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「ん…………?」
ゆらりゆらりと、水中を流されるような感覚の中で目を覚ました。
と言っても1メートル先に何があるか、判別できないできないほどに暗い。
それに、かなりの深さなのか足が底につかず、とても不安を感じる。
しかも暑さや寒さと、いったものは感じない。
ぬるま湯みたいものに、全身を包まれながら、ただなにかに押し流されて、どこかに向かっている。
そんな感覚だけが伝わってくる。
俺は死んだのだろうか?
全く思い出すことができない。
状況を整理するために覚えていることをまとめると。
自分が男であることと、アニメ好きだったこと。
そして、就職に失敗してニートをしていたこと。
その前は、アニメを見ている時以外、面白くも何ともない高校生活のことぐらいだ。
でもどうして死んだかは思い出せない。
それどころか、就職に失敗してからのニート生活の日々の記憶も少ししか、覚えていないようだ。
もしかしたら徐々に最新の記憶から消されているのかもしれない。
じゃあこの川のようなものは魂から前世――いや、転生前だから今世? の記憶消すシステムなのか。
と、その仮説に思い当たって、ふとこのまま流されると俺という存在は消えてしまうことになると気がついた。
消えるの嫌だ。
記憶が消えていく恐怖は計り知れない。
月並みな言葉で表すなら、自分が自分でなくなるのを黙って見ているような感じだ。
その仮説を裏付けるように、こうしている今も少しずつニートだった記憶を失っている。
そしてアニメに青春を捧げた高校時代に突入したあたりで流れに逆らうように泳ぎだした。
自他ともに認めるアニメオタクとして見てきたアニメの記憶を消されることはどうしても許せなかった。
見えない流れと逆にクロールをしてみても、まるで効果ない。
思っている以上に流れは早く、あまり泳ぐのが早くないことも影響しているのか流れるスピードが少しゆっくりになったという程度。
魂だけのおかげか疲れることはなく、足がつったりするようなハプニングもない。
だが状況は少しずつ悪くなっている。
卒業式から受験のあたりの記憶が薄れて完全に消失した。
ゆっくり流されて行く影響なのか1度薄れるという工程が追加されたが結局消えてしまうので全くの無駄である。
この状況をどうにかできないかとクロールしながら必死に考える。
川のようなものなら岸があるかもしれないと考えて、思い泳ぎの進路を斜めに変える。
バタ足と手の動きを調整して、少しずつ右ナナメ上向きにしていく。
少しずつだが曲っているような気がする。
しばらくその状態続けてようやく見えない流れ以外の硬い感触に当たった。
良し成功したな。
うまくいったことに安堵した俺は、そのままクロールをやめてその場で立ち泳ぎ切り替える。
そして左手で水を流れと逆にかき、すこしでも記憶の消滅を防ぐ。
右手を高く伸ばし、見えない壁のようなものの背の低いところや出っ張りを探っていく。
もし出っ張りが見つかれば握力の続く限り記憶の消失を遅延できるしよじ登ったら、この流れの外に逃げ出せるかもしれない。
そう期待して抵抗すること数分。
滑らかで引っかかり一つないこの完璧な壁に関心していた。
見えないこの壁は滑りがよく、引っかかりどころか継ぎ目すらない。
どういう手法で作られたのかとても気になるところだ……いや現実逃避はやめよう。
完全に詰みました。
記憶消去するシステムに例外はないらしい。
考えて見れば前世の記憶を持って生まれたなんて話、現実じゃ聞かなかったもんな。
それどころか天国や地獄なんてもんが信じられてたし。
そう簡単に逃げだせるなら地球は記憶持ちの転生者で溢れかえってたはずだしな。
トンネルのようになっていて目的地まで逃げ出せる場所はない。
素直に結論づけてしまえば先ほどまでした努力はいったい何だったんだと、虚しい気持ちでいっぱいになる。
そういうば中学時代にもこんな思いしたよな。
とうとう高校時代の記憶が完全になくなり、中学生の最後の方まで記憶がなくなり始めた。
ここでの記憶は消されていないおかげでいつの記憶が消えたかわかるが、それもきっとあまり長くはないだろう。
くそっ。
どうにもならない怒りをその壁にぶつけた。
どうせ消去されるなら八つ当たりぐらいしていってもいいだろうと。
見えない壁に思いきり拳を振り下ろす。
魂だけなので痛みは全くない。
腰を捻り、回転を加えてもう1度。
足がついてないからそれほど威力があるわけではないけど充分腹いせにはなった。
殴る度に少し揺れて一瞬だけ流れが止まるのを感じながら繰り返すこと数十分。
きっと殴った数は100を超えている事だろう。
そろそろ覚悟を決めて来世を頑張ろう。
そう決めて最後に全力を振り絞り、見えない壁に拳を振り抜いた。
すっきりした。
汗はかいてないが額を拭い流れに身を任せるように正面を向いた。
その時。
ガシャーン。
何が崩れる音がして俺は後ろ向きに引っ張られる。
慌てて振り返ると、見えない壁の一部に穴が空いてそこからこの流れを作っていたものがこぼれている。
前に流れるはずだった俺もその流れに乗って本来のコースを外れその穴に飲まれてしまった。
もしかして余計なことをしてしまったのか?
そう思った瞬間には俺の意識はブラックアウトしてしまっていた。