記第一説 来日
十月。
秋の中期。
だいぶ長くなった夜が終わり、東から薄く日が昇る。
党鹿野荘。
まるで当て字のような、名前をしたそのアパートにも朝日は当たる。
二階建てに、全二十六部屋。横一列に並んでいる扉には、部屋番号が書かれていた。
その二階、二十三号室。
音を立てて扉が開き、一人の青年が出てきた。黒髪に、百七十の身長を、紺色の簡素な学生服で包んでいる。
小脇に黒の鞄を抱え、扉に鍵をかける。
「少し、寒くなってきたな・・・・・・」
一度身震いして、廊下の端にある階段を下りた。
「やあ。おはよう天啓君」
階段を降りたところで、声をかけられる。
丸い眼鏡に、白髪になっている髪。両手で長い竹箒を持っている。その足元では、大きな老犬が腕に手を乗せて寝ていた。
党鹿野荘の家主、久野清朗。
そして、ゴールデンレトリーバーのゴートンである。
「おはようございます」
天啓は朝早くから掃き掃除をしている久野に挨拶を返す。
「いい返事だ。最近の若者は道端で挨拶しても、返そうとせんからな。まったく、なっとらん世の中だ」
と、日ごろの不満をこぼす。
「・・・・それでは行ってきます」
「道中気をつけてな。最近変な事件が起きているみたいだからな」
「はい」
短く答えると、党鹿野荘を後にした。
「知ってるか? テンケイ」
教室に着き、自分の席に座った天啓はいきなり後ろから話しかけられた。
邪魔にならないように刈られた髪に、自分よりも大柄な体つき、見ただけで明らかに体育系と分かる男だ。
「何? 佐川。朝っぱらから・・・・・・」
天啓は佐川の方を向いて話す。
「最近起こってる昏睡殺人事件だよ!」
佐川が声を上げた。
昏睡殺人事件。今現在、天啓達が住んでいる街近辺で多発している事件の事である。最初の被害者は、一人の老婆であった。朝、家族が、老婆がなかなか起きてこないので部屋に行ってみると、倒れている所を発見し警察に通報した。その状態を見た警察は、被害者が老人であったことから、心臓発作を引き起こしそのまま亡くなったと判断した。しかし、それから数日後、今度は夜道を歩いていた一人の会社員が、倒れている女性を発見した。警察の結果によると、老婆の死に方と全く同じだったのだ。そのため、老人の件と含めて再度調査が行われたが、何も解決しなかった。そして、容赦なく被害者が次々と現れた。今では、二十人近くの被害者が出ている。被害者全てが外傷も無しに死亡していることから、昏睡殺人といつの間にか呼ばれていた。
「ああ。あれね」
天啓が興味なさそうに言う。
「俺達には関係ないんじゃない?」
「それが、ありありなんだ! 前に政治と、屋台でラーメン食ってたら、警察に補導されちまったんだー!」
「そりゃ、当たり前だろ。ラーメン食ってる佐川達が悪い」
「馬鹿野郎! 戦いの後のラーメンは最高なんだよ」
「・・・・・また喧嘩したのか?」
天啓は自信満々の佐川に尋ねる。
「喧嘩じゃないよ。向こうから仕掛けてきたから、ご丁寧に帰ってもらっただけさ」
と、横から違う青年が現れた。
キッチリと制服を着こなし、どんな時でも涼しそうな雰囲気を纏っている青年だ。爽やかな性格をし、女子にも人気がある青年である。
「嵐道の、ご丁寧は、血を見るだろ」
「いや、ほら。向こうが得物とか持ってたら、手加減は出来ないだろ?」
いつもの口調で言う。
「二十人はいたが、全部蹴散らしてやったぜ!」
佐川が再び声を上げた。
嵐道と佐川。この二人はとにかく強い。二人とも部活動に入っているのだが、今は事件のせいで全部活動は休止中なのだ。そのため、暇を持て余しては、街にくりだしており悪の手先(主にコンビニの前に座っている不良とか、自転車で二人乗りしている奴)を駆逐している。と、佐川は言う。現に天啓が二人と出会ったのは、入学式が終わった帰り道だ。公園を占領している不良軍団を二人で掃討していた。その時天啓も巻き込まれ、それ以来友達となっている。
「ハッハッハッハー。グッドモーニング我が生徒達」
と、担任の渋沢先生が入ってきた。(無駄にテンションが高い。英語の教師)
「全員、早く席に着きたまえ。ハッハッハッハー」
立っている者は慌しく自分の席に向かった。
三時限目。
「次は、B校舎に移動だったな」
ぞろぞろと、教室を移動する中で嵐道が言った。
「俺は鍵閉めだから、先に行ってていいぞ」
天啓は鍵を持ちながら言う。
「分かった。それじゃあ、先に行くよ」
「テンケイ。死ぬなよ・・・・・」
「なんで・・・・・」
佐川に冷静なツッコミを入れる。
「まかせたぜー」
と、嵐道と二人でB校舎に向かって歩いて行った。
窓の戸締りを確認し、最後にドアの鍵を止める。
「終了――っと」
後は、鍵を職員室に持って行くだけだ。
と、
「っ・・・・・・・」
不意に立ち眩みが襲った。
「くっ・・・・・・」
続いて、胸を締め付けるような発作。
「がっ・・・はっ・・・・はっ・・・」
膝をつくと、胸を強く掴む。
しかし、発作は段々と強くなる。
「・・・・・・・・」
あまりの激痛に耐えきれず、うつ伏せで倒れるとそのまま気を失った。
暗い空間。
そこに天啓は立っていた。
壁も天井も地面も無く。ただ世界全てを黒く塗りつぶしたら、こんな世界になるだろう。
ここはどこだ? いや・・・・・・ここは・・・
天啓はここをよく知っていた。薄くではあるが、家具や廊下などが見ることが、できたからである。
そうか、ここは俺の家だ。
認識すると、今度は徐々にはっきりとしてきた。
満月だったあの日。
遊びに夢中で、つい暗くなるまで遊んでしまったのだ。
そして、月が出るほど夜。家のドアを開けて、中に入ると、いつもと雰囲気が違っていた。
電気もつけず、不気味な雰囲気が漂っている。
自分は歩いてリビングのドアを開けた。
すると、そこには―――――
「・・・・・・」
天啓は薄く目を開ける。少し眩しかった。
体を起こす。どうやらここは保健室のようだ。制服の上着が横にかけられている。
と、カーテンの向こうで声が聞こえた。
「先生。私はこれで」
「一人で重かったんじゃない?」
「――――別に、そんな事はありませんでした」
「そう。それじゃあね」
次に扉が開き閉まる音。
「・・・・・・・」
天啓はベッドから起き上がると、かけてある制服を着る。
「おや?」
その様子に気づいた保健室の先生がカーテンの隙間から顔を出す。
「もう大丈夫?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「その言葉は、天月さんに言いなさいよ」
と、椅子に座る。
「天月が?」
「そ、だから明日にでもお礼を言っときなさい」
「? 今から言いに行きます。授業もありますし・・・・・」
天啓が言うと先生は首を横に振る。
「あ〜。ダメよ。今日はもう家に帰って安静に寝ときなさい」
「―――でも、もう大丈夫ですよ」
「それがダメなのよ。支雲さんからも、ちゃんと学校側に頼まれてるんだから」
「・・・・・・・分かりました」
と、天啓は立ち上がるとドアを開けて出て行った。
「・・・・どうなってるんだ? この体は・・・・」
昼前後の帰り道。天啓は、自分の手を見ながら独り言をつぶやいた。
五年前。自分はある事件に巻き込まれた。
一家殺害事件。
父は小さい頃他界し、母と二人暮らしだった。いつものように学校に行き、遅くまで友達と遊んだ。しかし、ある満月の日に、いつものように家に帰り着いたら、何かが違っていた。家全体が闇に包まれたかのように、不気味に静まり返っていたのだ。恐怖を感じたが、大好きな母の事を考え、家に入った。玄関はより一層不気味で、まるで異世界のような雰囲気にさらに恐怖じる。その時、奥で音がした。勇気を出してリビングの扉に近づき開けた。しかし、そこから先は、どうしても思い出せない。そして、次に目が覚めたのは病院だった。
医師の話によると、母は死に。自分も、あと数年は目が覚めないと診断していたため、意識を取り戻したのは奇跡だったらしい。それから身寄りのない自分は親戚の支雲家に引き取られた。支雲の家には子供がおらず、実の息子のように育てられ、中学までそこで過ごした。そして高校生になってからは寮ではなく、高校に一番近い場所の部屋を借りて通っている。別に支雲家が嫌いなわけではない、むしろ、叔父と叔母は実の父と母と同じぐらい好きだ。しかし、あの事件がなければ通ったで、あろう高校をいつの間にか受験し、受かっていた。叔父と叔母も特に反対せず、
『一人暮らしは大変だけど頑張れよ』
『泥棒には気をつけてね』
と、賛成してくれた。
よく考えれば、発作も、昏睡状態から目覚めてから悩まされている。一月に数回ほど襲われるが、今までは気を失うほどは強くなかった。しかし、先ほどは異常だ。支雲の叔母は医師だったが、原因は分からなかった。
「はぁ・・・・・」
何故、発作が起こるのか、まるで答えの無い問題に天啓はため息をついた。
と、
「ニャ〜」
まるで天啓を励ますように、塀の上から見下ろしている猫が鳴いた。
「・・・・・猫・・・・」
自然の笑みがこぼれる。
猫は自由だ。悩みも無く、ただただ気まぐれに生きている。
「っと。今は自分の事を考えるか・・・・・・」
再び前を向きなおし、歩く。
猫は、塀から飛び降りると、向こう側に移動する。
その時、横の道から車が走ってきた。運転手は携帯を片手に運転しており猫に気づかない。
「な!?」
天啓は、急いで猫に駆け寄る。
と―――――
ふわっと、天啓の横を一人の少女が通り過ぎた。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・大丈夫?」
少女は、猫を抱えた状態で天啓に話しかけた。
天啓自身は、飛びだした反動を殺しきれずそのまま、ゴミ置き場に突っ込んだ。生ゴミの回収日ではなかったのは不幸中の幸いだ。
「飛びださなかったら、こんなことにはならなかったよ」
埃や肩に乗っているゴミを落としながら立ち上がる。
「でも、車の前に普通、飛びだす?」
「猫が危なかった・・・・・・・」
少女は猫を抱えながら無表情で言った。灰色の髪に黒い服。その上から茶色の長く薄いコートを着ており、黒のロングブーツを履いていた。自分と同じか一つ下、と言った顔立ちをしている。彼女自身もどこか猫のような雰囲気を纏っていた。
「・・・・・まぁ、みんな無事みたいだし・・・・良かったよ」
少女が落ちている鞄を渡した。
「ありがと。ここらへんは、道が狭くて事故が多いから気をつけてね」
と、歩き出す。
「あの・・・・・・」
歩き出した天啓を少女の声が引き止める。
「?」
振り返ると、少女が、
「えっと・・・・・・・・・ありがとう・・・・・・」
猫を抱えながら言った。その猫も、ニャーとお礼を言う様に鳴く。
「どういたしまして」
天啓は微笑を浮かべて行った。
この数秒の出会いが、全てのきっかけだったとは、俺は夢にも思っていなかった。




