記第五説 真裏
遥か遠くの国。
そこに一人の騎士がいた。
その騎士は、武術、文学、双方に優れ、他の者達とは比べものにならないほどの逸材であった。
だが、だからと言って、他者と自分を比べるようなことはせず、どのような者でも平等に話しかけた。
そして、国の王はその騎士を王族衛兵として、自らの娘の専属騎士として配置させた。
王女は最初の内は慣れない様子だったが、騎士の温厚な性格に日に日に馴染んで行った。
「ちょっと相談したい事があるんだけど・・・・・・いい?」
いつものようにドレスを着た王女が騎士に話しかけた。
一人、馬の調教をしていた騎士は笑顔で応じる。王女は困ったことがあるとすぐに信頼できる騎士に相談していた。
「どうなされました? 姫様」
「実は・・・・・」
王女は気まずそうに話をきりだした。父(王)が居間に飾っている大切にしていた絵が少し傾いていたので親切本意で直した途端、紐が外れそのまま落下すると、見るも無残になってしまったそうだ。
「それで、その絵は今どうなされているのですか?」
「見えないように、布をかけて隠しています・・・・・・」
人差指と人差し指を合わせながら申し訳なさそうに言う。
「――――なら、悪気はないのですから正直に謝りましょう」
「ダ、ダメです! ――――あ、その・・・・・何でもお爺様から送られたとても大切な絵だったと、昔嬉しそうに話してくれたから・・・・・・・」
どうやら、怒られるよりも大切な絵が二度と見られないガッカリする父(王)の顔を見たくないのだそうだ。
騎士はそんな王女を見て、
「分りました。では私が何とかしましょう」
優しく微笑を浮かべながら答えた。
「! ほ、本当ですか!?」
思わず声を上げる。
「はい。それと、一つだけお願いがあります」
「何でも言ってください。父の絵が直るなら」
「――――それでは、この事は決して誰にも言わないでくださいね」
意外な事だった。本来ならば自分がお願いする立場であるからだ。
「もちろんです! 約束します!」
元気にそう答える。
「それでは、私は早速とりかかります。終わるまで姫様はこの馬と少し話をしていてください」
と言うと、騎士は馬小屋を後にした。
公園。彊は不意に感じた気配に後ろを振り向いた。
「お前は確か・・・・・」
立っていたのは、ビルで理諳と一緒にいた人間だった。二体の『兵士』を差し向けたがどうやら殺られたようだ。しかし、それ以上に彊がおかしいと感じていた。
なぜ公園に入ってこられた?
この公園は支配により、外から干渉することはできなくなっている。支配【一の式】はそういった効果を持っているからだ。即座に確かめたが支配の欠落は見られない。そうなると、支配を破らずにここまで侵入したという事だ。
「こんばんは。いい月夜だ」
冷えたような口調で天啓は言った。その眼には彊の中心にある『輝くモノ』を捉えていた。しかし、その色は先ほどまで見てきたモノとはまるで違う。まるで全ての絵具を混ぜたような異形の色をしていた。
「悪くない。だが、俺の望むモノとは正反対だな・・・・・」
率直な感想を述べる。
「ハンターか?」
彊の問いに天啓は視線を合わせた。
「さぁ」
壊さずに内部に入ることは同じ死人か、ハンター以外考えられない。
支配を創り上げたのは『霊王』であるため、死人は一方的に内部に干渉できる。
そして、ハンターも同様だ。奴らは、死人に対する対抗手段を持っているため何らかの手段を用いて内部に入ることは出来る。しかし、強力な支配であればある程、内部での戦闘は死人の方が圧倒的に有利だ。
実際にどのような手段を用いて侵入したかは知らないが、支配か崩壊していない以上自分の方が有利であった。
「綺麗な月だ。そう思わないか?」
なんだ? この人間は・・・・
普段、口数の多い彊は、珍しく目の前の人間を分析していた。
仮にも内部に入っているとはいえ、支配の状況は明らかに俺の方が有利。ならばこの人間の余裕はどこから来るんだ? 相手はまるで、友達と話すように余裕の雰囲気を纏っている。
「―――――人間にしちゃあ態度がでかいな」
彊を中心に点々と広がっている血の溜まりから、ズズッと骸骨や獣が現れた。
『死の娘』も無駄に抵抗しているようだ。この様子なら後三時間ほどかかる。その間、この人間で暇を潰すのもいいだろう。
「死ぬ気で逃げ回れよ! アッサリ終わったらつまらないからなぁ!!」
一斉に『兵士』が襲いかかる。
「・・・・・・」
しかし、天啓は動く様子もなくただ目を閉じていた。そこに次々と『兵士』が突っ込んで行く。あまりにあっけ無い様子を見た彊は、
「なんだ? 自殺願望か?」
と、つまらなそうに言った。
「―――――そうかもな」
「――――!?」
不意に後ろから声が聞こえる。弾かれるように振り向くと、そこに天啓がいた。敵である自分に背を向けて理諳捉えている反転法人を見ている。
「趣味が悪い」
そう言うと、どこからか黒い線が現れた。線は蛇のように四本の支柱に巻きつくと、同時に全ての支柱を破壊する。
「な・・・」
音を立てて崩壊する支柱の中心に、理諳を抱えた天啓が立っていた。
ありえない。この反転法人は、網のように複雑な術式をさらに重ねて展開しなければ解散する事が出来ないのである。しかも、一人では到底無理だ。百人近くの魔術師が同時に行わなければ魔力と霊魂が反発し大惨事を招く。
だか、先ほどの黒い線は魔力の類はもちろん、異端者特有の『理の乱れ』も感じなかった。ならば一体この人間は何をした?
天啓は、ゆっくりとベンチに理諳を座らせた。気を失っているのか。まったく動く様子が無かった。だが、死んだわけではない。その事だけは確信していた。
「チッ」
ベンチを囲むように溜まっている血から一斉に『兵士』が二人に襲いかかる。とりあえず今はこの人間を殺し、再び『死の娘』に反転法人をかける。
「茶番だ」
瞬時に現れた黒い線が二人に触れる前に『兵士』達を細切れにした。
「・・・・・・」
彊はようやく気づいた。この人間は『兵士』で相手になるほどの奴ではないようだ。
それにあの黒い線。あれはどうやら触れたモノは例外なく斬る事が出来る、何か特殊な術か能力だ。
線は、向かってくる敵がいなくなるとゆっくりと天啓の足もとに縮んで行く。
「・・・・・・影か」
大方分かった。この人間は影を操り武器として扱う。そしてその影は極端な切れ味を持っており、変幻は自在。量もおそらく自らの影程度。そしてあの位置から自分に攻撃してこない所を見ると、攻撃距離は短い。ならば、『兵士』ではなく物理的攻撃で仕留める。
「お前は惨殺じゃなくて串刺しだ」
そう言うと口元に笑みを浮かべた。
不意に横にある血の溜まりから飛び出してきた突起物を天啓は本能で回避した。触れた髪の毛が空中で四散する。間を入れずに辺りから突起物が伸びて来る。
「――――いつまで持つかな?」
次々に数を増え、衣服にかすり始めた。
そして、飛びだした一つが天啓の身体を貫く。動きが止まった所に次々と突き刺さる。瞬く間に串刺しとなった。
「ハハハ! どうやら十分も持たなかったな!」
いくら能力があったとしても所詮は人間。自分の敵ではない。
「―――――そうだな。十分も要らなかった」
背後から声がした。瞬時に振り向こうとした次の瞬間、彊の身体から鮮血が吹き出す。
「――――何?」
肩から斜めに斬られていた。前を見ると確かに人間は串刺しになっている。
「―――――中々切れ味のいいナイフだ」
再び背後から声がした。振り向くと串刺しになっているはずの天啓がそこに立っていた。
「アンタは俺を正面から見ていた」
その時、串刺しになっている天啓は形を失うと、彊の背後に居る天啓の足もとに戻って行った。
どうやらあの影は攻撃だけではなく、一時的に疑似的な姿を創り出すこともできるようだ。
「―――――迂闊だったぜ。だが、そんなに手の内を見せてもいいのか? 今のが俺を仕留める最大の好機だったと思うぞ?」
彊は大量に出血しているというのに余裕の口調で言う。
「その傷を負っても生きているとはな。流石は『血痕』ってところか」
天啓はナイフを手の上でまわしながら彊を見る。
「なめるなよ人間」
適度な量を確認すると血を止める。ここまで血を流したのは『あの時』以来だ。まさか人間ごときにここまで手こずるとは・・・・・仕方無い。
彊は血を自分の腕に纏わりつかせると刃物状に形成する。そして、辺りの血たまりから再び『兵士』が現れ、天啓に襲いかかった。
ツマラナイ。
天啓はそう思った。
次々に襲いかかって来るモノはまるで操られた人形のように手ごたえが無い。
コンナモノハ、ツマラナイ。
コレを使うまででもない。ナイフを流れるように動かすと向かってくる『兵士』を細切れにしていく。
ツマラナイナ。
次々と血液に戻って行く『兵士』を見ながらそう思った。『兵士』にも、『輝くモノ』が見えていたが、『血痕』と同じく濁った色をしている。
すると正面から彊が向かってきた。
「お前は俺が相手をしてやるよ!」
刃物となっている両腕を交互にくりだす。
天啓はそれを向かい討つ。ナイフと硬質化した血の刃が夜の公園に金属質な音を響かせる。
本来は自分か、『兵士』に気を取られている隙に仕留めるのが戦い方なのだか、影が周りの『兵士』を引き受けているため、久しぶりに本当の一対一であった。
「・・・・・・」
様々な角度から攻撃を繰り出すが、天啓はことごとくそれを防いでいる。
人間にしては、なかなかやる。だが経験が違う。
確実に防いではいるが、それで精一杯のようだ。少しずつ服にかすり始めた。
影は周りの『兵士』を相手にしているため、こちらの戦いに参加できない。
と、影の間を通って突起物が天啓に伸びてきた。
瞬時に身をそらし、それを回避する。
彊は、その好機を逃さなかった。刃を天啓に向かって突き出す。
「終わりだ! 人間!」
一閃が貫いた。
しかし、その攻撃は空を切る。
天啓は、付き出して来ると同時に彊の懐に入り込むと、逆手に持ったナイフをその胸に突き刺していた。
勢いよく斬り上げる。切り口から鮮血が噴き出た。更に身体を反回転させるとそこに蹴りを叩き込んだ。
「チィ!」
踏ん張りを効かせるが、後ろに後退した。
人間風情が・・・・この俺に二度も傷をつけるとは・・・・・
彊は傷口を見ながらそう思った。しかし、更なる事態に気づく。
「――――――!? どうなってやがる!?」
傷がふさがらないのだ。どうなっている? 俺の身体は全て血液だ。人の姿を模しているのは、人間社会を歩くために一番都合が良いからだ。本来、傷を受けたとしても一部の血液が破損するだけで、すぐ修復ができ、痛みなどは全くない。むしろ、血を多く流せば流すほど戦いでは有利になる。
だが、一対一の戦いは、本体の密度を高めた方がより強力になる。現状況で血を流すのは得策ではない。何故なら、あの人間に数は通用しないからだ。
修復を行うが、出血量が減っただけで完全に傷はふさがらない。魔術でも、聖器でもない。ただ斬られた。それだけなのだ。それが、
「何故再生しない!?」
天啓を見る。
月の光が逆に闇を呼び、その中から青く光る眼が彊を見ていた。
彊は無意識下でわずかに後ろに足を下げる。
「!?――――――――ハハハ・・・・・・」
自分の手を見る。なんだ? なぜ俺が後退する必要がある? 俺は死人だ。たかが・・・・・人間ごときに・・・・何故だ? 何故だ。何故だ!
「何故だぁぁぁ!!」
辺りに散らばっている血液が、一斉に身体に戻って行く。
闇が彊を包み、その姿が人型から本来の姿だろうか、異形のモノへと変わって行く。その様子を暗闇でも明確に天啓は捉えていた。
「・・・・・・・」
天啓は間をおくと彊に走りだす。
その時、闇が吹き飛ぶように散るとそこには二倍近くある怪物が立っていた。
装甲のような皮膚。胴体から伸びる巨大な鋏。針のような先端をした尻尾。二本足で前かがみに立っているその姿は蠍に近かった。
彊は瞳の無い眼で向かってくる天啓を見ると、腕をハンマーのように振り下ろす。
「死ネェェェェ! ニンゲン!!」
轟音と共にコンクリートがめり込んだ。
ゆっくり腕を上げる。そこには誰もいない。
「―――――ここだ」
声のした所を見ると、既にナイフが深々と突き刺さっていた。
「バカナ・・・・イツノマニ・・・・」
「大振りな攻撃ほど敵の姿を見失いやすい。覚えておけ、地獄で役に立つ」
天啓の眼には彊の『輝くモノ』を貫いているナイフが見えていた。
何となくだが、これが何なのか分かった気がする。
例え、何万と言う魂が在ろうとも、その拠り所とする場所がなければ無意味だ。
俺は、キサマトイウ拠り所を破壊する。
次の瞬間、『輝くモノ』が粉々に散った。
「・・・・成程・・・・そう言うことか・・・・」
徐々に粒子となって行く中、彊はようやく分かった。元より、自分が勝てるはずが無かった。
「お前が・・・・・もう一つの『聖皇の杯』か・・・・・・」
「・・・・・・・・」
彊は笑みを浮かべると、残り少ない時間の中、一つだけ教えてやることにした。
「いい事を・・・・・教えてやる。『死刄』は・・・・・そこに居る『霞真』は信じるな・・・・・」
「・・・・・どういう意味だ?」
天啓は一度理諳を見ると、睨みながら消えゆく彊に返した。
「ククク・・・・・・すぐに・・・・・・わか・・・・る・・・・」
風が吹き、目の前に誰もいなくなる。
「・・・・・・・」
信じるな。一体どういう意味だ?
「・・・・・・・大丈夫?」
後ろから声が聞こえ、天啓は振り向く。そこには理諳が立っていた。
「それは、こっちの台詞だよ」
持っているナイフを折りたたむと、彊の居た場所に抛る。
「助けられた。ありがとう」
理諳は相変わらずの無表情で言った。
「俺の方が何度も助けられてたし、それに・・・・・・」
天啓は夜空を見上げた。これで少しは殺された人たちも報われただろうか・・・・・・
その時、反るような三日月が、ゆっくりと満月になって行った。
「!?」
その様子に天啓は驚いた。
「何だ?」
「あれは合図」
後ろから理諳が言う。
「合図? 何の―――――」
天啓が理諳に振り向くと同時に、何かが貫き刺さる。
「私が・・・・帰るための」
見ると、黒剣が天啓の身体を貫いていた。口の端からゆっくりと血が流れる。
「な・・・・・んで・・・・・」
「――――貴方は危険過ぎる」
理諳は黒剣を抜く。
天啓が後ろに倒れながら最後に見たのは、無表情の眼から涙を流す彼女の姿だった。
第一章、月臨編エンド。




