花雅ちゃんだったよね? ずいぶん懐かしい事を引っ張り出してきたね。……そう呼ばれたていたのも10歳ぐらいまでの話よ。そこから2年はほとんど開店休業状態だったもの。演技だって子役の中では良かったってだけの話で、運が良かったに過ぎないわ」
「………………」
2人はそのまま無言で見つめ合うように黙ってしまった。
もしかしてこの2人因縁かなにかあったりするのかな?
アニメでは明かされなかった秘密的な裏設定とか。
しかしその無言はすぐに壊された。
「そういえば思い出したけど、月城先輩って子役からアイドルに転身したんだっけ? 彗星の如く現れた天才子役って」
「ええっ、リリア先輩って元子役だったの!?」
マイペースなあんこちゃんは頭に電球がうかびそうなぐらい閃いた感を出しながら、そこそこ大声を出した。
俺はその話に同じボリュームの声で反応した。
リリア先輩が元子役? そんなの初めて聞いたぞ。
またまた俺の知ってる設定と違う。
流石に設定がまるごと違うのは予想外だよ。
これまで小さな変化しかはなかったしこれは完全に油断だったな。
「ひかりって月城リリア……先輩のファンなのに知らないの? 結構有名な話でしょ?」
「そうなんだけど……」
こればっかりは誤魔化しようがなく、言い淀んでしまう。
知らないという事実は既にバレてしまっているし。
「まぁ昔の話はこの辺で。とにかくわたしが言いたいのは3人とも準備運動が全然足りてないって話よ。それじゃあわたしと同じように良くてB判定、下手したらCもあるわ。もしもC判定になっちゃったら恐ろしいことが起こるわよ」
リリア先輩が話題を終了してくれたのでそれに乗っかる。
「恐ろしいことですか?」
「そう夏休みがそのまま地獄の特訓合宿になっちゃの」
「「うわー夏休みが無くなるのは辛い」」
あんこちゃんと一言一句丸かぶり。
完璧なハモリにお互い顔を見合わせてちょっと赤くなった。
「んふふ。ひかりちゃんとえーと、あなたは気が合うみたいね」
ハモって照れるが面白かったのか短く笑うと、まるで友達と遊んでいる時に我が子を見つけた母親のような微笑みを浮かべた。
「音海あんこです」
「そういえば、どうしてわたしの名前だけ知ってるですか? もしかしてわたしの名前悪目立ちして上級生の方まで届いてたりするんですか?」
雅ちゃんはうろ覚えであんこちゃんは覚えていないのにひかりちゃんの名前だけはしっかり覚えていた。
もしかしたら授業を寝てばかりの新入生がいるとか、ラーメン事件が明るみ出てしまったとか、で悪い噂がたってしまったのかも。
それにもう一つ思い出しくないような誤解もあったし。
上級生にまで広まっているなら誤解は解いて起きたし、怖いけど思い切って確認してみた。
「わたしのい……じゃなくて入学式の時に倒れた新入生がいたから印象に残ってたの。あくまでも偶然よ? 頭打ったって聞いてたし心配だったのもあるけど」
なんだか物凄く捲し立てて来たけど要は入学式の失神で印象に残ってだけなのか。
「心配おかけしました」
一応心配かけたみたいだし、頭を下げておこう。
「珍しくひかりちゃんが真面目なんだけどあたし夢でもみるのかな? 雅ちゃん」
「ええ、確かに月城リリアがレッスンを見てくれるなんて夢みたい状況だし、もしかしたらその可能性もありえるわね。ひかりが頭を下げてるのはじめて見たし。これはきっと悪夢ね」
「聞こえてるよ2人とも」
頭を下げた数秒間に2人がとんでもなく失礼なこと言ったのがバッチリ耳に入って来た。
確かにごめんって軽く謝ることは多いけど頭を下げたのははじめかもしれないな。
「さぁー準備運動終わったことだし、歌練習スタートといきましょう」
失礼な2人にどう仕返ししたもんかと思っているとそれを察した雅ちゃんが俺の思考する時間を奪うためにレッスンスタートを宣言した。
そういえばまだストレッチしかしてないもんね。
「そうねまずは3人の実力を知りたりから1人ずつ歌って見てくれるかな?」
リリア先輩は俺達実力を知らないし当然そこから始まるよな。
でも人前で歌うのってちょっと恥ずかしくて抵抗があるしトップバッターは避けたいな。
「じゃあ私から」
すっと前に出た雅ちゃんが機材を操作して音楽をかけ始めた。
当然人に教えられるだけあって素人の耳にはとても上手く感じた。
その後入れ替わりであんこちゃんが歌い、俺の番になった。
「……はい。だいたいわかった。とりあえず問題はひかりちゃんね」
俺達の歌を聞き終えてすぐにリリア先輩は一瞬の迷いもなくそう言い放った。
「やっぱりそんなにひどいんでしょうか?」
即決でそう言われるとよっぽどなんだと理解させられる。
「正直にいえば、お遊戯会の歌といい勝負ってところかな。いや音量だけでいえばそれ以下。それに……うまく言えないけどギアが噛み合ってないみたいな違和感を感じるの」
「そうね。ひかりって音痴とは違う下手さなのよ。自分の声を理解してないような歌い方だし。そもそも喉締めて歌ってから声が通らないし」
確かに歌い始めると記憶にある前世の歌声と今の歌声をどうしても比較してしまって違和感を感じてしまう。
そうなると自信がなくなってとって緊急してしまう。
変に歌えば男だとバレるのではと頭をよぎる。
リリア先輩は第一線で活躍しているプロだしこの世界のアイドルはとっても勘が鋭いし。
「もしかしてあんこちゃんもなにか言いたいことがあるの?」
先ほどからずっと黙っているあんこちゃんに恐怖を感じて声をかけた。
流れ的に次はあんこちゃんだし。
「ううん。あたしは歌のことはよくわからないし」
そういえばこの子パンが絡まないことはほとんど無関心だったな。
「じゃあ一番の問題児のひかりちゃんにはとにかく歌ってもらいます」
「えぇー! どうしてそうなるんですか!!」
一切脈絡がないリリア先輩宣言に抗議の声をあげる
一体なにがじゃあなのだ? そしてなぜ歌うことになる? そんな流れありました?
「ひかりちゃんに足りないのは歌い慣れることだと思うの。音程とか以前に緊張しすぎて声が細くなり過ぎてるし。それだとライブの時遠くまで声で届かないよ」
確かに前世では、年一回カラオケに行くか行かないかぐらいで歌とは無縁だった言える。
なので経験が足りないというのは全くもって同意だ。
「でも……恥ずかしいです」
「恥ずかしいのは自信がないからなの。今はとにかく場数を踏んで慣れるしかないわ。まぁ気持ちはわかるから最初の1回だけ一緒に歌ってあげる」
「へ? リリア先輩が?」
もしかしたら1人で歌うよりは緊張しなくてすむかもしれないな。
これはこれで緊張感が増すんじゃないか?
「自分ができないことを押し付ける指導はろくでもないし」
そういう経験でもあるのかな?
ともかくトップアイドルと歌うことになってしまった。
リリア先輩面倒見いいな。