46
ストレッチを終えても、まだ一向に出てくる気配がないアイドルにイライラを募らせ、扉を視界に捉えつつ、落ち着きなく、廊下をうろうろする雅ちゃんは持っていた、ミネラルウォーターのボトルを強く握りながら、
「遅いっ。いったいどこの誰がレッスンしてるのよ」
苛立ちを撒き散らすようにそう言った。
廊下には雅ちゃんが、撒いたイライラのおかげかピリついた雰囲気が漂い、とっても居心地の悪い空間が出来上がっていた。
「まだ1分過ぎただけだし落ち着こうよ。雅」
少しでも居心地の悪さが良くなればいいと思い、なだめようと雅ちゃんに声をかけた。
いつまでも目の前を忙しなくうろつかれては、レッスン前の集中力を高めるためのリラックスモードに入ることができない。
それにこういう殺伐とした空気感はあまり好きじゃない。
「時間を守れないアイドルはアイドル失格だわ。それが例え1分でも迷惑がかかることに変わりはないもの」
「そうだよ、ひかりちゃん。パンを1分も長く焼いたら、焦げちゃって美味しくなくなるでしょ? 1分だって貴重なのだよ」
しかし、雅ちゃんが撒いたイライラは見事にあんこちゃんにも移っていたらしく、ちょっと刺のある声で追撃を食らった。
2人とも時間に厳しいな。
俺はどっちかというと人を待たせる側なので罪悪感がちらつく。
「なんか、ごめんなさい」
雰囲気と罪悪感に負けて、謝罪を口にした。
これでしばらく大人しくておけばそのうちおさまると信じたい。
触らぬ神に祟なしだ。
しばらくもしないうちにレッスン開始時刻を過ぎ、そこから5分程が経過して、うろうろ扉の前を歩いていた雅ちゃんが、扉の前に腰を下ろした。
ちょうどあんこちゃんの隣だ。
俺は2人から少し離れたところに座っている。
今の2人はちょっと刺激で爆発する危険物だ。
近づくのは危険を伴う。
だが他にやることがあるわけでもないので2人の様子を観察することにする。
「それにしても遅いわね、出てきたら文句の1つでも言わないと気が済まないわね」
「あたしも流石に5分も待たさせるのはちょっとカチンと来る。拳ぐらいは入れてもいいよね?」
「2人とも水でも飲んで落ち着こうよ。アイドルのしていい目つきじゃなくなってるから」
物騒なことをいいながら殺し屋のように鋭い目つきをする2人に慌てて声をかけた。
やばいレッスンの中にいる子の命が危ない。
「だって、流石に5分遅れはもはや罪よ、罪。私達アイドルの卵にとっては1秒さえも貴重なのよ? それを300秒以上を無駄に廊下に座って浪費させられてるわ。腹立たしいじゃない。でも廊下でのレッスンは校則で禁止されているし、あーイライラする!!」
大きな音を立て貧乏ゆすりをしながら頭をかきむしる。
雅ちゃんは、完全にイライラがピークに達していた。
このままではとんでもないスキャンダルが起きるかもしれない。
何か適当に2人の気を紛らわせなければ。
「廊下でのレッスン禁止なんて変な校則だよね。あんこちゃん?」
「そうだね。どうしてそんな校則作ったんだろう?」
「そんなの危ないからに決まってるでしょ? そんなことより出てきたらどう詰めて行くかの話し合いをするわよ」
今の雰囲気の雅ちゃんに話かけるのは勇気が必要だったので、あんこちゃんに話かけて、なんとか気をそらせた思ったが、全然そんなことはなかった。
強引会話を終わらせて、何やら危険な香りのする話し合いを引っ張り出してきた。
「詰めるって何? いったい何するつもりなの。もしかしたら先輩かもしれないし流石に危ないよ」
命の危険がありそうだな。
コンクリートに詰めるとかそういうやつなのかな?
なんとしても実行は避けるべきだ。
「先輩ならもっと悪いわよ。業界にいるなら時間の大切さを知らないわけないもの。そのうえで、先輩がレッスン室の退室時間を遅らせるならそれきっと嫌がらせとしか思えないわね」
「嫌がらせ? それなら文句を言って舐められないようにするべきだね。もちろんあたしも協力するよ」
どうなだめようか考えている間に2人は握手を交わして何かの同盟を組んでしまったらようだ。
「なんで2人ともこっちを見るの? わたしはしないよ。先輩だったら怖いし、それに前回先輩と問題起こして減点されたもん。絶対またそうなるからやめようよ? ここで怒っても自分に返って来るだけだし」
握手をしたまま、顔をこちらに向けてじっと見つめる2人に冷静にリスクを伝える。
雅ちゃんは冷静な方だしこれで正気に戻ってくれると思う。
2人は俺の勧誘に失敗した反対したのか、アイコンタクトを飛ばあってほぼ同時に立ち上がる。
これはまた減点かなと、覚悟したその瞬間。
タイミングよく扉が開いた。
「退室遅れてごめんなさい」
声を同時に長い金髪の髪を叩きつけるような勢いで、レッスン室を使っていたアイドルは、頭を下げた。
この金髪と髪の長さに綺麗な声もしかてこの人。
「リ、リリア先輩!? いやー全然大丈夫ですよ5分ぐらい。レッスンお疲れ様です」
雛星ひかりの憧れの人を前にして、俺はひかりちゃん以上にあたふたしながらリリア先輩より低く頭を下げた。
リリア先輩はアニメでひかりちゃんにアドバイスをくれて人気アイドルになるきっかけをくれた恩人であり憧れ人だ。
そして俺もリリア先輩と呼ぶぐらいには尊敬している。
リリア先輩のステージを見て軽くファンのかもしれない。
なので物理攻撃で倒すのを黙って見過ごすわけにはいかない。
なんとか阻止しなければ。
「月城リリア! 私は――」
「雅、喉乾いちゃったのね? はいミネラルウォーター」
真面目な雅ちゃんらしくない呼び捨てでなにかよからぬ事を言いだそうとする口に手に持っていたミネラルウォーターを強引に突っ込む。
ふぅー、これでしばらくは大丈夫だろう。
リリア先輩に喧嘩を売れば退学の可能だってありえるのだ。
彼女は学校の看板である綺羅星クイーンの称号を持っている。
そんなことをする性格ではないと思うが、リスクは極力減らすべきだ。
「ほんとにごめんなさい。1年生にとって今の時期のレッスンがどれだけ大事ものか……」
しかし、リリア先輩は心のそこから申し訳なく思っているらしく再び腰を折って頭を下げる。
流れるような動作に思わずみとれてしまう。
その間に今度はあんこちゃんが口を開いた。
はっ、あんこちゃんが喧嘩を売ろうとしているどうにかして止めないと。
「そうですよ。あたし達今、大事な時期なんで――えぇぇったーい。ひかりちゃんなんで抓るの?」
ミネラルウォーターはレッスン室の扉の横に並べてありとても間に合わないので悪いと思いながら、思い切り二の腕を抓った。
なんとか話を中断させることができた。
「わたし達そろそろレッスンに始めるのでこれで。それじゃあ」
これ以上変なことをされる前に、この危険物2名をレッスン室に突っ込もうと、あんこちゃんの背中を押しミネラルウォーターを飲み終えた雅ちゃんを引っ張るようにレッスン室へと連行していると後ろから声がかかった。
「待って。時間を過ぎちゃったのは私の時間配分のミスだから。そのお詫びじゃないけどアドバイスぐらいはさせてもらえないかな?」
「そんな悪いですよ。リリア先輩とってもお忙しいのに」
「それじゃあ私の気が済まないわ。本来後輩を導く立場の私が後輩たちのレッスン時間を奪いそのまま帰ったとなれば、綺羅星クイーンの名前に傷がつくことになる。歴史あるその称号を穢すなんて絶対あってはならないこと。それにもしもあなた達のテストライブで成績が良くなかったら、責任をとってアイドルを引退する必要が……」
「雅、どうしようか?」
レッスン室の中にいる雅ちゃんに確認をとる。
今の俺は雅ちゃんの指導を受けているようなものだし、ここは雅ちゃんに決めてもらおう。
「そうね。トップアイドルから直接学べるチャンスはほとんどない。月城リリア……先輩。アドバイスよろしくお願いします」
どこか悔しそう表情をしながらも雅ちゃんは頭を下げた。
やっぱりプライド高いから人に教えてもらうのはよう思わないのだろうか。
「はいっ。お姉ちゃんに任せなさい!!」
「お姉ちゃん?」
とんと胸を叩き変なことを言い出すリリア先輩に反射的に聞き返していた。
「え? あっ間違えた。先輩に任せない!」
リリア先輩もしたら相当お疲れなのかもしれない。
うん。今日のレッスンはいつも以上に真剣にやろう。